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模型と魚釣り

インドアはプラモデル。アウトドアなら海釣り。田舎暮らしのジジイの日記。
アイコンはボーダーの愛犬みぃちゃんです。

チャオとグラッチェ 中編

2025年04月14日 | 旅行

今回のイタリア旅行はミラノ、ベネチア、フィレンツェ、ローマという人気の都市が一度に訪問できて、オプションを追加しなければ各地で自由行動が多くて何も付いてない安いのだけが取りえのツアーでした。

4日目:フィレンツェの丸一日自由行動は中央市場を基地に決めてまず昼食を済ませました。
腹がふくれて落ち着いたし雨も降っていなかったので、近くにあるターミナルのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅を見に行きがてらブラブラと散策することにしました。

ターミナルらしい頭端式のホームにヨーロッパ風の車両が止まっています。
駅にはトラムも接続しています。

こういう最新式の車両と古い石畳や石造りの建造物との対比がヨーロッパの魅力なんだと思います。
旅行に出る直前にTVでフィレンツェの旅番組があり、それを録画して2回ほど観て予習してきました。
ビッキオ橋という橋が観光名物で楽しいらしいというので向かいました。

こういう何気ない通りがおしゃれなのです。
橋は屋根付きで道の両側は宝石店ばかりです。
見たいものがないのでその先のカフェでジェラートとエスプレッソでトイレ休憩にしました。

ビッキオ橋を渡ってひとつ下流の橋の上から外観を撮影。
宝石とかブランド品とかモノに興味がないので時間をつぶせませんでした。

歩くのも飽きたので基地の中央市場に戻って早めの夕食にすることにしました。
ぶらぶら歩いてもジジイで食が細いのであんまり腹が減りません。
フードコートの魚屋で魚介のフリットの盛り合わせ(注文後に揚げてくれます)を買い、白ワインをグラスで飲みました。
新鮮な魚介が十種類以上入っており、軽いので意外にペロッと食べられました。
でもパスタやパンなどの炭水化物を食べる気力はありませんでした。

8時の集合時間までフードコートでまったりと過ごしました。
今から思えば、時差ボケで体が重くて一番体調の悪い日でした。

5日目:市場への帰り道、地元のスーパーマーケットでハムと箱のワインを買っておきました。
ホテルの朝食はおいしくないので、食堂ではヨーグルトとカフェラテのみ頂いて、パンを部屋に持ち帰って買ってきた惣菜で食べる作戦です。

こんな箱のワインでも日本の同じようなものよりもずっとおいしくて、ハムやチーズも安くておいしいです。

物価についてですが、日本の100均のような店がイタリアにもあって、全部99セント均一。並んでいる商品は日本の¥100のものとほぼ同じようです。
高速道のガソリンスタンドが1.76ユーロ/Lでした。
感覚的にはそのまま100倍すれば、つまり1ユーロ=100円ならばイタリアはちょうど良いような気がしました。
2023年のイタリアの平均年収は46千ドル(世界23位)、日本は42千ドル(24位)とほぼ同ランクなので、そんな風に感じるのでしょうか。
ヨーロッパの他の国はもっと高くて、ドイツ人の平均年収は日本の1.6倍です。そういう意味では1ユーロ=160円は妥当なのかもしれません。
対ユーロで円を強くするとドイツの自動車やフランスの農業製品が値ごろになって日本に大量に流入してしまうので、ユーロを高値維持してるんじゃないかと邪推してしまいます。

朝食後フレンツェを発って高速道をローマに移動します。

DAF、IVECO、SCANIA、MANなど日本では見かけないトラックがいっぱい。

ベンツもいます。

我々の乗ったトスカーナバスはSETRA。帰って調べたらドイツのメーカーだそうです。
イタリア人の運転手がこいつを結構飛ばすんですよ。
車線変更でウインカー出さないやつばっかりで、こんな道は運転したくないなと思いました。

お昼頃にローマ着。
バスを降りるといきなり1時間半の自由時間で、どこかで昼食を食べてきなさいというミッション。
良く調べないでピッツェリアに入ったら、あんまり評価の良くない店でしたが、普通においしい。
ピッツァマルゲリータ(8ユーロ)と赤ワイン(シラー)のハーフボトル(7.5ユーロ)でおなかいっぱい。
朝しっかり食べてバス乗ってるだけじゃ、昼にはおなかすきませんから。

マルゲリータって普通バジルの葉がのってるんじゃないのかな。

午後は日本人ガイドさんが名所を徒歩で案内してくれます。なんて気楽なんでしょう。
すぐ近くのコロッセオから。

奴隷同士で殺し合いをさせてそれを見物するという、競技場だそうです。

オードリーヘップバーンのローマの休日を大昔に観ましたが、そんな風景がそこ此処に実在しています。

スリが多いというトレビの泉。注意するように脅されていたので緊張しました。
ジェラート屋さんでトイレを借ります。嫁はんはアイス食べてました。
出川哲朗レベルの語学力でよく注文できたな。

スペイン広場まで3時間半歩いてガイドして頂きました。

若い頃はガイドに付いてぞろぞろ列になって歩くのはみっともないからまっぴらだと思っていましたが、これはこれで悪くないです。
食事にもガイドがいて、どこか案内してほしいなあと思いました。
また、帰りのバスの集合時間まで自由行動なのです。後編に続く。

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初釣行は桜鯛

2025年04月06日 | 釣り

2025年の初釣行はイタリア旅行に行ったこともあって、3月には行けず4月までずれ込みました。
4/5(土)に三国港の鯛ジギング船に単独行で行ってきました。鯛ジギングは片舷でドテラ流しになります。
朝まずめから8時までが勝負ということなので、集合時間はまだ暗い4:40で出港は5:00でした。
家から三国にその時間に着くためには12時過ぎに出発となり、真夜中に起きて運転する自信がないので、いつもの通り仕事から帰宅し着替えたら即出発というパターンにしました。
ところがお気に入りの郡上から九頭竜湖越えの油坂峠が土砂崩れで通行止めになっていることを郡上八幡まで来て休憩しているときに知りました。
仕方がないので東海北陸道で金沢回りにコースを変更し、想定外の大出費です。
それでも23:30には港に着いてビールを飲んですぐ寝ました。車中泊したなかでは一番寒い夜でした。
予定通り5時に出港して南下し越前海岸の沖まで1時間ほど走りました。

なんとひと流し目ですぐにヒット。幸先よし。
写真の記録が6:20なので、開始してすぐに釣れた感じです。
やや小さいけどメスのきれいな子52cm。

1尾目の記念写真を船長が撮ってくれたりしたあと、落としたらまたすぐ釣れました。
ジグがフォール中にボトムではないところで止まったので合わせました。

写真のデータで12分しか違いません。まだ1尾目の血抜き中。
少しサイズアップしました。
船長に撮ってもらった記念写真。


そして3尾目はいかつい顔の雄。
この画像を一緒に行くはずだった後輩にLINEで送ったのが6:42なので、釣り始めて20分ほどで3尾釣れました。

まぐれにしても釣れ過ぎです。
休む間もありません。

その後また4尾目がすぐに掛かりました。なかなかの引きで今日イチのサイズと確信しましたが、3尾目を釣ったあとにリーダーチェックしていなかったので、リーダーに傷でもあったのか絶対的な当たりジグごとロストしてしまいました。
痛恨のミス。時合いが短いので焦ってバタバタやってしまうんですよね。
ここでポイント移動。
同じカラーの180gにジグを変更しました。
移動後の1尾目は60cmほどのシーバス。7:30くらい。

このあと大きなウッカリカサゴを釣って、やっと次に4尾目のマダイ。
これで74cm位です。

そして5尾目。これがまだ9時半くらいです。

この後何か所かポイント移動しましたが、風が弱まり船が0.2ノットでしか流れなくなって、潮がいかないときのマフグ、トラフグの猛攻でくたくたです。
結局74cmから52cmの5尾という鯛釣りとしては自己ベストの釣行になりました。

私がこんなに釣れるのは珍しい。なんか今年の運をみんな使い切ってしまった感じがします。
たまたまメタルジグが合ってただけで、ウデとかなんも関係ないんですけどね。
いつもお世話になっている小田原の同級生に鯛(61cm)を福井からクール宅急便で送りました。
あと鯛2尾は嫁はんの同僚(猟師の嫁)に押し付けました。

後半の釣れない時間に釣れた外道のレンコダイは大きいので31cm。

3尾とも一夜干しで冷凍します。

ウッカリカサゴ40cmは三枚におろしてスズキと一緒にポアレにします。
こいつは胃からホタルイカが出てきました。ホタルイカパターンと言いますがまさにその通り。

しかし魚のポワレは難しい。
買ってきた肉なら水分量がほぼ一定なのでステーキを焼くのは簡単ですが、釣った魚は水分量がまちまちなので火加減と時間の調整が都度違います。
今回は焼きがやや浅かったです。もっとカリッと焼かないと。

残った鯛2尾は刺身・昆布締め用とポワレ・ムニエル用、天ぷら用のブツにさばきました。
いつもよりも身が軟らかくて身割れしてうまくできませんでした。
2尾のアラは炊きました。酒と砂糖で炊いているところ。醤油を入れる前。

嫁はんが私の出刃包丁を普段から勝手に使っているようで、魚を捌くのに全然切れなくて往生しました。
研いでからやればよかった。
鯛の兜を割るのに切れないとケガしそうで怖かったです。

いつも釣れてないガッカリな記事じゃなくて、たまには釣れないとね。
さて次は何を釣りましょうか。6月は小田原釣行が決まっているので4月後半か5月か。


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チャオとグラッチェ 前編

2025年03月31日 | 旅行

先週から春分の日がらみの9連休にして、イタリア旅行に行ってきました。
初めての海外とあって行くまではガチガチに緊張していましたが、盗難等にもあわず無事帰ってくることができました。
嫁さんに「遊びに行くんだよ?」と言われるほど、私の様子が普段とは違っていたんでしょう。
「遊びに?」やることをすべて把握している仕事の出張の方がどんなに気が楽か。
試験勉強がまだ不十分なのに受験に行く気分でした。

成田出発の便が朝早かったので、前泊にして千葉在住の友人を呼びだして飲み会にしました。
旅立ちの日に玄関を出た時から雨だったことは記憶にないほどの晴れ男なのですが、フライト当日の成田は朝から名残り雪が舞うバッドコンディションで離陸が3時間以上も遅れてしまいました。
イタリア直行ではなくイスタンブールで乗り換え予定だったのですが、遅れたせいで乗り継ぎ便が出てしまい、急遽1泊目のミラノがイスタンブール泊に変更になりました。けど皮肉にもこの五つ星のホテルがこの旅で一番良かったのでした。

2日目 翌朝のイスタンブールからミラノへの便も出るのが遅いので、結局ミラノ観光はキャンセルとなり次の予定地ベネチアに直行することに。
ミラノ空港からの高速道路の車窓は、同じ温帯気候の田園風景ということもあり山梨県あたりの中央道と同じ雰囲気。
ブドウ畑と牧草地が多く見られました。
牧草地では空中でホバリングしながら獲物を探す小型の猛禽を2羽見ました。
トビらしき中型の猛禽も見ました。帰って調べたら欧州にもトビはいるらしいのでトビだったのでしょう。
こんな風景を見て、なぜか異国という緊張がほぐれ、人が住むところはどこも大差ないなとホッとしました。

ベネチア島に入ったのはもう夕暮れ時。
ここで初の試練、2時間半の自由時間で夕飯をすませるというミッションです。
安いツアーなのでオプションを付けないと自由時間だらけなのです。

イタリアに入ってから一度もWiFiにつなげてないので、まだスマホが使えません。
グーグルマップが使えず、検索もできない状況では行き当たりばったりで店に入るしかありませんでした。

ボンゴレビアンコは一発で通じました。ウエイターは英語がわかるようなのでイカ墨の方もブラック スクイッドと言ったらすぐにわかりました。
イカ釣りをしているのでイカ=スクイッドという単語を知っていて助かりました。
ワインはハウスのハーフボトル。ワインテストなんてバブルの頃に昔の彼女と青山のレストランでして以来かな。もう大人なので落ち着いて余裕でできました。
支払いのレシートは捨てずに持って帰りました。ここは合計64.35ユーロでした。
スマホが使えなかったので店の評判を調べる前に入ってしまいましたが、後で見たら評判が悪い店でした。
特にまずくはなかったけど、少し高いかな。

店を出て、こんな細い路地を歩き回っていたら自分の位置を見失い迷子に。
似たような路地ばかりでどこを通ってきたのかわかりません。
偶然ハイキング用のコンパス(方位磁石)を持っていたので、南へ南へと焦って走りましたが集合時間に3分遅れてしまいました。
この晩はベネチア島外地区のホテル泊。

3日目 時差ボケでよく寝られないので夜明けとともにホテル周辺を散歩してみました。

ホテルの周りは住宅地でした。
6時から開いていたこのカフェでエスプレッソとラテマキアートを頂きましたが、レジのおばさんに英語が通じないしこちらも慣れてないのでオーダーが大変。

ここでイタリア人の寛容というかよくわからない会計を初体験。
5ユーロ出せばお釣りがくると計算したんだけど、お店内で座って飲んだので何かチャージが足されたみたい。
犬と散歩中のマダムにMay I…dog?と話しかけてパチリ。

SUVが多いのは日本だけじゃないようです。
一瞬日本の住宅街にも見えますが、家が木造モルタルでないことや電線電柱がないことで異国と分かります。

散歩から帰って朝食。イタリアのホテルの朝食ブッフェはどこも本当に残念なものでした。
観光地から離れた格安ホテルだからなんでしょう。

朝食後ピサの斜塔見学にバスで向かいます。東海岸のベネチアから西海岸近いピサまでの山越えルートです。
山岳部の植生も本州とよく似ていると思いました。
ピサの駐車場から住宅街を抜けて斜塔に向かう途中の踏切にて。

動力分散方式の電車ではなく、機関車が前後(片側は運転席だけかも)に付く動力集中方式です。この方がメンテする動力車が少なくて済むのかな。

斜塔に着いたらまず自由時間で昼食です。
食事したらトイレ貸してくれるよね?って聞いたらOKというのでこの店にしました。
Pici alla norcina というトリュフソースのポルチーニのパスタを2人でシェア。
Piciというのはうどんのように太いパスタのこと。
パスタは14.5ユーロでした。ハウスワイングラス赤は5ユーロ。
白ワインでヴェルメンティーとかヴェルナッチャとかブドウ品種を指定すると6ユーロでしたが、比較的安価な店でした。
白ワインは日本で飲むよりもイタリアの方が格段に美味いと感じました。えぐみとか苦みがない感じ。保存料とかが違うのかな。
この店はネットの評価も4.6と悪くない。でも円安で1ユーロ>¥160なのが痛いです。

テキトーに決めた割にはトリュフの香り豊かなパスタでおいしかった。

斜塔はガイド付きで上まで登りました。石の塔なので木造の塔よりは安心感がありました。

斜塔頂上からの眺め。
どこの街も警察や軍の車両があり、警備していました。
もっと塗装剥がれやキズがあった方がモデル製作の参考になるのですが。

フィレンツェ泊。
この日の夕食だけフィレンツェ名物のローストポークが付いていました。
食べたのは4つ星の店らしいですが、ソースが塩辛くていまいち。
イタリアでの食事は朝食を除いてどの店も十分おいしく、自分は標準以上だと思いました。
特に塩味は薄めの丁度良い店ばかり。甘味は少々過ぎるけど。

4日目 丸1日フィレンツェを自由散策という初心者にはハードルの高い日。
でも英語でほとんど通じることが分かったし、しかもスマホのeSIMが効いてグーグルマップが使えるので余裕が出てきました。
丘の上から街全体を眺めてから、解散します。

一番の問題はトイレ事情。公衆トイレは有料が多いので、なるべくカフェやレストランで無料のを使いたい。
もしおなかの調子が悪くて下ってたらと想像すると恐ろしいです。
便座がないところも多くて、女性は尻を浮かせて空気椅子状態でせざるを得ないみたいです。
こんな路地を歩き回ります。

現地の天気アプリでは雨の予報だったので傘を持って行きましたが、降ったり止んだりのタイミングが良くて傘をさして歩くことはありませんでした。

ターミナル駅のそばに中央市場があってその2階がフードコートになっており、時間つぶしに最適なのでまず向かいました。
1階は本当の市場で早い時間に閉まりますが、フードコートは夜の集合時間まで開いているのです。
ハムやサラミなどの肉の塩漬け類とチーズが豊富です。
鮮魚屋もあってアジやサバ、イワシ、カサゴなどのお馴染みの魚も丸のまま売っていました。

お昼時は混むというので11時過ぎからランチにしました。

生ビール400cc(Pilsnerとvaizen)6.5ユーロで喉を潤してからフードコートを1周して物色。
朝食を食べて間がないから軽めを心がけて。
手前から生ハム、サバ、トリュフのオープンサンド。1個3ユーロ。

それとイタリア風の牛もつ煮込み、ランプレドット8ユーロ。
パンにはさんでパニーニ(サンドイッチ)として食べることもできますが、パンは腹にたまるので器にしました。
有名なトリッパとは同じ胃でも使う部位が違います。
煮込むスープは両方ともトマトベースですがランプレドットはさらっとして、トリッパはシチュウほどとろみがあります。

グラスの赤ワインはビールより安くて5ユーロほど。
日本では大きなグラスに少しですが、ここでは100ccは入れてくれてると思います。
早めのお昼ご飯をすませてヒマになりました。
オプションの美術館見学などを申し込んでいないのですることがありません。
革製品の有名ブランド店が並んでいますが、興味ないし。
入国直後に飲んだミネラルウオーターが合わなかったようでおなかの調子が悪いし、時差ボケの影響か体がだるくてあまり動きたくありませんでした。
フードコートでしばしボーっとしていましたが、昼になり混んできたので街歩きすることにしました。
中編に続く。

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マストなどの製作

2025年03月16日 | プラモデル

旅行用の休暇(代休)を貯めるために、ヨメさんは積極的に週末にシフトを入れて出勤したので日曜日は自由に過ごせました。
先週は記事をアップしませんでしたが、順調に工作は進めています。

ハセガワのこのキット。マストはスケールを考えればプラスチックで十分細く成型されていると思いますが、ディテールアップの習作でもあるので金属線で置き換えてみます。
雑誌の作例をチェックすると、マスト(支柱)は0.5mmでヤード(横棒)などはもう少し細いものを使っていました。
それを参考に支柱は0.5mmの真鍮線。
横棒は糸を張ってテンションが掛かるのでバネ性のある0.3mmのリン青銅線、支えのほおづえは0.2mmの真鍮線にしました。


いつものように方眼紙にキットのモルードを写し、金属線を固定して半田付け。
支柱の横棒がクロスする箇所はやすりでU字に掘って半分くらい埋まるようにしました。

マストの中段にある踊り場のような部品は、キットのマストから切り出して利用しました。
もっと薄いプラ板から切り出してスクラッチしても難しくはないと思いますが、マストばかりやたらシャープなのもおかしいと思いまして。

甲板に明いている挿し込み用の孔は大きすぎるので、エバグリの丸棒で埋めてから金属線の0.5mmより少し大きな凹を掘ります。
組み込み前にガイアの金属用プライマーを塗ってから舞鶴工廠色を吹いておきます。
船体に接着しながら位置や傾きを調整しますが、結構難しい。
元々の成形品のマストは直径1mmほどあって、まわりのパーツはその分を避けています。
それを0.5mmにしているのでセンターで合わせて径の差分を埋めればうまくいくはずですが、なかなか。

半田付けで組んであるので瞬間接着剤で付けるよりも強度があるため、曲げたり引っ張ったりするのにかなり無理がきくので何とか収まりました。
踊り場の白い箇所はエバグリの1mm丸棒を接着して、0.6mmの孔を明けてパイプ状にしたもの。

これは後部のマスト。

予めグレーで塗装したパーツを接着していきますが、あとで塗り残しや剥げた箇所にグレーを吹くためにリノリウム色の部分はマスキングして作業してます。

露出補正をすると舞鶴工廠色がかなり黒っぽくなりますが、実際はもっと薄いグレーです。
マストのトップにはキットの成形品から移植した特徴的なキャップ形状の何か(?)を付けてますが、やや大き過ぎるように思えるので取ってしまうかもしれません。

月末にかけて色々予定があるのでこの後は停滞しそうです。

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船体の塗装

2025年03月02日 | プラモデル

仕事中、ふと五大湖を今でもすべて言えるだろうかと思い出してみると、4つはするすると出ましたが5個目のスペリオルが出てくるには2分ほど掛かりました。
受験生だった44年前に覚えたものの、どこの入試にも出ず社会人時代もこの知識を一度も使用することなく、脳のメモリーに保存され続けた湖の名前5個。
ここでこれを書けて良かった。そうでもなかったらこの知識は死ぬまで使われないでしょうから。
同級生のLINEグループで聞いてみようか。みんな地理で受けてるから多分全員言える。

さて1/350陽炎型駆逐艦。先々週、甲板のリノリウム色まで塗ったのですが、リノリウム押さえを埋めるスジ彫りが脱線したりした傷をペーパーで修正した後処理が不完全で目立つことに気づきました。
それで先週は、その修正に再度パテ込みしてサンディングし塗り直す、という地味な作業だったのでアップしませんでした。

今週土曜日は午前中に艦底の赤とリノリウム色をマスキング。
マスキングテープを1辺1~4mmくらいの四角や三角の小片にして、多分100枚以上貼ったでしょうか。
テープが浮く前にすぐ吹きたくて、撮影する前に始めてしまいました。

砲塔の台座やホースリールのモールドなど、軍艦色で塗る部分を露出させるのが面倒くさい。
でもほとんど吹込みなくできました。

軍艦色は20年近く前に1/200初月を塗るために買ったこれ、舞鶴工廠色。
祖父と祖母が舞鶴工廠に出稼ぎに行っていたので、曾祖母に育てられたと母は言っていました。
祖母が帰省した際にライスカレーを作ると、ハイカラだと評判だったと自慢していました。

駆逐艦なので舞鶴で良いだろうとよく調べもせずに使いましたが、さっき調べると雪風は佐世保工廠製でした。あちゃー。
舞鶴色はN6.5くらいでもっとも明度が高く、佐世保色はもっとも黒っぽいグレーで真逆だそうです。
マスキング剥がす前だったら塗り直したのにな。
ウエザリングで軽くウオッシングすれば明度は落ちるはず。


埼玉大宮のウイングという模型屋さんで買ったようです。
¥120だったんですね。


店主はライターさんのようで、店番しながらウォーターラインの那智かなんかを製作中(海面に白波を貼ってました)でした。

白っぽい色で塗った方が大きく見えるようです。
来週からは船台に据えたまま艤装開始です。

これから地区の年度末会計監査に行ってきます。


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