いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

【9月は新入猫歓迎月間】 20120930, or Misunderstanding all Beafeaters saw

2012年09月30日 20時01分50秒 | ねこ



  -うめとみけ―

9月は新入猫のみけの歓迎月間でした。今日でひと段落。そして、なつかないんです、みけ。

■ 

― へん年に一遍牛肉を誂(あつら)へると思って、いやに大きな声を出しやがらあ。牛肉一斤が隣近所へ自慢なんだから始末に終えねぇ阿魔だ」と黒は嘲りながら四つ足を踏ん張る。― (『吾輩は猫である』)

夏目漱石の『倫敦塔』という作品がある。漱石がロンドンに行ってまもなく倫敦塔に行ったという設定の小説。ロンドン塔には、徳川秀忠がイギリス国王・ジェームズ1世に贈ったよろい兜が展示してある。ビーフィーターに誘われて、それを漱石が見る場面;

こちらへ来給(きたま)へというから尾(つ)いて行く。彼は指を以って日本製の古き具足を指して、見たかと云わぬ許(ばかり)の眼附をする。余は又だまつてうなづく。是は蒙古よりチャーレス二世に献上になつたものだとビーフ・イーターが説明して呉れる。余は三たびうなづく。

 現在の説明は以下の通り;

1613年、徳川幕府の2代将軍徳川秀忠からジェームズ1世へ贈られた日本の鎧かぶとも展示されています。なんとこの鎧かぶと、1662年からこのロンドン塔で展示されているそうですが、当初はムガール王国のものとして展示されていたんですって。
(ロンドンナビ、ロンドン塔)

つまり、今となってわかったことは、この鎧かぶと(漱石の見た具足もこれだとして)は、ムガール帝国からイギリス王に贈られたものと誤解されていたということ。この誤解がいつまで続いたか、おいらには、不明。そしてこの誤解、つまりこの元来日本製の鎧がムガール帝国から来たという誤解がロンドン塔を管理、案内するビーフィーター(漱石の記すビーフ・イーター)に共有されていた。その視点で上記の漱石の文章を読む。蒙古より献上とある。ビーフィーターが蒙古より献上と漱石に説明したと漱石は書いている。本当だろうか?昔のビーフィーターはこの鎧がムガール帝国からイギリス王に贈られたものと誤解していたはずだ。

おそらく、邪推するに[邪推1]、漱石は Mongol とMughal を聞き間違えたのではないだろうか?ビーフィーターはこの鎧がムガール帝国からイギリス王に贈られたと言ったのに、漱石は蒙古から贈られたと間違えた。

もっとも、インドのムガール帝国のムガールとはモンゴルという意味なのだ。だから、聞き間違えてもしかたがないのだ。

ただ、邪推するに[邪推2]、ひょっとして漱石はムガール帝国って知らなかったのかもしれない。何でもインドでひとくくりにしていたかも。

そして、上記の漱石の文章がわかりずらいのは、鎧が日本製のものだと漱石もビーフィーターもわかっている。そして、イギリス王に贈ったのが蒙古だと二人は認識している。ということは、蒙古が日本製の鎧を調達したと認識しているということだ。そして、チャールズ2世といえば17世紀の王である。17世紀の蒙古はとっくに往年のモンゴル帝国は衰退し、というかシナ大陸に移り清朝を作っている時代だ。蒙古が17世紀のチャールズ2世に鎧を贈るというのも不自然だ。清朝皇帝が贈ったならまだつじつまがあう。

とまれ、ムガール帝国からイギリス王・チャールズ2世に贈られたものという誤解が流布していたにせよ、当時の歴史的知識でも上記漱石の文章と理解は変だ。おそらく、漱石は世界史=英国史=欧米史ということで、アジアの歴史をよく知らなかったのではないだろうか[邪推3]。もっとも、この時代(20世紀初頭)アジア史の本なぞろくになかったのだろう。だから、勉強熱心な漱石も知ることができなかったのだ。本を読むことに耽る勉強家の限界だ。

それにしても興味深いのが、ビーフィーターの方から漱石に話しかけてくれているのに、漱石はビーフィーターに何も問いかけやコメント提示などしないことである。ただ、うなずくのみ。元祖 ”うなずき  トリオ” (←古い!、古すぎる)ソロに他ならない。たまらなく、ぬっぽんずん!な漱石なのであった。本を読むことに耽る勉強家の限界だ。

例えば、ヨーマン・ウォーダーさまに「おめぇーさんは、いちぬつ(一日)何の牛肉を食べなさる?」とか、聞いて報告してくれれば、愉快だったのに。 漱石、残念!本を読むことに耽る勉強家の限界だ。生情報を採れよ! Get wet information!

▼まとめ

それにしても漱石はどのくらいの oral comprehensive communication-ability in English があったのだろう?素朴な疑問ではある。

 

 

 


毎週、ぶどうの木の画像を撮っています; 74週目

2012年09月29日 14時42分27秒 | 草花野菜


残党が隠れていた。

 


      -今週の晩熟派-

【いか@ 筑波山麓 『看猫録』】のアクセス・ランキング

過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)

日付閲覧数訪問者数ランキング
2012.09.28(金) 953 PV 171 IP 6376 位  / 1768266ブログ
2012.09.27(木) 1008 PV 197 IP 5190 位  / 1767888ブログ
2012.09.26(水) 818 PV 169 IP 6937 位  / 1767454ブログ
2012.09.25(火) 693 PV 149 IP 8488 位  / 1767058ブログ
2012.09.24(月) 593 PV 179 IP 6466 位  / 1766664ブログ
2012.09.23(日) 820 PV 177 IP 6707 位  / 1766261ブログ
2012.09.22(土) 1209 PV 227 IP 3804 位  / 1765930ブログ

過去3週間の閲覧数・訪問者数とランキング(週別)

日付閲覧数訪問者数ランキング
2012.09.16 ~ 2012.09.22 8417 PV 1267 IP 5737 位  / 1765930ブログ
2012.09.09 ~ 2012.09.15 6158 PV 1293 IP 5223 位  / 1763417ブログ
2012.09.02 ~ 2012.09.08 7447 PV 1550 IP 4722 位  / 1760910ブログ

 

 


【9月は新入猫歓迎月間】今日も看猫 20120928

2012年09月28日 20時00分00秒 | ねこ

■ ポンドの価値

先日の強くなった円の話。

1966年頃は1ポンド=1000円。

この意味は2重に考えなければいけない。 垂直的に、水平的に。

つまり、歴史的に、地理的に。

1966年頃は1ポンド=1000円。

2012年;1ポンド=125円。

「歴史的に」の意味。

1966年の1000円と2012年の1000円の貨幣価値は違う。

1966年の大卒初任給は24,890円。そして、2012年は204,780円。

約8.2倍になっている。

「水平的に、地理的」にの観点から。

最近のイギリスの大卒初任給は1750ポンド [出典]。

とすると、1ポンド=125円を適用すると、218,750円。つまり、日本の2012年の大卒初任給204,780円とほぼ同水準。

■ 垂直的に、水平的に、を総合すると;

税金など社会的負担を考慮に入れないといけないが、ほぼ同水準とすると、

日本がイギリスに追いついた、ということか。

最近までGNP世界第二位とかずーっと経済に入れ込んできた日本も、結局「斜陽のイギリス」をぶっちぎりで抜けなかったわけだ。そして、日本は20年前から斜陽モード。

案外、しぶとかったんだな、大英帝国。

 

 

 


submit: 2012/9/22


【9月は新入猫歓迎月間】 江戸っ子の田んぼ知らず

2012年09月26日 20時00分00秒 | ねこ

 


田園都市、つくば

漱石と子規は早稲田の辺を一緒に散歩することもままあり、その様を子規は自らの随筆『墨汁一滴』で「この時余が驚いた事は漱石は我々が平生喰ふ所の米はこの苗の実である事を知らなかったといふ事である」と述べている (wiki

 
  江戸っ子


submit: 2012/9/22

 

 


【9月は新入猫歓迎月間】今日も看猫 20120923, 45年でポンド八分の一

2012年09月23日 20時00分00秒 | ねこ

■ 45年でポンド八分の一、あるいは、対ポンド日本円8倍

1966-1967年、ビートルズが日本に来たり、吉田茂が死んだりしたらしい。

おいらが生まれた頃だ。

その頃、ポンドの価値は1ポンド=1000円だったのだ。

今じゃ、1ポンド=125円程度である。

円が8倍強くなったのだ。

1966年に興行で日本にやってきたビートルズは、強いポンドの国から来たのだから、日本で儲かったのだろうか?

さて、この今の強い円は、吉田"ドクトリン"のおかげなんだべか?

でも、その偉大とされる吉田茂や戦後復興に尽力してきた(とされる)ぬっぽんえすたぶりっしゅめんとの御仁たちは、1ポンド=1000円でロンドンを過ごしたのだ。 もっとも彼らは弱い円に基づく輸出産業で潤っていたので、1ポンド=1000円でも、いや1ポンド=1000円の方がうれしかったのかもしれない。

半世紀後、おいらは何の努力もしてないのに、1ポンド=125円を享受できるのだ。

ありがとう、ぬっぽん!

ありがとう、吉田"ドクトリン"! "豊かな"社会のバカ野郎を生み出した教条!


submit: 2012/9/22


毎週、ぶどうの木の画像を撮っています; 73週目

2012年09月22日 08時42分14秒 | 草花野菜


  -今週の晩熟派-

■ 林立する雲。先週末

 

【いか@ 筑波山麓 『看猫録』】のアクセス・ランキング

過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)

日付閲覧数訪問者数ランキング
2012.09.21(金) 932 PV 181 IP 5976 位  / 1765640ブログ
2012.09.20(木) 1377 PV 211 IP 5763 位  / 1765280ブログ
2012.09.19(水) 1410 PV 168 IP 5877 位  / 1764836ブログ
2012.09.18(火) 1347 PV 157 IP 6928 位  / 1764441ブログ
2012.09.17(月) 930 PV 158 IP 6607 位  / 1764069ブログ
2012.09.16(日) 1212 PV 165 IP 5558 位  / 1763715ブログ
2012.09.15(土) 1089 PV 162 IP 5525 位  / 1763417ブログ

過去3週間の閲覧数・訪問者数とランキング(週別)

日付閲覧数訪問者数ランキング
2012.09.09 ~ 2012.09.15 6158 PV 1293 IP 5223 位  / 1763417ブログ
2012.09.02 ~ 2012.09.08 7447 PV 1550 IP 4722 位  / 1760910ブログ
2012.08.26 ~ 2012.09.01 7138 PV 1224 IP 6677 位  / 1758298ブログ

【9月は新入猫歓迎月間】今日も看猫 20120921

2012年09月21日 20時35分09秒 | ねこ

野良時代はしばしば車の下に身をひそめていたみけちゃんんは、今ではソファーの下にひきこもり。

なかなかなつかない。

■ 米中蜜月時代、あるいは、どっちにしたって尖閣・琉球は「日本」領ではない。

・米国国防総省、次に尖閣へ中国が手を出せば軍事介入すると中国首脳に正式通知

・米 中国に“尖閣は日米安保内”と説明 [1] & オスプレイ7機が試験飛行=配備は日本防衛に貢献と海兵隊-山口と沖縄は強行に憤り [2]

関連愚記事; うたかたの琉球領

でも、150年前は琉球王朝は「日本」ではなかった。琉球王朝の官僚は北京で研修をしていた(⇒愚記事:南の島⑤ 沖縄 君美 琉球 )。もちろん、清朝(中国)領であったわけでもない。


[1]

アメリカのパネッタ国防長官は、中国の次の最高指導者への就任が確実視されている習近平国家副主席に対して、沖縄県の尖閣諸島が日米安保条約の適用範囲内だと説明し、日本とのこれ以上の緊張を避けるよう促していたことが分かりました。

これは、アメリカ国防総省の高官がNHKに対して明らかにしたものです。それによりますと、アメリ カのパネッタ国防長官は、19日、訪問先の中国で習近平国家副主席と会談した際、尖閣諸島を巡る日中の対立について、「両国の話し合いによる平和的な解決 を望む」としたうえで、尖閣諸島は日米安保条約の適用範囲内だと直接説明したということです。
そして、「アメリカは安全保障条約の責任がある」として、仮に軍事的な衝突に発展すれば、アメリカも関与せざるをえないという認識を伝えたということです。
パネッタ長官は、中国の梁光烈国防相らにもこうした考えを伝えたということで、アメリカとしては、中国政府の指導部に日本に対する条約上の義務を直接説明することで、中国が挑発的な行動に出ないようくぎを刺すねらいがあったものとみられます。

[2]

オスプレイ7機が試験飛行=配備は日本防衛に貢献と海兵隊-山口と沖縄は強行に憤り

米軍岩国基地を離陸する米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ=21日午後、山口県岩国市

 米海兵隊は21日午後も、岩国基地(山口県岩国市)に一時駐機している垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの試験飛行を継続した。午前9時20分ごろか ら始まった試験飛行は午後6時前まで行われ、計7機が飛行した。一部のオスプレイは市街地上空を飛行したという。防衛省によると、試験飛行によるトラブル の情報はない。
 安全性を懸念する地元の反対の声を押し切って、飛行を強行したことに、岩国市の福田良彦市長は同日、「政府の判断は残念。飛行は認められないという気持ちに変わりはない」と述べた。
 一方、那覇市の翁長雄志市長は記者団に「地元住民が抗議しようが何をしようが粛々と押しつけていくというのは戦前の(旧日本)軍隊と似ており、危険な状況だ」と日米両政府の対応を厳しく批判した。
 岩国基地にはオスプレイ12機が駐機しており、海兵隊は全機の試験飛行を行い、問題がなければ今月中にも順次、2機1組で沖縄県宜野湾市の普天間飛行場に移動させる見通し。垂直尾翼には普天間飛行場の部隊を示す「竜」の文字が書かれていた。
 試験ではヘリコプターモードから翼両端のプロペラを前方に傾け、固定翼機モードへ転換する訓練などを中心に行ったとみられる。転換は機体のバランスを崩しやすく、事故につながる危険性が指摘されている。
  普天間飛行場の航空部隊を配下に置く沖縄の第3海兵遠征軍(司令部キャンプ・コートニー、沖縄県うるま市)は「数週間で普天間飛行場に移動する。沖縄配備 は同盟国としての責務を果たす上で米国の能力を大幅に強化する」とコメントし、日米安全保障条約上の米国の日本防衛義務に貢献することを強調した。 (2012/09/21-20:34)