先週のある朝の筑波山麓
■先日来の政府予算の仕分けの件(愚記事;宇野弘蔵と蓮舫 、あるいはやはり、陶酔権干犯問題だった。 )で、深く感じるところがあったので、いろいろ調べてみると、日本は「科学技術立国」どころか研究者養成システムが事実上壊滅しつつあるらしい。それはむしろ、"焼け太り"の反対の、「太り焼け」で。膨張して、陳腐化し、空洞化した。
1990年代の大学院重点化以来大学院の定員を増やしてきた。その一端としてポスドク1万人計画もあった。概算、毎年1万6千人の博士が誕生。一方、大学教官、研究者のパーマネントのポストは毎年高々1万。したがって毎年6000人の博士が余っている(たぶんもっと多い)。これが約10年続いた。現在10万人ほどの非正規教官、非正規研究者がたまってきているらしい。博士が民間への就職したがらない、できないことはいうまでもない。
計算上は、博士課程を修了して、大学の先生に一生なれない「博士」が毎年七〇〇〇人以上誕生していることになる。企業などは、博士号取得者をあまり採用したがらないし、博士課程修了者も、ここまでお金と時間を投資したのだから、「今まで研究したことを生かすべく」というより「無駄にしたくないため」、せめてどこかの大学の先生になりたいと思う。それゆえ、終了後も、非常勤講師や塾講師など不安定雇用に就いて生活費を調達し、研究を続け論文を書きながら、ポストが空くまで何年も待つことになる。このように多数の大学院博士課程修了者がパイプラインから「漏れて」オーバー・ドクターという形で、滞留していく。何年も待ってポストに就ければよい方で、二十年後には、滞留したままラインに乗ることができない中年のフリーター博士が一〇万人を超える規模で出現すると私は予想する。
山田昌弘、『希望格差社会』
参考サイト;
・ 大学・公的研究機関等における ポストドクター等の雇用状況調査 ― 平成18年度調査 ―
・pdf 理系白書 ポスドク
・1972年の...OD問題に憶う ---土方克法
■ポスドク問題の主要はバイオ・ポスドク問題。
上記、山田昌弘、『希望格差社会』の話は文系、理系あわせた博士修了者総体の話である。少し、分析的に考えて、理系のポスドク問題を見る。統計をみるとポスドク(総数16000人)のうち半分近くが、バイオ系なのだ。6000人くらいらしい(#1)。つまり、ポスドク問題、ポスドク問題というが、実態は,なぜバイオ系ポスドクは"不幸"なのか?問題ということになる。
なぜ、バイオ分野でこれだけ増えたのかは、21世紀はバイオの世紀!とかの宣伝があったらしい。なぜ、そういう宣伝が行われたのか?は知らない。こういう顛末もあった;バイオテクノロジー戦略大綱の破綻。
6000人が滞留しているのだ。今話題の仕分け作業による科学技術への政府支出問題がなくても、すなわち、COEとかGCEOやPDの予算が減らされなくとも、この先5年、10年この6000人のうち研究者になれるのは何割かである。何年も待ってポストに就ければよい方で、二十年後には、滞留したままラインに乗ることができない中年のフリーター博士になるしかないだろう。バイオ・ポスドクの民間企業への就職は3重の意味で困難である。
1) そもそもバイオ産業が少ない。
2) 日本産業社会の問題;
日本社会とは「コンパートメンタライゼーション=縦割り」がきわめて強い社会だという紛れもない事実である。三〇歳まで「生業」につかなかった人間を受け入れる場などまったくない。(潮木守一、『職業としての大学教授』)
3) バイオ系の研究が、多量の 行き当たりばったり 試行 思考 錯誤的実験をこなすという性格を持ち、バイオ研究者が必ずしも数学、物理、化学の基礎素養を身につけていないことが、バイオ以外の他の産業分野への就職を困難にしている。(要は、wiki ピペド問題、アンサイクロペディアピペット土方)
ひたすら「科学技術立国」のために予算をつけろという"短絡的"な議論はまぬけだ。科学⇒真理⇒いいこと⇒神聖にして犯すべからず⇒問答無用⇒金出せ!というメンタリティにはびっくりする。歴史の法廷に立つ覚悟ができているのか!とかよく言うよな。さらに、むしろ、税金のことより、多くの若者の人生を"無駄"にしていることが問題だ。人の人生を考えた"研究ガバナンス"こそ必要である。今回の仕分けが前途ある若い人々に現状認識の機会となったとすれば、そのことが成果である。
■学生に周知を。
とにかく、この現状を学生に知らせる必要がある。無責任に大学院に進学させ、その学生の人生を棒にふらせてはいけない。 (おとろしいことに、こういう報告もある⇒ 「メーリングリストなんかで、やってることを知ったという人?」と聞いたら半数ぐらいに増えた。 残りは…ひょっとして無関心?)
こういう状況なのに、私はむしろ博士課程の学生の数は維持しつつ、博士号取得者の就職先を拡大するように、大学院教育を変えていくのが正しいと考えている。基本的には、高度な教育をうけて、高い専門能力、幅広い視野、広い教養をもった人間が社会に多くいることはよいことだと思うからである。だから、問題は大学院で研究者以外のキャリアでも有効であるような教育がなされていないことだ。(Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録■[大学]博士は募集停止すべきか?)と主張している大学教官もいる。
(この教官は、 「ほかの教員が是非、総研大へ来てください、と言っているところに、私だけ、博士号をとっても就職先がないので、進路決定は慎重に、などと言ったりするわけだ。ほかの先生方はいったい生命系の博士の就職状況をどれだけ理解しているのだろうか?おそらく生命系でも分野によって事情が違うのだろうと思われるが。」とも言っている。その整合性が不明。)
こういう意見に対し、山田昌弘は「過剰な教育」を批判している。つまり、数字の問題として過剰であると。さらに、おいらが考えるに、「博士号取得者の就職先を拡大する」というのは論理的ではあるが、それは現実を全く無視している判断であるといわざるを得ない。できもしないことを根拠に若者を唆してはいけない。ポスドク1万人計画の始まる前に目指していた目的(それは、絵空事であったということは残念なことだ)と今の現実のギャップに対する認識がない。ただし、やはり、「高い専門能力、幅広い視野、広い教養をもった人間が社会に多くいることはよいこと」ではある。しかし、「高い専門能力、幅広い視野、広い教養」は実社会の職業人にはそれほど求められていない。いわば、趣味なのである。
もっとも、中年のフリーター博士になったのは才能のないヘタレなダメなやつ、俺様はちがうんだとか、あるいは、たとえ中年のフリーター博士になろうとも、サイエンスにいささかでも貢献ができればそれで幸せというツワモノの若者にはどしどしがんばってほしい。
歴史の法廷が 立っちゃいました。@被告志願=defence, 上等だ!
召喚(よんで)ます。
非・自省派@動物化するポストモダン!
歴史の法廷に立つ覚悟ができているのか!(人間の定義)って言うけど、
自分が一番、歴史意識が希薄(=動物=スノビズムとしてのサイエンス⇒とにかく金出せ!⇒すなわち、鈴木宗男)。
#1;ポストドクター等の雇用状況調査 ― 2006年度実績 ―
ライフサイエンス、ポスドク数6459人、ポスドク全体の全体の39.4%.
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下記、「事業仕分けは大いに問題」--江崎玲於奈氏などノーベル賞受賞者が緊急声明に関し、ぐちぐち書いていたら、ボタン誤操作でぺージが進み、戻っても消えていたというあのマヌケをしでかしてしまった。天罰であろうか?
ちなみに、サブタイトルは -サイエンティストという蛮族がいる- であった。消えた文章は心眼で読んでください。
ひとこと言うと、このままだと「科学技術創造立国」でもなく「知的存在感ある国」でもない貧乏国になる可能性が高い。「科学技術創造立国」で「知的存在感ある国」になるにはむしろちゃんと仕分けた方がいいと思う。
特に才能も気力もない若者は科学技術から遠ざけた方がいい(w)。なぜなら、「生活保護」(w!) 費用がかかるから。
death valleyに「下放」すればいいと思う。おいらはまってるぜ。
おやすみなさい。
▼
声明
資源のない我が国が未来を持つためには、「科学技術創造立国」と「知的存在感ある国」こそが目指すべき目標でなければならない。この目標を実現するために、苦しい財政事情の中でも、学術と科学技術に対して、科学研究費補助金を始め、それなりの配慮がなされてきた。このことを私たちは、研究者に対する国民の信頼と負託として受け止め、それに応えるべく日夜研究に打ち込んでいる。
学術と科学技術は、知的創造活動であり、その創造の源泉は人にある。優秀な人材を絶え間なく研究の世界に吸引し、育てながら、着実に「知」を蓄積し続けることが、「科学技術創造立国」にとって不可欠なのである。この積み上げの継続が一旦中断されると、人材が枯渇し、次なる発展を担うべき者がいないという《取り返しのつかない》事態に陥る。
現在進行中の科学技術および学術に関する予算要求点検作業は、当該諸事業の評価において大いに問題があるばかりではなく、若者を我が国の学術・科学技術の世界から遠ざけ、あるいは海外流出を惹き起こすという深刻な結果をもたらすものであり、「科学技術創造立国」とは逆の方向を向いたものである。
学術と科学技術に対する予算の編成にあたっては、このような「事業仕分け」の結論をそのまま反映させるのではなく、学術と科学技術の専門家の意見を取り入れ、大学や研究機関運営の基盤的経費や研究開発費等に関する配慮を行い、将来に禍根を残すことのないよう、強く望むものである。
1.■今日気づいたこと;(村上春樹とコンラッド)
2. 『羊をめぐる冒険』、羊博士は竹雀
3.■村上春樹、『羊をめぐる冒険』で、"羊"が「先生」@のち右翼の大物に入り込むのは1936年の春である。
4.■『羊をめぐる冒険』の鼠は大ブルジョア子息
5.■村上春樹、『羊をめぐる冒険』における蝗害(こうがい)
6.■物語の意味がつかみきれない『羊をめぐる冒険』についての思いつき;
7.・ 村上春樹、『羊をめぐる冒険』における囚人奴隷労働
8.■神社焼き打ちの思い出;
9.・『羊をめぐる冒険』における"転落"、あるいは羊抜けと産業空洞化
10.・村上春樹、『羊をめぐる冒険』における近代日本の空虚さの頂点の描写
▼そんな先週、斎藤美奈子、『文壇アイドル論』の"3-村上春樹 ゲーム批評にあけくれて "を読んだら、書いてあった;
・一九八二年、『羊をめぐる冒険』で開店三年めのハルキランドは規模を広げ、新規オープンしたのです。常連客は、より物語の要素が膨らんだこの模様替えを「飛躍である」と歓迎しました。新装なったハルキランドには依然にもましてたくさんのインテリア小物があり、その中には、改装前の店から引き継がれた小物のほかに、いくつもの目新しいゲーム機が加わっていました。 これはマスターからの重大なメッセージにちがいない。
・ゲームの解読ブームは、さらに思いがけなぬ方向にまで発展しました。珍しいパズルやゲームの噂を聞きつけて集まってきた客たちは、ナプキンの一枚からテーブルの脚のたぐいまで、およそハルキランドにあるすべての機器に「謎」が仕込まれているにちがいないと考えはじめたのです。
・彼らの情熱を支えたのは「僕が、僕だけが彼のことをわかっているんだ」という自負であったにちがいありません。
何のことはない、おいらの上記記事はそんな普通な"彼ら"の一滴なのだ。
▼こりもせず、『羊をめぐる冒険』で発見したことを書く。アイヌ青年は45才で息子を戦争で失くし隠遁、他人との交流を断ち、牧場にこもり羊だけと暮らす。
日露戦争が始まると村からは五人の青年が徴兵され、中国大陸の前線に送られた。彼らは五人とも同じ部隊に入れられたが、小さな丘の争奪戦の際に敵の榴弾が部隊の右側面で破裂し、二人が死に、一人が左腕を失った。戦闘は三日後に終リ、残りの二人がばらばらになった同郷の戦死者の骨を拾い集めた。彼らはみな第一期と第二期の入植者たちの息子だった。戦死者の一人は羊飼いとなったアイヌ青年の長男だった。彼らは羊毛の軍用外套を着て死んでいた。「どうして外国まででかけていって戦争なんかするんですか?」とアイヌ人の羊飼いは人々は訊ねてまわった。その時彼は既に四十五になっていた。
誰も彼の問いには答えてくれなかった。アイヌ人の羊飼いは村を離れ、牧場にこもって羊と寝起きを共にするようになった。妻は五年前に肺炎をこじらせて死んでいたし、残された二人の娘も既に嫁いでいたのだ。村は羊の世話をする報酬として彼に幾許かの給金と食料を与えた。
彼は息子を失くしてからはすっかり気むずかしい老人となり、六十二で死んだ。
▼このアイヌ青年、のちのアイヌ人の羊飼いがこの物語で象徴するものは何なのだろうか?このアイヌ青年はそもそも自分が生まれ育ったコタン/共同体から離脱する。
・理由はよくわからないが、アイヌ青年は生まれ故郷には帰らず、そのまま開拓民たちとともにその土地に留まった。おそらく好奇心のためであろうと著者は推察していた。
そして津軽からの貧乏に追われた和人植民者を"牧導"し、つまり植民村立ち上げ時にソバージュの生活術を伝授し、和人たちを助ける。のちに、政府は羊牧場を国策で造成。
・村で緬羊にもっとも興味を持ったのは例のアイヌ青年であった。彼は道庁の役人について緬羊の飼育法を習い、牧場の責任者となった。彼がどうしてそのように羊に興味を示すようになったのかはよくわからない。たぶん人口増加に伴って急激に入り組み始めてきた村の集団生活にうまくなじめなかったのだ。
またしても共同体からの離脱を図り、45才で完全隠遁する。
▼11/25
2008年(無題)
2007年初霜の時期
2006年 うちのこは嫌い
■画面で告白 in English
1969年、カナダのテレビ局による、三島由紀夫の貴重なインタビュー
・追記;平成11年の森田必勝 今、どうしていらっしゃるのでしょう?
初登場、筑波山腹(つくばさんぷく)。
先日の記事で、筑波山でみかんが採れると筑波山麓在住11年目にして初めて知る。そして、みかん狩りができるというので、連休に行った。みかんの種類は先日食べたフクレみかんではなく、普通の温州みかんだった。筑波山フクレみかんは耐寒種だから冷たい筑波山でも育つというだけでもなく,そもそも筑波山腹が温かいらしい。
この筑波山腹のみかん園は日本北限らしい。ちなみに、筑波山麓ではみかん園はできない。理由は筑波山腹の0℃以下になる日数が平野部(筑波山麓)の半分らしい。やはり、筑波山腹は温かい、ということだ。「筑波山腹は温暖なり」。下記、報告がある;
・ Based on an assessment of meteorological observation, conducted by the Mito Observatory for the period between July 1953 and December 1956, the local people began to develope gardens of a mandarine orange, centered around 150 m above sea level, for a tourism site since the 1950's (Gunji 1958).
・ The minimum temperature, less than -2℃, is found at the plain, while the temperature remains above 0℃ around 150 m, which might be a major reason for the development of orange garden in this particular region. The orange trees are very weak against a cold condition. It is known that the trees undergo sever damage if the temperature falls below 0℃.
Observational Study of the Thermal Belt on the Slopes of Mt. Tsukuba
(日本語のがあった。)
要するに上記引用によると、占領が明けた頃、水戸の気象台は筑波山腹の気象条件を観測して、みかんが育ちそうだと判断した。事実、地表が-2℃以下でも高度150メートルの筑波山腹では0℃以上。0℃以下の条件に弱いみかんもこれなら大丈夫。農家がみかん園を始めましたという話。
あと、これはおいらの空想なのだが、この水戸の気象屋さんはなぜこういう観測をしようと思ったのか? たぶん、古来からフクレみかんというものが筑波山腹にあるのに気づいて、すなわち、a)一般に高度があがると大気の気温が下がるはずだ、b)一方、筑波山腹に柑橘(かんきつ)類、しかも橙(だいだい)*1が植生しているなんて、びっくり! パラドクスである! と、いうことは、あそこは温かいんだな! でもなぜ? と気付いた(仮説を持った)のではないだろうか?
つまりは、たちばな(橘)が、<<気象予報衛星「ひまわり」>>であった時代である。なんと、優雅なことであろうか!
野暮だね、アメダス、そして、気象予報衛星「ひまわり」。 立派なデータだすけど。
そして、何より、おいらが知りたいのは、『大日本は神国なり』の北畠親房が、その情宣活動中に筑波山麓で、フクレみかんを果たして口にしたか?ということと、実は筑波山腹は避寒地であったことを知っていたか?ということである。 これで、今夜も正義は護られた?????
▼追加
筑波山周辺地域におけるみかん園の分布
*1;フクレみかんが「橙・だいだい」かどうか?は微妙。結構レモンイエローっぽいし、何より、酸っぱい。
▼追加2
筑波大学 気候・気象学分野 気候システム研究グループ 筑波山 斜面温暖帯の紹介 -筑波山でみかん狩り-
■仕分け作業 (先見の明? 枝野&パフォーマンス@エディプス時代) についての件で先日、「毎日ブログを書いている研究者でこの問題に憤っているのをまだ見ていない。一番発言が期待されるのに、むしろ、無視、静観している」って書いたけど、激昂しちゃったよ。 柳田充弘 御大。 統帥権干犯、許すまじ!の青年将校たちよりいっちゃってるよ。おいら最初、間違って作田啓一センセのブログに行っちゃったかと思ったよ。
やれやれ。
参考⇒解説と応答のブログ:(「コラーゲン食って肌がぷりぷりになるわけねーだろ(笑)」社長のブログ)
それにしても今日のテレビ報道番組でも、スパコンが新型インフルエンザのワクチン開発に欠かせないなどと巻き返し派の工作情報を流していた。全然わかってないね。予算乞食さんたち。そういう戦略性がない、一貫性がない、素人を口先でだます、その場しのぎの対応こそが元凶なんだよ。今回の仕分け作業ではそういうtax eaterのずさんさがわかったのは良いことだろう。
パフォーマー ホワイトナイト
▼
中世大学の「討論」は、騎士の馬上槍試合にたとえられることがあり、実際に貴族、貴婦人、市民たちが見守る中で論戦が繰り広げられることがあったようですが、本来的には対立する立場が火花を散らして対決することを通じて、真理の探究が最も効果的に遂行されることを意図した共同研究の一つの形式だったわけで、トマスも『神学大全』のなかでそのような「討論」の精神を生かして探究を行ったのだと思います。
稲垣良典、『トマス・アクィナス 『神学大前』』、講談社選書メチエ
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別に事業仕分けの公開性に関連づけるつもりでもなく、別の話(でも、仕分け作業ってこういう精神を導入したいんでしょう)。昨日、本屋に行って、新刊を衝動買い。稲垣良典、『トマス・アクィナス 『神学大前』』、講談社選書メチエ。理由は、アリストテレス問題。素人が読むハイデガー。『存在と時間』はハイデガーによるアリストテレス解読らしい。よく、通俗的にはプラトン・アリストテレス以来の野太い西洋文明の系譜!とかいうけど、うそらしい。たとえば、アウグスティヌスは今あるアリストテレスの全集を読んでいないはず(とおいらは思う)。なぜなら、アリストテレスのテキストは別にギリシア語⇒ラテン語に翻訳・注釈されたわけではない。ラテン語人がアリストテレスのテキストすべてを読めるようになったのは中世以降のはず。アラビア語から翻訳したり、ビザンティンの文献をルネサンスの頃初めて手にしたはずだ。
あたりまえの話だが、今のヨーロッパ人、ドイツ人とかフランス人とかイタリア人とかプラトン・アリストテレスの時代からずーっと連綿とプラトン・アリストテレスをギリシア語で読みつつづけてきたと漠然と思っている人もいるようだけど(いないかな)、ヨーロッパ人がプラトン・アリストテレスの全部を読むようになってまだ1000年もたってないはず。
それで、ハイデガーは、この俺様こそが、ひらめいた知的衝動を展開するために、アリストテレスを読み込んで何か言いましょう、ということになったらしい。さらには、プラトン・アリストテレスは今まで誰にもきちんと読み込まれることはなかった。なので、俺様がやりましょう、ということであるらしい。(ここにおかしさを発見しました。いつか書きます。) [ハイデガーの「この俺様こそが」というなみなみならぬ自負心が、御大のようで、ニコニコできる。ただし、激昂したという伝承はない。]
そんなハイデガーも無視できないのが、トマス・アクィナス。無視できないどころか『存在と時間』冒頭で言及している。
それは、トマスが西洋思想史上、初めてアリストテレスの大部のテキストを読み込んだから。ただし、キリスト教のために。
という背景で、おいらは、稲垣良典、『トマス・アクィナス 『神学大前』』を読んでます。あんまり、ピンときません。 (このパラグラフ[▼以下]はいつになくいか@サマを含んでいる可能性がありますので、お気をつけ遊ばしますようにお願いいたします。)
PS;なんか少しピンとしてきた。トマス・アクィナス(1225年頃 - 1274年)は1492年のスペイン・レコンキスタの前哨時代の耶蘇坊主なのだ。
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- - we know that researchers and academics can get drunk on their own studies - -
Yukio HATOYAMA, Japanese science faces deep cuts, Nature (現在、全文はsign in しないと読めない )
先日の民主党の仕分け作業で理研のスパコンなど科学技術予算の見直しについてのおいらの記事で、蓮舫に対する、あの上から目線で、なんてことするするんだ!科学を踏みにじる野蛮人!みたいなネットでの研究者や学生による批難は、まるで軍縮を 統帥権干犯だ!と怒り狂った軍人を彷彿とさせる。こぇー。と書いた。日本経済新聞に対し鳩山首相は「「あまりにも多くの研究が推進されたことで、研究者とアカデミアは自分自身の研究に陶酔してしまっているのではないかと思っている。もっと新しい社会システムに見合ったやり方で、科学研究を推進するべきではないのか?」と言ったとのこと(ここに引いてある。)
やはり、陶酔権干犯問題だったのだ。民主党/財務省の仕分け人は税金酒でほろ酔い、いい気もちのサイエンティストさまたちに冷や水を浴びせてしまった。すると、彼らの一部はまるで軍縮を統帥権干犯だ!と怒り狂った軍人のようになった。
(前回の記事にも書いたが、怒った研究者は少数派とのおいらの印象。理由はa)自分には関係ないから、b)大人だから、などが考えられる。)
■今回見直しになった予算項目が選ばれた理由は恣意的なものだろう。ただし、財務省はここ10年膨張し続けた科学技術予算に目を付けているのは確かだ。なぜ、財務省に目をつけられているのかを検討しないで、予算削減で日本の科学は死ぬとか本気で主張している"科学者" (オオカミ少年) の分析能力を疑う。
■予算乞食と化した科学者が政府を"だました"一例;
大阪大学総長岸本忠三氏は,あくまでも私的な意見という限定付きで,BT戦略会議の目指すものについて語った。大意は,(1)BTは健康と長寿に変革をもたらす,(2)BTは食料供給に変革をもたらす,(3)BTは環境エネルギーに変革をもたらす,(4)BTは経済活動に変革をもたらすと語った。BT市場規模は,日本で2010年に25兆円で100万人超の新規雇用,米国で2025年に300兆円の市場を形成するという。しかし日本では,BTの根幹である生物教育はまだ不徹底で,一層の努力が必要という。また研究開発の促進,産業化へのプロセス,BTへの国民の理解が必要という。2002年10月22日、10月22日 ノーベル賞受賞の田中氏の特別講演も加わり 気勢上がる第3回ライフサイエンス・サミット(10月22日のところを見よ)
このように、バイオサイエンスに研究資金を投入すると産業化するという未来図をさかんに喧伝していた。そして、2009年。
2010年に25兆円産業を目指すとぶちあげておきながら、2008年現在で2兆円を少し超す程度。残り3年で1000%以上の成長なぞ出来るはずもない。
ブログ・幻影随想、記事/バイオテクノロジー戦略大綱の破綻
2010年に25兆円産業を目指す=オオカミ少年
財務省はこれをちゃんと見ていて、しばきを入れたのだ。有馬・尾身帝国の瓦解の始まりだ。現財務省が精算したいのだ。
the politician and academic (ministers !) can also get drunk on their own project
■やっぱ、シビリアンコントロール
この本で具体的に提案していることは何かと問われれば「職業としての科学」を拡大しようというものである。それは科学のある目標を達成するためとかでなく、職業の形態が変化していく事態への処方箋の一つとしてである。外部にある科学が幸福もたらすチャンネルでなく、より多くの人々が科学の営みの中で、小さな物語として、幸福に生きる機会をつくるものである。そしてこの政策は現在の科学界が自己の勢力圏拡大のような発想で行われるべきではなく、シビリアン・コントロールの発想でなされる方がよい。科学自体もその中で変化するのである。佐藤文隆、『科学と幸福』
■そして、このふたり。
上記の「10月22日 ノーベル賞受賞の田中氏の特別講演も加わり 気勢上がる第3回ライフサイエンス・サミット」の記事を読むと、キーパーソンが2003年で出ている;田中耕一、川合知二。 今話題の30人、2700億円の先端研究基金のお歴々。ポスト「有馬・尾身帝国」の主役らしい。理研スパコン700億と2700億円の先端研究基金を分けたものは何なんだろう?
▼結局、death valley
大型科学研究予算といえば「タンパク3000」というのがありました。その成果については、議論があるそうです。たとえば、あの中村桂子さんのコメントが話題になりました。
そのタンパク3000のリーダーが和田昭允大尊師で、こういうコメントをしています;
ただ、日本の産業界が頑張ってくれないと、「基礎科学の産業応用」が日本以外の国の成果になることは、十分予想されることです。
【2007年 5月18日 タンパク3000プロジェクトの基盤 】
おいらのような僻み者には、「わしら基礎研究者が立派な成果を出しても、death valleyの奴らががんばらないから、基礎研究に使った税金が無駄になるんだ」と聞こえる。 だからブクブクとルサンチマンが発酵しまくりだっちゃ。 蒸留しなくちゃ。 Across a Death Valley with Distillated Resentment !
●
death valleyの奴らがアホやから、わしペテン師になったやないか!
■奇を衒うしかない、あるいはtrivialism
先日、ハイエクと金融工学についての思いつきを記事にした。自分で「ハイエク系"保守"派からのネオリベ批判、金融グローバリズム批判って今あるのかな?」と書いた手前、検索すると、池田信夫の社会工学の幻想にたどり着いた。同日の記事ではあるが、池田センセの方が8時間先の投稿で、さらには、ハイエク 知識社会の自由主義 (PHP新書) (新書)という本もあると知り、おいらが池田センセのねたをパクッたみたいで恥かしかった。
▼ノーベル賞の野依氏、蓮舫氏らの「スパコン、世界一になる必要あるのか」発言に憤慨
そういうことなので、今日は池田センセブログに依存しまくりの上、奇を衒うというありきたりの方法でねたを展開しようと思う。まずは、蓮舫センセ。怖いらしい、仕分け・人民裁判。おいらはテレビでもネットでも蓮舫センセの恐ろしいご活躍を見ていない。ネットの文字による報告だけ十分だ。なぜなら、おいらは恐ろしい映像に弱く、そういうものを見ると夢に出てきちゃうからだ。だから、像の観賞は花猫風月(かびょうふうげつ)に限定している。
そんな怪獣・蓮舫センセに血祭りに上がったと話題なのが理研のスパコンだ。でも、理研のスパコンを標的にし攻撃する蓮舫センセのバックには財務省がいるそうだ。池田センセ曰く、要するに、この事業仕分けは、脚本・演出は財務省で「民主党は仕事してますよ」と国民にアピールする茶番劇に過ぎない。さらに、(血祭りに上がったものは)全て、期限付きの競争的資金か独立行政法人への運営費交付金である。つまり、本来の事業が必要かどうか、という判断で対象が集められたというよりも、「来年から募集をやめます」、とか「来年から運営費交付金をx%カットします」と言えば、それで実行が可能なものが集められているように思えるのである。(大竹文雄のブログ)。
一方、池田はスパコン購入を不要、税金の無駄使いと判断しているようだ。(沈没した「スパコンの戦艦大和」)。つまり、スパコンやその他の科学技術振興予算の削減は財務省の意向であり、削減項目の選定はそう間違っているものではないということではないか?必ずしも、本来の事業が必要かどうか検討されていないわけではないかと見える。
池田センセも指摘しているようにスパコンの必要性、特に費用対効果を考えるとなぜそんな巨額を投入するか説得力力がない。スパコン導入否定に怒っているのが文科省官僚で「日本の科学技術振興政策は終わった」と吐き捨てたり、野依センセは「(スパコンなしで)科学技術創造立国はありえない」と憤慨しているらしい。これに同調して、スパコン中止=日本終わったと言っているのは、おいらがネットを見た限りどうやら"素人さん"に多いようにみえる(検索、科学技術&連舫)(一方、こういう名指し、性格分析[助手在職時代が長く、ある時期まで不遇であったことはつとに知られている]もある)。毎日ブログを書いている研究者でこの問題に憤っているのをまだ見ていない。一番発言が期待されるのに、むしろ、無視、静観している。
初めから「事業仕分け」は基礎科学研究の壊滅を狙っていた:という刺激的な言い方が本当ならば、これは上述のように財務省からのメッセージである。
賢兄愚弟
財務省の官僚は知っているのだ。最先端科学技術への政府支出が産業への効果なんてないこと、そして、GDP増加・経済成長、その結果としての税収増加なんてありえないと。
平成におけるお題目「スパコンと科学技術立国」は、(実際にはいくらなんでもこんなバカな題目はないが)戦前の「戦艦大和と神国日本」に匹敵するほど空疎なものである。仮に「科学技術立国」になったとして産業が順調に伸びるかわからない。今問題なのは科学技術が妙に高度化しオタク化して産業にとって使いものにならない、あるいは事業化・実用化へのプロセスが絵空事であるという事態。つまりは、tax eater部門の科学技術のガラパゴス化である。
費用対効果を考えなくていい、税金を使った職にいるパーマネントの科学者、研究者は楽しいだろう。さらには、もっとそういう職のために税金を出せと主張するだろう。だって、責任がないんだもん。税金使っていい気なもんだ。 うらやましいかぎりである。といつものごとく、ひがみ根性を丸出しにしてしまった (Across a Death Valley with Distillated Resentment! )。しまいにはこんなマリーアントワネット発言にびっくり;
もう一つ関連して、今回の仕分けの様子を見聞きした研究者やその卵は、それなりの数に上ったと思います。 そのような方々は、研究費が税金であることを初めて、あるいは改めて痛感したことでしょう。(科学技術立国と呼ばれた日本の行方) 下線はいか@。
うーん、そうだな。こういう研究者間のたしなめは重要だよな。プチ・アントワネット(つまりは社会に無知で、なんで自分が贅沢やってられているのかに全く関心がない)が有象無象いるんだろう。こぇー。蓮舫に対する、あの上から目線で、なんてことするするんだ!科学を踏みにじる野蛮人!みたいなネットでの研究者や学生による批難は、まるで軍縮を統帥権干犯だ!と怒り狂った軍人を彷彿とさせる。こぇー。蓮舫も純粋まっすぐの研究者もこぇー。⇒恐るべきインテリの怨嗟;愚記事、羊をめぐる暴言
先へ急ごう。宇野弘蔵センセ。
今回のこの財務省(賢兄)による"「道楽に走り現(うつつ)をぬかしている科学技術オタ」"(愚弟)へのしばきを見て、おいらは、1938年の人民戦線事件を連想した。すなわち権力(賢兄)はアカに現をぬかす学者ども(愚弟)にしばきをいれたのだ。この事件は革命の事前予防としてのファシズムとしての弾圧というより、エスタブリッシュメント/帝大における内ゲバ・兄弟げんかであろう。権力側も共産革命が起きて自分たちが転覆されると深刻に恐れたというよりも、自分たち政府のリクルートセンター(帝大)にアカが蔓延し、将来のエリートたちが赤バカ教官に感染し現をぬかし始めたら困ると判断したのだ。 (蛇足;賢兄愚弟──大原社研の昔と今)
宇野弘蔵さんが逮捕された時は現役の教官。仙台で逮捕されたのだろうか? しばかれたのかな? 宇野自身は自著で「自分をマルクス主義者とはもちろんのこと、広い意味での社会主義者とも考えたことはありません」(『資本論の世界』)と語っている(wiki)ことと人民戦線事件逮捕(のち無罪)は関係があるのだろうか?
放蕩息子たち しばき人たち
▼インドはなぜ、IMFから金を購入するのか
そんな宇野弘蔵さんも最近では、がっついたビジネスパーソン (w!) の目に入ってきているそうだ。 Amazon『経済原論』。 でも、真に受けて『経済原論』を読んじゃう酔狂ながっついたビジネスパーソンってたぶんいないべさ。宇野弘蔵・『経済原論』って超蒸留酒。95%のウオトカなんてものじゃない、共沸蒸留しちゃった99.5%の工業用エタノール。蒸留前の発酵原酒はもちろん、マルクス・『資本論』。そんなマルクス風味をすっかり切った宇野弘蔵・『経済原論』だけを読んでいたのでは、「インドはなぜ、IMFから金を購入するのか」という聞くだけでニコニコしてしまうタイトルのこのニュースを味わうことができない;
まさに商品流通の端初においては、使用価値の過剰分だけが貨幣に転形される。かくして金銀はおのずから、豊富または富の社会的表現となる。伝統的で自己需要を目あてとする生産様式に照応して、欲望の範囲がかたく閉ざされているような諸民族のもとでは、この素朴な貨幣蓄蔵形態が永遠化する。アジア人、殊にインド人のもとでは、そうである。商品価格は一国にある金または銀の分量によって規定されると妄信するヴァンダリストは何ゆえにインドの商品はあんなに安いのか?と自問して、インド人は貨幣を埋蔵するからだと答えている。
『資本論』、第三章 貨幣または商品流通、第三節 貨幣
日本人もアジア人として早くドルを金に換えて、埋めた方がいいよ。東アジア共同金埋蔵体!
宇野弘蔵が理論の純化のためにマルクスの文章から蒸留して切り落としたのは、「資本論」の非アルコール成分の風味である。酒の命であるその風味とは、細かいマルクスの衒示的具体例記述(conspicuous description !)と、そして何より、揶揄と罵倒である。マルクスはネトウヨの最高のお手本にほかならない。揶揄と罵倒には高度の技芸が必要だ。まず罵倒したい相手を理解しなければいけない。さもないと、相手の弱点や欺瞞がわからないからだ。かつて、森嶋通夫は福田恒存に言った、「私は福田氏に罵倒されたから怒っているのではなく、罵倒するなら、もっと私が狼狽するような急所をつく罵倒をしろと叱っているのだ」。
▼オバマ米国大統領演説
蒸留酒といえば、サントリーがウイスキーをソーダで割って飲みましょうと販売宣伝をしている(google)。なんか貧乏くさいな。ウイスキーって室温でそのまま飲むのが一番じゃないの? スピリッツ(spirit)は薄めるな(=バカになるな)! そんなにサントリーウイスキーの風味に自信がないのか?ないんだよ。だって、ソーダで割ったハイボールにするウイスキーはなぜかしら「角」だからね。貧乏舌用汎用ウイスキー。「山崎」をハイボールにするって推奨するなら、そのハイボール戦術を認めるけど。さらには、ハイボールって、ウイスキーを割らないと飲めない人たちだましてウイスキー売ろうとする魂胆だ。びんぼうくさい。キチガイ水づくりの末席をけがしている者としても恥ずかしい。
なぜこんなにからむかというと、サントリーが嫌いだからだ。そう、よりによって戊辰の年(1988年)、つまりはあの戊辰戦争からちょうど120年後、サントリーの佐治会長は「仙台遷都などアホなことを考えてる人がおるそうやけど、(中略)東北は熊襲の産地。文化的程度も極めて低い」とおっしゃいますた。このとき、国分町ではサントリーの酒びんがバンバン路上に叩きつけられて、貧乏酒が撒き散らかされたのでした。サントリーの悲惨さは商業主義を"文化"で糊塗すること、それもビンボーくさい底の浅い文化で。卑しいんだよね。これほど酒を侮辱し、文化を冒涜する人々を見たことがない。あと最近やってるセサミンって、あれ大丈夫か?
そんなおバカな会長、つまり、「罵倒するなら、もっと私が狼狽するような急所をつく罵倒」もできない文化程度の極めて低い佐治さんは、熊襲とは九州の先住民の呼称であり東北を罵倒するなら蝦夷と知らなかったのである。だから言ったろう、「揶揄と罵倒には高度の技芸が必要だ」って。
そんなバカでいか@サマ酒を造っている会社のホールで 米英撃滅国民大会 米国激烈信仰大会として1500人のアメリカ真理教信者およびそのシンパを集めて、大統領の演説が行われた。やはり、300人委員会も300人劇場に300人だけ集めるだけではもう対日工作員が足りないと感じたのだろう。つまりは日本人の洗礼には手間がかかるというわけだ。もう洗礼ゲンバク使えないからね。
おいらは日本の対米すがりつきをこれまで批難してきた。でも、鳩ポッポの思いつきなのか戦略的ブラフなのか東アジア共同体構想が案外米国に危機を持たせている。つまり、このままでは東アジアから追い出されるのではないかと。米国は東アジアに"すがりつかなくては"いけない。なぜなら米国債を日中に買ってもらわなければいけないからだ(google 帝国循環)。さらに、米国に廉価な商品を供給する工業ドレイを日中にやってもらわなければいけないからだ。
それにしても演説が終わって会場から出てきた女子学生がインタビューに答えてオバマ大統領の偉大さに感激しましたみたいことを全身震わせて涙目で言っていた。すごいな、アメリカ真理教。今度はおいらにも招待状くれや。
1500人委員会
fucking japって言ってな 不幸の尺八を⇒パス マッカーサーへの手紙、何度でも。
かったからオバマはいい人。
腹黒いけど...。
ということで、今週のニュースでした(サンジャポ風、w)。