このところ読書数が少ない。当然感想を書く、報告するようなものに行き当たらない。「目を通す」程度はそこそこにあるけれども大方はこれまでに感想を書いてきたような社会科学系、歴史がらみのものばかり。 たまに小説を、あるいは類似の文章を読もうかと思わないでもないのだけれども、もう一つの「読まない理由」は「眼の不具合」も否定できない。はっきりと視力の低下などがあるわけではないけれども何とはなしに読むことに集中できない。眼鏡の検査をしても「ピタッと」合う感触が得られず「何となく字を追いずらい」 こんなことでは本屋としては困るのだが題名と目次と奥付の確認ができないわけではないのでまだ様子見という所だ。
目次と言えば 先だって倉庫のt中の古い雑誌類をあせくっていて(大牟田弁か?)ある雑誌の目次に野田宇太郎の名が見え、一応小郡に知らせたところ「持っていません」との事。感謝されて早速買い上げてもらえた(大した金額ではない)。 その後またしても目次に野田の名前のある雑誌を2冊見つけた。「柳の下のどじょう」の2匹目3匹目になるかどうか、まだ調べていないが、ことほど左様に終戦後(とは限らないか)の、ことに地方の小雑誌類は 油断のならないものが結構ある。様々な理由で文章が 載っても少し時間がたつと忘れられるのは実に多い。これらを掘り出す・見つけ出すのも古本屋の仕事の一つの柱と思っている。そうだ、文芸関連だけではない。市史編纂やある分野の研究の下支えをこの小さな田舎古本屋と言えかなりの仕事をしてきたと思っている。ただし、せっかく「これは何とかしなくては」と思って意気込んでも「予算がない・このレベルでは?」と言って取り上げてくれない事例もあって、当然ながらお金にはならず「倉庫の肥やし」というものも馬鹿にならない件数ある。「歴史は消し算」とはいえ残念なことではあります。