エピソード記憶(episodic memory>
エピソード記憶という言葉は、1971年にTulvingという人によって初めて使われました。「小学3年生の時、運動会の100m走で一等賞をとって、賞状をもらった」「昨日、部活が終わった後、家に帰って夕飯のカレーライスを食べた」などといった記憶はエピソード記憶です。このように、「いつ」「どこで」「誰と」「何をしたか」などを含む記憶のことを、エピソード記憶と言います。
記憶には、中身を言葉で表現できるものとできないものがあります。自転車の乗り方など、言葉で表現できないものを手続き記憶といいます。言葉で表現できるものには2種類あり、一つは意味記憶、もうひとつがエピソード記憶です。意味記憶は、「2×3=6」などの事実に関する記憶です。
我々が1歳や2歳の時のことを覚えていないのは、エピソード記憶が意味記憶や他の記憶に比べて発達が遅いためだと言われています。また、エピソード記憶は、その出来事を体験した時の感情によって記憶の残り方に違いが出ます。嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったことを、時間が経ってもよく覚えているのはそのためです。(MY)
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エストニア生まれでカナダの心理学者タルヴィング(Tulving,E)は、長期記憶(=数時間から数年、数十年にわたって保持される記憶)をエピソード記憶と意味記憶とに分類しました。エピソード記憶とは、私たちが意識的に「思い出そう」とすることで思い出すことができる顕在記憶という記憶の種類のうちの1つで、たとえば「昨日の夕飯にはすき焼きを食べた」とか、「小学生の頃、自転車で転んで骨折した」など、個人が経験した時間的・空間的な記憶のことを指します。このエピソード記憶に対して、教科書や辞書などに書いてある知識の記憶を意味記憶といいます。意味記憶も、覚えたときは「いつ」「どこで」覚えたというエピソード記憶的要素が含まれることがありますが、その後、そのようなエピソードが記憶から抜け落ち、意味記憶化することがあります。このようなプロセスで、例えば何十年も昔のことは自己の体験であってもそれを知識として記憶していることもあり、この場合は自分の記憶でも意味記憶となるのです。(TH)
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エピソード記憶とは、我々が一人一人もつ経験としての記憶です。この記憶は「物語」として脳にインプットされているため、経験したことを思い出すはずなのに、第三者の目線で自分を含めた全体を見渡せる位置から「物語」を見るように経験したことを振り返ることが出来るといった面白い特性があります。
また、このエピソード記憶は覚えやすく忘れにくいため、最近ではよく記憶術で登場します。ただし、非常にもろい記憶であるため先入見や誤情報によって簡単にゆがめられてしまう一面もあります。つまり、個人的な意識の操作によって管理できる記憶なのです。
生まれてから物心つくまでの数年間のことが思い出せないのは、エピソード記憶が未発達だったためと言われています。エピソード記憶は、記憶の中でも最も後期に発達する最も高度な記憶なのです。(KT)