心の風景 認知的体験

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集中力 × 持続時間=一定

2013-05-21 | 健康・スポーツ心理学
集中力と持続時間の関係は、
集中力 × 持続時間=一定
ですから、集中力のレベルがそれほど高くなくてもよいなら、長時間の持続が可能です。野原の一本道ならのんびり2時間のドライブは平気、でも町中で車も人も多いところでは、せいぜい1時間くらいでぐったりとなってしまいます。

映画と小説

2013-05-21 | 認知心理学
文字表現の小説と映像表現の映画とには、読む者、見る者の心に訴えるものに違いがあります。
 映画は、映像で直接的に訴えます。文字なら百万言費やしても表現できないことをたちどころに直接見せてくれます。
 そして、かわいそうなマッチ売りの少女の立ち居振る舞いを直接見せられれば、ただちに感情を揺さぶられます。そして、感情移入してしまいます。
 小説よりもはるかに簡単に感情移入してしまいます。小説だと文字表現の知的理解というステップが間に入りますので、その分、感情移入の敷居が高くなります。



尊敬

2013-05-21 | ポジティブ心理学
 ウエッブの名言集にこんなものを見つけました。味わってみてください。
「私は、どんな人も尊敬します。
私は、すべての人の中に、「輝く光」があるのを知っています。
子供の中にも、大人の中にも。
近くの人にも、遠くの人にも。
だから、私は、すべての人を、尊敬します。
私は、自分自身も、同じように尊敬します。(宝彩有菜の自愛文言 )

●●宗教心「気持ちを元気にするキーワード」長期連載

2013-05-21 | ポジティブ心理学

愛  すみ4-17
遊び 4-18
運4-19
おおらかさ 4-21


から元気 4-22
感動 4-23
がんばる 4-27


気晴らし 4-28
義憤4-29
休息 5-2

元気グッズ 5-5
元気づけ習慣 5-7


幸福感 5-9


散歩 5-11


自己実現 5-14
自信 5-17
自尊心 ない!
勝負5-20
宗教心

宗教心「真正の元気を生み出す魔法の世界」


● 宗教心ってどんなもの
宗教はなくとも、宗教心は誰の心にもそれなりにあります。
なにか自分には及びもつかない力が働いている感じ。
この世にはない崇高な世界があるという感じ。
真善美で満たされた感じ
そして、究極が、死後の世界が存在するという感じ
こんなところでしょうか。
適切な表現ができないもどかしさがありますが、おそらく、冠婚葬祭のセレモニーとは無縁な心の中の世界の一端、しかも至高の一端だと思います。

● 宗教に凝る心理
 そんな感じを救いあげてくれるのが宗教というシステムなんだと思いますが、新興宗教となると、必ずしも、そうしたきれいごとばかりではありません。
 心を操るすべを総動員します。
 それはそれは見事なもの、というのが母の宗教活動をつぶさにみていての実感でした。
 御布施ひとつにしても、教会で行われるミーティングひとつにしても、実に感嘆してしまう理屈と仕掛けがあるのです。ついつい、批判めいたことを言いたくなってしまうので、やめておきます。
 このあたりに興味のある方は、篠田節子氏の「仮想偽装」(新潮社)を読んでいただくほうがよいかと思います。いずれにしても、宗教「活動」は、ここでは本筋ではありません。

● 母の元気を支えたもの
 熱烈信者になってからの母は元気そのものでした。
 姑が牛耳る田舎の兼業農家の長男に嫁いできて15年くらいしてからの夫の乱行ぶり。誰に相談できわけではない。姑は自分の子ども(親父)がかわいい。周囲は旧家の嫁への強くきびしい目。こんな中での孤立無援のしんぼう。
 今になってしまえば、そのつらさ、どれほどのものかはうかがい知ることもできません。
 そこへ救世主のごとく出現したのが、新興宗教だったのだと思います。
 つらさを丸ごと受け止めてくれる人々と場がありました。
 つらい現状をもたらした原因を自分の心に求めることで、自己鍛練へとのめりこみました。
 これらが母の元気につながったのだと思います。
 そして家庭崩壊を崖っぷちで食い止める力になりました。
 その点では、やや悪口めいたことを言いましたが、新興宗教に感謝です。

● 宗教心はなぜ心の元気をつくるのか
 上にあげた2つをもう少し突っ込んで考えてみたいと思います。
 まず、「つらさを丸ごと受け止めてくれる人々と場」です。
 これは時代だったのか、それとも田舎ゆえなのか、今、都会や観光地でよくみかけるご婦人どうしの息抜きの場を母が持っていた形跡がありません。そうした場としては、せいぜい実家へ帰るくらいだったのではないでしょうか。よく一緒につれていかれました。
 どれほどひどい状況になっても、誰にも相談できず、気晴らしもままならずではなかったかと思います。
 そこに、突然出現した自分と同類の仲間、しかも、カウンセリング・マインドたっぷりの仲間。どれほどの助けになったことか。
 もちろん、現実逃避という一面はあったと思いますが、宗教の癒しの力をその場に見つけたのですから、のめりこんで当然ですね。
 その上で、心の元気づくりに貢献したのが、「つらい現状をもたらした原因を自分の心に求めることによる自己鍛練」です。
 当時、耳にたこができるくらいに聞かされたのが自己懺悔でした。
 「自分が至らなかったから、こんなことになった」というものでした。そして、母は本当に変わりました。
 そうして自己懺悔を繰り返すことで、自分を変えていったのです。これがまぎれもなく母の心の元気の素になりました。
  今にして思えば、日常的に自分を変えている(高めている)母の姿は、崩壊寸前の家庭の精神的な支えであり続けました。 

●宗教心を持つために
  多くの日本人にとっては、世界3大宗教の一つである仏教も冠婚葬祭のとき以外はほとんど無縁です。これは、ある意味、不幸なことだと思います。
  カトリック系の幼稚園に入って、食事の前には、お祈りを、そして、寝る前には、ママに叱られたことを懺悔する習慣を身につけた4歳の娘さんを暖かな目とユーモアで書いた投稿を今朝の新聞で読み、心が洗われました。
  幼児期に自然に宗教心にひたれるのはすばらしいことで、これは、貴重な心の元気づけ資産として後々まで役立つはずです。
  大人になって、さて、宗教心を、といっても、なかなか難しいところがありますが、宗教心を真善美の世界に浸れる心と考えれば(それだけではないと思いますが)、これからでもそれなりに身につけることができると思います。
  真の世界なら、学問
  善の世界なら、ボランティア
  美の世界なら、芸術
  がすぐに思い浮かびますが、これに限りません。世俗とはかけ離れた、何か自分の力では及びのつかない、しかしそれに強くひかれる、そんな世界です。
   そんな世界に浸れる時間を少しずつ確保するようにしてみたらどうでしょうか。そんな世界を心の中に築くことができれば、世俗を余裕をもって生き生きと生きていけるのではないでしょうか。