1;永山駅(小田急、京王)、2;桜ヶ丘、3;大栗側、4;関戸橋(多摩川渡る)、5;府中郷土の森博物館、6;中央高速道 くぐる、7;府中大國魂神社、8;府中米軍基地跡、9;浅間山
■1→2;永山駅→桜ヶ丘
京王永山駅
乞田川
鎌倉街道を渡り、奥の桜ヶ丘方面入口へ
桜ヶ丘の開発前の航空写真(1957年)と現在(右)。樹木に覆われた丘陵地を、樹木を刈るだけではなく、丘を削って宅地化した。1957年の航空写真のK、K'は鎌倉街道。
1960年(昭和35年) 京王桜ケ丘住宅地の造成工事開始
1961年(昭和36年) 京王桜ケ丘住宅地の分譲開始
1962年(昭和37年) 「桜ヶ丘」の町名地番施行
wikipedia
開発は1960年と早い。当時、住宅ローンというものがなく、現金を持っているクラスターがこの地に宅地を買い家を建てたと上記wikiに書いてあった。
今昔の感を惹起させるのは、当世の"金持ち"はこういう土地柄(高台で駅から遠い)は好まない(らしい)ということ。
2020.6.28時点でのこのあたりの中古住宅価格は、3480 - 7980 万円。
民家を改造した交番
ロータリー
図中、飲食店マークの「ノア」と記された位置が、ロータリー。
桜ヶ丘東通りを通て、下っていく。
高台を降りると農地。開発前の丘陵はこういう風景であったはず。この農地の地主は京王電鉄に土地を売らなかったのだろう。
谷筋の街道にでる。
大栗川を渡る
■ 3 大栗橋 ⇒ 4 多摩川 関戸橋を武蔵野側へ渡る
■ 4 多摩川 関戸橋を武蔵野側 ⇒ 5 府中きょうどの森博物館
多摩丘陵側(多摩川西岸)の崖
■ 5;府中郷土の森博物館
展示の武蔵国府の模型
▼ 博物館の隣の交通遊園
■ 6;中央高速道 くぐる
■ 7;府中大國魂神社へ
緩やかな上り坂=多摩川流域沖積低地から立川面への段丘崖
大國魂神社
■ 8;米軍基地跡(府中基地)
フェンスの中。
旧米軍府中基地
1940年(昭和15年):旧陸軍燃料廠として開設。
1945年(昭和20年)9月2日:アメリカ軍が接収。
1957年(昭和32年)8月1日:用地が一部返還されたことに伴い航空自衛隊府中基地を併設。
1975年(昭和50年)6月30日:通信施設を除き全面返還。返還された土地の1/3は自衛隊用地として航空自衛隊府中基地が引き続き使用。 wiki より
米軍から返還されているのに、まだ利用されていない。財務省の管理下となっている。さらに、米軍施設がまだ撤去されず残っている。外から見られるのは巨大なアンテナ。敷地内には廃墟の建物が残っているとのこと。取材報告がある⇒ 府中空軍基地廃墟
■ 9; 浅間山(せんげんやま)
立川段丘面地域で特異な地形は、地域の東部にある浅間山である。
この山は立川段丘面(高さ50メートル)から突き出し、孤立した丘陵で、高さ約80メートルある。南から北へ前山、中山、堂山と三つの山崖からなり、最高部は北部の堂山である。周囲の立川面との比高約30メートルであって、周辺にさえぎるものがないので山頂での眺望はすこぶるよい。
浅間山の地質は多摩丘陵を構成する三浦層群から成るもので、周囲の段丘の地質とは全く異なっている。すなわち武蔵野段丘や立川段丘の形成される以前に、すでに、古多摩川やその他の河川によってその周辺がけずり取られ、孤立丘となって残った侵食残丘である。従って、地形的には多摩丘陵の一部で、多摩段丘に属していると考えられる。 (引用元;原文は府中市史)