先ほど 店を閉める直前、均一台を見ていた身なりのキチンとした老人が手にしていたクリアファイルからコピーを取り出して「お宅の珍しい写真を手に入れたのでお目にかけようと思って・・・」と差し出されたもの。一見して 「ああまたか!」という代物。物は戦前の写真で「古閑書林」という「新刊店」の古い写真である。それは昭和57年刊行の「ふるさとの想い出写真集 明治大正昭和」と 大変欲張りな名をうたった 全国中に広く刊行された写真集の大牟田版の一コマなのです。わが店は本姓は古賀で「古雅書店」は屋号。父が戦後に始めた古本屋。 方や 古閑書林は 姓は古閑、教科書販売も手がけた「新刊や」であり戦前から市役所の真ん前という好位置に営業していた大牟田では大きな店でした。 しかも 持ってこられたコピーの元の本は35年前の発行、この本の出る企画の段階からわが店は関与していて、この写真なんて既知もいいところ、今時「お宅の古い珍しい写真…」と言われても返答の仕様がないではないか。「いいえ、これは古閑書林、わが家は古雅書店 先様は新刊や、わが家は古本屋、場所も彼は有明町、わが家は本町ですよ」といっても聞き入れない。「昔は有明町でもこっちに移転したのだろう(古閑書林はすでに廃業している)」と、また「新刊や」「古本屋」の区別が全く理解できていない、というより「古本屋」というそのものをまったく認知していない。この写真集が出た当初は結構この間違いをしている人は多くて、ずいぶん「訂正」して回ったものだけれど、今日、わざわざコピーを持参して「お宅の珍しい写真を見つけましたのでお知らせしに持ってきました」という方が現れるとは・・・・。 思い込み・刷り込みとは恐ろしいものですね。古賀 古閑 久我 古我 久閑 などは同音で 同じ出自であることは姓の起こりのイロハ。同じ「コガ」でも違うなあと感じ区別出来て当然。また「古雅書店」「古閑書林」また古本屋と新刊屋 どこが同じに見えるのか 真に不思議(わが方にとっては)なのだが、世間、ことに大牟田の「本に一応の興味のある、自称ハイブロウな方々」にとっては眼中にないということでしょうね。
先に「買ってはいけない」としてお知らせした続き。新書版・軟表紙「地名の秘密」経済界発行。ご本人の紹介にも「やじうま」「雑学」という言葉が並んでいるし、出版屋もおよそ学問とは縁のないところで、この本もどこぞの新聞などにちょこちょこ書いたものの寄せ集めだろう。斯くいう小生もこと「雑学」は大事だとは思うけれど この本はちょっと程度が低すぎはしないか。まず一箇所明確な間違いを示そう。158p5行目「八女市というのが熊本県にあって、なんだか女御が島のような印象がある。しかし八女は ヤ(湿地)メ(接尾語)で、湿地帯のことをいう。したがって、県立八女高校といっても女子高ではない、念のため。」という のである。いかがであろうか。まったくデタラメ! 八女が熊本県? どこに湿地があるかい? 台地で水がなく畑作が盛んそして水が少なくても育つ「茶」の名産地ということもしらない。そもそも全国の茶の名産地は皆 高台にあることすらわかっていない(狭山、静岡、宇治、嬉野 そして通潤橋のある矢部などすべて稲作不適地)地名の語源についてはあまり詳しくはないのだけれどここに書かれているのはこれもまず間違い。全体を見ても 小生の知識から見て??という記述が多い、公刊する著作としては間違い、不正確記述「だらけ」でご本人はもとより、出版屋の見識ゼロということがわかる。「校訂」ということスラ知らないことを自ら暴露している。前回は「昔の交通に関する認識不足」このたびは「お茶はどこでできるか」をわかっていない「熊本県」に至っては論外。 これは「専門バカ」とはまた違った「知識の底の浅さ」ということだ。 こういうものが出回るのは本当に迷惑千万。 軟表紙・新書・全書の 「ちょっと物知り、ちょっと便利」本は くれぐれも注意されたし、いっそそんな本は買わない、読まないで結構です。間違ったことを知るより知らないでいた方がずっとまし。
それにしても 小生の「雑学」からして「これは変!?」という記述の本が多いのに驚かされる。 本当に日本は出版しすぎです。どうでもよい本が多すぎる。
それにしても 小生の「雑学」からして「これは変!?」という記述の本が多いのに驚かされる。 本当に日本は出版しすぎです。どうでもよい本が多すぎる。