10日ほど前に「日本の古本屋」を通じた注文がありました。すぐにその品はお送りできる旨、いつものように送信しました。ただ、送金について、「銀行振り込みで」という先方の希望があったのですが、吾店は「公的機関以外は振替でお願いしている」と お知らせしたのです、が・・。10日たっても連絡がない。そこで「どうなったんでしょう、保留期間を過ぎますが」と問い合わせると、その返事は「郵便振替は難しいので、この注文は取り消し」と言ってきました。 何のこっちゃ!というのが小生の感想。 おもえば、以前、同じような要求で「郵便局が遠い」という理由を言ってきたさるマスコミで有名な学者さんがありました。ところがその住所!小生も知っているところで、「おかしいな、すぐ近所に郵便局があったはずだが?」と ネットの地図を見たところ、少し先の角を曲がったところにあるではないか! 先様は小生がまさか土地勘があるとは思わず「遠いからダメだ」といったのだろうが、天網恢々・・・とは言いすぎか、ウソはちゃんとわかるのです。 しかし!吾店はそれなりの理由あって「郵便振替でお願いします」とあらかじめ表示しているのにである。 何のどこが 「郵便振替は難しい」のか、訳がわからない。手前の思うとおりにならないから、言いがかりをつけられたようにしか思えないのだがどうだろう。 それでは気に入らないといって注文そのものを取消し ということは その本はそう大事に思われているものではなかったということではないだろうか。 連休中にもかかわらず「すぐ。明日届いて!」などといいう人もいる。お客様あっての商売ということはそれなりにわかっているつもりだが、「神さま」とは、小生はまったく思っていない。このことは機会があれば書こう。ちなみに「お客様は神様です」というのはウソで、正確には「お客様は神さまのようなものです」というのが、彼が言った正確な発言。それを、ショウの狂言回しの漫才屋たちが面白おかしく短くして煽ってしまった言葉。しかもそれは「芸人」の世界のことであって、「物」を売る世界の話ではない。思えば「健全な精神は健全な肉体に宿る」という有名な言葉も「日本の語・文」でしかない。本当は「健全な精神は健全な肉体に宿れかし」、「宿ってほしい」!という「願望」の言葉・文章だ。それを日本人が勝手に短くしただけ! 要は現実には「健全な精神は健全な肉体には宿っていない」という事で、そうあっては困る、だから「願望」としてこの言葉が発せられていることを知るべきだ。クーベルタンのことをもっとしっかり理解しておくべきと思う。 最初の話から大分ずれたけど、 提示している要件を相談もなしに無視する、ゴリ押しする人が増えてきたことを残念とともに日本文化としてすごく危険だと思うようになった。