きょうは、長崎に原爆が投下された日です。
先日、8月6日の「平和の集い」で、ご講師のお話に
沖縄の伊江島の女性のお話がありました。
その女性は9才の時、沖縄の地上戦に巻き込まれた。
銃弾の飛び交う中、妹を背負って逃げた。
逃げる途中、背負っていた妹の身体がずり落ちた。
銃弾があたった妹は、動かない。
やむなく、妹を置いて逃げ、何とか自身は無事だった。
後から気づいたが、自身の背中にも銃創があり、妹のものと思われる大量の血が背中にべったり付いていた。
妹を助けられなかった、妹の身体で、自分は、かすり傷ですんだという、自身を責める思いが残る。
その上、伊江島は、戦後も長く、米軍の支配下にあり、爆撃演習などが続いていた島。
深い心の傷が、癒えることなく、かさぶたが、はがされ続ける・・・
戦後68年経過しても、戦争の傷は癒えない。
米軍基地を押しつけたまま・・・沖縄の方々の長年の苦しみを知ろうともせず、鈍感に生きていたことに気づかされました・・・
先日、8月6日の「平和の集い」で、ご講師のお話に
沖縄の伊江島の女性のお話がありました。
その女性は9才の時、沖縄の地上戦に巻き込まれた。
銃弾の飛び交う中、妹を背負って逃げた。
逃げる途中、背負っていた妹の身体がずり落ちた。
銃弾があたった妹は、動かない。
やむなく、妹を置いて逃げ、何とか自身は無事だった。
後から気づいたが、自身の背中にも銃創があり、妹のものと思われる大量の血が背中にべったり付いていた。
妹を助けられなかった、妹の身体で、自分は、かすり傷ですんだという、自身を責める思いが残る。
その上、伊江島は、戦後も長く、米軍の支配下にあり、爆撃演習などが続いていた島。
深い心の傷が、癒えることなく、かさぶたが、はがされ続ける・・・
戦後68年経過しても、戦争の傷は癒えない。
米軍基地を押しつけたまま・・・沖縄の方々の長年の苦しみを知ろうともせず、鈍感に生きていたことに気づかされました・・・