いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

自分さがしの果てに; やはり、キチガイ

2011年03月31日 19時25分54秒 | その他

 -自分さがしの果てに、見つけたよ(震災の後かたずけのついでに行った大掃除において)。-

今月一日、「もっと崩れろ!、もっと崩れろ!」と呪詛することについて言及(愚記事、今日の看猫 2011/3/1、あるいは、「もっと崩れろ!」の江藤淳をみつけたょ)、十日には、恒例ではあるが、東京大空襲の大量死について言及(愚記事、夷(えびす)を焼く弾(たま);焼夷弾)。そうしたら、翌日、大地震が来た。地震そのものよりも波に呑まれて死んだ人三万人あまり。おいらの部屋もちょっぴり崩れた(愚記事;筑波山麓で受けたM8.8の地の波の結果について、おいらの見たこと)。

はやり、キチガイ

おいらはやはりアタマ、おかしいと感じた。別に、自分探しに出ていたわけではないが、キチガイと改めてわかる。どういうことかというと、空襲の後の焼け野原や津波に瓦解した街の光景をみるに、その静かなただずまいに、何かこう、崇高な気持ちが湧いてくるのだ。死んだ人たちに対する悲しみとか、さぞかし無念だったろうにとかという同情よりも、何かある種の感慨。何か静かな感じ。いそいで付け加えると、別に航空写真的風景をみてだけで湧きあがってくる感慨ではなく、国内メディアでは"検閲"されているが、海外メディアでは報道されているぬんげんが岡に上がった魚のように無惨に多量に横たわっている虫瞰的風景をも見てのことだ。

そしてこれが本当なんだろうという感慨。おいらは昔から繁栄した巷に廃墟を幻視してしまう。これは、はやり、病院に行った方がよかったのかもしれないのだろうか?幻視する廃墟というんは端的に先の大戦でやられた戦災後の街々。(愚記事;■おいらが近代日本で一番好きな画像はこれかこれである。)敗戦後20年以上もたって生まれたのになぜこうなのかわからない。さらには、生まれ育った札幌はB29の空襲にも逢わず、戦災とは無縁な街だ。親類縁者で空襲で死んだものなぞいやしない。

思い当たるのは子供のころから戦記ものをみてきたからだろう。

▼耐"狂"資質

日本人は「耐"狂"資質」がある。「耐"狂"資質」とは今つくった言葉。日本人以外ならパニックになって狂乱状態になるような場面でも、日本人は大丈夫。これは諸行無常のミーム(文化的遺伝子)が染みついているかのようである。

神戸の震災の後、聞いた話。これはメディアや講演会とかではなく、一対一で直接聞いた話。その人は、あの神戸の震災の時、外国からの留学生を"世話"する役職にいた。あの震災の朝、多くの外国人留学生はパニックになり、ある者は"発狂"した。荷物の片づけもそこそこに即効で帰国した留学生もいた。一方、神戸の街は静かだったと。

日本人は不条理な大量死や大規模な瓦解、崩壊に対し耐性があると言わざるを得ない。天地動転しても、まわりで無意味に多量に人が死んでも、発狂しない。上記"ミーム"というのは冗談である。でも、日本人は、諸外国に比べ、不条理な大量死や大規模な瓦解、崩壊に対し耐性があるというのは観測事実なので、そのメカニズムは明らかにすることは楽しいことだろう。例えば、こういうのものがあるよね。

あと、直接関係ないが、精神病者、端的に狂人の扱いは日本とは全然違う(らしい)。おいらが、カナダで会った兄ちゃん。高校から留学、ホームステイして学校に通っていた彼は、いわゆる日本でいう「切れる」という行為をホストファミリーに対してしたら、精神病院に収容される寸前だったと言っていた。

「耐"狂"資質」とは、狂気を自分の中で飼いならすことなのかもしれない。常にそれを冷却しているのが日本人ってことか。その冷却装置がぶち毀れると狂気が臨界に達し、狂気炸裂の連鎖反応を始めるのだろう。おとろしいことだ。その狂気炸裂の連鎖反応は国民的なものとなる。⇒これだ!




不幸のブログのサンドウイッテマン、そして、芸術は馬鹿発だ!

2011年03月29日 20時26分37秒 | 東京・横浜


震災後初めて都内に行った。常磐線は通常の約半分の運行。JR駅構内は節電のため暗かった。そんな駅構内で、電力を使わない一番シンプルな方法で、宣伝をしているサンドウィッチマンを見かけた。

芸術は馬鹿発だ!

話題は変わって、東電社員のブログの件(下記参照)。久しぶりにいい表現作品出会えて幸せだ。この作為なき、無邪気な表現こそ、世間ずれして、傲慢な東電社員の心の内をあますところなく表現している。この表現から現代日本社会の様々な側面が浮かび上がる。そのひとつが就活、メンバーシッップ問題。愚記事;メンバーシップ、ジョブ、あるいはトレーニング

それにしてもすごいのがこの文章を書いた東電社員とされる人物(ネット上では名前も出身大学も明らかにされている)は今年度入社の新入社員であるらしいこと。この東京電力への同一視/同一化(identification)はすさまじい。実は、おいらは、東電社員イコール社会の敵とは全然思っていない。これは別においらが良心をもっているのではなく、"たかが"賃金労働者が自分の雇用法人である東電の説明責任なぞ負うべきでない、という理由である。もっとも、課長以上の社員は罵倒されてもしかたがない面はある。そういう前提で、たかが新入社員、それも出身大学から邪推してどうみても"エリートコース"ではない"チンピラ社員"が、こういう口をきくことに感動した!これは芸術だ!芸術は馬鹿発だ!

ちなみに、第1回「芸術は馬鹿発だ!」は;
■おいらも、おバカの一滴として、『「豊かな」難民キャンプ』での愚行に華を添えたいと切望している。

でも、こんなちっぽけな思いを嗤って蹴散らした、偉大なる作品がこれである。 お見事である。 嫉妬心がめらめら燃え上がっている。 うらやましいじゃないか! そのすばらしい、バカっぷり。 この大バカ 野郎  お嬢ちゃんども! 難民キャンプ育ちの バカっぷり を見事に描ききっているといわざるを得ない。 
 

(愚記事;地球で一番豊かな難民キャンプ

▼それにしても、こういうマインドの社員を新規採用する東電はなかなか人をみる目があるのではないだろうか?こういう人物が東電マインドの人材なのだろう。あるいは、社内教育の成果でもあるのだろう。どんな原発教育をしているか、この表現作品から垣間見える。そしてメンバーシップホルダーはこういうマインドではなくてはいけないのだ。これら成果はアメフト主将どのだけではなく、ロコちゃんもそうだった;

俺様たちが偉いんだ!、俺様たちこそ愚民どもの暖衣飽食の基盤なのだ!、俺様たちは優秀なのだ!、俺様たちは間違えない!結果に何があろうと、それは他人が悪いのだ!なぜなら、俺様たちは東電だからだ!この俺様たちががんばったということは、他の誰もができないことなのだ!その結果に対する文句なぞ絶対受け付けない。俺様たちは東電さまなのだ!

すごいにゃー。そして、あやまるよ、東電!。愚民のくせに電気さ使ってブログ遊びにうつつをぬかすおいらをゆるしてけろ。何より、アメフト君もロコちゃんも実名ってところがすごい。おいらのような匿名の卑怯者とは大違いさ。あんたら、殿さまだ。安座する椅子を送るよ。電気の。オール電化だっちゃ。






魚拓

痛いニュース; 東電社員「東電を非難するのは構わないが、自分たちが被害者だといった考えはやめろ」「贅沢な生活をしていることを今一度再認識しろ」

■追記; やっぱり、だめだろう、ぬっぽん。
⇒ACジャパン、楽しい仲間の正体:役員・顧問・相談役
おいらはラジオでの"金子みすずの詩・「こだまでしょうか?」"が脳髄までしみ込んでいます。バカっ!っていうと、バカっ!ていう。
理事長の一族が最悪だ(愚記事より;なぜこんなにからむかというと、サントリーが嫌いだからだ。)。それにしても江崎勝彦さんのお名前、久しぶりに見ました。江崎家、元祖、拉致家族。

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タージマハルのおみやげや

2011年03月27日 20時37分48秒 | 日本事情




「タージマハルのおみやげや」;ハイデガーの造語趣味は有名。おいらは、造語はさすがにおこがましいので、造句を。

「てめぇーは、"タージマハルのおみやげや"なんだよ!」、とはおいらが過酷な渡世で、つい口をつきたくなる句である。もちろん、発語したことはない、たぶん、発声練習が足りないんだんだと思う。発狂練習ばかりにうつつをぬかしてきた報いである。

「タージマハルのおみやげや」とは何か?

タージマハルができた時期は、日光東照宮と同じぐらいの頃。今じゃ、世界中からタージマハルを見物に人々が訪れる。今ほどではないが、英領になってからは特に、昔から多くの人が訪れる。おいらがタージマハルというのを知ったのは十代末期。その頃の日本は基本的には、まだ、毛唐文明を摂取し、乗り越えろ!という成り上がり者の時代。ただし、最末期だった。毛唐文明を摂取し、乗り越えろ!という「時代」の要請に、背骨をへし折られる気分だったおいらは、「"アジア"」へ逃避。見つけた、チャンドラボースとタージマハル。大川周明経由で。毛唐文明相対化の入口。もちろん、座学。まさか、その20年後、実際のチャンドラボースタージマハルを見聞できるとは思わなかった。

そして、何より、その理由が、ネオリベ的、経済のグローバリゼイションなのであった。

■で、「タージマハルのおみやげや」

タージマハルのある街はアグラという。タージマハルなどの超有名観光地である。当然、おみやげ屋も多い。何より、観光客相手の様々な職種、極端には乞食まで、多い。彼らの生業の根拠はタージマハルなどの数百年前に建設された歴史遺産に他ならない。

別に、彼ら現在観光関連業でメシを食っているひとたちを特に侮辱しようとも思わないが、彼らは数百年前に英知と労力を結集して建築したタージマハルに寄与しているわけではない。時間的に見ても当然のことだ。一度構築され、かつそれは腐らない大理石であり、かつ地震なぞなく安定であるタージマハルは、彼らにとってお月さまに次ぐ安定で、所与のものである。所与のもの。まさか、生きてタージマハルを見れるとは思わなかった二十歳の頃を経験しているおいらには、タージマハルが所与であるとは、すごいことである。

「タージマハルのおみやげや」=所与であること;

いいたいことは、このこと。「タージマハルの存在が所与であることを前提とするおみやげやさん」って、いったい....、というツッコミ。

こういう人たちは、現在の日本で多いのだ。というか、ぬっぼん・えすたぶりっしゅめんとの主流派がこれなんだろう。

生まれた時から「タージマハル」は眼中にある。「タージマハル」を「タージマハル」とは気づかずに育った"おぼっちゃまたち"。「タージマハル」のありがたみも、建築方法も知らない"おぼっちゃまたち"。彼らの仕事は"ドレイ"たちに「タージマハル」の維持管理(ルーチン)を命じることである。草刈とか、入場料の徴収とか。もちろん、「想定」外に「タージマハル」が瓦解した時、復旧する術(すべ)はもちあわせていない。

▼高温多湿島のおみやげや; タージマハルは地震のない地域に大理石でできている。腐らない。一方、高温多湿のある島では1000年以上前からとされる構築物が、20年ごとに総取り換えされる。すなわち、解体され・建築される[極東のde-construction!]。その近くの"おみやげや"の"ぼたもち屋"が長年の「るーちん」に厭きてか、堕落して、潰れかけた。やはり、かれらもぬっぼん・えすたぶりっしゅめんとだったのだ。すごいぞ!宮大工。だめだぞ!ぬっぼん・えすたぶりっしゅめんと! でも、その時もでたよ。「本当に赤福は悪いのか!」って。今日も出てる、「本当に東電は悪いのか!」って。

痛いニュース; 東電社員「東電を非難するのは構わないが、自分たちが被害者だといった考えはやめろ」「贅沢な生活をしていることを今一度再認識しろ」


タージマハル前庭の草刈り@下受けに違いないだろうが、被曝の心配なす。










毎週、梅の木の画像を撮っています; 2011年2週目

2011年03月26日 06時37分44秒 | 筑波山麓


くたれかけています。梅の花びら。


庭の葉物。おいらの自給率はちょっぴり高い。そんなおいらの葉物も放射性ヨウ素を浴びた、ただの野菜が医療品になった。ただで、"放射線治療"ができるのだ。ただし、体内照射で。ありがとう!東電。君たちの恩は一生忘れない。

なまじ自給していると、出荷ができなかった農家のように補償が受けられない。いらないけど。

・半減期の逆説。放射性ヨウ素の半減期は8日だから、心配するな。ほっとけば、どんどん減っていくという主張がある。全くその通りで、おいらも健康被害はないと思う。でも、半減期というのは元の放射能が半分の量になるためにかかる時間。16日目でさらに半分になる。24日目でさらに半分。時間経過とともに、さらに半分、さらに半分...。ということは、逆に言うと、決して消滅することがないのだよ。これは半減期の理論的定義なのでしかたがない。

・近所の農産物直売所に行った。「茨城産のものは扱っていません」って張り紙。どんな直売所だよ。


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今日の看猫2011/3/24, そしてヨタ話;技術屋になりそこねた哲学者

2011年03月24日 19時42分44秒 | ねこ


今朝のうめちゃん。筑波山麓は、冷え込みました。ファンヒーターをつけたら、うめちゃんが温風を浴びにファンヒーターの前に陣取りました。



余震におびえるうめちゃん。余震ごとにおびえて、防空壕ならぬ防災壕を探して、うろうろします。最近の一番のお気に入り防災壕は和室の押し入れです。でも、和室のふすまが空いておらず、和室に逃げ込めないときは、こたつに逃げます。ただし、コタツぶとんが開いているときだけ。そうです、うめちゃんは必ずしも賢くないので、ふすまを開けたり、ふとんのすきまからこたつに潜り込むとかができなのです。まぁ、飼う方にとってはある意味楽なんですけどね。行動が限定されているので。それにしても猫は賢愚の差が激しい。ぬんげんと同じだにゃー。"賢い"猫はびっくりするようなことをする。

ヨタ話;"技術"屋になりそこねた哲学者

どうでもいいヨタ話なんだけんども、最近みた本に、言葉遊び的ビンゴ!があったので、報告する。

・抜き書き1;
仕事というのは、焼け残っている軍の倉庫から荷物を”かっぱらって”くることです。当時、川崎あたりには軍の倉庫がけっこうありました。焼け跡に、昔のを徴用したようなものや、きちんとした倉庫らしい建物などが、ポツンと焼け残っていたのです。そこにはあれこれと品物が残っていました。軍の関係者が、あとから運び出して売るつもりで隠していた品物なのでしょう。敷布だの軍隊の略装だのゲートルだのといった繊維品が主でした。どこからかそんな情報が流れてきて、いくつかのグループが示し合わせて、それらをかっぱらいに行くのです。「隠退物テキハツ」などと叫びながら、戸を壊して持ちだすのです。― (強調、いか@)
 木田元、『哲学は人生の役に立つのか』、第一章 混乱の時代を生き抜いた (Amazon

・抜き書き2;
そのようなわけで、テクネーという語がなにを語るかということと、テクネーと名づけられた事柄をギリシア人がどのように規定しているかということについて指摘することは、道具的なものそのものが、じつのところ、なんであるかという問いを究明したとき、明らかになってきたのと同じ連関へとわれわれを導いて行く。
 技術は開蔵のひとつのしかたである。技術がその本質を発揮するところとは、開蔵と不伏蔵性とが、すなわちアレーテイアが、すなわち真理が生起する領域なのである。
(強調、いか@) ハイデガー(関口浩、訳)、『技術への問い』(Amazon

ハイデガー、『技術への問い』の関口浩による訳注より;

開蔵[Entbergung]:: Entbergungとこの語の動詞形 entbergen とはともにハイデッガーの造語である。entbergenの語幹 bergen は、救助する、保護する、かくまう、隠す、などの意味をもつ他動詞である。前綴り ent- は、この語においては「離脱」あるいは「状態の解除」を意味している。entbergen は、隠れることからの離脱、蔵されているものを開くこと、を意味する。本書では茅野良男氏の訳語を採用して、「開蔵」とした....以下略

●アレーテイアには「真理」という訳語があてられることがある。理由はアレーテイアは、隠されたものがそうではなくなる=隠されたものが露わになるという字義。ハイデガーは『技術への問い』でいっている;ギリシア人は、この開蔵のためにアレーテイアという語をもっている。まさに、「隠退蔵物テキハツ」などと叫ぶことである。もしかして、木田元は哲学なんぞ勉強する前から、ギリシア的哲学者であったと喧伝しているのだろうか?気づかなかった。恐るべし、木田元。ただの復員兵じゃなかったのだ。やはり、読みは大切なのだ。

■木田元は昔ドイツに行った。その時まだハイデガーが存命中で、仲に立つ人が木田にハイデガーに会わせてやろうか?と持ちかけたが、木田は拒絶したと本人が回顧している。でも、海軍兵学校話、つまり、ハイデガーは決死の戦士が好きだということ;

ハイデッガーについて聞いた話では、彼はある版を気に入ったそうなのです。「日本語がわからないのに、どうやって確認したのか?」。ハイデッガーは答えました、担当したのは神風特攻隊に志願した元兵士だから、わけがわかっているはずだと。 ―  
スラヴォイ・ジジェックのインタビューでの発言;『人権と国家―世界の本質をめぐる考察』

や、闇屋としての開蔵物語をハイデガーに話してやれば、狂喜したにちがいない。残念なことだ。

な、わけねぇーよな。だって、ハイデガーは「蔵」って言ったおぼえねぇーし。

ちなみに上記の抜き書き部分の英訳はかくのごとし;

Thus the clue to what the word techne means and to how the Greeks defined it leads us into the same context that opened itself to us when we pursued the question of what instrumentality as such in truth might be.
Technology is a mode of revealing. Technology comes to presence in the realm where revealing and unconcealment take place, where aletheia, truth, happens. (The Question Concerning Technlogy [Die Frage nach der Technik])


開蔵=revealing::::日本語訳の大仰さにびっくりせよ!

■木田元関連愚記事;
日帝海軍最年少の復員兵、あるいは日帝廃棄物; 木田元さん私の履歴書
日帝の手切れ金

▼ブログ内ビンゴ記事;蔵秘庵

▼解蔵=西洋語の訳語を仕入れるために、大蔵経を読み解くこと。なんちって。











シカゴ・アヴェニュウーと呼ばれた日、あるいは、they shall return

2011年03月22日 20時20分55秒 | 仙台・竹雀・政宗


 -仙台市、木町通り(2005年撮影)。占領時代、シカゴ・アヴェニュウーとよばれた。-

今夜も、地震に便乗した罰あたりネタ。震災エンタメ。全然、エンターテイメントになってはいないが。

おいらが仙台に住んでいた昭和末期-平成初期は、東京ではバブル真っ最中であったであろうが、仙台はバブルの登り時期であった。バブルが田舎に波及するには多少の時間がかかったのだ。つまり、杜の都でも地上げ屋が活躍し始めたころだ。それでも、散歩していると "戦前" がまだ残っていた。戦時中、仙台はB29の戦災にあった街なので、残った戦前の文物を探すのがおいらの散歩の楽しみだった。その楽しみがよく味わえるのが木町通りだった。たぶん、この通りの幅の狭さは江戸時代のものを残しているのではないだろうか?仙台は近代に入って道路拡張を行い、江戸時代以来の通り、街並みは消されていたのだろうと思う。もっとも、その道路拡張の大義名分が戦災対策であったと思われる。すなわち、延焼を防ぐため通りを拡張したのだ。上記画像は今でも残る戦前からの?木造の家屋と地上げされた更地。昭和末期はまだこのような戦前からの?木造の家屋が連なっていたのだ。

おととし仙台参りに行った時、初めて知った。米軍による占領時代に仙台の主だった通りには英語名がつけられていたと。仙台に住んでいた時はそんな話は全く聞かなかった。木町通りは、なぜかしら、シカゴ・アヴェニュー。南北に走る通りはアヴェニュー、東西に走る通りはストリート。つまり、青葉通りも広瀬通り南町通りも定禅寺通りもみんな英語名がつけられていたのだ(仙台歴史民俗資料館)。
(追記、上述に"嘘"がある。下記図をみると終戦直後は"広瀬通り"や"青葉通り"のあの大通りはないのだ。あれは戦後道路拡張でできたのだろう)

 

■Occupied Sendai

仙台は米軍の第11空挺団に占領された(愚記事;ダサいスカジャン着て 【仙台参り2007番外】 )。

アイケル・バーガー将軍(wiki,英語日本語)の仙台来訪動画。(General Robert L. Eichelberger visits 11th Airborne Division installation in sendai,Honshu in Japan)

これは1945年10月3日に仙台に来た時の映像らしい。仙台のどこなのか?考えるに列車の引き込み線がある基地であるので、苦竹の陸軍造兵廠なのだろう(wiki,仙台駐屯地)。映像にある"ホスト"の日本人は無条件降伏した帝国陸軍の関係者と思われる。この基地は朝鮮戦争を経て、自衛隊基地となる。映像にある"ホスト"の旧帝国軍人の少なからずも自衛隊に参加したのだろう。

で、このニュース;
痛いニュース;

被災地支援のアメリカ軍がかっこよすぎると話題に

「もう大丈夫だ。自衛隊は明日から降りてこい」、と。 (関連愚記事;夷(えびす)を焼く弾(たま);焼夷弾

⇒⇒ 安全確認ができないと着陸拒否していた自衛隊を横目にgoogle

戦争でない災害でも禁治産国家なんだなにゃ~、ぬっぽん。

【USA!】米軍が水58㌧、食料1.9㌧を被災地に配布

やはり、なんか、情けないクニに生まれたんだなぁ~って感じ。

2万余人の非業の死より、「やはり、なんか、情けないクニに生まれたんだなぁ~って感じ」を優先させる情けないおいらが、発信すました。

おやすみなさい。

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部屋の片づけ、あるいは、震災の御代が平成という皮肉

2011年03月20日 18時35分46秒 | 日本事情



週末の休みは地震で崩壊した部屋の後片付け。
 
(愚記事;筑波山麓で受けたM8.8の地の波の結果について、おいらの見たこと

今日はオウム真理教による地下鉄サリン事件から16年目の日。今日のネタとして当時のオウムの新聞ビラの画像を載せるつもりでいた。これは16年前、伯耆大山(ほうき だいせん)山麓から都内に行ったときにJR駅前でオウム信者からもらったもの。それが去年かおととしに荷物から出てきた。でも、部屋がぐちゃぐちゃになって今日までの発見とネタ開示に間に合わなかった。オウムのビラは見つからなかったが [1]、昭和が終焉した翌朝の新聞がでてきた。もちろん、当時も新聞なぞとってはいなかったのだが、昭和の終焉に伴う世紀の大報道と新聞屋が考え、日ごろ新聞を読まないものどもにも新聞を恵んでやろうと判断したのか、おいらの使わない新聞受けにほうりこんでくれたのだ。この時、おいらは将来へのよい記念になるだろうと思い、タイムカブセルに放り込んだ。当時はバブル絶頂期であった。そして、いまが"将来"だ。まさか、20年後こんなになっているとは思わなかったょ。

[1] 2016/12/25 後註: このオウムのビラは無事?見つかり、2015/3/20の愚記事: 東京サリン事件20年;当時オウム信者からもらったビラ  、で報告した。


それにしても、平成になってふたつの大震災。昭和が終焉した時は、さらば、大量死!と思ったんだけど。真に"激動"の地面の時代が始まっていたのであった。気づかなかったぁ。

やってきた平成の御代、つまりはジミーさんが統(す)べるわれらが列島は、ふたつの大きな震災を受け、さらには毎年3万人が自殺する社会に....。

そして、次の時代には、妻帯者にはおとろしぃーずだいがやってくるのだょ?????;

  
戦災の御代   震災の御代   恐妻の御代?

やはり、ダメなくに、ぬっぽん

もう、復興だなんだって言っている。みんな前向きだなぁ。おいらは、暖かい部屋で、「ぬっぽんには、絶望がたりなんじゃないか!」とデマってみる【拡散禁止】。それにしてもこれは最悪だ。原子炉自動冷却停止失敗より悪い。こういうメンタタリティーの御仁たちがぬっぽんの"えすたぶりっしゅめんと"(とはいっても、東電の重役たちは所詮サラリーマン重役なのではあるが) だから、ダメなんだよ。


居並ぶカメラの前で「申しわけありません」「経営判断に及び、今即答できかねます」と答えるのが精いっぱい。涙ぐみながらの会見から、かつての所長の威厳はまったく感じられなかった。#1
小森常務は「うー」とうなり声を上げながら号泣。東電社員に抱きかかえられながら会場を後にした。#2

謝ったり、泣けば済むと思っている、典型的ぬっぽんの"えすたぶりっしゅめんと" 。最後は逃げればいいと思っているに違いない(安倍晋三や鳩山由紀夫のように)。あるいは、自分の感情を制御できない御仁。ちゃんと制御棒さ入れろよ。あるいは、これまた、自動冷却装置がぶちこわれたんだべか?昨今、なんちって武士道ブームなんてあるが、"男は泣かない"ってイロハだろうにね。いや、こういう人っていい人なんだよ。トーダイとかどっかの有名デーガク出て、秀才ちゃん。人柄だっていいに違いない。原発の原理原則だって知っている。ただし、ポンチ絵的に。実装は現場まかせ。協力会社という下請けまかせ。秀才ちゃんだから、"知識なんてものは試験範囲ので十分"という無自覚な信念。安楽の日常の前提条件を野蛮にも懐疑して、批判的に点検してみようなどと思わない。たとえば、地震屋のいうことって正しいのかよ!?とか。チリ沖で昔マグニチュード9を超える地震が起きたのに、日本ではなぜ起きないのか?とか。つまりは、想定外の事態への対応に関して無能であり、想定の拡張ができないのだ。しかしながら、国の指導層の資質とは非常時における対処、実行力にほかならない。権力を発揮する例外状況でおろおろし、あまつさえ泣くなんぞは、どこぞの国なら銃殺である。ところで、社長以下東電社員は、日常においては権力を発揮し、他の業界にみられない高給をとっている。仕事は楽なのに。日本の電気料金は世界的にみて高く、これでメーカーのグローバルな競争力が保たれるはずがない。電力市場が、事実上、ないからでる。そして、その給料は、結局、公共的事業としての、庶民が払う電気料金から出ている。今後、廃炉や補償に伴う出費も結局は電気料金から出るのである。安泰だな、東電社員ども[#3]。

以上、東電社員の仕事の安楽さ、無責任、高給へのおいらのねたみ、ひがみです。おいらも入れてくれや、東電!入れてくれたら、広報で、「はだしのでんこ」ってイラスト描くだょ。
 ―「はだしのでんこ」の"しあわせのゆくえ"はいかに....―

―おクニファッカー―

あと、東電の広報の日本語が気持ち悪い。「自衛隊さん」、ってなんだよ!!! 百歩譲って、その気持ち悪い日本語が認められらとしても、「自衛隊さま」だろう!!! 東電のケツをぬぐって"くださって"いるんだから。

■木田元、『哲学は人生の役に立つのか』より、抜き書き;

技術も資本も人間にとって不気味なもの

 私が問題にしたいのは、技術は人間が、あるいは人間の理性が生み出したものだから、結局は人間の理性によってコントロールできるはずだという、安易な、というより傲慢な考え方です。本来は、技術は理性などとはちがった根源をもち、理性などよりもっと古い由来をもつもので、理性などの手に負えるものではない、と考えるべきではないでしょうか。
 技術にはそれ独自の論理があり、それに従って自己展開していく。どこまでも自己を分化させ、自分のもつすべての可能性をとにかく現実化しようとし、その結果が人間にとって有益であるか有害であるかなどはまったく顧慮しない。技術とはそういったものではないかと思うのです。
 資本というのも同じです。資本はそれ自体の論理をもって、自己を増殖するところならどこにでも入りこんでいき、一種の自己運動を起こしているように思われます。技術もそれと似たような自己展開の運動を起こしているのではないでしょうか。



 私には人類の未来が、それほど明るいものとは思えません。大きな天変地異によって、あるいは異常に肥大化した技術文明の引き起こす災害のために、人類の大半が死滅するようなことにもなりかねないような気がします。


おいらは、「異常に肥大化した技術文明の引き起こす災害のために、人類の大半が死滅するよう」なことは"想定"できない。そう派手なものではなく、間歇的なカタストロフを伴い緩慢に、衰亡してゆくだろう。でも、資本家さまに技術開発で雇われているおいらの技術は全然「自己展開」しないし、売上も「自己増殖」しないよ。「うー」とうなり声を上げながら号泣したいのはおいらだよ、まったく。

あ~、おいらも、早く、肥大してぇ~よ。





#1
廃炉」検討も 元第1発電所長の東電常務が福島入り「痛恨の極み」
2011.3.19 12:23 (1/2ページ)
「福島に安全を戻せるのか」。インタビューで質問に窮し、「申しわけございません」と涙を流しながら去る東京電力の小森常務=18日夜、福島市の県災害対策本部(中川真撮影)

 いまだ収束できない東京電力福島第1原子力発電所の放射能漏れ。同社の小森明生常務は18日夜、福島県災害対策本部に訪れ、その場で報道陣に囲まれた。小森氏は福島県楢葉町に常駐するあいさつに来たのだが、その場で「準備なしの緊急会見」に。東電は企業統治(ガバナンス)の面でも、あまりにも未熟な体質が露呈。約50分間、厳しい質問が途切れず、県民に誠意ある回答ができず涙ぐむシーンもあった。(中川真、石崎慶一)

 小森常務は元福島第1発電所長。東電は福島県の浜通り地方では、地域経済や雇用の大きな受け皿で“名士”として持ち上げられてきた。それが一転、「福島に希望はあるか」「東電は今後も原発事業を継続するのか」…。想定問答集もなく、居並ぶカメラの前で「申しわけありません」「経営判断に及び、今即答できかねます」と答えるのが精いっぱい。涙ぐみながらの会見から、かつての所長の威厳はまったく感じられなかった。

 事故を起こした福島第1の廃炉の可能性について、小森常務は「幹部と議論したことはないが、今後はそういうことも含めて検討していく」と明言。廃炉を検討せざるを得ないとの認識を示した。小森常務は「このような事態を招き痛恨の極みです。福島県民におわびします」と同社として県民に初めて謝罪した。

一方、長年、原発の耐震安全性を強調しながら、事故について「地震、津波があったとはいえ…」と公然と言い訳した。東電の“安全神話”を信じ、国の原子力政策に協力し、地域振興に夢を描いた地元の思いを踏みにじるなど、無神経な答弁も目立った。

 福島県民はいま、放射能汚染への不安と怒りの中にあるが、事態収束の見通しについては、「厳しい状況が続いている。あらゆる手だてを講じて、安全確保に努めたい」と述べるにとどまった。

 放射能汚染を避けるために避難所を転々としている周辺住民に対し、「誠に申し訳ない」と謝罪したが、補償については「国と相談して考えていく」。同席した別の幹部が「避難所数がわからない」と述べるなど無神経な発言も多かった。東電では、地元対応のため小森常務らが、連休明けに避難所を回るという。

 会見後、「へ理屈はいいから早く収束させてくれ」と肩を震わせながら立ち去る地元メディアの記者も。東電が計画から半世紀以上かけて、地元と築いた信頼関係を一気に吹き飛ばしたという極めて深刻な事実をあからさまにした。

 県民の反応も「社長謝罪の露払いか」(福島市の60代男性)と冷ややかで、東電にとっては、事故を収束できたとしても、その後長く続く苦難の地元対応の幕開けとなった。

■#3

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  |    |ヽ、二⌒)               / .| 内閣 | |
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原子力安全保安院  
 年収1200万円               年収2億円


毎週、梅の木の画像を撮っています; 2011年1週目

2011年03月19日 08時42分38秒 | 筑波山麓


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お気楽、安楽日記、あるいは、その身を護る魂の -ふく太郎-

2011年03月17日 19時20分32秒 | 日本事情


■おいらはお気楽、安楽である。地震の被災者は所詮他人ごとに過ぎない。あまつさえ、そういう災害をネタに自分のうさを表現として晴らしているのだから、イシハラ大明神のおっしゃいまする天罰が下るべきはおいらである。でも、そんな天罰なぞないと高をくくっているので、やはり、お気楽である。

でもさぁ、「今回の震災にあわれた皆さまに深くお見舞い申し上げます」とか口先三寸、キーボード三寸で書いている人のブログの以前の記事をほじくり返すと、いろんな事故・災害ごとにそうやってかいてるんだよね。一度、あなたがこれまでお見舞いしたことを全てソラで挙げよ、ってお尋ね申し上げたい。その瞬間の誠意は疑うべきもないが、それって結局無責任にしかならないんじゃないだろうか。

●"おいらが 幸福になろうが不幸になろうが、ブログを続けたい"、とか生意気な口をきいているが、実際被災すると「震災日記」なぞかけるかわからない。本物の震災日記⇒期間限定の独り言  震災日録と号す。 被災した上にアカ新聞の取材のハラスメントを受けたとのこと。災難でした。緊急用のネタだんだろうか?

―危険だけど、やっていくんだ―

▼3月11日の14時46分の大揺れの約8時間前、おいらはTBSラジオを聞いていた。生島ヒロシのその番組で、その朝、木元教子がゲストで原発の優位性を訴えていた。原子力発電は二酸化炭素を出しませんからね!クリーンなんですよ!クリーン!!!その時、いくらのおいらでも「そういう言い方は強引だろう」と思った。しかし、まさか、その直後、原発が壊れて放射性物質をまき散らすとは誰も考えなかっただろう。おいらだって、実態としては原発容認派に他ならない。原発のおかげでこうやって、ネット遊びもできることはいうまでもない。ただ、原発は安全ではないだろう。危険だ。危険だけど、やっていくんだ。なぜなら、危険を避けて生きたいなら、まずは日本人を辞めなくちゃいけない。つまり、例えばパリやモスクワって有史以来震度3以上の地震なぞ経験したことがないはずである。地球上で地震の起きる場所は限定され、われらが日本はこの地球上でもっとも地震が生じる頻度の高い地域である。地震だけではない、火山。日本は火山列島。欧州には、イタリア以外、火山なぞない。台風。毎年来る。毎年何百人も、時には何千人も死ぬ。以上、自然現象。

社会現象としては、毎年1万人ほど交通事故で死ぬ。毎年3万人が自殺する。

以上、「非業」の死。 一方、毎年、約百万人の日本人が「寿命」を迎える。

●別においらは、原発事故の被害を相対化したいわけではない。指摘したいのは、原発推進の御用評論家どもが、今回の事故を、交通事故なんかに比べれば、些細!些細!と、なぜ訴えないかということだ。

実は、「無定見」な原発推進の御用評論家どもは今回の事故にびびっているのだろう。自分のこれまでのおためごかしの御用言動が批難に曝されるのが怖いのだ。被曝(さらしこうむるの)が怖いのだ。へたれなやつらだ。(弁護士の北村晴男さん、経済評論家の勝間和代さん、タレントの薬丸裕英さんが原子力の優位性をPRしていた。 )⇒映像⇒「それぞれの立場」篇のCM ←大嗤い、「原子力にしかできないことがある」って、放射線と放射能の環境への汚染のことかね?


薬丸氏:
「地球環境問題について、親として子供たちの将来のためにも真剣に考えていかないと」
「地球温暖化の原因と言われるCO2を出さない、環境にやさしく、安定している発電方法って、何か」


って、親として子供たちの将来のために放射線・放射能を撒き散らすってこと????


「おまいら、電力享受者どもよ!暖衣飽食に与れるのも原子力発電のおかげじゃないか!原発の6基くらいブチ壊れたくらいで、がたがた言うな!」って言う覚悟もなかったんだね。

「1000年に一度の天災」で逃げようとしている。

―その身を護る魂の―

原発という人類の技術の「"精華"」とは、月とすっぽんの装置を、おいらは設計し、製作してもらい、使っている。それで、毎日death valleyで、がんばっている。そんなおいらの装置には「ふく太郎」がついている。―その身を護る魂の―。「ふく太郎」の"ふく"は福ではなく、噴(ふ)くに由来する。"噴出"の「噴」。圧力容器が破裂するのを避けるために、一定圧力を超えると圧力容器の中身を吹くのだ。圧力安全弁「ふく太郎」。もちろん、おいらが圧力容器内で扱う物質は凡庸なもので、万が一噴出しても、そう外界を汚染はしない。だから、装置を格納容器に入れる必要はないのだ。

その「ふく太郎」のふるさとは岩手県(蒸気、空気、水等流体用自動制御弁の製造販売を目的とし、岩手県紫波郡に資本金2000千円にて株式会社フシマンバルブ製作所を設立)。岩手工場もある。地震で大丈夫だったのだろうか?

誰が徐熱する?

今回の原発事故は、火事のようなものでない。時間が経てば、鎮火するものではない。むしろ、核燃料棒の継続的発熱により、冷媒のはずの水は気化し飛んでいき、核燃料が発する熱は蓄熱するばかりである。継続的熱除去が必要。ただ水をかけたって、徐熱できていない。核燃料の発熱量より大きい徐熱をしなければない。水を注入するだけではだめ。注入した水は温度が上がる。そうすると水は蒸発してしまう。温水の熱を取らないといけない。

でも、実際は発熱、水の蒸発、燃料棒露出、蓄熱という暴走のスパイラルに落ちいっている。そして、何よりの問題は、この暴走のスパイラルで発生する放射線・放射性物質の増加で作業者が近寄って作業ができないこと。もう、手をこまねいて、暴走を見守るしかない。それを、打破するのは...。

それは、言っちゃいけないことことなんだろう。数十人が冷却装置の継続的作動を実現させ、燃料棒の溶融を止めるしかないのではないか?さもないと、発熱と水の蒸発⇒温度上昇⇒格納容器損傷⇒放射性物質の外界への漏えい、ということになる。そして、その数十人は死ぬだろう。

地震直後、自動冷却装置が作動しなかった時、当事者は、この危惧をもったにちがいない。それが、なぜ今日の事態になったのか。

それにしても、一時、東京電力は政府(自衛隊)にケツを拭かせようとしたとの報道。いわゆる、撤退宣言。それが首相の「撤退などはあり得ない。覚悟を決めてください。撤退したときは東電は100%潰れます」発言。問題は、誰が「死を伴う業務」を命令するのかということ。そのことを予め決めずに原子力発電所を運転していたのは、―危険だけど、やっていくんだ―という精神に欠けていたのだ。最悪の事態への次善策を常に用意しなければいけない。





そして、なぜかしら、警視庁の放水隊が......。(#1) 死ぬべきときは今なるぞ!の抜刀隊の伝統なんだべか? (放水は届かなかったとのこと。やはり、精神・魂が先走っているのだ)

●#1
地上放水11人、決死の任務=「リスク承知」-福島第1派遣・警視庁

あと、放射線防護服なんてものはないんだよ。鉛の服を着ない限り。でも、鉛の防御服(実際にある)を着てちゃ、作業なんてできない。

地上放水11人、決死の任務=「リスク承知」-福島第1派遣・警視庁

 警視庁機動隊の隊員ら11人が17日午後、東日本大震災で被災した福島第1原発に到着し、3号機に向けて放水した。同庁幹部は「リスクは承知の上だ」と語ったが、苦渋の色がにじみ出ていた。
 機動隊員10人、警備2課管理官1人が午後2時57分、第1原発に向かったとの報告を受けた-。同庁警備部幹部は午後3時すぎ、報道陣を前にこう切り出した。
 放水車を操縦する10人は警部補以下の25~41歳。大半が既婚者だ。放射能防護服に身を包み、被ばくの危険がある現地に赴いた。
 福島第2原発で東京電力などと作業手順を確認したが、第1原発に見立てて訓練する時間もないほどの慌ただしさだった。
 同幹部は「現地の放射線のレベルは低くはないと聞いている。(隊員の健康に)リスクがあるのは承知の上だ」と言及。説明中は目を赤くした。
 別の幹部は「ぶっつけ本番で、隊員の緊張はピークだろう」と気遣い、「決死隊だ」と唇をかみしめた。
 「放水した」との報告が現地から入ったのは午後7時すぎ。隊員らは現場に長時間とどまった後、ぎりぎりまで3号機に迫り、約4トンを放水した。
 警察庁は、隊員らが一定の放射線を浴びる可能性は高いとみて、除染など万全の態勢を整えた。同庁幹部は「厳しい任務だが、やり遂げてほしい」と祈るように語っていた。(2011/03/17-23:27)
















気づかずに挑戦者

2011年03月15日 19時07分30秒 | 仙台・竹雀・政宗
・地震関係の内容を閲覧される皆さんへ、記載されている情報には、未確認であったり誤りがある可能性があることを考慮してください。

■「津波」の語源

今では世界共通語になったtsunami。日本語としての語源について、wikiの津波の項にあった;

「津波(浪)」の語が文献に現れる最古の例は『駿府記』(作者不詳、慶長16年 - 元和元年)で、慶長16年10月28日(1611年12月2日)に発生した慶長三陸地震についての記述政宗領所海涯人屋、波濤大漲来、悉流失す。溺死者五千人。世曰津浪云々」である

そうなのだ、津波という言葉は史上初めてこの仙台伊達領でおきた慶長三陸地震(wiki)で発生した大波に対して造語され、用いられたのだ。

危ない沖積平野、恐ろしい海岸

現在は日本人の多くが沖積平野に住んでいる。実はこれは「最近」のことである。どれくらい最近かというと戦国時代のあと、江戸時代から。逆にいうと近世日本とは人々が沖積平野に山間部から降りてきてつくった文明といえる。

wikiにも書いてある;

災害に脆弱な沖積平野 [編集]

沖積平野は災害に対して脆弱な地形であるものの、日本においては人口の大部分が沖積平野に集まっている。

* 地盤沈下が発生しやすい地質状況である。地下水利用に限らず、トンネルなどの地下掘削に伴う揚水においても、沈下現象が発生しやすい。昭和50年代頃までに発生した地盤沈下によりゼロメートル地帯となり、このため水害が発生しやすい状況にある地域がある。
* 地震の際には地盤の液状化が発生しやすい地質状況にある。新潟地震の際には、海岸に近い場所で液状化現象が発生し、建築物の倒壊がおきた。
* 地震の際に揺れが大きくなることから火災の発生が危惧されている。関東大震災の際には、下町地域(沖積平野)で大規模な火災が発生した。


でも、上記に書いてないのが、川の氾濫。そして、今回の津波。

こういうリスクの高い沖積平野になぜ人々が山からおりてきたかというと、土地があって水田がつくれるから。

伊達政宗も山間部(海から遠い)の岩出山から仙台に下りてきた[#1]。っていうか何もなかった土地に「仙台」をつくった。それでも、山間部住まいの本性は簡単には抜けないのか、お城は高いところに作った。街も結構海岸からは遠い。津波はこない。

ちなみに政宗が隠居したあと、つまり仙台の河岸段丘の最頂部である青葉山にある仙台城を出て、若林の若林城に居した。この若林は、今、数百の遺体が流れ着いていると報道されている若林区の「若林」である。最後まで挑戦者であった政宗は海へ海へと進んでいったのだ。

伊達の藩政時代にもどんどん海岸部へ水田の耕作が進んでいたらしい。

そして、近代になって海岸付近への人の居住は進み、最近でも進行形であったと知る。


名取市、杜せきのした団地の紹介。浸水したと報道される仙台空港のそばに出来ている新興住宅地らしい。幸い、今回津波の被害はなかったらしい(杜せきのした 駅周辺は津波の被害はありませんでした[ブログ・ママになっても女の子を楽しむ様])。

名取市のweb siteをみると、環境・防災というベージがるのだが、書かれているのは;

防災

* 危険物を取り扱うときは
* 火災予防行事に参加を
* 家庭用消火器は
* 火災予防の相談は
* 火災警報が発令されたら

と、地震や津波には全く無頓着だ。たぶん、津波が来るとは想定していなかったのだろう。ここは名取で三陸海岸のようなリアス式海岸ではない、広い砂浜だから、くらいの"先入観"があったのではないか?もちろんそういう先入観は普通の""偏見""で、おいらもそう思っていた。

でも、歴史的には「政宗領所海涯人屋、波濤大漲来、悉流失す。溺死者五千人。世曰津浪云々」である。政宗領所に住むには、その前提として挑戦者であることが求められているのだ。うっかりしていると、気づかずに挑戦者となっているのだ。

津波のあとさき;


もしかして、杜せきのした団地に津波が及ばなかったのは、海岸沿いの水田レーンで津波は止まるという都市設計思想の勝利の結果かもしれない。つまり、自覚的挑戦者。


#1 伊達家のライバルで伊達家に滅ぼされた大崎氏は内陸の大名である;愚記事:大崎の復活 -仙台参り2006 ③-