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一流を目指す人が「人と食事に行かない」ワケ 格闘家・青木真也

2016年09月11日 10時03分40秒 | スポーツ

 10年前、青木真也はメジャー格闘技団体「PRIDE」でデビューした。しかし、デビューから1年足らずで「PRIDE」は消滅し、格闘技バブルは弾けた。ファイトマネーは底なしの下落が続き、出口の見えない負のスパイラルは、今なお続いている。

 そんな中、青木真也だけはアジアを拠点に活動を続け、今ではアジア随一のファイトマネーを稼ぐ格闘家になっている。なぜ彼の価値だけが上がり続けるのか。

 9月8日に上梓したビジネス書『空気を読んではいけない』から、極端ながらも本質的な5つのメソッドを紹介する。

伝統なんてクソ食らえ、亜流を貫け

 僕は中学の柔道部では補欠だった。だから格闘家としての才能がないことは僕が一番よくわかっている。生き残る術として必死に見出したのが、誰も見たことのない寝技を繰り出すことだった。

 しかし、日本柔道界は「しっかり組んで投げる」スタイルを正統派と見なし、それ以外を認めない風潮がある。いきなり相手に飛びついて極め技を狙う僕は、明らかに異端児と見なされていた。いくら勝利を重ねても一向に認められることはなく、批判は絶えなかった。

 柔道は、「背負い投げ」と「内股」「大外刈り」の“ビッグ3”を得意技にしなければいけないような、暗黙の了解がある世界だ。トリッキーな寝技に偏っていた僕が、どれだけ勝利を収めてもついて回るのは「なんだ」という言葉になる。

 「なんだ、その柔道は」「なんだ、あの技は」

 僕の柔道人生は正統派を求められる同調圧力との戦いだったとも言い換えられる。しかし、僕はその空気に飲み込まれずにいられた。「大きなお世話だ」と心の中で叫んでいた。

 今、世界中の格闘技ファンは「シンヤアオキ」といったらトリッキーな寝技だと皆、口を揃えてくれる。メジャーな格闘技団体から好条件でオファーが来るのは、誰も見たことがない寝技を持っていることが大きい。

 あの時、周りの声に屈していたら、今の僕はなかっただろう。誰になんていわれようと、それが亜流であろうと、自分を信じて貫く強さが必要だ。

先輩や上司に、いつでも刺し違える覚悟を持つ

 早稲田大学柔道部で練習していたある日。「お前、もう来なくていい」と言い渡された。要するに、クビにされたのだ。僕はスポーツ推薦で大学に進学して、実力は部内でも一番だった。突然のクビ通告を不思議に思うかもしれないが、当然だとも言える事情があった。

 早稲田の柔道部は伝統を重んじる気風。当然、僕の異端のスタイルに対して、「お前のは柔道じゃない」という指導が入る。しかし、僕は先生や先輩の意見に、一切耳を貸さなかった。当時は、「伝統なんて関係ない。ルールブックに書いてないだろ」と思っていた。

 「俺はもうスタイルが出来上がっている。俺より弱いお前らが指図するな」

 そんな不遜な態度を見せていると、先輩たちは勝ち負けの問題ではないと、生意気な僕を上から抑えつけようとしてくる。後輩は先輩に絶対服従だという考えで強気に出てきたことがわかった。彼らは後輩である僕が何もやってこないと決め込んでいたが、そんなことはない。

 口では「すみません」と言っておきながらも、常に畳の上では白黒つけてきた。練習で組み合いとなれば、先輩であっても容赦はしない。寝技で相手が参ったとタップアウトしても、緩めることなく技を極め続けた。それどころか、倒れ込んだ相手の手を平然と踏みつけることすらあった。

 僕は最低限のルールは守るが、今でも上下関係や伝統といった明文化されていないような理由で屈服を強要してくる相手に対して、刺し違える覚悟でいる。

 柔道部をクビになった時点で、授業の単位はほとんど取り終わっていた。やりたいことだけに時間を使えるようになり、総合格闘技の練習にはプロ選手のように没頭できた。大学3年のうちにプロデビューを果たすことになるわけだから、総合格闘技の道に進んだ僕の選択は間違いではなかったと思う。

 自分を殺してまで、理不尽な環境に我慢する必要はない。自分に正直でいてこそ、歩むべき道が見つかるのだと思う。

 “朱に交われば赤くなる”という言葉があるように、人間は良くも悪くも身を置いている環境に慣れてしまう。目標の高さや金銭感覚など、いつの間にか自分本来の考え方が狂ってしまわないためにも、僕は自分自身に課しているルールがある。

 それは、人と食事に行かないことだ。

 格闘技界では、練習後の食事までがひとつのセットと考えられている。「メシ食いに行こう」と誘われることも多い。しかし、一度でも食事をともにしてしまえば、それは馴れ合いの第一歩となる。大人数での食事ともなれば、必ず様々な会話が生まれ、周囲の意見に流される場面も出てくるはずだ。その流れに乗らないために、僕は練習後に誘われても、必ず断ることにしている。

 当然、相手は感じ悪く思っているだろうが、そこで後ろめたさや罪悪感を覚える必要はない。食事に誘われれば、「すみません。申し訳ありませんが、僕は帰ります」と明確な意思表示をすることが大事だ。「練習までは一緒にやる。ただ、それ以上は踏み込んでくるな」という一線を引き、相手にはっきりとわからせなければならない。

 下手な言い訳をする必要はない。2度、3度断れば「アイツはメシに行かないから」と、誘われなくなり、食事以外の場面でも“NO”と言える雰囲気をつくり出すことにもつながる。必然的に群れることもなくなっていく。

 結局、格闘技には練習以上のコミュニケーションはないのだ。たとえ後ろ指をさされようとも、僕にとって必要なのは“仲間”ではなく、格闘技界に染まらないための“孤独”と言える。

 他人とご飯を食べて馴れ合っているような人間は、一流にはなれないのではないだろうか。

欲が散らかっている人間は、何も手にできない

 はっきり言えば、格闘技界は恵まれていない業界だ。周りからも「格闘技はお金にならないんでしょ」と言われることがよくある。実際にほとんどの選手は、ジムでのレッスン料や、アルバイトで生計を立てながら格闘技を続けている。

 テレビの選手紹介などでは、格闘技を続けるためにアルバイト生活を送っていることが、美談として扱われることが多い。日中は建設現場でバイトをして、夜はジムに通う。「やりたいことをやるために生活を犠牲にする」というストーリーは、一見すると美しいかもしれない。しかし、実際はただの“逃げ”でしかない。

 そもそも、彼らがどれだけの気持ちで格闘技に取り組んでいるか甚だ疑問だ。アルバイトと並行して活動しているようなファイターが、自動販売機でドリンクを購入している姿を目にしたり、女の子と遊びに出かけた話を聞くと、片手間で格闘技をしているようにしか思えない。

 彼らと話をすると、「格闘技に命をかけている」と口では言うが、行動が全くともなっていない。「お金がない」と言うならば、水筒に公園の水でも入れて持ってくればいい。普段着もボロボロでいい。女の子と遊ぶのに1万円かかるのであれば、デートを我慢してアルバイトを2日休む。その2日間を練習に充てた方が必ず力はつく。

 もしも本当に強くなって格闘技一本で食べていきたいならば、エネルギーを投下すべきところは間違いなく格闘技だけだ。それ以外に費やす時間と金は無駄遣いでしかない。

 良い服を着たい。良い家に住みたい。女と遊びたい。友達とも飲みに行きたい。家族も持ちたい。その上で「格闘技に命かけています」と言ったって、そんなの夢ですらない妄想だ。何かを得るためには、それ以外のすべてを捨てなくてはならない。

 彼らは欲望もエネルギーも、すべてが散らかっているように僕には映る。すべてを我慢するくらいの気持ちがなければ、恵まれていない業界でメシは食えない。「チャンピオンが食えない業界はおかしい」のではない。「チャンピオンなのに食えないファイターがおかしい」ということだ。好きなことで食っていきたいのなら、好きなこと以外は捨てる覚悟が必要だ。それが出来ないようなら、大して好きでもないということだ。

「右向け右」をしていたら、搾取され続ける

 僕はプロ格闘家になって10年経ったこともあり、今回、考え方を1冊の本にまとめた。この10年で、僕より才能や人気があった選手はそのほとんどが引退しているか、当時より少ないファイトマネーで生活している。

 格闘技界は分かりやすく言えば、斜陽産業であり、ブラック企業だ。周りの空気を読んで、群れてばっかりいたら、言いように食い潰されてしまう。日本格闘技が不況になって、多くのファイターがアメリカを目指すようになったが、僕はシンガポールを選んだ。アジア人がこれから活躍するならば、アメリカよりも可能性があると考えたからだ。

 どんな業界でも、自分の頭で考えずに、「右向け右」をしていたらいつまでも搾取されるだけだと思う。周りからなんと思われようが、自分が信じる道を突き進むことでしか成果は出ない。