今週日曜日の元旦の午後、大きな地震があった。初揺れ。棚の物が落ちるそうになるくらいの気配を呈する揺れだった。これは大きくなるかなとびびって、おいらはつい机の下にもぐった。去年の3.11の余震以降、こんなにびびったのは久しぶりだ。そして、その揺れ方が独特で、廻るように揺れた。地震の後、多少の嘔吐感を催すような嫌な感じだった。くらくらした。
すぐラジオをつけて、震源を確かめると、南鳥島、という。東北ではないのだ。でも、揺れたのは宮城から茨城と3.11の時とにたような地域だ。
図1
http://www.jma.go.jp/jp/quake/20120101143714384-011428.html
結論からいうと、上の地震の詳細にもあるように、震源の深さが370kmの深発地震だったのだ。3.11の地震の震源は深さ24km。
あの独特の廻るような揺れ方の原因はこの震源のせいだったのだ。それにしても東北の真下と南鳥島などの域の真下では太平洋プレートの沈み込み角度が違うと気付く。南鳥島の真下ではプレートの沈み込みが急で、深さ370kmまで達している。一方、東北の下ではプレートの沈み込みの角度が緩かで、たかだか深さ200kmだ。
なおこの2012年元旦の地震は、屈指の深発地震らしい;
■深発地震ゾーンを発見した日本人
今となっては地球の特定の場所では深い所で地震が起きること、そしてその地震の発生は沈み込んだ海洋プレートが破壊されることが原因らしいということがわかってきている(プレートテクトニクスモデル)。このプレートテクトニクスモデルは20世紀後半に発生、興隆した(らしい)。ところで、深発地震とその発生源が特定箇所であると気付いたのは和達清夫。1927年。関東大震災が1923年。おそらく関東大震災を受けて政府が地震計をたくさん設置したことの成果でもあるだろう。
ところが、不幸なことに、この深発地震をベニオフという米国で活躍した学者が1950年代に地震の観測データを集めて整理して、発表した。この後、米国を中心として深発地震が起こる地球上・内部の場所をベニオフゾーンと呼称している。よくて、ベニオフ-ワダチゾーン。ただ、和達清夫が1927年に気付いて発表していたことが知られるようになり、ベニオフ-ワダチゾーンが多数になっている。
今調べたら、違った。
おー!21世紀では、Wadati-Benioff zone が多数はらしい。Benioff zoneで引いても→結果。Wadatiは復権していたのだ。
wiki; 和達-ベニオフ帯
■昭和末期、和達清夫は生きていた。
さて昭和末期。教科書にも出ているベニオフ-ワダチゾーン。そのワダチという学者さまがどういうお方であったかも特に興味もなかった。無意識に感じていたイメージは戦前の偉い学者さま。そしたら生きてたよ。この例に限らず、すごい偉い人なのでよほどお年寄り、さらには物故者だと勝手に思っていた人が普通に生きていたりする。改めて確認すると、和達清夫は1902年生まれ(wiki)。だから、1927年の深発地震面の発見は25歳の時の業績だ!。そして、1995年に他界したので、昭和末期は80歳ほどの高齢ながらまだ生きていたのだ。そして、70歳くらいでもものを書いていた。
なぜ、昭和末期に、その驚いたこと、すなわち和達清夫が生きていることを知ってかというと、呉智英センセの本で出てきたのだ。それは和達清夫大先生が「 南極 北極 の氷が解けると海水面が上昇します」みたいことを書いてしまっていたのを呉智英センセが見つけ、手紙を出したら、返事が来たという話。これはおいらの記憶に基づくもの。呉智英センセのどの本に書いてあったか今は探せていない。
といことで、今年元旦の深発地震で、こんなことを思い出しました、という話です。
【問題】さて、問題です。図1の震央(震源地の真上の地表点)は赤色のXで示されています。この赤X印から仙台も福岡も似たような距離です。なのに、なぜ、仙台の方が揺れるのでしょうか?
まとめ;外套(マントル)とはよく言ったものだ。波よけのマント。