その2はこちら。
大村益次郎という人は、なによりも技術屋だったのだと思う。合理的精神の持ち主で、無駄を嫌った。こういう人物はドラマになりにくいが、黙々と大好きなお豆腐を食べる益次郎を、中村梅之助は絶妙に演じた。
幕末において、蘭学を学ぶことと攘夷が共存したことは奇異にも思えるけれども、攘夷攘夷と騒いでいるだけではいけないんだといち早く気づいた人物たちが名を残したのだろう。それは薩長でも幕府側でも同じことだ。
大村益次郎はその点、ある特定の目的を与えられると、その天賦の才で淡々とその目的を達成したように思える。幕府を倒したあとに、脅威となるのは幕府の残党ではなく、薩摩だと見通したあたりの冷静さでもそれは理解できる。
河井継之助の場合はもっと悲劇的で、アームストロング砲をはじめとした兵器を整備し、藩を守るために粛々と仕事をすすめるあたりは大村益次郎と共通した匂いを感じる。彼もまた、テクノクラートだ。
だが長岡藩は官軍と“いい勝負”をしたために、ほぼ全滅に近い状態に陥る(北越戦争で燃える長岡の町を眺めていたのが少年時代の山本五十六)。だから継之助は英雄ではあったけれども、同時に怨嗟の的でもあったとか。このあたりは長岡に行ったときにお勉強しました。
高杉晋作は維新を迎える前に若くして病死、吉田松陰は安政の大獄で斬首、河井継之助は戦死、大村益次郎は暗殺される。みな、悲劇的な最期を迎えるということで、この大河は少し暗い。幕末もの、司馬遼太郎原作ものはあたらないというジンクスは破られず、視聴率はさほど高くなかった。でもねえ、わたしとしてはこれまでの大河でいちばんわくわくしながら見ていました。
脚本は大野靖子。彼女はエッセイでこう書いている。
「“司馬文学はドラマ化して成功したためしがない”と未だに言われ続けて癪にさわる。司馬さんの奔放自在な歴史観や、『余談だが……』の部分を、どうドラマの中で処理するのか、へたに移せばつまらないディスカッションドラマや、ナレーションドラマが出来上がってしまう。(略)荒々しい言い方だが、わたしは“明治の元勲”という呼称が大嫌いだ。私は大河ドラマの番組を借りて、現代なお“偉人”だの“元勲”だのと威張っている人達を裸にむいてやろうと思っている。」
彼女の目的は十分に達成された。傑作大河と言うべし。
PART20「黄金の日日」につづく。
とするとあれは映画的脚色だったのかなあ。
もう大根じゃないですもんね。
長岡に行ったときに、河合関係に行けなかった
のが残念でした。「峠」を読んで河井継之助に
シンパシーを抱かない人間がいたらびっくりです(笑)。
旦那さんは正しい!
記念館は田舎の公民館くらいの大きさでしたが、一番びっくりしたのが、『杏さんご夫妻がプライベートでいらっしゃいました」という紙とスナップ写真が貼ってあったこと。いや、杏ちゃんが歴史好きとは知ってましたが、そこまでとは。
そう、ダンナの東出君もこないだ「司馬遼太郎を語る」なるBSの番組に出てました。