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ほっておくと学長まで天下り先になる

2007-10-09 | 教育
「国立大の役員に65人天下り 」

法人化とほぼ同時に、副学長クラスの天下りがどっと増えた
なんと、山形大学では、今年、学長も選挙では負けたが、選考委員会で逆転

なぜ、こういうことになったか
法人化で文科省の意向を無視しての大学運営ができなくなったからである。
そうなるように仕向けたのが文科省

まずいと思う。
大学は、ほっておくと何もしない組織ではあるが、
自由な批判精神だけはその分、発揮できるという面がある
今のうちになんとかしないと日本の大学、本当に危ないことになりそう。

写真 東京成徳大学

アクセス数解析

2007-10-09 | Weblog
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谷からの這い上がり、可能か?

パワーポイントの登場でプレゼンが変わった

2007-10-09 | Weblog
●パワーポイントの登場でプレゼンが変わった
最近は、ほとんどが、パワーポイントを使うプレゼンになりました。それに伴って、プレゼンが劇的に変わりました。講演会場だと、画面が中央、後援者は隅の演題の陰から、という場の設定が一般化しています。
  これでは、講演者の「見た目」が見えません。プレゼンのもっている、講演者が見えることによる効果がまったく発揮できなくなってしまいました。学会講演ならいざ知らず、普通のプレゼンでは、もっと講演者が見えるようにするべきだと思います。
「人は見た目9割」(新潮新書)というベストセラー本がありますが、そこまではいかないまでも、見た目にも、聞き手の理解を助ける情報がたくさんあることを知るべきです。
パワーポイントをたんたんと解説するのは、原稿を読みあげるプレゼンとほとんど同じです。わずかに、ビジュアル化することによる理解支援の効果を期待できるくらいです。
からだ全体を使ってのプレゼンは、迫力を演出できます。聞き手をひきつけ感動させることさえできます。どこが一番訴えたいところかも伝えることができます。
せひ、演台の砦から出て聞き手と直接向かい合うプレゼンを心がけてください。
もう一つ、関連して述べておきたいことがあります。それはパワーポイントの資料の配付です。映写して見せるものを手元に配布するのが一般的ですが、講義調のプレゼンでは、書き込みしたいとの聞き手の気持ちもあるので、これでよいと思います。ただ、それでも、話し手はコンピュータの画面をひたすらながめ、聞き手もまたひたすら資料をながめるような硬い雰囲気は、せっかくのプレゼンの良さが発揮できていません。
そこで、プレゼン中は、資料を配付しないで、終了後配布、あるいは、基本的なスライドだけ配布して、映写はそれ以外のものを含めたものを用意する、といった工夫もあってよいと思います。

精神分析の評価

2007-10-09 | 認知心理学
Q2-* フロイトの精神分析の本を何冊か読んでみました。心があれほどよくわかしまうのは驚きですが、本当かなという疑問も感じました。今、心理学の中で、精神分析はどのように評価されているのですか---科学としての精神分析

 精神分析の評価は大変難しいものがあります。20世紀初頭に、S.フロイトが精神分析の理論を提唱したときもそうですが、今でも、その評価は、きよほうへん相半ばしています。  精神分析全体の評価となると手にあまりますので、ここでは、「科学としての心理学」の立場からという限定をしての評価をしてみます。  精神分析の考え方の基本は、自然科学の基本である、因果律に従って、人の心にかかわる現象を説明しようとするところにあります。無意識の世界に潜む精神的外傷(トラウマ)が原因となって、神経症的症状が結果すると考えます。 この点で、精神分析はきわめて「科学的」と言えます。しかながら、2つ問題があります。  

一つは、原因の世界と結果の世界のレベルが異なっているという問題です。 自然科学における因果律的な説明図式は、原因も結果も、同じ物理的世界にあります。しかし、精神分析では、原因は無意識の世界にあり、結果は意識・行動の世界にあります。このように、原因と結果が別々の世界にあるときの因果的説明は、両者をつなぐしっかりとした理論がないと、えてして、神の意志が原因で災害が起こった式の「神秘的説明」と同類のものになってしまう危険性があります。したがって、この点での精神分析の評価は、無意識の世界と意識の世界とをつなぐ理論の適切性にかかっています。図に示すフロイトの心のモデルは、心理学の一般的「雰囲気」としては受け入れられていると思いますが、データによって検証できるレベルのモデルではないところに問題があります。

****** 図 フロイトの心のモデル ******、    

もう一つは、原因と結果との間の時間的な関係にかかわる問題です。  
フロイトは、乳幼児期の精神的外傷を、原因として重視します。それが、長い潜伏期間を経て、青年期頃からいろいろの悪さを引き起こすと考えます。しかし、それほどの長い間、原因としての力を保持し続けることが、いかに心の世界とはいえ、ありうるのでしょうか。ある原因が次の結果を引き起こし、それが原因となって次の結果を引き起こし---というような因果の連鎖を仮定するほうが自然です。その連鎖が人によって異なるからこそ、同じ精神的外傷を受けても、ある人は神経症になり、ある人は普通に適応しているのではないでしょうか。そう考えないと、人の一生は、きわめて決定論的なものとなってしまいます。  

因果の時間関係に関してもう一つの問題があります。それは、精神分析における因果的説明が、時間を逆に遡る形をとるところです。神経症的な症状という結果が先にあって、その原因を乳幼児期まで遡って明らかにしようとします。つまり、時間を逆に遡って原因を探るわけです。これは、一般に、逆問題解法と呼ばれています。精神分析特有の解法ではありませんが、前述したように、自然科学と違って、精神分析では、実験的な検証をすることができませんので、かなり危ない面があります。いくらでも「こじつけ」ができてしまうからです。交通事故を起こしたときの原因追及と比較してみてください。この場合の逆問題解法にも、もちろん危ない面はありますが、最終的には実験的な検証ができる形で決着がつけられのが普通です。  

両極端の説明を用意するのでいずれが起こっても大丈夫  ***51行