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日銀総裁、円安「むしろプラス」 官邸・産業界と温度差

2014年10月08日 08時18分11秒 | 行政
 日銀の黒田東彦総裁は7日の金融政策決定会合後の記者会見で、1ドル=110円に迫る円安は「景気にむしろプラスだ」と強調した。景気の現状については「所得と支出の前向きな循環を維持している」と指摘し、回復のもたつきは一時的との見通しを改めて示した。外国為替相場を巡っては産業界や政界から過度な円安を懸念する声が上がり始めており、政府と日銀、企業の温度差が目立ってきた。


■「ある意味では自然な為替の変動かと思っている」

 今年2月から半年ほど1ドル=101~103円で膠着していた円相場は、8月中旬から1カ月半で一時8円近くも円安が進んだ。ただ黒田総裁は足元の円売り・ドル買いを事実上追認してみせた。「実体経済に及ぼす影響を注意深くみていきたい」としつつも、日米の金融緩和姿勢の差が広がる中での円安は、経済の実態を映したものだとの見方を示した。

 ただ安倍晋三首相は同日午前の参院予算委員会で、円安の影響について「家計や中小・小規模事業者にはデメリットが出てきている」と言及した。外為市場では首相と日銀総裁の発言のズレに戸惑いが広がり、7日の東京市場で円相場は乱高下し、1日の値幅は86銭と約7カ月半ぶりの大きさを記録した。

 産業界でもこれまで円安を容認する発言が多かった経団連の榊原定征会長が、6日の記者会見で「1カ月という期間にしては変動が大きかった」と急速な円安へ懸念を表明。「これ以上、円安に振れるのは日本全体として好ましくない」とけん制した。黒田総裁の円安容認姿勢はやや突出しつつあり、発言を今後修正する可能性があるのか市場は注視している。

■「昨年4月以来、日銀の物価見通しはほとんど変わっていない」

 景気回復にはもたつき感があるが、黒田総裁は強気な景気・物価情勢の判断を崩さなかった。4月の消費税率の引き上げや夏場の天候不順の影響は「足元の現象だ」と繰り返し強調し、景気回復の足踏みは一時的にとどまる見方を示した。

 物価についても2015年度にも2%の物価目標を達成できるとの従来見通しを堅持した。8月の消費者物価指数(除く生鮮食品)は消費税を除き前年同月比1.1%と伸びが鈍ったが、原因は原油安だと分析し「原油安は日本経済にはプラス。中期的には物価を引き上げていく」と訴えた。

 黒田総裁は追加緩和について「必要があれば当然検討する」としつつ、想定通りの物価シナリオを維持している現状では慎重な考えをみせた。それでも、市場の追加緩和観測は根強い。市場は物価上昇ペースが年度後半から再加速するとの日銀シナリオを疑問視しているためだ。

 SMBC日興証券の牧野潤一氏は「物価上昇はすでにピークアウトしており、今後は日銀の予想に反して弱含む公算が大きい。12月にはシナリオの修正を迫られ、追加緩和に踏み切る」と予測する。
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新時代の光、産業創出 青色LEDが生活変える

2014年10月08日 08時08分01秒 | ニュース
 電気を流すと青色に光る半導体が究極の照明になる――。ノーベル物理学賞の受賞が決まった赤崎勇名城大学教授と天野浩名古屋大学教授、中村修二米カリフォルニア大学教授が開発に貢献した青色発光ダイオード(LED)は従来の概念を覆す「光の新世界」を開き、省エネで長寿命の照明やディスプレーなどの新産業を生み出した。

 「輝くような青さだった。感動で手が震えた」。赤崎氏は初めて青色LEDが光った約25年前の実験光景をこう振り返る。

 当時、LEDには赤色と緑色があった。実用化は早かったが、そろえば白色光ができる光の3原色のうち、残る青色はできなかった。世界の研究者が開発競争を繰り広げていた。

 当時、研究者から青色の光を出す物質と注目されていたのが、窒化ガリウムと炭化ケイ素、セレン化亜鉛の3つだった。このうち、青色LEDを実現した窒化ガリウムは極めて硬いうえ、溶け始める温度がセ氏2500度以上と扱いが難しい。きれいな青色LEDを得るには半導体の結晶を高い品質で作る必要があり、当時は技術的には非常に難しく「20世紀中の開発は不可能」とさえいわれていた。「窒化ガリウムには未来はない」とされ、世界中の研究者が次々と手を引いていった。

 これに対し、当時、松下電器産業(現・パナソニック)にいた赤崎氏は周囲から反対されながらも、この窒化ガリウムの難しさこそが青色LEDを実現できる可能性があるとみて開発にこだわった。赤崎氏は会社を辞めて名古屋大学の教授に就任し、大学にいた天野氏とともにきれいな結晶を作ることに挑戦した。

 「窒化ガリウムによる青色LED」という研究を国際学会で発表したものの、反響は薄い。それでも研究室に泊まり込み、実験を重ねた。きれいな結晶作りには低温のアルミニウムを吹き付け、その上に窒化ガリウムを重ねる方法があることを思いついたが、最適な条件が見つからず、試行錯誤を続けた。

 ある日たまたま電気炉の調子が悪く、温度が上がらない状態で使ってみると偶然、品質のよい結晶ができた。最適な条件を突き詰め、1985年にきれいな結晶を安定的に作れるようになった。

 その4年後、マグネシウムを加え、世界で初めてLEDに欠かせない窒化ガリウムの結晶を完成させた。努力型の赤崎氏と実験の腕で優れた天野氏が「二人三脚」で開いた成果だった。

 一方、窒化ガリウムによる青色LEDの量産に道を開いたのが中村氏だ。

 高品質な結晶を作るのが難しい中、学会で見た他の結晶の装置をもとに考えた「ツーフロー方式」という技術に注目し、きれいな結晶が量産できるようになった。1991年に成果を発表した。反応しないガスを上からふき込み、横方向から流す原料ガスが基板に定着するように押さえつけ、欠陥の少ない結晶を作れるようになった。量産技術が確立した産業応用につながる道が広がった。

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