新潟駅の地下で、新潟の渋い飲み屋を紹介するムックを購入。地下から駅ホームへ通じる改札を発見。何とも懐かしい民衆駅スタイルである。
ここからクラシックな電車に乗り込み、長岡市に向けて出発である。
特に途中に見るべき景色もなかったが、1時間強の時間を経て、長岡駅到着。
ここからバスに乗り込んで向かうのは、もちろん新潟県立近代美術館である。
途中で結構な雨になったが、何とかさほど濡れずに到着。まずは2階の「第15回亀倉雄策賞受賞記念 平野敬子展」を見る。東京国立近代美術館の60周年シンボルマークをデザインした作家である。
次にメイン会場の「近代自然主義絵画の成立 オランダ・ハーグ派展」を見る。バルビゾン派を手本としつつ、ゴッホにも影響を及ぼした絵画運動らしい。
シャルル=フランソワ・ドービニー「オワーズ河、イル・ド・ヴォーの夜明け」:黄色、オレンジで夜明けの雰囲気をよく出している。
アントニオ・フォンタネージ「ブジェイ高原」:空と光のあたる丘、日陰とのコントラストがはっきりしている。
ジュリアン・デュプレ「羊飼い」:黒い犬、羊たち。実にいい写実絵画。
ヨハン・バルトルト・ヨンキント「デルフトの眺め」:青い空が爽快。
ヴィレム・ルーロフス「ノールデンの5月」:河、牧草、そして牛。省略の上手さがある。
ヴィレム・ルーロフス「虹」:暗い空からちょっと日が差してきた瞬間。今回のハーグ派の中では一番好きだ。
ヤン・ヘンドリック・ヴァイセンブルフ「トレックフリート」:妙に建物がミニチュア造形のような感じに見える。生真面目さか。
ヤコプ・マリス「絵を描く画家」:自画像だろうか。とても自意識が発揮されている顔つきだ。
マタイス・マリス「男の肖像(自画像?)」:ずっと風景画を見てきて、人物画を見ると、やはり印象に残るものは多い。この自画像も、すっかり近代人の顔なのである。
マタイス・マリス「糸を紡ぐ女」:背景の真っ黒さに西洋絵画の伝統を感じる。
ヴィレム・マリス「水飲み場の仔牛たち」:確かに牛を題材にして、実は光を描いているというのが良く分かる。真上からの光は、またある種の神の恩寵でもあるのだろう。
アンドレアス・スエルフハウト「スヘフェニンゲンの浜辺と船」:やはり海を描くと明るくていいね。
フィリップ・サデー「貧しい人たちの運命」:魚を拾っている人々。海版「落ち穂拾い」なのだな。
ベルナルデュス・ヨハネス・ブロンメルス「浜辺」:水遊びをする子どもと、くつろぐ母親。こちらの作品にはささやかな幸福感がある。
フィンセント・ファン・ゴッホ「長い棒を持つ農婦」:そんなに絵具も盛り上がっていないが、言われてみればゴッホである。
フィンセント・ファン・ゴッホ「じゃがいもを掘る2人の農婦」:ミレー風の作品。シンクロしたポーズの二人が面白い。
フィンセント・ファン・ゴッホ「じゃがいもを食べる人たち」:有名な絵画作品を、ゴッホ本人が版の上に描き、リトグラフにしたもの。よって、作品が裏返しの構図になっている。登場人物たちはほとんど表情がなく、悲しみに耐えているのか、またはあまりにも当たり前の日常なのか。
ピート・モンドリアン「アムステルダムの東、オーストザイゼの風車」:完全なる印象派風絵画。
ピート・モンドリアン「ドンビュルクの風車」:形は写実を離れつつ、巨人のような風車を描いている。
ピート・モンドリアン「夕暮れの風車」:青い空、紫の雲を背景に、風車を真っ黒に描いた、デザインセンス優れた作品。私の最も気に入ったのがこれだ。
ピート・モンドリアン「ダイフェンドレヒトの農場」:木の枝の複雑な流れと組み合わせ方に、後のモンドリアン作風を感じる。
今回の展覧会はハーグ派からゴッホへの流れが見どころなのだと思うが、それは置いておいて、私はモンドリアンが一層好きになった。もう少し、時系列で作品を見ることができれば、彼の作品への理解が深まると思う。
コレクション展では「尾竹三兄弟展」「境界のイメージ」「近代美術館の名品」が開催されていた。
モーリス・ドニ「夕映えの中のマルト」。今、私はかなりドニに興味を持っている。
岸田劉生「冬枯れの通り(原宿附近写生)」。え、こんな作品あるの?
萬鉄五郎「木の間風景」。いい作品、持ってるじゃない。
里見勝三「赤と緑の静物」。こっちもいいねえ。
人口が遥かに少ない長岡市に近代美術館を持ってきた力学は分からないが、決して新潟市の美術館には負けないぞという意気込みが感じられた。ここで、長岡市中心部へとバスで戻る。