昨日の節談説教
3人のご講師が、40分ずつお説法くださり、
大変、有り難く拝聴いたしました。
まず、一人目は、
石川県の真宗大谷派のご住職で「能登節」の唯一伝承者・廣陵兼純 師
二人目は、予定では、京都西山短期大学学長で節談説教研究会名誉会長・関山和夫師でしたが、ご体調が悪く、佐賀までおいでいただくことかなわず、
代わりに、佐賀の節談説教第一人者・塚本慈顕 師 が 節談説教についての説明とご法話をくださいました。
三人目は、
滋賀県の真宗大谷派ご住職で「藤野節」と言われる独特な節談をなさる 藤野宗城 師
節談説教は800年前から始まったそうで、
高座(畳になった高い台)に講師が上り、正座して、お説法なさいます。
法衣は五条袈裟。よって、中啓(ちゅうけい:僧侶が持つ扇子のような法具)を膝前に置いて、お話されます。(余談ですが、落語は、真宗の説法から始まったので、「高座」と言いますし、噺家さんは、同様に、扇子を膝前に置いて話します)
戦前まで、高座でのお説法が主流だったそうですが、
戦後、真宗の説法が、演台に立ち、黒板を使って話す という学校の講義のような今のスタイルになったのだそうです。
節談説教と言っても、終始、節のついたお説法をなさるわけではなく、
普通のお説法の時々に、お聖教の一節であったり、ご講師の言葉であったり、強調し、聞き手の情感に訴えるところに、節をつけて浪々と語られます。
そこで、「ああ、いいなあ」と受けて「南無阿弥陀仏」と念仏するのを「受け念仏」と言います。
真宗の説法を聞く時は、決して、拍手ではなく、念仏で受ける。(それは、昨日も、説明担当のご住職が、強調されていました)
私達は、感動したり、賞賛する時、手をたたきますが、お寺では、拍手は禁物です。
拍手の代わりに、念仏を称えるのが、マナー。
初めて聞く方には、お聖教の言葉など、難しい部分もあるかもしれませんが、お説法自体は、ユーモア交えて笑わせながら、わかりやすくお話いただきました。
うなづいて聞かせていただきました。
第一人者の先生方の節談説教のご縁に遇えたこと、本当に有り難いことでした。
3人のご講師が、40分ずつお説法くださり、
大変、有り難く拝聴いたしました。
まず、一人目は、
石川県の真宗大谷派のご住職で「能登節」の唯一伝承者・廣陵兼純 師
二人目は、予定では、京都西山短期大学学長で節談説教研究会名誉会長・関山和夫師でしたが、ご体調が悪く、佐賀までおいでいただくことかなわず、
代わりに、佐賀の節談説教第一人者・塚本慈顕 師 が 節談説教についての説明とご法話をくださいました。
三人目は、
滋賀県の真宗大谷派ご住職で「藤野節」と言われる独特な節談をなさる 藤野宗城 師
節談説教は800年前から始まったそうで、
高座(畳になった高い台)に講師が上り、正座して、お説法なさいます。
法衣は五条袈裟。よって、中啓(ちゅうけい:僧侶が持つ扇子のような法具)を膝前に置いて、お話されます。(余談ですが、落語は、真宗の説法から始まったので、「高座」と言いますし、噺家さんは、同様に、扇子を膝前に置いて話します)
戦前まで、高座でのお説法が主流だったそうですが、
戦後、真宗の説法が、演台に立ち、黒板を使って話す という学校の講義のような今のスタイルになったのだそうです。
節談説教と言っても、終始、節のついたお説法をなさるわけではなく、
普通のお説法の時々に、お聖教の一節であったり、ご講師の言葉であったり、強調し、聞き手の情感に訴えるところに、節をつけて浪々と語られます。
そこで、「ああ、いいなあ」と受けて「南無阿弥陀仏」と念仏するのを「受け念仏」と言います。
真宗の説法を聞く時は、決して、拍手ではなく、念仏で受ける。(それは、昨日も、説明担当のご住職が、強調されていました)
私達は、感動したり、賞賛する時、手をたたきますが、お寺では、拍手は禁物です。
拍手の代わりに、念仏を称えるのが、マナー。
初めて聞く方には、お聖教の言葉など、難しい部分もあるかもしれませんが、お説法自体は、ユーモア交えて笑わせながら、わかりやすくお話いただきました。
うなづいて聞かせていただきました。
第一人者の先生方の節談説教のご縁に遇えたこと、本当に有り難いことでした。