問題はここに顕著だ。たとえそれがどんなに上質なアルバムの曲であろうが、原のようなノンセックスなシンガーが歌うことでむしろシャレになっていようが、そんなことは民放連は忖度しやしない。あくまで機械的にチェックするだけ。そして放送局はそのことに何の疑問もいだかず、機械的に封印してしまうというわけだ。
過剰な例はこれだけではない。永六輔のエッセイによると、戦後まもなくだかのラジオで「三月生まれは浮気者」という曲が放送禁止になった例がある。当時の皇后が三月生まれだった、それだけの理由で。
あるいは有線放送。RCサクセションの「ボスしけてるぜ」が、労働意欲を失わせる(笑)という壮絶な理由で銀座の有線から閉め出されたこともあった。RCの当時のコンサートで、「くだらねえ有線の経営者がこの曲を放送禁止にしたけど、ここでは思いっきり歌うぜベイベー」という清志郎のMCは客には大うけだった。
要注意歌謡曲の制度がなくなった今、それでは放送禁止などという馬鹿げた事例はなくなっただろうか。
どっこい。今でもブラウン管から消えるか変形を強いられている曲は続々と。
例えばミスチル。「名もなき詩」のなかの
♪Oh darlin’ ぼくはノータリン♪ が
♪Oh darlin’ 言葉ではたりん♪ に言いかえられ
鬼束ちひろ「infection」の
♪爆破して飛び散った 心の破片が♪
の一節が「同時多発テロを連想させる」ために放送自粛扱いを受けたのは記憶に新しい。マスメディアはまだまだこんな馬鹿なことを続けているのだ。
誤解されると困るので一応言っておくと、公共の免許事業であるテレビやラジオにおいて、どんな表現だって許されるべきだと主張しているわけではない。その言葉によって傷つく人間がいるとするなら、単なる言いかえですますのではなく、きちんとその背景とマスメディアが向き合っているのか。そこじゃないですか。
意外に思われるかもしれないが、むしろ、差別語については抹殺されるべきものがあってしかるべきだと考え、ちびくろサンボの問題だって及び腰だった私にして、こう考えている。みなさんはどうお考えだろう。
さて、実はここまでは前ふり。次回はこのシリーズで一番語りたかった差別について特集する。ちょっと、気合い入ってる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます