今回も2002年ネタ。
「海辺のカフカ」(村上春樹)「パーク・ライフ」(吉田修一)「コンビニ・ララバイ」(池永陽)……おそらくは今年最も重要な三作。たてつづけに読んだので、いつの間に日本文学はこんなに上質になったんだ、と思わず錯覚してしまいそうだ。
にしてもつくづく思う。村上はともかく、吉田も池永も広告畑出身。優秀な人材はその時代の最も面白そうな業界に吸い込まれていくのが常だが、一時期の映画界やTV業界のように、70年代後半から80年代のとんがった連中は根こそぎに広告業界に関わっていったのだろう。そして不景気になった今、宣伝は文字どおりコマーシャルメッセージを直截に伝えることが主流となり、スポンサーをだまくらかしてアートをかますなどということも昔語りになった。その結果、とは単純化しすぎだろうが、彼らはどんどん文学に流れてきている。
おそらくは広告の営業的な側面からもっとも遠い場所にあり(のように見える)、誰にも遠慮なしに強力に自己主張できる媒体が魅力的に映った……とはひねくれすぎな考えか。でもこう考えるとわかりやすいんだよな。
そして強引に括ってしまうけど彼ら「広告組」の特徴は、それでもなおかつメッセージを伝達するスキルが異様に発達しているため、冷静に客体化した読者への文章のプレゼンが圧倒的にうまいのだ。くどくなく、後味もいい。一見無茶苦茶なハードボイルドに見える、同じく広告組の石田衣良「池袋ウエストゲートパーク」に端的なように、滲み出る計算された読者サービスがひたすら心地いいのだ。が、その醒めたスタイリッシュさに拭いようのない俗物臭を感じ取り、徹底的に嫌う人たちの存在もまた、理解できなくはないのだが……
「パーク・ライフ」吉田修一 文藝春秋
正直、ホームレスの話だと誤解してました(笑)。
読み進めるうちに「お?」とページから目を上げる。
「オレ、こんな小説が読みたかったんじゃん!」
日比谷公園を徹底的に擬体化し、そのくせ読み心地がいいものだから何のメタファーかをじっくり考える間もなく読み終えてしまう。
まるでフジテレビの月9のようなラストに「あまりにポジティブすぎる」と怒るか「またこの主人公は女に取り残されてしまうんだな。で、それもまた仕方のないことと思ってるんだろう」ととるかは人による。
広告代理店に勤務しながら、スターバックスでカフェオレを飲む女たちへの違和感をつい感じてしまう主人公に感情移入してしまうわたしは、もちろん後者だった。したがって、おすすめの1冊だと自信を持って言えるのである。
「コンビニ・ララバイ」池永陽 集英社
これもまた、一種の諦めを胸に秘めた男の話。妻子を亡くし、日々をコンビニの店長として惰性で生きているかのような男を狂言回しに、彼を取りまく人々の人生をザックリと切り取ってみせる連作集。
わざとやっているのではないかと思うぐらいの生硬なセリフが興をそぐところもあるけれど、まるでクリスマスストーリーかと思うようなファンタジーをとりあえず成立させている。
泣かせ方も、“つぼをおさえた”と表現されるいやらしさを感じさせない上品さ。
唐突だけど、今までに読んだなかで最も泣かせた小説は
「橋ものがたり」藤沢周平
「受け月」伊集院静
「地下鉄にのって」浅田次郎
だけれど(あ、伊集院も広告組の一人だといえるか)、これらのように激しく泣かせることを期待されてもちょっと困る。近頃は重松清あたりがこのセンらしいけれど、根性なしになっている四十代としては、なかなか手に取ることが出来ないでいる。もっとこう、薄味な、“体に優しい”(笑)泣かせ方がこの小説の持ち味だといえるだろうか。
もっと歳をとって、涙を流すことになんの衒いも感じなくなったら、かの有名な山本周五郎「ながい坂」でも何でも読んじゃうけどさ。
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