いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

今日の看猫 2012/8/29; エリザベスカラ―を内から舐めなめ、外から掻きかき

2012年08月29日 06時20分55秒 | ねこ


 -手術後10日たったみけちゃん―

みけはエリザベスカラーを内側から舌で舐めなめ(上図)。

一方、足でエリザベスカラーを爪で外側から掻きかき(画像なし)。

隔壁化するエリザベスカラー!

猫が手がかからない理由のひとつは、勝手に毛づくろいと自己洗浄をしてくれることです。

自分の舌でやるのです。

でも、エリザベスカラーをしているので、できません。

舌でなめまわすのは本能らしく、さかんにエリザベスカラーの内側を舐めまわしています。

▼うめちゃんも元気です。


北大は美しい; あるいは、ぬっぽんに普遍にあるムラ社会

2012年08月26日 13時48分03秒 | 札幌

北大は美しい

 こんなタイトルで初めて書いているような気がします。

衝撃の映像!  これが児玉作左衛門教授だ!!

 

学問の暴力―アイヌ墓地はなぜあばかれたか(Amazon)


2006年


http://shinka3.exblog.jp/3853140/

 2010年

果たして、4年後、事態は全然解決されていなかった。

そのときのムラびとの"ほざき"

 
http://shinka3.exblog.jp/13609321/

 

あーいえば、こー言う。

事実を突き付けられると、言い逃れ。

あまつさえ、「好意的に評価したいと思います。

これは、原発が爆発しても、千年に1度の津波に耐えているのは素晴らしいこと。原子力行政はもっと胸を張るべきだとのたまい申し上げた経団連会長・米倉さんと同じメンタリティーだ。

同じで当然だ。

ぬっぽんの食税えすたぶりっしゅめんとサマあるいは、すほん(資本)えすたぶりっしゅめんとサマと並ぶ

愚劣なぬっぽんの重要な構成要素だからだ。

愚劣なぬっぽんの象徴たる"「原子力ムラ」"は日本のあらゆるところにあるのだ。

彼らの特徴は、

「自己の狭隘なイデオロギーや日常的意識を不断に反省する努力」

を欠如した、泥沼のナルシズムに淫していることである。

もっとも、

「自己の狭隘なイデオロギーや日常的意識を不断に反省する努力」を欠如している、とは知性を失っているということだ。

こういう御仁たちが、デーガクキュージュさまである。

ぬっぽんのデーガク、ばんざい!

一見、「リベラル」風の調子のいいことばっかり言っている御仁こそ、実は、典型的"「原子力ムラ」"的ムラ人だったりする。

たとえば、上記例に加え、another 北大教授さま、「ソクラテスはどっちだ!?」

 

泥沼のナルシズムに淫する=美しい日本ムラの私たち
         
元祖「美しい日本の私」   軍隊ムラ    原子力ムラ      北大ムラ

 

 と、Across a Death Valley with my own Distillated Resentmentの愚ブログの本義の則り、

紅顔の美少年 の時、北大に落とされたおいらが、

私怨を動機として、

今じゃ、厚顔の汚中年と化して

disってみました。

 


毎週、ぶどうの木の画像を撮っています; 69週目

2012年08月25日 11時12分41秒 | 草花野菜


 -晩熟派-

■ 夏の借景生活; (関連愚記事: 冬の借景生活

 

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三毛猫、うちのこになる。

2012年08月22日 20時42分25秒 | ねこ

5月末に初めてうちの庭に登場した(愚記事:三毛猫来訪)三毛猫が、避妊手術を終え退院しました。今日からうちのこです。

獣医さんによれば今年のお正月頃生まれたらしい。

8カ月の野良生活でしたが、みけちゃんは猫白血病にも猫エイズにも感染していませんでした。

トイレの砂場ももすぐに覚えました。


―共存するうめちゃんとみけちゃん―

先住猫のうめちゃんとは目だった諍いもなく、平和共存です。


裁頭された長ねぎ; truncated Welsh onions

2012年08月19日 15時44分18秒 | その他

 


 -首狩り・裁頭中。 通りすがりの畑にて


   Google: 市倉宏祐さん死去

もうひと月近く前になってしまうけど、市倉宏祐さんが亡くなったとの報道があった。

1986年・昭和61年

 例えば、佐々木敦さんという人の『ニッポンの思想』(2009年刊行)によれば、1980年代の"ニッポン"でのポストモダン思想"ブーム"の中心人物は、浅田彰、中沢新一、蓮實重彦、柄谷行人の4人の名を挙げている。

ところで、1980年代中盤の"ニッポン"でのポストモダン思想"ブーム"の一場面が『アンチ・オイディプス』(ドゥールーズ=ガタリ)の邦訳の刊行。1986年、(Amazon)。訳者は、市倉宏祐。1921年生まれ。そして、特攻隊帰り。

同年、市倉は岩波書店から、『現代フランス思想への誘い -アンチ・オイディプスのかなたへ-』という、"ニッポン"でのポストモダン思想"ブーム"に便乗した典型的商業主義丸出しの素人向けの本も出している。持っていると恥ずかしい本。おいらも買っただよ。

その『現代フランス思想への誘い』の本文にはなんら触れられていないのだが、カバーの著者紹介にいきなり書いてあった。

第二次大戦中、海軍予備学生として最後に神風昭和隊基地に所属し、幾多の同僚を特攻隊に送った。真に崇高なるもの(あるいは真に悦ばしきもの)は、すべて悲しみの中に立っているという思いを抱き、人間の有限性を自覚する精神が、あるいは人間の空しさを見極める魂が何をなしうるのか、といったことを一貫して問題としてきた。
一見すると悲しみと無縁な軽快さに終始するかに思われがちなドゥールーズ=ガタリの遊牧の(ノマド)哲学も、こうした観点から取り上げられている。

特攻隊帰りが、"ニッポン"でのポストモダン思想"ブーム"の一人の影の立役者だったらしい。

1997年・平成9年

さて、10年後、ネトウヨが誕生して間もない(?)1997年。これまたもっていると恥ずかしい本、『国家と戦争』(小林よしのり、福田和也、佐伯啓思、西部邁)で、福田和也が言っている;

僕の哲学の師匠に市倉宏祐という人がいた。三高で和辻哲郎の弟子だった。彼は一式陸攻で「特攻」に行くことになっていたんです。その時の話を、僕は直接聞いたことがあった。この人はばりばりの哲学者で、サルトルとかドゥールーズとかやっている人ですけれども、なかなか面白いことを言う人で、三高にヒトラー・ユーゲントが来たことがあるんですって、三国同盟で。そして、いろんな人間に会ったけれど、あんな爽やかな若者たちに会ったことがない、とか言うんですよね。
 そういう人と付き合えたのは僕もすごくよかったのですけれども、彼が言っていたのは、「特攻」に行くことを志願し、配属も決まって、昼間、野原とか基地の周りとかを歩いていると、お百姓さんなんかが歩いている。それを見ると心が平穏になるんですって。彼らと彼らの子孫のために、自分は死ぬんだと思ってすごく平穏な気持ちになるんだけけど、夜ひとりになると、あと一つ二つ若ければ自分は死なないですんだのに、なんでこうなんだ、と。それを繰り返していくんですよ。
 繰り返していくうちに、両方あるのがいいんだと、両方あるのが人間だということに落ち着いて、行く気になった。結局、計画の四日前に終戦になって行かなかったけれども、でも、そういうもんですよとかおしゃっていた。

(中略)

彼はイポリットとかを訳している哲学者なんですが、言っていることが面白くて、対中謝罪派に怒り狂っているんですよ。おれたちは皇国史観を信じて命を張った。俺の仲間は「特攻」でいっぱい死んだんだ。だけど、対中とか対アジア補償派の連中は何を張っているんだと。あいつらが全財産を売り払って賠償するなら認めてやってもいいけれども、人の罪悪感にばかりつけ込みやがって、自分は安全なところに住んでいて、あいつら絶対に許さないと言って、怒り狂っていらっしゃるわけです。

この証言は極めておもしろい。

1980年代中盤の"ニッポン"でのポストモダン思想"ブーム"の一因は、守旧的マルクス主義や、さらにはいわゆる"戦後民主主義"、そして、いわゆる・ホントにいわゆる“自虐史観”への嫌悪があった。そして当時から守旧的マルクス主義陣営からのポストモダン思想と「保守」思想の親和性が指摘されていた。

別に彼らは隠しているわけではないのですが、のちに「保守」派やあるいは右翼、はたまた反動を自称する前に、福田和也、佐伯啓思、西部邁らは、相当に、ポストモダン思想を読みこんでいる。

● さて、なぜ特攻隊の「死にそこない」の市倉宏祐さんが、ドゥールーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』なのでしょうか?

その答えにつながる一端が、『ハイデガーとサルトルと詩人たち』(市倉宏祐、NHKブックス、1997年)に書いてある。

 近代は自然界と人間界とを効率よく普遍的に管理するところに成立した。あるいは、そうした管理が可能であると信じたところに、といってもいい。それがよくない結果を生むことがあれば、それは人間の罪障である。人間の是認とその否認とが交錯しているのが、近代ヨーロッパ人の本質である。 ドゥールーズとガタリの『アンチ・オイディプス』は、ポスト・モダンの時代を切り開いた書物のひとつであるが、彼(ら)はニーチェにコミットしながら、近代の本質がととにあることを見とっている。(中略)とのいずれもが、社会の運命を背負った知識人の精神に繋がっている。(中略)
 もともと、複雑多様なるものがさまざまに入り組み交錯しているのが現実の事実である。ところが、知識人のあいだでには、次第にの観点からのみ、この事実を考察する傾向が生じてくる。この傾向があまねく浸透してくると(あるいは、この傾向の世界支配が完成するといってのいい)、その退廃が起こってくる。

これはちょっと抽象的だが、これに先立つ章で市倉は皇国史観と侵略史観を並列させ、同時に両者を、同じ存立構造であると、批判している。

 皇国史観では都合の悪い事実は省略され、一部の事実に注目して歴史が論じられた。侵略史観もほぼ同じであるかに思われる。侵略の文言にあわせて、都合のいい解釈や事実のみがとりあげられる。それだけではない。勝手に資料[ママ]が作りだされたりする。いずれにおいても、善悪が交錯する事実の正確な分析・叙述はほとんど言及されない感がある。
 皇国史観の場合と同様に、侵略史観の正統性は二つの条件を満たしているか否かにかかわる。第一は、史実による史観の確証。第二は、人類普遍の理念を体現する贖罪の実践(これは史観を主張するものの責任であった)。

人類普遍の理念を体現する贖罪の実践」が重要だ。市倉は書いている;

 身命を賭して奉公を、あるいは財産生命を投げうって贖罪をつくすのでなければ、いかに自国の善を高揚し、いかに自国の悪を糾弾したとしても、いずれもただ崇高なる立場を装うものにすぎない。誰もが反対しえない普遍の旗を掲げて、己の見解をひとに強制するだけのことである。この意味では、謙虚に見える侵略史観はじつは傲慢でしかない。誇り高く見えた皇国史観がじつは卑屈の様相を担っていたように。

やはり、福田和也の証言はホントなのだ。ただし、一部誤りがある(後述)。

そして、皇国史観を「信じた」市倉は特攻隊で生命を賭したのであるから、第二の条件(皇国史観の場合)の、「史観の理念を自ら実践し実現する精進」、を満たしていたこととなる。本人は直接主張していないが。

そして、2014年・平成24年

  ネトウヨ亡国論(Amazom)

でも、櫻井よしこセンセに歴史を勉強しろ!とか説教されると、少しカチンとくる。
(⇒愚記事;『「文化の虐殺」粛々と進行中』 筑波山 1872
本屋で立ち覗きしただけど...

 ネトウヨの憧れ、亡国の徒

 ▼まとめ

市倉は書いている;

 現実の歴史には、善と悪、正義と利害、自衛と侵略が交錯している。人間の行動には、感謝と恨み、誇りと謙虚が入り組んでいる。

そして、『ハイデガーとサルトルと詩人たち』では、詩人、あるいは詩的に生きることがかいてある。

善と悪、正義と利害、自衛と侵略、そして、皇軍と叛逆軍、すめろぎと鬼神、維新と廃れ、敵と味方...

そういうものをきちんと言葉に落とし込むべし。

そうなのだ、外山正一の『抜刀隊』の詩は、すごいということだ。


●福田和也の誤り

僕の哲学の師匠に市倉宏祐という人がいた。三高で和辻哲郎の弟子だった。というのは間違いだろう。

市倉が和辻に会ったのは東大でのことだと思われる。なぜなら、和辻は1934年に京都から東大に赴任してきているからだ。

さらに、市倉が三高出身であることは事実らしい⇒wiki

 

 

 

 


毎週、ぶどうの木の画像を撮っています; 68週目

2012年08月18日 08時23分59秒 | 草花野菜

   
借りてる畑に餌を採りに行ったら、蛙がいた。愚ブログで蛙は3度目
(愚記事:①南の島③ 蛙は交尾セズ   ②筑波山麓『看蛙録(かんろく)』


つくばは芝畑と栗畑が多い。住宅地の中にも結構ある。そして、真面目に収穫を狙っているとは思えない。保有地を農地扱いにする税金対策に違いない。上図、よそんちの栗。

 

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今日の看猫 2012/8/15、そして、補償されない傷ついた自尊心

2012年08月15日 19時36分25秒 | ねこ


 2012年8月15日、筑波山麓


  踏み石の上の三毛猫


 収穫された夏野菜とうめちゃん

■ 補償されない傷ついた自尊心

これはびよきです。びよき。韓国大統領の反日行動。

発作が起きた。

別に、イミョンバク大統領が初めてではない。これまで事例がある。

 ◆恐ろしいインテリの怨嗟 
 ノムヒョン大統領はじめ反日朝鮮人は「世界」を喪失している。彼らの怨嗟に立って考えてみよう。

今回のイミョンバク大統領の暴挙・暴言は、ノムヒョン前大統領の暴言に連なるものだ。

日本に対する怨念と憎悪に基づくものである。

発作ではない慢性病でもある。コリアンの傷ついた自尊心の補償活動。

症状はよく見る。

竹島問題に限らず、日本海/東海問題とか。

コリアンの自尊心を満たそうとする衝動に基づく「異常な」行動は終わらない。

たとえ万が一竹島が韓国領であると日本が認めても、韓国は次々と要求のネタを探し出してくるだろう。

その証拠が天皇の御言葉の問題。今回、”『痛惜の念』などという単語ひとつ”と韓国大統領は憤怒しているが、

万が一将来「日王」が謝罪したとしても、今度は土下座しろだの、毎年謝りに来いとか要求のエスカレーションは留まるところをしらないだろう。

その理由は、傷ついた自尊心が補償されないからだ。

最近は相対的に減ったが、きちんと日本が韓国に謝罪しないからだと、さらなる謝罪を日本政府に求める日本人がいる。恐らく間違いだろう。

これは、謝れば済むという安易な考えに基づいているばかりでなく、相手の本当の心情、つまり怨念と憎悪を理解できていないからだ。安易な謝罪は、実は、怨念と憎悪の火に油を注いでいるのだ。

補助線としてこういう犯罪事例を示す; 土下座していたが、最後には息子を金属バットで撲殺した東大出の男事件

長男の暴力は、初め母親に、やがて父親にも向けられるようになる。ある日、長男は父親に、「土下座しろ」と命令した。土下座すると、長男は父親を足で蹴っ たり、手で殴ったり、コタツの板を投げつけた。暴力を振るう長男を父親が見上げると、長男は涙を流して泣いていた。これを見て、父親は、「長男もつらいん だ、苦しんでいるのは長男だ」と確信して、暴力を受け止め、長男のするがままにまかせることにした。長男に無制限に優しくすれば、長男は親の愛を受け止め てくれると思ったのである。しかしこれは逆効果であった。


長男の暴力を放置した責任は父親だけにあるわけではない。中学2年の9月ごろ、父親は、無抵抗を勧める精神科クリニックの医者に「奴隷のようにこき使われ て耐えがたい」と訴えた。しかし医者は、「そういう対応するのも子供をよくするための一つの技術だと思ってください」とアドバイスした。父親は、「先生の 言葉にほっと安心した。それ以降暴力を受け入れることがおかしいことだとは思わなくなった。つらかったが、暴力を受け止めるための軸になったのが、この 『技術』という言葉だった」「私は暴力をほとんど体験しておらず、予想もしていなかった。だから驚き、本もたくさん読んだ。しかし、暴力を振るう子供を受 け入れても、絶対に暴力自体は受け入れてはいけないという本や相談機関にはめぐり合わなかった」と回顧している。



睡眠不足と暴力に耐えられなくなった父親は、金属バットを寝ている長男の頭に振り落とし、わが子を絶命させた。父親は、長男殺害後、しばらく「罪の意識も後悔もなかった」「ほっとしています」と語る。

 ノムヒョン、イミョンバクと歴代の韓国大統領が、次々と"発作"を起こす事実は、村山談話がいかに無力であったかを示す。村山談話は本当に欺瞞的なものだと思う。どういう点が欺瞞的であるかというと、謝れば済むと考えていることである。そして、うまくことを納めて未来へ向かって生きのびようとする魂胆である。

謝ったって済まないことはある。 補償されない傷ついたコリアンの自尊心

今後もコリアンによる日本へのいいがかり、いやがらせは後を絶たず、続くのだろう。別においらは日本の朝鮮半島への植民地支配が悪くなかったと主張しているわけではない。「被支配者」がダメだったというのであれば、「支配者」は甘んじて受けるべし、ぐらいに思う。

日本は朝鮮半島の「近代化」に寄与したのだから、感謝されることはあっても恨まれることはない、と主張する"自称"「保守」の人は多い。そういう人たちは、嫌韓というより、恨む人たちが嫌いなのだ。日本人はお上品なので、恨んだりなぞしないと、恨まない日本人を誇っているらしい。

そうだよな。30年くらい前、米国のジャーナリストが広島の慰霊式典からの報道で「原爆で日本は民主主義になったので日本人は感謝している」って言って少し物議をかもした。その時、自民党とか特に憤激してなかったと記憶する。そもそも、昭和天皇からして「原爆やむをえない」だし。日本政府も戦後これまで一度も米国政府に核攻撃による一般市民殺戮を抗議したことはない。

なぜ、日本人は恨まないのだろうか?

■当分、コリアンからのいいがかり、いやがらせは続く。

おいらには他人ごととは思えない怨念と憎悪に基づくいいがかり、いやがらせ: 愚ブログの駆動力。

コリアンのいいがかり、いやがらせはどうすれば、止むのか。 

それは、おそらく日本が没落するか、韓国が超大国になるか、もちろん同時でもかまわない、であろう。

日本に求められるのは、謝ることではなく、敵役に甘んじることだ。最後に相手を殲滅しないために。


愛国心はならず者の最後の逃げ場。  関連愚記事; ヒノマルは酒乱の最後の逃げ場

▼一音違い;

    
あきひろさん[1]   あきひとさん(クラスでの"通名"、ジミーさん)

[1] 日本での通名は月山 明博(つきやま あきひろ) (wiki)

関連愚記事: 石原慎太郎:「彼らにとって屈辱だったろうが、悪い選択ではなかった」


 


今日の看猫 2012/8/12、そして、榊原英資は小沢信者&情宣局員だったと知る

2012年08月12日 19時25分32秒 | ねこ


   ―抱っこできるようになった三毛猫―


↓ ホントは迷惑の三毛猫


●榊原英資は小沢信者&情宣委員だったと知る。

榊原英資、『なぜ日本の政治はここまで堕落したのか 松下政経塾の大罪』(Amazon)を、ながめる。

少しは誠実だなぁと思ったのは、榊原は自分が小沢の支持者であることを公言している。

その視点から、「松下政経塾の大罪」を情宣しているのだ。

「松下政経塾の大罪」を糾弾する根拠は、専門性があり経験豊かな国家官僚の視点である。

現内閣の首相、財務相、外相などを「若くて、行政経験もない、政治家しかしたことがない」と批難しているのだ。

ついでに、彼らや民主党政治家の多くが松下政経塾の出身であることが、怨嗟の的となる。

その彼らと対照されるのが、吉田茂から始まって、池田隼人、大平正芳、そして宮沢喜一までの官僚出身の政治家たちである。

榊原の言い分は、松下政経塾の出身の政治家は若くから選挙だけに注力し、専門性もないし大きな組織を動かしたこともないと批難する。

たしかにそうだ。別に、おいらは「松下政経塾」出身者に肩入れするつもりはない。恨みもない。そもそも、「松下政経塾」ってよくしらない。

松下村塾なら、ちょっぴり知っていて、恨んでいる (愚記事:They look just like two Gurus in drag ! 西のグル、北のグル )。

それにしてもこの本がおかしいのは、あるいはAmazonの書評にもあるように具体例を挙げた論理的分析もないというばかりでなく、この本がデタラメなのは、当の本人榊原が支持する小沢一郎さんこそ、「専門性もないし大きな組織を動かしたこともない」どころか、生まれて一度も「働いたこと」がないのに選挙で政治家になったことだ。衆議院議員の親が死んだから。

この点コネだってみえみえだけど神戸製鋼で「働いていた」安倍普三さんと違う。小沢一郎さんは、日大の法学部の大学院だか研究生だかをやっている時に、親が死んで、もちろん土人たちによる個人後援会の支援で、 選挙に当選して、世襲議員になったのだ。

さらに、この本で当の本人榊原が強く主張するmeritcracyの視点から言えば、(おいらはそういう視点でものをいうのは趣味ではないが、"事実"らしいので書くが)小沢一郎さんは東大に何度も落ちて慶応大学に行き、さらに司法試験に(何度も*未確認情報)落ちていたらしい。

つまり、榊原が強く主張するmeritcracy (wiki) の視点からみて、小沢一郎さんは評価されることはないはずなのだ。

■邪推。 それでは、なぜ、榊原英資は小沢信者&情宣委員なのか?

それは、斎藤次郎問題。おいらもよく知らないので、口さがないネット童に聞いてくれ;

いよいよ民主党の小沢一郎幹事長が本格的に動き出したと直感した。斎藤次郎元大蔵事務次官と小沢氏の緊密な関係は、政官界では知らぬものはいないといわれるほどである。

小沢一郎こそ実はものすごい官僚依存的政治家に違いない。

真のエリート官僚の実現を!

おいらは、愚ブログでずーっと、エリートさまの御活躍を祈念している;

「一万人の殺人犯がいても国は滅びないが、一万人のエリートがいないと国は滅びる。」 いいね。そのとおり。おいらも、一万人のエリートがきちんと統治する国で、おもいっきり安心して、鼻くそほじりながら、おばかなことをほざいて暮らしたいね。それがおいらの夢だっちゃ。

 もつろん、愚民の憎悪をぶつけたりもしている。でも、エリートさまってそういうのは織り込み済みなんだべ。ってか、そもそも、エリートさまは愚ブログを見ないし。

それにしても、今のぬっぽん政府の官僚はばか過ぎだろう⇒愚記事: 日頃見ててかわいそうなんだけど、英語しゃべりたいけど、しゃべれないガッコ秀才ちゃんほど、カタカナ日本語を使うよね。

⇒ 昨日まで、がきんちょに原子力マンセーボスターを描かせていた文部官僚さま(@森有礼サマの嫡子さま)

 そして何よりこの本・『なぜ日本の政治はここまで堕落したのか 松下政経塾の大罪』がでたらめなのが、今年の春(2012年4月)に刊行されたのに、原子力ムラのことが何もふれられていないことだ。2011年のチェルノブイリ事故に次ぐべらぼうな放射能を撒き散らした福島の原発事故こそ、ぬっぽん官僚がいかに文明を管理・運営できないかを端的に示したものだ。土人の国、ぬっぽん(愚記事:日本には原発を管理する資格がない)。その管理責任は「官僚」にあることはいうまでもない。やはり、今のぬっぽん政府の官僚はばか過ぎなのだ。

松下政経塾の大罪より原子力行政の大罪を問えや!

・最後に上記リンク先愚記事(2) 美しい日本語、霞ヶ関文学語彙集、文科省篇)に森有礼が出てますが、 榊原英資、『なぜ日本の政治はここまで堕落したのか 松下政経塾の大罪』でも森有礼登場。水谷三公の文章が引かれ、丸山眞男のアナロジーとなっている。

 

 


毎週、ぶどうの木の画像を撮っています; 67週目

2012年08月11日 09時41分19秒 | 草花野菜


今週の三毛猫

↓三毛猫のうしろの花


 

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抽象的構図に現れたる微細構造; microstructures in a Composition

2012年08月08日 19時30分37秒 | その他


 -抽象的構図に現れたる微細構造; microstructures in a Composition-
A part of ”Composition with Red, Yellow, Black, Blue and Gray”, by P. Mondrian

 ↓上図は下図の黄色部分の拡大


-赤、黄、黒、青、灰のコンポジション-
モンドリアン、 ハーグ市立美術館

 

■ 抽象的構図に現れたる微細構造-その2


-Composition I with Red, Yellow and Blue-
by P. Mondrian in 1921.
赤と黄と青のあるコンポジションI  油彩/カンバス
 同じく、ハーグ市立美術館