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日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア

2015年02月09日 08時07分22秒 | 歴史問題
2015年2月6日、仏メディアRFAは記事「731部隊から救出されて70年、いまだ癒えぬ傷」を掲載した。


731部隊は旧日本軍の研究機関。生物兵器の開発や人体実験など数々のおぞましい行為を手がけていたことで知られている。部隊の拠点は史跡として残されているが、ナチスの強制収容所のようなおぞましさに満ちている。中国メディアの報道では少なくとも3000人が死亡したというが、日本は731部隊の暴行について正式に認めてはいない。

「血債(人民を殺害した罪)は必ずやあがなってもらう」と話すのが李鳳琴(リー・フォンチン)さん。父は1941年に行方不明となった。その行方を探し続けたが、50年以上も過ぎた後になって731部隊に殺害されたことが分かったという。「長年父を探し続けた、その苦しみは筆舌に尽くしがたいものです」「731部隊は木材工場に偽装されていました。捕まった中国人は“マルタ”と呼ばれ、まるで木材のように扱われたのです」と怒りを露わにした。終戦から70年、731部隊が残した傷跡はいまだ癒えていない。(翻訳・編集/増田聡太郎)

三一部隊元隊員証言記録


   質問      山本 真(大分協和病院 医師)
   回答      森下清人(元七三一部隊少年隊2期生)

インタビューは大分協和病院において91年9月に行われた


<少年隊に入隊>

これからはね、森下さんが見たこと、体験したことを一つ一つ描いていっていただけたらなと思うんですよね。できたら今日は七三一部隊に入隊するまでのことを、その少年隊にはいるまでのところからお聞きしたいんですが。まず生れはどこになるんですか?

生れは私は野津原。大分県の野津原(現 大分郡野津原町 大分市の西隣りに位置)。

ああ野津原ね。小学校は?

大分の金池小学校。

いつ七三一に入ることになったんですか?

昭和17年。そのころは若者は職業といったらやはり兵士、それか満蒙開拓団か軍属かかぎられたところです。昭和17年の3月29日が、今の王子中学あそこが大分高等小学校、そこを卒業した。それで職業安定所の馬場静夫というのがその当時の所長で私とこの遠縁だったんです。どこにいこうか開拓団にいこうかといって悩んでいたんです。

長男さんではなかったんですね?

長男です。6人兄弟やけどあとは女ばっかし。家をつごうだとかは非常時だから毛頭なかった。親父も勤め人でしたし。市役所の土木課に出てましたから。それで3月26日に卒業して、馬場さんからいいところがあるから行くかといわれて、どこだといったら満州だというので、その晩考えて、晩飯のときに親父に満州いくけんなといったら、こめえときから悪かったもんだから、お前が行くならどこでん行けいうてこうきた。それで次の日に門司にいって。

すぐ次の日に。満州のどこにいくとかいうことは判らなくて、軍属ということだけで。軍属というのが僕はよくわからないんですが、兵隊じゃないんですね?

兵隊じゃない。軍隊に属するんですね。給料は軍隊からでるんですね。

階級はないんですね?

階級はあります。4段階くらいに分れますね。ええと下から庸員、雇員、判任官、高等官。高等官いうのは佐官級です。少年隊は庸員になります。

そういうことで行かれて、すぐ満州に渡ったんですか?

下関で各方面から来るのを2日待った。滝沢という班長が迎えに来た。それから舟にのって釜山にいった。これが揺れて揺れて。皆吐いとりましたなあ。船倉なんですよ。それでエンジンいうんですか、スクリューいうんですか、あの音がうるそうてねえ、私も気分悪くなりました。それから釜山からは汽車にのって。確か夜でした。
http://www3.coara.or.jp/~makoty/library/memory731.htm
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米紙、慰安婦記事取り消しは「歴史の書き換え」=米国ネット「記事取り消しは不要」

2014年12月08日 08時30分47秒 | 歴史問題
2014年12月3日、慰安婦に関する記事取り消しをめぐり、日本国内で朝日新聞への批判が高まっている風潮があると、米紙ニューヨーク・タイムズが報じたことに、米国のネットユーザーがさまざまなコメントを寄せている。


ニューヨーク・タイムズは2日、日本の右派が戦争の歴史を修正する動きが強まっているとする記事を掲載した。記事では、慰安婦関連の記事の一部を取り消した朝日新聞を攻撃する動きが日本国内で強まっていると指摘。慰安婦の記事を書いた朝日新聞の元記者は“韓国人のうそ”を広めた反逆者というレッテルを貼られ、記者を辞めた現在も右派から脅迫や嫌がらせを受けているという。元記者は、このような状況について「右派の人々は歴史を否定するために、自分たちと主義の違う者を脅迫し黙らせようとしている」と語っている。

この報道に、米国のネットユーザーがさまざまなコメントを寄せている。

「第二次世界大戦に関する日本の最大の問題は、日本が負けたということだ」

「日本人に率直なアドバイスをしよう。強い者だけが謝罪できる。謝罪できるうちにした方がいい。手遅れにならないうちに」

「日本は第二次世界大戦に関する記録を全て破棄してしまった。アメリカは朝鮮戦争の時に日本が必要だった。そして今は、中国を封じ込めるためにまた日本が必要だ。だからアメリカは日本の戦争中の過失についてほとんど批判しない」

「ほとんどの人が知らない事実だが、第二次世界大戦中に、韓国政府が韓国人女性や外国人女性を誘拐し、米兵に性的サービスを提供する米軍の公式の慰安所で強制労働させていた。そのことで、韓国人女性たちが韓国政府を告訴している。誰が本当の犯罪者か、分かるだろう?」

「誰が誰に対してどんな過ちをしたにせよ、日本は最大限の補償をした。2度もね」

「1990年代に日本に住んでいた時に村山談話が発表された。右翼ややくざたちの脅迫にさらされながら、いかに日本人が大変な思いをしてこの談話を発表したかを覚えている。日本による慰安婦関連記事の取り消しは受け入れられないし、悪質だと思う。首相が記事の取り消しを支持するというのは恥ずべきことだと思う。日本はドイツのように過去の戦争犯罪に向き合おうとはしない。もうそろそろ向き合うべきだ。もう記事の取り消しはいらない!」

「皮肉なことに、日本の保守派が国の“名誉”を取り戻そうとしてやっていることは、目的と逆方向のことをやってしまっている。狂信的な右翼の人たちと一緒になってね」

「日本は過去の過ちから学んでいない。過去を認めて謝罪できないというのは、悲しいことだ。アメリカ人が奴隷制度はなかったと主張するようなものだ」(翻訳・編集/Yasuda)
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慰安婦聞き取り映像を公開 韓国団体

2014年09月16日 07時30分51秒 | 歴史問題
 韓国で戦後補償問題に取り組む市民団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」は15日、ソウル市内で記者会見し、慰安婦問題をめぐる河野洋平官房長官談話の作成過程で日本政府が実施した元慰安婦の女性に対する聞き取り調査の映像を公開した。

 聞き取り調査は河野談話発表直前の1993年7月にソウルの遺族会事務所で行われた。遺族会は日本側と映像を公開しないことで合意していたが、「安倍政権が談話を極度に傷つけているため、証言の証拠が存在することを知らせる」として公開に踏み切った。

 調査は16人の女性を対象に実施されたが、遺族会は表に出ていない人もいるなどとして、一部を編集した17分間の映像を公開した。映像では2人の女性が「日本の巡査と朝鮮人に両腕をつかまれ連れて行かれた」「言うことを聞かないからといって腕をねじ曲げられた」などと話している。(共同)
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慰安婦問題を巡って“朝日新聞が右派の攻勢に”・・と韓国報道

2014年08月31日 09時19分02秒 | 歴史問題
韓国メディア各社は29日、朝日新聞が28日に従軍慰安婦を巡る一連の報道への批判に「問題の本質に変わりはない」と反論する記事を掲載したことを、大きく取り上げた。

各社は、読売新聞が28日に朝日新聞の慰安婦報道を検証する記事を掲載したことや、朝日新聞が反論記事を掲載したこと、他の新聞や週刊誌も朝日批判を掲載し、政治家からも「誤報を反省していない」といった発言があったことなどを一斉に伝えている。この中では、朝日新聞は「慰安婦問題を早くから積極的に報道」「バランスが取れた深みのある報道が特徴で、影響力という面で(他紙を)圧倒」などと紹介され、それに対する批判は「競合他社を中傷する意図」「河野談話を廃棄しようとする右派の攻勢」などと表現されている。

こうした韓国メディアの報道を受け、多くの韓国人ネットユーザーが意見を寄せている。主なコメントを紹介しよう。

「日本のマスコミや政治家はこんな幼稚な戦略・戦術を使う者であるということ、我々は必ず知っておかねば」

「在日同胞のみなさん、朝日新聞を購読しましょう」

「日本は技術でカネ儲けだけがうまい、成熟していない幼稚な未成年みたいなもの!!!!」

「亡国へとひた走る彼らの妄言や周辺国に与えた被害を考えると、彼らは天罰を受けてしかるべき」

「これでも日本に良識ある知識人がいるとか何とか言うつもりか。日本は、大地震よりも基本的な良心が無いことを、より恐れるべき。産経だけでなく読売までもがあんな調子なら、日本が滅びるのもそう遠くないだろう」

「慰安婦問題が、あなた方の行いによるものでは無いと?西洋の科学技術をすこし早く受け入れ国力が上回っているからと、あなた方はナチスより残忍かつ悪辣に周辺国を蹂躙した。認めるべきは認め、その罪を素直に受け入れてこそ、サムライの子孫と言えないか?」

「日本に良心的な層はごく少数だ。1億3000万の右翼猿の中、ヤクザからは殺すぞと脅され、まともな意見を述べるのに大きなリスクを負っている。政界や財界、学界で正論を口にするのは事実上不可能」

「大東亜共栄圏ですか?実に良いアイデアだ。しかしあなた方は自分が主人であるとして大東亜共栄圏を主張した。今からでも遅くない。真の大東亜共栄圏を実現するには、まず平等な条件で私心を捨ててスポーツ、文化、経済、政治、軍事などで推し進めるべき。そうであっても、自分の犯した蛮行を真摯に謝罪することが先だ」

「日本が錯覚している点は、朝日新聞の記事のせいで現在の強制慰安婦の問題が発生したと言いたいようだが。朝日はそれでもまともだ。『本質に変わりはない』。朝日が記事を書かなくても、強制慰安婦の問題は国際社会でとりあげられたはず。なぜ?大韓民国があるから」

「イ・スンヨプは愛国者だな。読売から巨額の年俸をむしり取ったから」

「おお!初期の朝日新聞は、おまえらと同じようなものだった。しかし今になって裏切るのか?とにかく、右翼同士が内戦を始めたようだな」

「もしこのような事が我が国で起こったら、どうなっていたでしょう?絶対にあり得ないけど、朝鮮日報がこのような論調で記事を配信したと仮定して分析して見て。多くの人が、気がかりになるのでは?」

(編集 兼田)
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日本人戦犯45人の「更生」はいかにして行われたか―中国メディア

2014年08月21日 08時55分52秒 | 歴史問題
2014年8月20日、中華人民共和国の建国後、接収・拘留された日本人中国侵略戦犯は1109人にのぼった。1956年、中国最高人民法院特別軍事法廷での審理を経て、このうち職位の高く罪の重い45人の戦犯が8年から20年の有期刑を宣告されたほかは、すべての戦犯が起訴を免れ、帰国を許された。人民日報海外版が伝えた。

【そのほかの写真】

中国を侵略した日本帝国主義は、数えきれないほどの罪を犯した。だが中華人民共和国政府は、これらの中国侵略戦犯を広い懐で感化し、「反戦・平和」を高く掲げて日中友好関係の推進に貢献する大きな力に変えた。

▼数え切れない戦争犯罪

これら1000人余りの戦犯による犯罪を単純に足しただけでも驚くべき数字となる。直接殺害された中国の民間人と捕虜は85万7000人余り、焼却・破壊された家屋は7万8000軒以上、略奪された食糧は3700万トン、石炭は2億トン以上にのぼる。1931年の「満州事変」から敗戦・降伏まで日本の帝国主義は数多くの悲劇を生み出した。平頂山虐殺や南京虐殺、潘家峪虐殺、劉店郷虐殺、四一二虐殺、重慶大トンネル虐殺、北[田童]虐殺などその犯罪は枚挙にいとまがない。

今年7月3日から8月16日まで、中央公文書館は国家公文書局の公式ウェブサイトで45人の戦犯の自筆の供述書を連日公開した。7月だけで140万件のアクセスがあった。この時期の歴史についての証拠は山のようにあり、人々は歴史を決して忘れてはいない。

▼人道的配慮が魂を清める

中華人民共和国の建国後、撫順・太原の2カ所の戦犯管理所に集められた日本人戦犯に対して、中国政府は寛大な措置を取り、長期的で忍耐強く苦しい更生を施した。

中央公文書館資料保管部の研究員を務める周玉文(ジョウ・ユーウェン)氏によると、管理所は戦犯を罵倒したり侮辱したりすることは決してなかった。生活面では、季節に応じて衣類が配給され、アメなども与えられた。入浴は毎週1回、理髪は毎月1回とされ、肉・卵・牛乳の供給も保証された。

1956年、戦犯管理所は、戦犯らによる北京・瀋陽・長春・ハルビン・天津・上海・南京・杭州・武漢の9都市への見学を何度かに分けて企画した。彼らは、かつて日本の侵略者の蹂躙と破壊を受けた地域にどれだけの大きな変化が起こったかを見た。

南京の見学後、戦犯らは、南京市人民委員会に宛てた懺悔の手紙の中で、「私たちはあなた方の平和の楽園を壊しました。中国革命の先駆者である孫文先生が安眠する聖地で、あなた方の30万人以上の同胞を惨殺し、財産を略奪し、人類史上で例のない野蛮な暴行を行いました」と述べている。

国家公文書局の李明華(リー・ミンホア)副局長の紹介によると、中国特別軍事法廷が1956年、戦犯45人に対する審議を開始した際、すべての戦犯は法廷の指摘する罪のすべてを認め、弁明することはなかった。ある戦犯は号泣し、床に倒れ伏せ、厳罰を乞うた。第2次大戦後の国際法廷における戦犯の審議でほとんどの被告が罪を認めなかったのと顕著な対照を示している。

▼心から悔いて平和に尽力

日本軍国主義は、中国侵略戦犯を戦争機械の血に飢えた悪魔に変えた。戦争が終わり、教育更生が施された戦犯は、軍国主義の悪霊から解き放たれ、今度は犯罪の記憶に苦しめられるようになった。

「1号戦犯」と呼ばれた鈴木啓久は、瀋陽特別軍事法廷で審判を受けた際、雨のように涙を流し、「私によって何の理由もなく殺害され、平和な生活を破壊された人々を思うと、心が引き裂かれたように苦しい」と訴えた。

1956年6月から8月まで、起訴を免じられた1000人余りの日本人戦犯が3回に分けて帰国した。判決を受けた45人の戦犯も、1人が服役中に死亡した以外は、ほとんどが刑期満了前に釈放されて帰国した。

日本に帰国後、連絡の強化のため、釈放された戦犯らは共同で「中国帰還者連絡会」(中帰連)を設立した。会の目的は、平和的な生活を送るために互いに助け合い、日本と中国の間の友情促進と平和のために戦うことだった。

これらの戦犯は帰国後、ほとんどが日中友好を推進し守る力となった」と遼寧撫順戦犯管理所旧跡陳列館の張継承館長は語る。「中国国民がその寛容と人道の力で彼らを『悪魔』から『人間』に変えたのだと彼らは認識していた。(提供/人民網日本語版・翻訳/MA・編集/武藤)
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