いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

60年経っても「マッカーサーへの手紙」

2006年04月30日 20時34分13秒 | 日本事情
主権とは例外状態における決定権である -カール・シュミット-



現行の日本政府は主権国家の統治機構ではなく、このクニは米国の事実上の保護国(protectorate)であるということは、このブログで一貫していっていることである。日本が米国の保護国であるメカニズムは現行憲法が日本政府が戦争をすることを禁じていることにある。つまり、戦争をするという国家の主権が憲法により制限されている。そして、日本政府は禁じられている戦争を遂行できる米軍に駐留してもらう安保条約を米国政府と締結していることにある。

日本は米国の事実上の属領であるが、難しいのは、日常的に米国占領軍が日本政府にとやかく指図をしているわけではないことである。それでは、いかなる機構で日本を属領とすることができるかというと、いざという時、つまり例外状況の時、戦争をできるのは、日本政府ではなく、米国にほかならないことである。

今回の横田さんの米国大統領への人権保護願いは、日本政府が自国民の人権を保護できないことを原因としているばかりではなく、現在も有効な解決策を遂行できないことにある。これは、今回の横田さんと米国大統領との会見で、小泉日本政府の面目が丸つぶれであるというレベルの低い絶望ではなく、拉致被害者家族が望む経済制裁などは軍事行動をする覚悟と軍備的、制度的裏づけなしにはできないことを日本政府は理解していて、その経済制裁などできないという判断は現行憲法や現行軍備をはじめとする日本政府を拘束する諸条件を考えると極めて合理的であることを否定できないことに気づかずにはいられないことである。

そして、ワレワレヌホンズンが、何より哀れで、情けないのは、自分たちで拉致被害者を救済できないことに加え、米国が半世紀以上前に日本に着せた拘束衣が効き目をあらわし、拉致家族が米国に人権保護願いの陳情をせざるをえないことを出来させ、米国は歴史的正統性を世界に誇っていることである。その正統性を根拠に米国が属領・日本に数兆円の負担を要求してきていることはいうまでもない。



 
主権者       επιγονοσ







まだまだ咲いてる

2006年04月26日 23時47分59秒 | 草花野菜
【追記】
下記を書いたあと、こんなサイトを見つけた。団塊の世代というのは少なからずが復員兵の子供であること、その兵隊になったのは農地がなく(職業)軍人になるというコースなどという絵に描いたような事例。そして、ビンボーなので努力してガッコにいく、など。



まだまだ咲いてる、イヌノフグリ

■格差社会って、「格差」格差社会だろう。「格差」格差社会って、「所得」格差というのが所得の違いが生じることであるなら、格差という現象が特定の階層に生じていること。つまり、格差は中産階級の分化ということ。

■50年前は日本人の半分近くが農民だった。団塊の世代が15才を超えた時、団塊の世代の親は子供に農業を継承させずに、(集団就職などで)都市の賃金労働者にしたり、ガッコに行かせたりした。ちなみに、団塊の世代は全共闘世代とも呼ばれるが大学進学率は20%(?)程度で、ほとんどは、むしろ、集団就職世代と呼ばれるべき世代である。

■その農業を継承しなかった新世代は、なぜかしら、自分たちは中流だと思っていたらしい。その割合が8割(?)を超えていたのが1960年代から最近まで続いていた。そして変わった。団塊の世代やのちの世代は高校や大学を出れば中流の生活を維持できる職にありつけた。賃金労働者としての。それが団塊ジュニア世代になって、大学進学率が世代の半分に及んだにもかかわらず、あるいは、そうだからか?、中流の生活を維持できる職にありつけない中流の子が出てきた。つまり、中産階級の再生産が困難となってきた。

■この階層の再生産は、初めての再生産である家庭も多いのではないか?例えば、じいさんは農民→息子は団塊の世代・ガッコを出て賃金労働者へ→その子供、団塊ジュニア・大学さ出たけど中流の生活を維持できる職にありつけない。再生産できてない。

■つまり、昨今の格差とは、農民から中流意識をもつ賃金労働者になった階層が、その次の世代で分化し、中流の生活を維持できる職につけたか、つけなかったかの格差ではないだろうか。

というおおざっぱな描像です。


亡国の徒が謳う「愛国心」

2006年04月24日 20時17分56秒 | 日本事情

「オレは馬鹿だぜ、でもなんか腹立ってるんだぜ、イエー!」
copy right by 素敵な奥様

JapanのLDP=liberal democrazy party =放埓衆愚党が、

愛国心

を唱えるなんちゅうのは、嗤えるというより、

亡国の徒が謳う「愛国心」のようで、

不愉快でもあり、哀れを見せつけられ、こちらがわびしい気持ちになる。

21世紀最大の説教強盗をめざすてるんだべか?

■愚民党は藤波孝生氏など最高裁確定をはじめ、佐藤孝行氏など犯罪確定者、そして総理総裁だった田中角栄氏のような犯罪容疑者にいたっては、ここに調べて列挙することにいとまがない。かように、愚民党というのは犯罪確定者・犯罪容疑者の輩出組織である。このような準犯罪組織である愚民党は、いうまでもなく、クーデターなりなんなり非合法な活動をその正当性の根拠としているわけではない。愚民党は、その成立以来一貫して、その分派がつくった細川政権を除いて、日本の「匹夫の入れ札」で正当に選出され、国政を付託されてきたことは間違いない。

■「戦後教育は公を忘れ、私利私欲のみを肯定した」っていってる愚民党。一番戦後っぽいのは、おまいら犯罪容疑者輩出組織たる愚民党だっちゃ! 乳揉み議員の再教育プログラムとか、まずは、実践してみろよ!

■その匹夫に一貫して支持された愚民党が戦後行ってきたのは、米国占領軍のつくった憲法を墨守し、「祖国」の一部を米軍にくれてやって、あまつさえ、「思いやり予算」などというふざけた名前のみかじめ料を米軍にはらって、米国の保護領となって、世界最大の難民(敗残民)キャンプを支配してきたことである。

■一方、属領で私利私欲を経済面で発揮し、経済の高度成長を実現したのも、JapanのLDPである。それに伴い、「悪魔のひき臼」をまわし続けることで、日本の古き良き「文化・伝統」が無残にも破壊され続けてきたことはいうまでもない。さらには、事実上の財政破綻。財政さえまともに統括できなかったJapanのLDPの率いる日本の「統治機構」。

●国民の最低限の安全や生存権を国家が保障することを放棄し、拉致事件など当時からわかっていたこと、少なくとも疑いがささやかれていたこと、を知らん顔をしてきたのがJapanのLDPが率いてきた日本の「統治機構」にほかならない。北朝鮮による拉致事件になにもできない精神は、阿波丸事件で米国を不問に付した精神から由来する。

▼旧敵と和を結ぶことは重要であり、必要でもあることだが、旧敵と馴れ合うことは死んでいった同胞への手前控えるというのが、「保守派」が大好きな「日本の文化と伝統」なんでないかい!?

そんなに行きたいか!? ディズニーランド。愚民さま&御皇孫ちゃん、よ!

▲もっとおぞましいのは、東京大空襲で10万の無辜を焼き殺した将軍に、戦後航空自衛隊を作ってもらって、その東京大空襲で10万の無辜を焼き殺した将軍を叙勲したJapanのLDPが率いてきた日本の「統治機構」とJapanの皇帝


▲そんな連中が、「愛国心」を謳う!

■読売新聞は、

 だが、愛国心を教えることを否定的にとらえる国など、日本以外にない。戦後の平和国家としての歩みを見ても、わが国が「戦前の教育」に戻る可能性は、微塵(みじん)もない。

といっているそうだが、「愛国心を教えることを否定的にとらえる国など、日本以外にない」のであれば、この地球上の100-200ある独立主権国家でその首都に外国軍隊が、あんなにも、駐屯しているのは日本以外にない、のである。白昼に小学生が米軍にひき逃げされても、文句も言えない。そして、駐屯に加え首都圏上空の「制空権」が米軍に牛耳られていることは、亡国の徒・売国の徒でないかぎり、知っているはずだ。

「わが国が「戦前の教育」に戻る可能性は、微塵(みじん)もない。」。全くそのとうり。まちがって、戦前にもどれるなら、むしろ、たいしたもんだ。米軍の属領でないんだから。戦前にもどることなど絶対ない。問題はまったく逆で、今の日本が愛国心を唱えるなぞは、ドレイが自己肯定するようなものである。

それは絶対いけない。ドレイである自分を肯定してはいけない。まずは、ドレイであることを認識しよう! そして、ドレイをやめられるように努力しよう!

■というか、愚民党、そして、シャブやってる奴もいた第二愚民党は、教育基本法に、犯罪を犯さないようにしよう!、ドレイを脱却しよう!、とか書き込むように努力しろよ。それぐらい、レベルがひくんいんだよ、このクニは!

■以上、『他人を見下す若者たち』ワークブック・実践篇(非売品)の宿題として書いてみますた。ジャンジャン









ふぐり日和

2006年04月18日 20時39分47秒 | 草花野菜



昨日、今日、筑波山麓は晴れ、気温も上がる。もうストーブはいらない。イヌノフグリがお日様に向かって全開。
先日は風が強かったせいか、花弁が閉じていた。

■たけのこの季節も終わりかな。今春初めて、<たけのこの土佐煮>を自分でつくる。というか料理以前の極めて簡単なものだ。そうとは気づかず惣菜として買っていた。ばかだった。


靖国宮司は南部の殿様

2006年04月16日 14時55分48秒 | 日本事情


散花の吹寄せ

■小沢一郎さんが民主党の党首となって、一番最初にぶち上げたのは、靖国神社でのいわゆる「A級戦犯」合祀問題。小沢党首は、靖国参拝を是とした上で、「A級戦犯」という言葉、概念にそもそも疑問を呈し、いわゆる「A級戦犯」というもの言いをする気使いを示し、さらには東條大将は自分の岩手関係者であること、もし東條を祀りたいのであれば東條神社をつくればいいなど、いろいろ配慮を示したうえで、そもそも「A級戦犯」の靖国合祀は間違い、と主張。そして善処策については、政権を取ったら実行すると思わせぶり。凡人が思いつく策はいわゆる「分祀」。

■そもそも「A級戦犯」の靖国合祀は間違なのであれば、責任はそれを実行した当時の宮司の松平永芳さんにあることになる。事実、いわゆる「A級戦犯」の合祀は、当時の松平宮司の決断によるものであり、その決断の理由は明確に文書化されている。

松平宮司の言;
私の就任したのは五十三年七月で、十月には、年に一度の合祀祭がある。合祀するときは、昔は上奏してご裁可をいただいたのですが、今でも慣習によって上奏簿を御所へもっていく。そういう書類をつくる関係があるので、九月の少し前でしたが、「まだ間にあうか」と係に間いたところ、大丈夫だという。それならと千数百柱をお祀りした中に、思いきって、十四柱をお入れしたわけです。巣鴨で絞首刑になられた東条英機(元首相・陸軍大将)、板垣征四郎、土肥原賢二、松井石根、木村兵太郎(以上、陸軍大将)、武藤章(陸軍中将)、広田広穀(元首相)の七柱。それに囚われの身や、未決のままで亡くなられた梅津美治郎(陸軍大将)、小磯国昭(元首相・陸軍大将)、永野修身(元帥海軍大将)、平沼騏一郎(元首相)、松岡洋右(元外相)、東郷茂徳(元外相)、白鳥敏夫(元駐イタリア大使)とあわせて十四柱。
    その根拠は明白です。昭和二十年八月十五日に天皇様のご命令によって、われわれは一切の交戦行為をやめた。しかし、むこうが撃ち込んできたときは、応対せよという但し書がついていたんです。ソ連が十五日以降に千島列島に上陸したので応戦したのはその例で、相当な戦死者が出ています。
    九月二日にミズーリ号での調印があり、占領行政が始まる。そして二十六年の九月八日にサンフランシスコで平和条約の調印がある。その発効は翌二十七年の四月二十八日、天長節の前日です。
    ですから、日本とアメリカその他が完全に戦闘状態をやめたのは、国際法上、二十七年の四月二十八日だといっていい。その戦闘状態にあるとき行った東京裁判は軍事裁判であり、そこで処刑された人々は、戦闘状態のさ中に敵に殺された。つまり、戦場で亡くなった方と、処刑された方は同じなんだと、そういう考えです。
 
「靖國」奉仕十四年の無念 (現在リンク切れ)

■もし、小沢民主党政権ができて何か策をなすとすれば、対応をする靖国神社の宮司は、南部利昭さん。南部の殿様。南部家は盛岡、今の岩手・一部青森(八戸)を領有してきた外様の大藩。そして、戊辰戦争の「賊軍」。つまり、戊辰戦争で戦死した南部家家臣は靖国神社に祀られていない。

南部利昭さん、と伊達の殿様、の御尊顔はこちら。

南部家第46代の利昭さんは、電通に25年勤めた経歴。旧華族という属性が靖国宮司就任に一番求められたもの。宮司の経歴は特にないし、そもそも求められていない。


■盛岡・南部家は、戊辰戦争の時、家老の楢山佐渡を筆頭に、薩長の幼帝を戴き日本を専有・僭主する意図を見抜き、奥羽越列藩同盟の主力として、薩長に寝返った秋田・佐竹と主に戦った。楢山の信条と行動は、戊辰戦争に先立って、京都で実際に西郷隆盛や岩倉具視と会見して、そのいか@サマを見抜いたことに基づく。薩長を偽官軍、偽皇軍と見る認識は、旧盛岡・南部家家臣の出の大日本帝国下の最初の政党出身宰相・原敬の日記にも見えるらすい。

■盛岡・南部家は維新後、伯爵家となるが、第42代当主、南部利祥さんは日露戦争で戦死する。旧「賊軍」の華族が官軍となりて、戦死することこそ、ふたごこころなきことを示す何よりの証左となったのであろう。悲しい話である。

■後に若くして戦死する南部利祥さんに、陸軍幼年学校への入学を薦めたのは旧家臣で当時陸軍大学校教授であった東條英教さんである。東條英機さんのパパに他ならない。英教さんは安政2年(1855年)の生まれであるから、戊辰戦争・明治維新は13才の時となる。これは以前に紹介した同じ「賊軍」出身の柴五郎の4才年上。英教さんは16才(くらい)の頃歩いて上京、陸軍の学校に入り、大日本帝国の栄光に浴することを選ぶ。後に、陸軍大学校を第一期生として10名中首席で卒業。

■そんな日帝最初のガッコ・エリートの人生が....。明治22年ベルリンを訪れた山縣有朋に、ベルリンに滞在、研究をしていた英教さんは山縣に面会(初対面だったらしい)、陸軍の人事は長州偏重でけしからんと詰め寄った。東條英教、35才、山縣有朋51才。山縣はいうまでもなく、日帝を己の槍働き始めて作り上げた、陸軍の最高実力者である。まさか、英教さんはガッコ秀才で、山縣なぞチンピラ上がりと考えていたわけでもなかろうが、たぶんドイツの軍事学をお勉強・習得することで全世界を獲得したような気分になってしまって矜持におぼれたのか、あまりに不用意な言動で、以後山縣から忌避され、陸軍でのエリートコースからの脱落を余儀なくされる。

その山縣・長州閥批判というのは論理的に記述されたものが残っているらしい。『隔壁聴談』

ちなみに、それを息子の英機は読んだことは確実。

そして歴史は;

東條英機は、歴史的には山県有朋や伊藤博文がつくりだした大日本帝国の<拡大された矛盾の清算人>であったと思う。保阪正康の言葉)

という役回りを東條英機が担う。因果なものである。

■もし、東條英機さんが、大日本帝国の<拡大された矛盾の清算人>であるなら、そして事実として、国民と天皇の身代わりとなって戦勝国の<リンチ>を甘受したのであれば、その追悼はただではすまない。

●空想することは、豪腕(笑い)小沢が、イワテ・コネクションを使って、南部宮司が旧家臣である東條の御霊を「引き受けて」新たに神社をつくり、そこの宮司に南部がなる、というシナリオ。これだと、単なる「分祀」ではないことになるかもしれない。



米機                 英機


英機、米機と緊密なる連携のもと、日本を荒廃へ。