世間一般では、
人任せ、人頼み の意味で使われる
「他力本願」という言葉ですが
仏教では、
阿弥陀如来の願い(とてもじゃないが、自分を是とする執着心を離れられない者 を 何とか救いたい、さとらせたい という、仏さま側から、私への願い)
のことです。
その本願の呼びかけが、「南無阿弥陀仏」
本願に任せきった私の心が、「南無阿弥陀仏」です。
前回、ご紹介した「SamghaJAPAN」(サンガジャパン)の中で
「『瞬間の心理学』としての仏教心理学
西洋心理学が見逃してきた心の運動と成長へのアプローチ」 と題した
精神科医の名越康文先生の論文の中で、
「他力」というものと、「依存」というものの区別が、日本人はまったくついていない。
他力というのは他の人に依存するのではなく、仏に全部任せるということになるので、ものすごく厳しい道なんですよ。他力と依存とは違う。
と書かれておられます。
人任せ、人頼み の意味で使われる
「他力本願」という言葉ですが
仏教では、
阿弥陀如来の願い(とてもじゃないが、自分を是とする執着心を離れられない者 を 何とか救いたい、さとらせたい という、仏さま側から、私への願い)
のことです。
その本願の呼びかけが、「南無阿弥陀仏」
本願に任せきった私の心が、「南無阿弥陀仏」です。
前回、ご紹介した「SamghaJAPAN」(サンガジャパン)の中で
「『瞬間の心理学』としての仏教心理学
西洋心理学が見逃してきた心の運動と成長へのアプローチ」 と題した
精神科医の名越康文先生の論文の中で、


他力というのは他の人に依存するのではなく、仏に全部任せるということになるので、ものすごく厳しい道なんですよ。他力と依存とは違う。

と書かれておられます。