閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

これって「文学」「名作」??

2020-04-28 12:26:26 | 日記
 もとよりあまり小説を読まないのですが、手に入った本の整理中に思いついて「読んでみるか」というものもあります。自慢にはならないけれどことに翻訳物は根気が続かず、世界文学全集はほとんど読んでいません。日本のものでも江戸以前の古典で読み通したものは多分ない。
 先日買い入れた文庫の中に「銀の匙」、橋本武という高校教諭の解説付きというのがあって、読んでみることにしました。若いころ読みかかって止めた小説です。
 正直なところこれは「文学」か? 帯の惹句に「奇跡の名文」とある。確かに生活の身の回りの人物、出来事、物などの描写は丹念、かつ綺麗な表現で、全体に穏やかな印象で、ある種の「お手本」にはなるだろうけれど・・。どこか、「白ばんば」だかと似たような・・・。かつて吉田満「戦艦大和」が単なる「日記・記録」か「文学」かで議論があったと記憶するけれど、これだって似たようなもの。ひねた子供の日常を連綿と書き綴って、それが「名作」?  日本の「私小説」といわれる物は小生の好みではない。ことに酒と女、そして借金、自堕落を臆面もなく書き綴ったものは、いくら日本人独特・固有の小説のジャンルだといわれてもねえ。まして感激して「私淑」し、「酒・女」は出てこないにしても高校の国語教育の「手本・教材」にしてべた褒めというのは ちょっと入れ込みすぎではないかいな。
 翻訳され諸外国で評価を受ける作品ではありえないだろう。 世界的評価の代表のノーベル文学賞といえば、川端康成が評価されたのに小生は納得していません。断然安部公房であるべきでした。三島もダメ、谷崎ならまだまし。村上春樹がなぜ世界中で読まれるか? 日本の小説のありように疑問を持って、というのはよく知られていてその実験の進行中だということだ。
 健全な生活、健全な精神、健全な文章を書けというつもりはないけれど、そして酒や女に溺れる人間の弱さが書かれるのも、それはそうだと思わなくはないけれど・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 コロナ騒動

2020-04-13 08:04:21 | 日記
 
 政府は コロナ肺炎の拡大を防ぐため、自宅待機を命じた、そして多くの公共機関を閉鎖したのだが、休業命令と同じく ではその保障について何も語らない。全くその場凌ぎの片手落ち(差別用語だそうだ)の弥縫にもならない愚策といえよう。 中でわが店の関心は閉鎖機関に図書館と博物館を含むことである。
 長時間の自宅待機を命じるならそのガス抜きの手立てもなければならないが、せめて子供たちに図書館と博物館を解放すべきではないか。図書館・博物館で密集・大勢で騒ぐ ということがありうるか? 消毒や人の間隔を開ける手を打つ、あるいは入場制限をするなど手を打てば問題はないはず。そもそも有史以来の疫病・伝染病で「紙」が媒体になった例があるか? 紙は細菌やウィルスの住処にならないことは証明されている。わが店でも時々「本は消毒してあるか」と聞く人がいる、答えは「銀行員で病気になった人がいますか?」 紙が媒体になるのなら、毎日札束を顔の前で数える作業の銀行員は即感染者になるだろう(もっとも現今では機械で数えるし現金不要も増えてはいる) 紙は伝染病と関係ないことを永田町・霞ヶ関の連中は知らない、「本」に関心が全くないことがよくわかる。
 アベ・アソーのコンビはもはや不要だ、自身が政治の舞台から撤退した方が良い、これ以上居座ると有終の美どころか末節を汚すことになるだろう。
 それにつけても 世の中にいかに「いらない・無駄」なことが多いかよくわかる、銀座・六本木のクラブ・バーが、一食5万円の料亭が、駆け足巡りのバスツアーが、一時間に40本もの新幹線が、安売り競争の航空増便が、
 一昔・あるいは二昔前「縮む・シュリンク」という言葉が流行ったことがあった。 今まさにことに経済面で「縮ん」でいるけれど、これで結構。何が悪いか?
 電氣・ガス・水道の需要が減り車も減り、原材料の輸入量も減る、飲食業の従業員が余れば他業種の人出不足も解消されよう、物流・人員輸送が減れば運転手不足も解消できる。
  何が問題なのか? それは経済指標ばかりに目を向けている永田町・霞ヶ関の連中に行き着く。 議員と官僚こそ地方分散してテレワークの実践をすべきだと思う。そしてやはり大事なのは農業だ。何があっても食料生産は不可欠だし人手は限りなく吸収できる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする