閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

目の具合が面白くない でも掘り出したぞ

2024-03-19 21:08:09 | 日記

 このところ読書数が少ない。当然感想を書く、報告するようなものに行き当たらない。「目を通す」程度はそこそこにあるけれども大方はこれまでに感想を書いてきたような社会科学系、歴史がらみのものばかり。 たまに小説を、あるいは類似の文章を読もうかと思わないでもないのだけれども、もう一つの「読まない理由」は「眼の不具合」も否定できない。はっきりと視力の低下などがあるわけではないけれども何とはなしに読むことに集中できない。眼鏡の検査をしても「ピタッと」合う感触が得られず「何となく字を追いずらい」 こんなことでは本屋としては困るのだが題名と目次と奥付の確認ができないわけではないのでまだ様子見という所だ。

 目次と言えば 先だって倉庫のt中の古い雑誌類をあせくっていて(大牟田弁か?)ある雑誌の目次に野田宇太郎の名が見え、一応小郡に知らせたところ「持っていません」との事。感謝されて早速買い上げてもらえた(大した金額ではない)。 その後またしても目次に野田の名前のある雑誌を2冊見つけた。「柳の下のどじょう」の2匹目3匹目になるかどうか、まだ調べていないが、ことほど左様に終戦後(とは限らないか)の、ことに地方の小雑誌類は 油断のならないものが結構ある。様々な理由で文章が 載っても少し時間がたつと忘れられるのは実に多い。これらを掘り出す・見つけ出すのも古本屋の仕事の一つの柱と思っている。そうだ、文芸関連だけではない。市史編纂やある分野の研究の下支えをこの小さな田舎古本屋と言えかなりの仕事をしてきたと思っている。ただし、せっかく「これは何とかしなくては」と思って意気込んでも「予算がない・このレベルでは?」と言って取り上げてくれない事例もあって、当然ながらお金にはならず「倉庫の肥やし」というものも馬鹿にならない件数ある。「歴史は消し算」とはいえ残念なことではあります。

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NZへ行ってきた。

2024-03-07 19:43:17 | 日記

 かねてからそのうちに 次男の生活の様子を見に行こうと思っていたがなかなか踏ん切りがつかなかった。しかし 夫婦ともの 年齢とこの頃よく起こる故障を考えるとそろそろ実行しておかないと時期を逸する、と思った次第。

 長男が海外旅行慣れしていて手配・手続きの一切を引き受けてくれたので大助かり。

着いてからは次男が車で迎えに来てくれていてその後の行動も一切車。当然ながら会話は全部お任せ、とあって小生はちょっとしたやり取りは少しあったけれども 妻は全く英語を話す機会なく済んでしまった。「揚げ膳・据え膳で何もしなくてラクチンだった」との感想。

 往復の飛行時間が9+3時間の椅子に座ったままというのが難点、腰が痛くなって帰ったら即刻マッサージに直行した。

 6日間店を閉めるというのは我店の歴史上初めてのことで、幸い生き物といえば緋鮒しかいないので多分死にはしないだろうという事にし、郵便と新聞を保留にして電話は留守録に、日本の古本屋は一時停止、と一応の備えはしていったが全く支障はなかったのは幸いだった。

 NZの印象は いつも言っている通りで、電線・電柱がない、看板がない、ガードレールがない、静か。 駐車が全部頭突っ込みなのはびっくり、小生のやっていることが当たり前というのはうれしかった。

ロトルアの町は公園の中に生活がある、木々は豊で大木が覆い茂っている。NZの面積は日本の9割くらい、人口は一割に満たない。日本では人口減少を大事件として騒いでいるが、多少減った方が生活は楽になるという小生の従来の言い分を目の当たりにしたということだ。工業生産や貿易が世界の何番目というのを競う必要はない。国民の生活を満たすだけのことでよいではないか。

他にもいろいろあって、忘れないうちにと、箇条書きに別途思いついたことを書き留めつつある。感想文・紀行文にするほどの文才はない。

帰路の飛行機からニューギニア南岸の大ラグーンを見ることができたのは望外の事だった。

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