いきなり極端な例を出すようだけれど、シーナ・イーストンってご存知ですか。80年代にけっこう売れたイギリスのポップ・シンガー。曲は好みではないにしろ、けっこう美人だよなーとわたしは思っていた。
ところが。
「あのくらいのレベルの女性はイギリスにはゴロゴロしている」とのたまう輩もいた。「そんなに美人じゃないだろうシーナ・イーストン」と。
そうかあ?ビッグベンとか大英博物館とかバッキンガム宮殿とかに行くと(東洋人の考えるイギリスのイメージ)、シーナ級がいっぱいいるのか。まさか。
「そんなわけないじゃないか。だったらおれはイギリスに移住するぞ!」若かったわたしはこう反駁した。もし本当なら日本にやって来ているALTたちって……(以下自粛)
話が思いきりそれた。松たか子のことを言いたかったのだ。どうやらこの日本では「松たか子は美人ではない」「確かに魅力的だが顔の造作はちょっと変」「よく見ると森三中」という風評があるようだ。……なに言ってんだーっ!確かに「母親の方がはるかに美人じゃない?」という妻の意見には心が動かないでもないが、しかし松たか子不美人説は納得できない。その証拠に、松竹並びに山田洋次が「たそがれ清兵衛」の二番煎じと評されるリスクを承知で「隠し剣」に賭けたのは、宮沢りえに負けない彼女の美貌が担保できたからではないか(勝手な想像)。
おそらくは山田に徹底的にしごかれたか、この映画の彼女の動き、特にお辞儀や箪笥の開け閉めなどの所作はみごとに決まっている。ひょっとして生まれついてのものだとすれば、梨園の出身であるという看板はやっぱり有効なのかな。
ラスト、フェミニストからは糾弾されそうなセリフで強引なハッピーエンドをこの映画は迎える。その強引さも、松たか子の満面の笑顔に免じて許してもらおう。彼女が幸せになれるのなら、何でも許しちゃおう。やっぱり美人だって絶対。
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