いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第44週

2025年01月25日 18時00分00秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第44週

■ 今週のよその猫

■ 今週の筑豊境

■ 今週の草木花実

■ 今週の壁画


静岡県

■ 今週の京都


新幹線から見た。東寺だよね。2009年02月20日と同じネタになってしまった。

■ 今週読んだ本:三島由紀夫『美しい星』

先日の『鏡子の家』と違い、背表紙が色褪せていない。この版は平成29年(2017)刊行。ここ数年以内にブックオフで買った。購入価格500円。定価は630円。したがって、中古価格はそんなに下がっていない。

『美しい星』は、昭和37年・1962年に発表の作品。読む前の予備知識は、三島にして唯一のSF作品という評。読むと、空飛ぶ円盤は出てくるが、自然法則をフィクション化した内容、あるいは、実現不可能な技術を想定したお話というわけではない。SFではなくとも、空飛ぶ円盤を信じる人たちはいるし、そういう信者にとって空飛ぶ円盤はリアリティがあるに違いない。むしろ、ある種の「狂人」たちのお話といえる。

ところでこの作品、SFというより、思想小説でもある。暁子の処女懐妊などはSFというより神学フィクションといえる。イエスの父とはどんな「人物」であったかと読める件もでてくる。三島アイテムという視点では、虚無(ニヒリズム)に加え、bloody: 血まみれも出てくる。あと、これは指摘されていないことだと思うが、三島は同時代の高度経済成長と消費社会に、ついていけなかった/疎外感をもっていた/嫌悪していた。高度経済成長前の小売店の店舗、品揃え、商品展示から百貨店の商品についてなど、高度経済成長の消費社会について書いている。

さらに、今のいうところの、反出生主義的思考、加速主義的思考が認められる。そもそも、ハイデガーの影響が見える。「アウシュヴィッツが、罐詰工場や化学薬品工場とどこが違っただろう」と言わしめている。8章、9章の「思想」披露を奥野健夫はドストエフスキーの「大審問官」を思い浮かべるといっている。8章、9章は丹念に読む必要がある。

三島由紀夫は作品の創作中はその中の人物になりきる習性があったらしい。この『美しい星』を書いている頃について村松剛は下記報告している;

『美しい星』を書いていたころの三島は、半ば宇宙人になりかかっていた。狭山に今夜UFOが降りるのだといってヤッケをまとい水筒と双眼鏡と雑嚢とを下げ、(新潮社の編集者である)菅原氏の表現によれば「何ともいいようのない恰好で」深夜現地に出かけて行った。この場合も、菅原氏は同行している。 
「ご自分で作りあげた主人公になりきる習性がある」と氏がいった(後略) 村松剛『三島由紀夫の世界』

▼ 金沢、仙台:  なぜか、舞台場が本拠地の埼玉県飯能市に加え、金沢と仙台である。

SFといわれるにしては、架空の土地ではなく、具体的地名が示される。なぜ、金沢や仙台なのかわからない。この作品の時代設定は1962年頃である。キューバ危機とケネディ暗殺の間の時期とすれば作品の叙述と整合性がとれる。すなわち、米ソ核戦争の危機があった時代。「ボタン戦争」という言葉は今の人は知らないだろう(goo辞書)。この作品には「釦」が頻発する。戦争と平和をめぐる主題が大きく横たわる作品である。そういう視点でみると、この作品で、金沢に行った登場人物は「内灘」に行く。防風林となったその地で「人間たちのあの有名な血みどろの闘争の跡」と発言させている。ただし、その「内灘」の有名な血みどろの闘争[1]とは何であるかは書かれいない。今の人が読んでもわからないに違いない。

[1]  内灘闘争 [wikipedia]

金沢と仙台は、共に有名大大名の城下町であり、近代には陸軍の師団司令部があった街だ。ただし、金沢はB-29が来なかった戦災を被らなかった街であるのに対し、仙台は大規模な空爆を受けた

▼ そして、藤崎、あるいは、硫酸なんか売っていたのか!?

藤崎デパートが出てきた。三島作品でデパート名の名指しという例は、仙台の藤崎デパート以外、あるのだろうか?なにより、驚くのが、登場人物が仙台の藤崎デパートで買うものが、硫酸なのである。

▼ SFというにはあまりに実際的:仙台川内の米軍住宅

別にこの作品の主題とは関係ないのだろうけれど、些細な事について。

(前略)羽黒は入試の答案の採点の仕事が残っていたので、早目に青葉城下の米軍キャンプ跡の家に戻った。それは広瀬川五間渕に跨る大橋を渡って、城址へ昇る広大な舗装道路の右側にあり、米軍が引揚げたあとは、その簡素な洋風の小住宅の群れは、公務員住宅に転用されてて、裁判官や検事や大学の先生が住むようになった。 
 家々は左右相称の構造を持つ平屋の二軒長屋か、二軒建の四軒長屋で、まわりに芝生や花壇や、アメリカ風の物干し場を巡らしていても、ローラーで坦(な)らした土地には眺望も風情もなかった。 


広瀬川五間渕に跨る大橋を渡りながら、青葉山・大手門跡地・仙台城址を望む(愚記事


二の丸の占拠者の変遷:仙台伊達家➡日帝陸軍➡米帝陸軍➡大学

なお、この三島が登場人物羽黒をして歩かせしめた通りは、仙台のページェント通り[2]である(愚記事)。

[2] ページェント;pageant (歴史的な場面を舞台で見せる)野外劇。 (時代衣装などを身に着けた壮麗な)行列、山車(だし)、はなやかな見もの。

仙台市青葉区川内は敗戦前は旧軍(陸軍第二師団)施設であり、敗戦後進駐米軍の基地(Camp Sendai [wiki])となったことは知っていた(愚記事:)。しかし、今となってはワシントン・ハイツの資料からわかるような米軍住宅がCamp Sendai にあったのか、どの位置にあったかなどは知らなかった。奇しくも、三島の小説で知った。ただし、事実かわからないが。三島の小説の文章を辿ると、それと思しき建物群は確認できる。


1945-1950年の航空写真

米軍駐屯は、昭和20年9月~32年11月であった。

Camp Sendaiの住宅域の航空写真が見つかった(ソース)↓

「仙台市史 特別編④市民生活」P326掲載写真 / 川内キャンプは、仙台に進駐した米軍が、陸軍第二師団跡地を接収し、1945年(昭和20年)秋に設置 /左斜め上へゆく通路を境に、右上が司令部ほか各施設のエリア / 左下が宿舎のエリア (ソース

★ 蛇足

上の1945-1950年の航空写真の「建物Z」が、下の航空写真の下部の左右に伸びている建物である。この長い建物は、その後、昭和末期まで残存し、平成元年を生き残った(はず)。


ソース

■ 今週の耶蘇

日本民間放送連盟(民放連)会長でフジテレビ副会長の遠藤龍之介氏が23日、都内で定例会見を行い、芸能界引退を発表したタレント・中居正広について言及した。

 遠藤氏は、一連のトラブルについて初めて知ったのは「昨年12月の中旬。自宅に文春さんがいらっしゃった。トラブルの本当の内容というのが、私も含め、分かっていない。非常にショックを受けた」と心情を明かした。ソース

女子アナを接待要員に使うことは以前から行われていたとの情報もある。遠藤龍之介が社長、そして、それ以前に、そういう会社の慣行であったことを知らなかったのであろうか? ところで、この人「宗教N世」(3世?)だよね。別に、御本人がいいのであれば、いいのだけど。

あたりまえだけど、耶蘇だからといって、倫理的にすぐれているわけではない [3]。でも、「懺悔」すれば「禊」だ、というシステムで悪行を続行しているとすれば、興味深い。というか、耶蘇・毛唐さまたちってそういう人たちだよね。

[3]  松田武、『戦後日本におけるアメリカのソフトパワー 半永久的依存の起源』では、占領下の日本の民主化の実現性を評価した米国占領者、知識人たちは、日本人がキリスト教なしで民主化できることに疑問を呈していたとされる。

■ 今週返した本

 


筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第43週

2025年01月18日 18時00分00秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第43週

■ 今週のよその猫

■ 今週の筑豊境

■ 今週の炎:どんと焼き

■ 今週の訳あり

品種:ふじ と 王林

■ 今週の尾頭付き: ししゃも

■ 今週の紅白: お餅

■ 今週の小国

阿蘇小国ジャージー ダブルクリームシュー(フランソア) 今知った。小国(しょうこく)ではなく、固有名詞の地名で、小国=おぐに公式web site)だった。

カスタードクリームと普通のクリームの2色。

■ 今週の万延元年

■ 今週の30年:阪神大震災30年(google

阪神大震災の時、1995.1.17は、鳥取県にいた。石破茂「領」だ。目が覚めていた。今の記憶ではおいらの部屋の震度は3位の印象。ネットでググると鳥取は震度4とある。当時、鳥取では地震が珍しい(事実上ない)地域だったので、震源は遠いはずだ。遠い震源で、かつ鳥取で震度3ということは相当大きな地震が起きたのであろうとすぐ考え付いた。おそらく、東海地震だろうと思った。ラジオを付けて、阪神地区とわかった。

なお、上の忘備の文字: あさ目さます トイレ 前後わすれたが 地震 かなりゆれた

トイレで目が覚めていたとき、揺れたのだ。

■ 今週の訃報、あるいは、ゾル転



https://x.com/Chisaka_Kyoji/status/1615375907719634944

知らなかった。加賀乙彦が陸軍幼年学校にいたとは。東京なのか?そうであるなら、空爆を逃れたのだ。

■ 今週の大移動:おまいらもな


mass deportation :大量強制送還 google 
・それにしても、左の座っているお爺さん、黒の蝶ネクタイの方が似合うかもしれない。

ヨーロッパに帰る? ↑  見送る人↓

 

■ 今週知ってびっくりしたこと

1952年(米軍占領終了年)に日本に耶蘇の宣教師(新旧耶蘇あわせて)が、3万5千人滞在していたという。にわかに信じられないのだが。一方、1952年の在日米軍は15万人(以上)とされる。宣教師が軍人の3分の1もいたのか!? 松田武、『戦後日本におけるアメリカのソフトパワー 半永久的依存の起源』2008年(岩波書店)に書いてあった。

つまり、米国は占領という米軍の軍事独裁政権下で耶蘇教の布教に勤めたのだ。そして、結果は周知。

日本はキリスト教が広まらなかったことが文明的特徴である。さて、この日本で耶蘇が広まらなかった原因をある牧師は悪魔(サタン)の暗躍であると解説している;

 YouTube

でも、日本の首相には耶蘇が多い;

 

なお、石破は長老派教会という宗派であり、その宗派の熱心な信徒は「善が悪と闘っているという善悪二元論のマニ教的世界観」(同上、松田2008のp91)をもつのだという。

さらに、松田武、『戦後日本におけるアメリカのソフトパワー 半永久的依存の起源』で言及される、南原繁、田中耕太郎、高木八尺、松本重治など対米協力者(コラボ!)は、皆、耶蘇である。


筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第42週

2025年01月11日 18時00分00秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第42週

■ 今週の筑豊境

■ 今週の仙台でもつくばでも横浜でも見たかったもの:つらら

氷点下2℃であったらしい。

■ 今週の干したもの

干しトマト(google)。初めて食べた。

■ 今週知ったこと:佐賀県にも白石(しろいし)という地名がある。

札幌市白石:愚記事
宮城県白石:wikipedia

■ 今週の「小」:中共の踊り

The Chinese Communist Party leaders in Beijing are dancing in the streets (google

「中国共産党の指導者たちは北京の路上で小躍りしていることだろう(The Chinese Communist Party leaders in Beijing are dancing in the streets)」(ソース)[1]

dancing:小躍り、なぜ「小」がつくのか?


CCPの路上での踊り(not leaders but 紅衛兵)

■ 今週の些細:三島由紀夫『鏡子の家』から、あるいは、愚ブログ内ビンゴ

先週報告した40年あまり積読であった三島由紀夫『鏡子の家』を読んだ。この作品の主人公は時代であると三島が云っているらしい。時代が主人公であるとすると、1954-1956年の東京ということになる。40年前はネットもないので、作品に出てくるわからない事項はどうにも調べるわけにはいかなかった。それじゃ、今では大違い。すぐ、ググれる。

三島由紀夫『鏡子の家』にジョセフィン・ベイカーの公演というのが出てくる。鏡子が行く。最初、(商社員の)清一郎を誘うが、清一郎は断る。理由は鏡子のお供で晴れの場に出るのが嫌だからだ。そして、鏡子は俳優の収を誘い、行く。なお、この東京公演にはある目的があったとされる(後述)。

さて、ジョセフィン・ベイカーの1954年の東京の公演というのは事実だとわかる(wiki)。ジョセフィン・ベイカーとは、米国生まれの黒人女性歌手。アメリカにおける人種差別に嫌気がさしたベイカーは、1937年にフランスの市民権を取得。来日は下記;

1954年(昭和29年)4月11日にエールフランス機でパリを出発。4月13日午後8時半に羽田空港に到着し、来日を果たした[4]。4月19日長崎市、4月20日佐世保市、4月21日福岡市、4月22日名古屋市[4] と各地でのコンサートに出演。4月23日、広島市で公演。原爆死没者慰霊碑に参拝[5]。4月25日から29日まで東京都・帝国劇場、5月1日には京都の弥栄会館で公演を行い人気を博した[4]。 また、5月2日から3日まで宝塚大劇場でも公演を行った。 

エリザベス・サンダース・ホーム沢田美喜とは同志かつ親友と呼べる間柄で、養子をサンダースホームから譲り受け育てた。 1954年に来日。4月28日の帝国劇場で行われたコンサートは、混血児救済を目的としたものとなり[3]、公演収入をホームに寄付するなど惜しみない援助を行っている。 

つまり、三島は、鏡子をして混血児救済を目的とした公演にいかしめたのだ。

[1]

中国の鉄鋼業界が抱える爆弾とは?


筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第41週

2025年01月04日 18時00分00秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第41週

■ 今週のよその猫

■ 今週の筑豊境

■ 今週の九州限定1

■ 今週の九州限定2

九州は麦みその人気が高く、喜代屋でもベストセラーのみそです。昔ながらの麦みそは懐かしくほっと幼い子供のころを思い出します。(喜代屋 web site

甘い。

■ 今週読んだ本:40年の積読の果てに、色褪せた本を読む

10代の頃に買って、少し読んで、面白くないのでやめて、積読してあった三島由紀夫『鏡子の家』を読む。40年あまり前に買った。色あせている。新潮文庫の三島由紀夫は明るい橙色(オレンジ色)[1]。

[1] 橙色=オレンジ色ではないと気づく。

▼ 作品の時期と場所が明確に示されている。1954-1956年の東京。主な登場人物は、杉本清一郎(1929)、山形夏雄(1930)、深井俊吉(1932)、舟木収、 友永鏡子、民子、光子。括弧内は生年。題名にもある鏡子の家は現在のJR信濃町駅の北の高台の洋館。日本家屋も含むお屋敷。その屋敷に母娘(8歳の真砂子)の主、友永鏡子と4人の青年の物語。4人の青年は22-25歳であり、少年時代に焼跡の廃墟を目の当たりに育ったことが本書で強調されている。そして、退屈を感じていると。4人とも大卒(のよう)だ。ちなみに1950年の大学進学率は約10%である。杉本清一郎は丸の内に勤める商社社員、山形夏雄は裕福な家の画家、深井俊吉は大学在学の拳闘(ボクシング)選手、舟木収はボディビルをする俳優。

三島由紀夫は、1955年にボディビルを始め、1956年に拳闘を始めた。1957年に2度目の渡米、1958に結婚している。これらの三島の実人生と登場人物の属性が重なる。重ならないのは山形夏雄の絵画であるが、小説の内容は画家の所業としては容易に想像がつく記載となっている。

問題は登場人物の世界観である。清一郎と夏雄は世界の破滅を考える。一方、世界の破滅を自覚的には考えていないような俊吉と収は「挫折」あるいは「失敗」する。ボクサーの俊吉は日本チャンピオンになり次は世界チャンピオンという時にチンピラに遭難し怪我を負い選手生命を絶たれる。そして右翼団体に入る。俳優の収は美貌にもかかわらず役をもらえず、母親の事業の借金のため高利貸しの醜い女に飼われる。女は収のボディビルで鍛えられた体を刃物え切るつけその出血を啜る。最後は無理心中となり、収はこの醜い女に殺される。

何だ!三島の最期が書かれているではないか。

三島論ではなぜ三島由紀夫はああいう最期を遂げたのか?への回答として、セバスチャンコンプレックスであるとしている(澁澤龍彦 1971、井上隆史2020、 愚記事)。さらに佐藤秀明、『三島由紀夫』(岩波新書 2020)で、「前意味論的欲動」という鍵語で三島由紀夫の作品、言動を読み取る。「前意味論的欲動」とは、「悲劇的なもの」と「身を挺している」のふたつの情動を駆動するものらしい。

難しい鍵語によらず、端的に三島由紀夫の「前意味論的欲動」とは、「腹を切って血まみれになって、至高のために身を挺して、死ぬこと」である。事実、最期にそうした。

腹を切って血まみれになって死ぬことを三島が作品化したのは『憂国』である。その前の作品の『鏡子の家』に血まみれになって死ぬことが出ていた。かつ、無理心中。

無理心中。「無理心中」とは言い過ぎかもしれない。三島由紀夫が自衛隊を襲撃し自殺した時、一緒に死んだのが森田必勝。中村彰彦『三島事件もう一人の主役』によれば、森田必勝は「僕は絶対に三島先生を逃しません」、「ここまできて三島がなにもやらなかったら、おれが三島を殺[や]る」と云っていたとのこと。いくら三島由紀夫が血まみれで死ぬことを欲望していても一人えは踏ん切りがつかなかったのであろう。

▼ 鏡子の家

 車は信濃町にある鏡子の家へ行くのである。
 何となく男たちの集まる家というものがあるものだ。おそろしく開放的な家庭で、どことはなしに淫売屋のような感じがある。そこではどんな冗談も言え、どんな莫迦話もできる。しかも金は要らず、ただで酒が呑める。誰かしらが酒を持って来て、置いて帰るからである。テレヴィジョンもあれば、麻雀もできる。好きなときに来て好きなときに帰ればよく、そこの家にあるものは何でも共有財産になり、誰かが自分の車で来れば、その車はみんなで自由に使うことになるのである。(『鏡子の家』第一部、第一章)

この『鏡子の家』の家の建物のモデルはデ・ラランデ邸(wiki)とされる。デ・ラランデ邸は現在江戸東京たてもの園(wiki)にある。『鏡子の家』では建物の描写は仏蘭西窓についてくらいしかなく、瀟洒であるとか内装についての豪華さについては特に表現されていない。現在でこそこのデ・ラランデ邸がモデルであり、イメージ喚起に役立つかもしれないが、当時は信濃町の高台の洋館の屋敷という記述であり、イメージ喚起に貢献してないと思う。建物の様相はともかく、鏡子の家の雰囲気は上記の状態。つまり、「アナルヒー」、アナーキーと云っている。

藤森照信は『建築探偵の冒険 東京篇』で、まだ信濃町にあったデ・ラランデ邸(三島邸)を実際に訪れた後、『鏡子の家』を読んでみて、その描写が"信濃町の三島邸をそっくり写している"と記し、"おそらく、「西洋かぶれ」の作者は、電車の窓からこの家を見つけ、散歩がてらに建築探偵し、<三島>という表札が気に入って、モデルにしたんだろう"と推測している。wiki

当時の信濃町での位置は下記地図の「南元町」の「南」の字の左の区画である。

▼ 廃墟の巷低く見て? 自分たちは無被害域に生きる

 
東京大空襲 wiki より

空爆により瓦礫と化した東京が復興でその廃墟の姿が消えてゆくことを、鏡子や清一郎は嘆く。廃墟と瓦礫の存在が彼らを安心さえるらしい。その心的機構は不思議である(というか、今では中二病と呼ばれるものか!?)。それがニヒリズムらしい。

さて、廃墟と瓦礫の存在に安心する鏡子や清一郎、鏡子の家は戦前からのお屋敷であり空爆の被害は受けていない。敗戦後は進駐軍に接収されたくらいであるから、屋敷は安泰であったのであろう。清一郎の家については書かれていない。しかし、勤め先は皇居付近のビル街とある。丸の内だ。しかも8階建ての古い財閥の建物とある。三島の念頭には丸ビル(8回建て)があったのであろう。とにかく、戦災とは無縁だ。

戦災に無縁であった建物に暮らし、働く人たちが、空爆により瓦礫と化した東京が復興でその廃墟の姿が消えてゆくことを残念がる物語が『鏡子の家』とわかった。