総追悼法要を終えた夜、組内坊守会でK寺さんへ。帰路につきかけた夜更け、
ご門徒のM・S氏ご往生の知らせが・・・
M・S氏は、20代から熱心な聞法者でした。
先代住職(義父)が、仏教壮年会を立ち上げた当初からのメンバーで、後に、法専寺の総代役員も務めてくださいました。
寡黙な方でしたが、時々仰ることが、とても味わいある、重い言葉でした。
門徒会館・庫裡建て替えの話し合いで揉めた時も
「自分たちが食わんでも、お寺のことは、ちゃんとせにゃならん(しなければならない)」と一言発せられ、誰も文句を言えなくなったことがありました。
「新築した三男に仏壇を買ってやったので、ご院主さん、入仏式をお願いします」
と依頼があった時は、さすが、M・Sさん と思ったものでした。
10年前に脳卒中で不自由なお身体になられ、お寺参りは叶わなくなりました。
ご自宅にお参りに伺った折りは、言葉を発するのが、ご不自由な中、お元気な時と同様の穏やかな笑顔を向けてくださいました。
その間、大黒柱の長男さんを失うという大変な悲痛もありました。
M・Sさんのご葬儀は、法専寺で行われました。
会葬のある若い方は、こう言われました。
「葬儀は、葬祭場でするもんだと思い込んでいたので、お寺での葬儀は初めてでした。なんだか温かくて、落ち着いていいですね」
ご遺族が
「お寺で葬儀をさせていただき、うれしかった」
と仰ったのですが
長年、法専寺で聞法され、お寺を大切に思ってくださっていたM・S氏だからこそ、○○ホールではなく、法専寺で葬儀をしてくださったことを、住職共々、うれしく思いました。
ご門徒のM・S氏ご往生の知らせが・・・
M・S氏は、20代から熱心な聞法者でした。
先代住職(義父)が、仏教壮年会を立ち上げた当初からのメンバーで、後に、法専寺の総代役員も務めてくださいました。
寡黙な方でしたが、時々仰ることが、とても味わいある、重い言葉でした。
門徒会館・庫裡建て替えの話し合いで揉めた時も
「自分たちが食わんでも、お寺のことは、ちゃんとせにゃならん(しなければならない)」と一言発せられ、誰も文句を言えなくなったことがありました。
「新築した三男に仏壇を買ってやったので、ご院主さん、入仏式をお願いします」
と依頼があった時は、さすが、M・Sさん と思ったものでした。
10年前に脳卒中で不自由なお身体になられ、お寺参りは叶わなくなりました。
ご自宅にお参りに伺った折りは、言葉を発するのが、ご不自由な中、お元気な時と同様の穏やかな笑顔を向けてくださいました。
その間、大黒柱の長男さんを失うという大変な悲痛もありました。
M・Sさんのご葬儀は、法専寺で行われました。
会葬のある若い方は、こう言われました。
「葬儀は、葬祭場でするもんだと思い込んでいたので、お寺での葬儀は初めてでした。なんだか温かくて、落ち着いていいですね」
ご遺族が
「お寺で葬儀をさせていただき、うれしかった」
と仰ったのですが
長年、法専寺で聞法され、お寺を大切に思ってくださっていたM・S氏だからこそ、○○ホールではなく、法専寺で葬儀をしてくださったことを、住職共々、うれしく思いました。