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休息「休んで心の元気資源を貯めよう」
● 長時間労働
まずは、日本社会での長時間労働の一端から。
・ 毎日12時間近くの勤務で、時間外の手当ては全くなく代休もないという状況
・ 25歳から35歳では、週60時間以上働く人は3割近くにのぼっている(リクルートワークス研究所HPより)
・ 有給休暇にいたっては、わずかに年に8.5日(厚生労働省による)
バカンス王国フランスでは、なんと36日
・ 新入社員に対して、「10年間はたこ部屋だと思え」と檄が飛ばされる
「労働基準法では、1日8時間、1週間で40時間を労働時間の上限」というれっきとした法律がありながら、この有り様です。
さすがに、自殺者3万人超えが12年も続いたり、うつ病患者100万という推計が出されたり、子育て中の働く女性から悲鳴があがったりで、少しは長時間労働の見直し機運が出てきているようですが、まだまだです。
ワークライフバランスなんて、当たり前なことなのに、あえて喧伝するなんてどういうことなのか、怒りさえ覚えてしまいます。
働くことは良いことですが、働きすぎは、それが仮に自発的なものであったとしても好ましいことではありません。ましてや、強制されての働きすぎは、あってはなりません。
そういうことをさせる雇用者は法律で罰せられるはずなのですが、どういうわけか、日本ではそういうケースがあまりにも少ないように見受けられます。
● 心で心のことを知るのは難しい
働きすぎは、肉体的な疲労と精神的な疲労をもたします。
肉体的な疲労は、比較的自覚しやすいし、生理現象なので自分でもわかりやすいのですが、心の疲労となると、自覚が難しくなります。その理由について、少し長い余談になりますが、考えてみたいと思います。
まずは、構造的に、心の疲労に限りませんが、心で起こっていることを心で知ることは、難しいということがあります。
心理学を内省(みずからの心の中で起こっていることを報告させる)されたデータに基づいて作り出そうとする試みは、心理学の100年の歴史の中でさまざまな工夫のもとで行われてきました。
心のことは、心が一番よく知っているはずとの思いからなのですが、しかし、そのいずれも、限界につきあたってしまい、心理学の研究法の本流にはなりないままです。
しかし、まったく内省ができないわけではないのは、誰しもが知っていますし、内省の限界もまた誰しもがそれになり悩まされているところでもあります。
さらに困った心の現実があります。
それは、心の働きには、何かをすることを志向する心(仕事志向マインド;task-oriented mind)と、心が何をしているかをモニターする心(心志向マインドmind-oriented mind)とがあることに由来します。
普通は、その心の働きの2つが、状況に応じて、一方が7なら他方は3というように配分のもとで働いています。
たとえば、今、この原稿をワープロで打ち込んでいますが、その仕事のほうに心は7くらい、残りの3は、あとどれくらいの時間、この仕事ができるかどうかとか、どうも今日は調子に乗れないなーとか考えています。前者が仕事志向、後者が心志向の働きになります。
ところが、心が疲労してくると、この配分がうまくいかなくなり、心志向マインドが機能しなくなってしまうのです。つまり、心の疲労を自覚できなくなってしまうのです。
かくして、心が壊れるまで働いてしまうことになるのです。
だから、法律で規制してでも、働きすぎないようにしているのです。
● 休息のさまざま
仕事には、多かれ少なかれ、無理があります。持てる力を目いっぱい使います。アクセル全開で突っ走っているような感じですね。
そんなときに、休息は、ガソリン補給のような役割を果たします。
その休息には、まず、積極的(アクティブ)なものと、受身的(パッシブ)なものとがあります。
積極的な休息とは、たとえば、趣味活動のように、仕事とは別の領域で、それなりに楽しいことを一生懸命にやることになります。
受身的な休息とは、たとえば、ごろ寝のように、心身をリラックスさせることになります。
もう一つ、短期の休息か長期の休息かがあります。
短期ー長期の区分けは、ここでは、一日8時間の間の休息を短期、一日単位以上の休息を長期の区分けでいきます。
「積極的VS消極的」と「長期VS短期」を組み合わせると4つの休息のタイプが出てきます。
イギリスの若者が卒業から就職や次の学校への入学までの間、長くて1年間、好きなことをする習慣があるそうです。称してギャップイヤー。これは、「積極的で長期の休息」。我々大学教員にも、サバティカルイヤーというのがあります。
「消極的で受動的」な休息の典型は、昼休みですね。シェスタ(スペイン語圏の国々で習慣になっている昼寝を含む長時間の休憩)なんてうらやましい限りですね。
さらに、どこを休めるための休息かがあります。ざっくりといってしまえば、肉体的な休息か心の休息かですね。
いずれの休息もそれなりに大事になります。以下、こうした休息を心の元気という点から効果的にとるための方策を考えてみることにします
● 心の休息を効果的なものにするには
心の休息にも、頭の休息と気持ちの休息とがありますが、実際にはそれほどはっきりとは区分けできないので、ここでは、一緒に考えておきます。
① 多彩な休息を用意しておく
前にあげたような休息をできるだけたくさん用意しておいて、TPOに応じて取れるようにしておくのが良いと思います。
② 休息を自分なりにスケジュール化しておく
前に述べたように、心が疲労してくればくるほど、心の疲労に自分で気がつけなくなってきます。
そこで、たとえば、10時になったら、コーヒーを飲む、月水は残業せず、というように、休息するTPOを、あらかじめ決めておくのです。これによって、過度の疲労を防ぐことができますし、その時々で、自分なりの心の疲労の自覚ができます。
さらに、自分で休暇を設計できるようになるといいですね。
今、ゴールデンウイークの分散化をはかるために政府が音頭とりをして全国をいくつかのブロックにわけなどの案で騒いでいますが、まずは、各個人が自分の裁量で、有給休暇を完全消化することが先ですね。それが定着すれば、自分なりの休暇スケジュールがたてられて、黙っていても、休日の分散化が図れます。まさに、マイ・ゴールデンウイークです。
ワーキングマザーのために「進学休暇」「親孝行休暇」など親としての仕事のために自由に休暇がとれるようなシステムを採用している会社もあります。③仕事を持ち込まない場を用意する
私事になりますが、土日に10人くらいの仲間とテニスをしています。たぶん、暗黙のルールだと思いますが、お互いにどんな仕事をしているかは、ほとんど話しをすることはありません。
ところが、それでもおかしいのは、しばしば、携帯電話がかかってきて、ゲーム中止ということが起こります。だいたい決まった人ですが、こういうのは、上手な休息とはいえませんね。
経済的な余裕があれば、思い切って、いつもいる場所からともかく離れることもあっていいですね。
● 長時間労働
まずは、日本社会での長時間労働の一端から。
・ 毎日12時間近くの勤務で、時間外の手当ては全くなく代休もないという状況
・ 25歳から35歳では、週60時間以上働く人は3割近くにのぼっている(リクルートワークス研究所HPより)
・ 有給休暇にいたっては、わずかに年に8.5日(厚生労働省による)
バカンス王国フランスでは、なんと36日
・ 新入社員に対して、「10年間はたこ部屋だと思え」と檄が飛ばされる
「労働基準法では、1日8時間、1週間で40時間を労働時間の上限」というれっきとした法律がありながら、この有り様です。
さすがに、自殺者3万人超えが12年も続いたり、うつ病患者100万という推計が出されたり、子育て中の働く女性から悲鳴があがったりで、少しは長時間労働の見直し機運が出てきているようですが、まだまだです。
ワークライフバランスなんて、当たり前なことなのに、あえて喧伝するなんてどういうことなのか、怒りさえ覚えてしまいます。
働くことは良いことですが、働きすぎは、それが仮に自発的なものであったとしても好ましいことではありません。ましてや、強制されての働きすぎは、あってはなりません。
そういうことをさせる雇用者は法律で罰せられるはずなのですが、どういうわけか、日本ではそういうケースがあまりにも少ないように見受けられます。
● 心で心のことを知るのは難しい
働きすぎは、肉体的な疲労と精神的な疲労をもたします。
肉体的な疲労は、比較的自覚しやすいし、生理現象なので自分でもわかりやすいのですが、心の疲労となると、自覚が難しくなります。その理由について、少し長い余談になりますが、考えてみたいと思います。
まずは、構造的に、心の疲労に限りませんが、心で起こっていることを心で知ることは、難しいということがあります。
心理学を内省(みずからの心の中で起こっていることを報告させる)されたデータに基づいて作り出そうとする試みは、心理学の100年の歴史の中でさまざまな工夫のもとで行われてきました。
心のことは、心が一番よく知っているはずとの思いからなのですが、しかし、そのいずれも、限界につきあたってしまい、心理学の研究法の本流にはなりないままです。
しかし、まったく内省ができないわけではないのは、誰しもが知っていますし、内省の限界もまた誰しもがそれになり悩まされているところでもあります。
さらに困った心の現実があります。
それは、心の働きには、何かをすることを志向する心(仕事志向マインド;task-oriented mind)と、心が何をしているかをモニターする心(心志向マインドmind-oriented mind)とがあることに由来します。
普通は、その心の働きの2つが、状況に応じて、一方が7なら他方は3というように配分のもとで働いています。
たとえば、今、この原稿をワープロで打ち込んでいますが、その仕事のほうに心は7くらい、残りの3は、あとどれくらいの時間、この仕事ができるかどうかとか、どうも今日は調子に乗れないなーとか考えています。前者が仕事志向、後者が心志向の働きになります。
ところが、心が疲労してくると、この配分がうまくいかなくなり、心志向マインドが機能しなくなってしまうのです。つまり、心の疲労を自覚できなくなってしまうのです。
かくして、心が壊れるまで働いてしまうことになるのです。
だから、法律で規制してでも、働きすぎないようにしているのです。
● 休息のさまざま
仕事には、多かれ少なかれ、無理があります。持てる力を目いっぱい使います。アクセル全開で突っ走っているような感じですね。
そんなときに、休息は、ガソリン補給のような役割を果たします。
その休息には、まず、積極的(アクティブ)なものと、受身的(パッシブ)なものとがあります。
積極的な休息とは、たとえば、趣味活動のように、仕事とは別の領域で、それなりに楽しいことを一生懸命にやることになります。
受身的な休息とは、たとえば、ごろ寝のように、心身をリラックスさせることになります。
もう一つ、短期の休息か長期の休息かがあります。
短期ー長期の区分けは、ここでは、一日8時間の間の休息を短期、一日単位以上の休息を長期の区分けでいきます。
「積極的VS消極的」と「長期VS短期」を組み合わせると4つの休息のタイプが出てきます。
イギリスの若者が卒業から就職や次の学校への入学までの間、長くて1年間、好きなことをする習慣があるそうです。称してギャップイヤー。これは、「積極的で長期の休息」。我々大学教員にも、サバティカルイヤーというのがあります。
「消極的で受動的」な休息の典型は、昼休みですね。シェスタ(スペイン語圏の国々で習慣になっている昼寝を含む長時間の休憩)なんてうらやましい限りですね。
さらに、どこを休めるための休息かがあります。ざっくりといってしまえば、肉体的な休息か心の休息かですね。
いずれの休息もそれなりに大事になります。以下、こうした休息を心の元気という点から効果的にとるための方策を考えてみることにします
● 心の休息を効果的なものにするには
心の休息にも、頭の休息と気持ちの休息とがありますが、実際にはそれほどはっきりとは区分けできないので、ここでは、一緒に考えておきます。
① 多彩な休息を用意しておく
前にあげたような休息をできるだけたくさん用意しておいて、TPOに応じて取れるようにしておくのが良いと思います。
② 休息を自分なりにスケジュール化しておく
前に述べたように、心が疲労してくればくるほど、心の疲労に自分で気がつけなくなってきます。
そこで、たとえば、10時になったら、コーヒーを飲む、月水は残業せず、というように、休息するTPOを、あらかじめ決めておくのです。これによって、過度の疲労を防ぐことができますし、その時々で、自分なりの心の疲労の自覚ができます。
さらに、自分で休暇を設計できるようになるといいですね。
今、ゴールデンウイークの分散化をはかるために政府が音頭とりをして全国をいくつかのブロックにわけなどの案で騒いでいますが、まずは、各個人が自分の裁量で、有給休暇を完全消化することが先ですね。それが定着すれば、自分なりの休暇スケジュールがたてられて、黙っていても、休日の分散化が図れます。まさに、マイ・ゴールデンウイークです。
ワーキングマザーのために「進学休暇」「親孝行休暇」など親としての仕事のために自由に休暇がとれるようなシステムを採用している会社もあります。③仕事を持ち込まない場を用意する
私事になりますが、土日に10人くらいの仲間とテニスをしています。たぶん、暗黙のルールだと思いますが、お互いにどんな仕事をしているかは、ほとんど話しをすることはありません。
ところが、それでもおかしいのは、しばしば、携帯電話がかかってきて、ゲーム中止ということが起こります。だいたい決まった人ですが、こういうのは、上手な休息とはいえませんね。
経済的な余裕があれば、思い切って、いつもいる場所からともかく離れることもあっていいですね。
言葉は話せるのに、表情や身ぶりで意思を示したりするのが苦手で、対人関係がうまくいかない「アスペルガー症候群」。発達障害の一つの診断名としてよく知られていますが、近く消えることになりそうです。日本でも広く使われている米精神医学会の診断の手引(DSM)が5月に改訂されるためです。「より正確な診断ができる」というのが改訂の理由ですが、マイナスの影響を心配する声もあります。なぜでしょうか。(朝日新聞より
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病気の名称が消えても、病人は存在し続ける。
そして、その病人の存在が忘れられことになる。
そこが問題なのだ。
かつてーー20年前頃ではないかと思うーー「認知症」という名称が
厚生労働省から提案されたことがある。
認知研究者はこぞって反対、認知心理学会の会長だった太田教授は新聞にも
反対意見を投稿された。
認知障害はあっても、認知症はおかしいということにつきる。
知覚症、記憶症、発達症なんてのもありとなってしまう。
それでも、使い続けると定着する。そしてそれが力を得る。
言葉力の不思議である。
されはさておき、アスペルガー症候群。
ようやく名称が広まりり、処遇策もあれこれ出つつある矢先なのに。
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病気の名称が消えても、病人は存在し続ける。
そして、その病人の存在が忘れられことになる。
そこが問題なのだ。
かつてーー20年前頃ではないかと思うーー「認知症」という名称が
厚生労働省から提案されたことがある。
認知研究者はこぞって反対、認知心理学会の会長だった太田教授は新聞にも
反対意見を投稿された。
認知障害はあっても、認知症はおかしいということにつきる。
知覚症、記憶症、発達症なんてのもありとなってしまう。
それでも、使い続けると定着する。そしてそれが力を得る。
言葉力の不思議である。
されはさておき、アスペルガー症候群。
ようやく名称が広まりり、処遇策もあれこれ出つつある矢先なのに。