-うめとみけ―
9月は新入猫のみけの歓迎月間でした。今日でひと段落。そして、なつかないんです、みけ。
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― へん年に一遍牛肉を誂(あつら)へると思って、いやに大きな声を出しやがらあ。牛肉一斤が隣近所へ自慢なんだから始末に終えねぇ阿魔だ」と黒は嘲りながら四つ足を踏ん張る。― (『吾輩は猫である』)
夏目漱石の『倫敦塔』という作品がある。漱石がロンドンに行ってまもなく倫敦塔に行ったという設定の小説。ロンドン塔には、徳川秀忠がイギリス国王・ジェームズ1世に贈ったよろい兜が展示してある。ビーフィーターに誘われて、それを漱石が見る場面;
こちらへ来給(きたま)へというから尾(つ)いて行く。彼は指を以って日本製の古き具足を指して、見たかと云わぬ許(ばかり)の眼附をする。余は又だまつてうなづく。是は蒙古よりチャーレス二世に献上になつたものだとビーフ・イーターが説明して呉れる。余は三たびうなづく。
現在の説明は以下の通り;
1613年、徳川幕府の2代将軍徳川秀忠からジェームズ1世へ贈られた日本の鎧かぶとも展示されています。なんとこの鎧かぶと、1662年からこのロンドン塔で展示されているそうですが、当初はムガール王国のものとして展示されていたんですって。
(ロンドンナビ、ロンドン塔)
つまり、今となってわかったことは、この鎧かぶと(漱石の見た具足もこれだとして)は、ムガール帝国からイギリス王に贈られたものと誤解されていたということ。この誤解がいつまで続いたか、おいらには、不明。そしてこの誤解、つまりこの元来日本製の鎧がムガール帝国から来たという誤解がロンドン塔を管理、案内するビーフィーター(漱石の記すビーフ・イーター)に共有されていた。その視点で上記の漱石の文章を読む。蒙古より献上とある。ビーフィーターが蒙古より献上と漱石に説明したと漱石は書いている。本当だろうか?昔のビーフィーターはこの鎧がムガール帝国からイギリス王に贈られたものと誤解していたはずだ。
おそらく、邪推するに[邪推1]、漱石は Mongol とMughal を聞き間違えたのではないだろうか?ビーフィーターはこの鎧がムガール帝国からイギリス王に贈られたと言ったのに、漱石は蒙古から贈られたと間違えた。
もっとも、インドのムガール帝国のムガールとはモンゴルという意味なのだ。だから、聞き間違えてもしかたがないのだ。
ただ、邪推するに[邪推2]、ひょっとして漱石はムガール帝国って知らなかったのかもしれない。何でもインドでひとくくりにしていたかも。
そして、上記の漱石の文章がわかりずらいのは、鎧が日本製のものだと漱石もビーフィーターもわかっている。そして、イギリス王に贈ったのが蒙古だと二人は認識している。ということは、蒙古が日本製の鎧を調達したと認識しているということだ。そして、チャールズ2世といえば17世紀の王である。17世紀の蒙古はとっくに往年のモンゴル帝国は衰退し、というかシナ大陸に移り清朝を作っている時代だ。蒙古が17世紀のチャールズ2世に鎧を贈るというのも不自然だ。清朝皇帝が贈ったならまだつじつまがあう。
とまれ、ムガール帝国からイギリス王・チャールズ2世に贈られたものという誤解が流布していたにせよ、当時の歴史的知識でも上記漱石の文章と理解は変だ。おそらく、漱石は世界史=英国史=欧米史ということで、アジアの歴史をよく知らなかったのではないだろうか[邪推3]。もっとも、この時代(20世紀初頭)アジア史の本なぞろくになかったのだろう。だから、勉強熱心な漱石も知ることができなかったのだ。本を読むことに耽る勉強家の限界だ。
それにしても興味深いのが、ビーフィーターの方から漱石に話しかけてくれているのに、漱石はビーフィーターに何も問いかけやコメント提示などしないことである。ただ、うなずくのみ。元祖 ”うなずき トリオ” (←古い!、古すぎる)ソロに他ならない。たまらなく、ぬっぽんずん!な漱石なのであった。本を読むことに耽る勉強家の限界だ。
例えば、ヨーマン・ウォーダーさまに「おめぇーさんは、いちぬつ(一日)何斤の牛肉を食べなさる?」とか、聞いて報告してくれれば、愉快だったのに。 漱石、残念!本を読むことに耽る勉強家の限界だ。生情報を採れよ! Get wet information!
▼まとめ
それにしても漱石はどのくらいの oral comprehensive communication-ability in English があったのだろう?素朴な疑問ではある。