いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

横須賀散歩:汐入駅⇒ 軍港めぐりクルーズ⇒ ヴェルニー公園⇒ 三笠公園⇒ 横須賀中央駅

2024年01月28日 15時56分45秒 | 散歩

横須賀参りは4度目。これまでの3回は、2015年2018年春2018年秋。これらの横須賀参りでは、横須賀の目玉、米海軍基地付近やドブ板通りあたりは行ったことがなかった。今回は"アメリカ海軍や海上自衛隊の艦船を間近で見られる"「YOKOSUKA軍港めぐり」クルーズに乗ることが目的。

1.京急汐入駅、2.汐入桟橋、3.ヴェルニー公園、4.三笠公園、5.横須賀中央駅、  
赤点線:クルージング航路、 六芒星A:空母ロナルド・レーガン停泊位置  

■ 1.京急汐入駅 ⇒ 駅の北側

  ⇒ 風、ひと、酒-横須賀【後編】2つの国が混ざり合うカオスを体験する街

上記リンクより

■ 1.汐入駅 ⇒ coaska コースカベイサイドストアー:軍港めぐり 受付ブース


google map より


YOKOSUKA軍港めぐり web site


平日は1,800円、土日は2,000円。クレジットカードで割引で今回は1,620円だった。

coaskaベイサイドストアーズの2階からの眺め。クルーズの船。

■ ⇒ 2.汐入桟橋

▼ 出航

混んでいた。屋上階はほぼ満席。女性も多いばかりか、艦船の写真撮りまくり。ミリオタ?


100円で双眼鏡を借りる

▼ a 楠ヶ浦地区の海上自衛隊地区


ドライドック (横須賀海軍施設ドック wiki

▼ 海上自衛隊の潜水艦

▼ b 米海軍ミサイル駆逐艦 [米海軍 ミサイル駆逐艦 wiki]


船体番号83 = ミサイル駆逐艦「ハワード」[wiki]


船体番号86= ミサイル駆逐艦「シャウプ」[wiki]


船体番号に105とあるので、デューイ (ミサイル駆逐艦・2代)[wiki]


▼ c 米海軍空母 ロナルド・レーガン


map

空母ロナルド・レーガンの乗組員数は約6,000名とのこと。現在、上の画像で分かる通り同艦は横須賀に寄港中だが、6,000名はどこにいるのだろう?

クルーズから離れてネットで米軍基地内を見てみた。


google map

もちろん平屋の「米軍ハウス」とは思っていなかったが、白い建物と緑の芝が広がるという基本は同じであった。

この米軍占拠地域には米軍・関係者が2万人暮らしているとのこと。米軍コロニーだ。

なお、この米軍コロニーの「生き写し」(!?)がゴビ砂漠にあることは有名である。

* google map

 

google mapで米軍占拠地区を見ると「白紙」となっていると昔から気づいていた。同じ縮尺の条件で「日本領」は地図情報が出ているが、米軍占拠地区を見ると「白紙」となっている。これは「秘密」だからだろうと思い込んでいた。違った。縮尺の倍率を挙げれば、米軍占拠地区でも詳細がわかるのだ。航空画像も普通に見られる。

▼ 吾妻島の北東


横須賀消磁所(wiki

横須賀消磁所(よこすかしょうじしょ)とは、神奈川県横須賀市泊町、横須賀造修補給所内に存在する艦船の消磁所である。日本では唯一の施設で、海上自衛隊が使用している。アメリカ海軍とは共同使用施設となっている。 

消磁所とは、船体消磁(Deperming)を施す施設である。海面に突き出た多数の構造物に係留し、艦体の磁力を測定し、消磁装置で逆向きの磁気を当てて打ち消す。

ほとんどの艦船は磁性体である鋼製であり、長時間使用すると地磁気の影響や接触による接触電気により強い磁性を帯びる。定期的に消磁作業を行わないと敵国などが敷設した磁気感応式機雷に反応するリスクが高まる。

住友重機工業。見える文字:SUMITOMO よこすか の「よこすか」の文字を書くのに1,000万円掛かったと、ガイドの大島さんが教えてくれた;


https://yokosuka-gunko.jp/#guide

▼ f  横須賀市 環境部リサイクルプラザ・アイクル(web site

▼ e  船越地区


掃海母艦 うらが (海上自衛隊 web site

▼ g  比与宇地区

潜水艦には艦艇番号や船名は書かれていないとガイドの大島さんが云っていた。


2:護衛艦「もがみ」、6102:試験艦「あすか」 海上自衛隊 艦番号一覧表

富士山見えた

▼ h 新井堀割水路

▼ i 逸見地区


右2隻は、101:護衛艦「むらさめ」、  110:護衛艦「たかなみ」
左2隻は、護衛艦「やまぎり」、「うみぎり」(呉 所属)(らしい)


101:護衛艦「むらさめ」


右 174:護衛艦「きりしま」イージス艦、真中154:護衛艦「あまぎり」、左 護衛艦「たかなみ」

▼ いずも

▼ 同じ便に乗ったひとの動画投稿がXにあった;

■ ⇒ 4.ヴェルニー公園

なんと、休みだった。また、事前調査を怠ってしまった。

■ ドブ板通り

ドブ板通り 公式 web site

■ 米海軍基地正門

この横断歩道の向こうのタワー。米軍関係者は2階を経由して基地外に出てきているようだ。行ってみた。2階に行くとゲートがあり、デジカメを向けると黒づくめの守衛が出てきて手でバッテンを組んで、警告された。したがって、画像なし。

■ ⇒ 4.三笠公園

三笠公園には奥に庭園があると、「今」知る。知った経緯は、「ロナルド・レーガン一般公開」について調べていたら、公開時には、三笠公園から米軍基地に入るのだ;

入門ゲート:三笠公園ゲート
 (三笠公園の奥まで進み、噴水池の横からご入門下さい)(ロナルド・レーガン一般公開)

■ ⇒ 5.横須賀中央駅

■ まとめ 通過街

神奈川県 横須賀市 汐入町、本町、逸見町、稲岡町、小川町、大滝町、若松町


新しい街でもぶどう記録;第480週

2024年01月27日 18時00分00秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第480週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の富士山

■ 今週の草木花実

■ 今週の半額

奥入瀬というので十和田湖のあたりでごぼうが採れるのかと思った。ググった。違うようだ。

JAおいらせというのは十和田湖ではなく、東岸なのだ(JAおいらせ web site)。

そもそも、なぜ青森県三沢市周辺の三八上北地域で「ごぼう」の栽培が広まり、日本一の産地となったのか。それは、根菜類の栽培に適した気候と土壌にありました。
三八上北地域では、夏に冷たく湿った北東風(やませ)が吹きつけ、冷害で作物が不作となる原因となっています。以前は、葉菜類の栽培や稲作も行われていたそうですが、やませの影響を受けやすく、地面の中に根を張る根菜類の方が育てやすい、という事情がありました。加えて、やわらかな土質の土壌が深くまで続くことが「ごぼう」栽培に適していました。 (生産量日本一を誇る青森県産の「ごぼう」(2019年10月))


きんぴらにして、いただいた。

■ 今週知った「隠語」:朝顔

通りを歩いていると、工事現場の表示。足場・朝顔の占用とあった。足場は工事現場の足場だろう。では、「朝顔」は? わからない。 帰って、ググった。

公道や歩道に隣接する高所作業の仮設足場を設ける場合は、落下物による危害を防止するために防護用板の設置が必要です。

この防護用板は足場の外側面にはね出して設置されています。足場から斜め上に広がっているため、
その形が花のアサガオに似ていることから業界用語で「朝顔」と呼ばれています。ソース

 

厚生労働省の「国土交通省の仕様書に基づいた足場等の安全対策」では「防護棚(朝顔)」とも記載されているため、朝顔で十分に通じます。ソース


Google(朝顔)

■ 今週のフェンスの向こうのアメリカ



神奈川県横須賀市本町1丁目付近

■ 今週の昭和の成仏のために

2015年に「この人たち、おいらががきんちょの頃から指名手配されている。」で始まる記事を書いた:昭和の成仏のために、2015

2024年の今日までに二人とも見つかったのだ。

連続企業爆破事件の桐島容疑者名乗る男、神奈川の土木会社に長期間勤務…会社側は知らずgoogle

■ 今週の舟遊び

横須賀に行った。横須賀はこれまで3度行っている(2015年2018年春2018年秋)。でも行先は神奈川県美術館の横須賀館あったり葉山館だったりして、その帰りに三笠公園の戦艦三笠とヴェルニール公園などに行った。横須賀の本丸、汐入駅と米海軍基地の地域、そしてドブイタ通りは行ったことがなかった。今回行った。特に、横須賀の港の「軍艦」を観る船(Yokosuka 軍港めぐり)に乗ってみた。

お客さんは多かった。屋上席は満員。


米空母 ドナルド・レーガン


海上自衛隊 いずも

■ みそ・納豆の類い:鶏肉の旨辛豆豉(とうち)炒め

横須賀でのお昼ごはんは海軍カレーでも、ハンバーガーでもなく、バーミヤンだ。ところで、インド料理屋さんのNavy Setってなんだ?!。便乗だ。バーミヤンである理由は、お昼ご飯の原資はすかいらーくグループの株主クーポンだからだ。そしてその所有者は<荊の簪を挿した御方>さまだ。なお、バーミヤンもガストも汐入にはあった。

鶏肉の甘辛豆鼓[豉](とうち)炒め鶏肉と野菜、椎茸をオイスターソースで炒めました。おかず、おつまみのどちらでも良く合います

鶏肉の甘辛豆鼓[豉]炒め 【満場一致合格】酢豚や焼そばなど、超一流中華料理人が絶賛した「バーミヤン」メニュー3品

「豆豉」とは、黒豆が原料の中華調味料です。黒豆を蒸してから塩、麹と酵母を加えて発酵させたあと、天日干しで乾燥させて作られます。日本の一休寺納豆や大徳寺納豆などの寺納豆は、もとはこの豆鼓が中国から日本に伝わったものとされています。ソース

豉:発酵して豆と豆とが結びついて枝分かれしたようになった、みそ・納豆の類いの意味を表す」(新漢語林 第2版)[ソース]

 鼓/豉: 「豉」と「鼓」。似てはいますが、「鼓」は「太鼓のコ」「つづみ」であり、「豉」とは全く別の字です。(同上)

バーミヤンはよく行くが、鶏肉の甘辛豆鼓[豉]炒めは食べたことがなかった。豆板醤より辛くはないと思う。味が濃く、鶏肉の淡白さとなじむ。御飯が進む。

■ 今週の「変」

横変

■ 今週返した本

赤坂憲雄 『家畜と奴隷』 (Amazon)

家畜と奴隷について原理的に考える論考というより、家畜と奴隷に関する本の内容を紹介し、そこで想起される事項を検討している。家畜と奴隷に関するブックガイドとも云える。特に、『家畜人ヤプー』など有名だがグロテスクなので直視するのに躊躇せざるを得ない人には、少しやわらげて内容を紹介している。つまり、『家畜人ヤプー』を読まなくても、そういうものかといった程度にはわかる。『猿の惑星』シリーズについても。

『家畜人ヤプー』は端的に白人に家畜化される未来の日本人であり、『猿の惑星』の作者は(この赤坂憲雄の本では言及されていないが)『戦場に架ける橋』の作者である。つまり、白人が猿や日本人に支配されるという悪夢を書いたものだ。

実際の歴史では白人が有色人種を奴隷化、従属させてきた。こういう白人の多人種への対応の根拠として、山下正男は『動物と西欧思想』で解説している。この本は1973年刊行。古い。山下正男は、「動物視された人間、すなわち奴隷」、「ヨーロッパ人種が動物について長年蓄積してきた技術のすべてがそっくり黒人奴隷に適用された」と云っている。

つまり、白人の多人種の奴隷化は白人の牧畜、家畜管理を背景としているとの指摘。白人は家畜の管理により、奴隷に対する規律と訓練が武を以て大がかりに組織化・制度化を現実化した。

一方、最近のリチャード・ランガム 『善と悪のパラドックス』では、人間の攻撃性を反応的攻撃性と能動的攻撃性に分ける。前者は他者からの攻撃を感情的に戦略なく対応する。一方、後者は冷静に戦略的に計画された攻撃えあり、感情が抑制される。この能動的攻撃には言語が重要である。「言語は、高い殺傷能力と低い感情的反応が同居するキメラ的な人間をつくりだした。」とランガムは云っている。

これらを考えると、近世、近代のヨーロッパ、白人の世界支配といのは技術、理性によるものばかりではなく、家畜の扱いを多人種に適用した実践的態度が重要だとおいらは思いついた。

さらに、赤坂憲雄 『家畜と奴隷』では、カズオ・イシグロ 『わたしを離さないで』 ジョージ・オーエル『動物農場』  『約束のネバーランド』など、人間の家畜化に関する作品を紹介し、検討している。

資本主義と「家畜と奴隷」の関係として、『ロビンソン・クルーソー』、『ガリヴァー旅行記』を引用して検討している。

■ 今週の実物店参拝

おいらがスカジャンを知ったのは13年前だ。それまでスカジャン=ヨコスカ・ジャンパーを知らなかった。2007年だ(愚記事)。教えてくれたのは、横山剣だ。なお、エリア・ワン(are 1)を教えてくれたのも横山剣だ(愚記事)。こっちはわずか3年あまり前だ。

スカジャン発祥の地、横須賀のドブイタ通りに行った。


新しい街でもぶどう記録;第479週

2024年01月20日 18時00分00秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第479週

■ 今週の根こぎ

鉢に入っているブドウが根を伸ばし、鉢の底から地面に伸びていた。地面に対して固定されていた。すなわち、鉢が持ち運べなかった。切った。根こぎ。

でも、違った。ググってわかった。根こぎは根を引っこ抜くこととある。おいらは、切断したのだ。

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週の「変」

湯変

■ 今週の終焉

右傾化傾向にある現在の政界には、祖父の目指した”穏健な保守政治”、宏池会的政治への待望論がある

『三田評論』での渡邊 満子という人が自著、『祖父 大平正芳』について書いた文章より(愚記事より)。

解散したよ。(もっとも、宏池会はこれまで5-6回「解散」したことがあるとの報道もある)でも、岸田内閣は防衛費を倍増した。”穏健な保守政治”なのか?

もっとも、宏池会創始者の池田勇人はキューバ危機で外務官僚が心配するほどの従来より踏み込んだ支持をケネディに示した。これはウクライナ戦争でバイデンに協力しカネを出す姿勢の祖型だ。

■ 今週の転移

今週水曜日に天気予報では氷点下以下に気温が下がるとの予測。氷が張らないかと、水をタッパーに入れて外に出して置いておいたが、残念ながら、氷は張らなかった(H2Oの液体⇒固体相転移が生じなかった)。

■ 今週の臨休明け


横浜市立図書館

年末年始の休みのために、12月末に、多数の本を横浜市立図書館に予約した。図書館・役所の営業日も考慮し年末の休みに間に合うように12月に予約を入れた。年末の休み前、連絡がない。一方、横浜市立図書館の検索web siteにつながらない。わかった。臨時休業なのだ。そして、今週、臨時休業が明けて、本を借りることができた。年末年始の休みは終わったが。

■ 先週のレコンキスタ史跡探訪

先週、伊勢佐木町へ行った。そのとき、不二家のビルの写真を撮った。何か独特の風貌のビルだから。家に帰って、占領下の横浜の写真を見てたら、あった。不二家ビルはYokohama Clubという米兵が飲食や文化・サークル活動に使う進駐軍用施設として接収されていたのだ。1937年に竣工のビル。関東大震災を受けて、耐震用につくられた建築物。1937年頃といえば後に残るコンクリート建物が建設された。空襲を生き延び、占領軍に接収された。そして、ついに取り壊すそうだ。

惜しまれるレーモンド建築 横浜・伊勢佐木の「不二家」解体へ 築80年超で建て替え東京新聞google

■ 今週のお墨付き

NHKニュース 「砂川事件」めぐる裁判 当時の学生らの訴え退ける 東京地裁リンク先

1957年、東京にあるアメリカ軍の基地に学生らが立ち入りその後有罪となったいわゆる「砂川事件」をめぐる裁判で、東京地方裁判所は、国への賠償などを求める当時の学生らの訴えを退けました。学生らは、当時の最高裁判所の長官がアメリカ側と非公式に会談していたことを示す公文書をもとに「不公平な裁判だった」と訴えていましたが、東京地裁は「最高裁の裁判官が裁判の関係者と面会したとしても、それだけでは『公平な裁判所』ではないとは言えない」としました。

「砂川事件」は、1957年に東京のアメリカ軍の基地にデモ隊が入り、学生など7人が起訴された事件です。

1審は「アメリカ軍の駐留は憲法9条に違反する」として無罪を言い渡しましたが、最高裁判所が取り消し、その後全員の有罪が確定しました。

しかし、2000年代になって当時の最高裁判所の長官がアメリカ側と非公式に会談していたことを示す公文書が見つかり、当時の学生ら3人は2019年、「憲法が保障する公平な裁判を受ける権利を侵害された」として、国に損害賠償などを求めて裁判を起こしました。

15日の判決で、東京地方裁判所の小池あゆみ裁判長は公文書について、「最高裁の長官がアメリカの大使らに判決時期の予測や希望などについて何らかの言及をしたと推認される」と指摘した一方、通訳を介していることなどから「具体的な発言や文脈などの詳細は推測できない」としました。

そのうえで、「長官が予測される判決内容まで伝えていたとは認めることができない。最高裁の裁判官が裁判の関係者と面会したとしても、それだけでは『公平な裁判所』ではないとは言えない」としました。

つまり、最高裁判事が判決について「憲法制定権力」であった米国と話し合っても問題ないと現行の裁判所が云っているのだ。

今だって、本当は最高裁の判事たちは「非公式」に米国の「総督府」臣下と話し合っているかもしれない。

それにしても、こういう裁判をする人は現行憲法(マッカーサー憲法)が事態を変える根拠になると本気で信じているのだろうか?マッカーサー憲法は米軍の日本統治の手段であり、占領解除後も、日本が米軍天国であるための手段だと思わないのだろうか?現行憲法を守ることこそ立憲主義に反することはないであろう。なぜなら、現行憲法(マッカーサー憲法)は軍事独裁政権で独裁者の一存で制定されたものであるからである。その憲法の中にどんなに高尚なことが書いてあろうと米軍には関係ないのである。つまり、現行憲法で日米安保を否定できない。そしてどんなに高尚なことが書いてあろうと米軍には関係ないことを実現するのが現在の日本の司法制度の役割なのだ。だから、日本司法と米国の「密談」はお構いなしなのだ。


ソース(東京新聞)

▼ 証拠文書の発見の記録;


Amazon: 検証・法治国家崩壊:砂川裁判と日米密約交渉 (「戦後再発見」双書3)

1959年12月16日、
在日米軍と憲法九条をめぐって下されたひとつの最高裁判決(「砂川事件最高裁判決」)。
アメリカ政府の違法な政治工作のもと出されたこの判決によって、
在日米軍は事実上の治外法権を獲得し、日本国憲法もまた、その機能を停止することになった…。

■ 今週の基地外居眠り3人死傷米兵の解放


https://twitter.com/jaketapper/status/1745916091988095042

▼ 日本から移送の受刑米兵、仮釈放 21年静岡・富士宮3人死傷事故共同通信Google

【ワシントン共同】静岡県富士宮市で2021年5月に3人を死傷させたとして、自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の罪で禁錮3年の判決を受け、昨年12月に日本から米国へ移送された米海軍兵リッジ・アルコニス受刑者について、CNNテレビは今月12日に仮釈放されたと報じた。家族の話としている。

 米仮釈放委員会が12日に仮釈放を命じたという。アルコニス受刑者は日本で服役していたが、米議会の一部が不当な拘束だとして移送を求め、バイデン大統領も関係部局に対応を指示。日米両政府の協議を経て移送され、西部ロサンゼルスの刑務所に収監されていた。

CNNは、ハリス副大統領やサリバン大統領補佐官が移送に直接関わっていたと伝えた。

 アルコニス受刑者は横須賀基地に所属していた。一審判決によると21年5月、運転中に眠気を催して飲食店駐車場に突っ込み、男女2人を死亡させ、男性の妻にけがを負わせた。富士宮署に現行犯逮捕され、22年7月に刑が確定した。受刑者側は裁判で、事故前に富士山を訪れ高山病になったと主張していた。

▼ 米国のメディアがまるで人質解放のように大騒ぎ


引用元

▼ 一方、身柄引き渡し、釈放に重ねて、謝罪要求

米議員が交通事故で3人死傷させた米兵を収監した日本に対し謝罪を要求 (google)下記TWのマイク・リー米国上院議員


引用元

 


横浜散歩:JR山手駅⇒ 根岸外国人墓地⇒ 馬の博物館・根岸森林公園⇒ エリアXゲート⇒ 根岸なつかし公園 旧柳下邸⇒ 八幡橋

2024年01月14日 15時28分03秒 | 東京・横浜

JR山手駅から、磯子1丁目まで散歩した。途中に、 根岸外国人墓地、根岸森林公園などがある。主目的は、根岸なつかし公園 旧柳下邸。今まで行ったころがなかった。磯子、根岸方面も散歩したことはない。根岸森林公園はかつて1度散歩っしたことがある。2017年9月だ(本牧台地散歩;「帰って母に聞いて、日本がアメリカに負けたことを知りました」)。このとき、エリア・ワン(area 1)も知らなかった。ただ、本牧方面にレコンキスタ案件の見物に行こうとおもい、散歩した。2017年は事前にネットで調べたりしなかった。2017年には根岸の米軍住宅をみたのだが、この域はエリア・エックス(area X)と呼ばれているは知らなかった。今回知った。

1.JR山手駅、2.根岸外人墓地、3.馬の博物館、4.旧根岸競馬場一等馬見所、5.米海軍住宅(エリアX)、6.岸根小学校裏の段丘崖の階段、7.根岸なつかし公園 旧柳下邸、8.磯子区磯子1丁目2−11(ガスト磯子店)、9.八幡橋バス停

■ 1.JR山手駅 ⇒ 2.根岸外人墓地

■ 2.根岸外人墓地

扉は閉まっていた。自分で開けて、入った。

根岸外国人墓地は、JR根岸線「山手駅」を降り、南へ坂道を登ること約100mのところにあります。
 関東大震災では、外国人も多く被害を受け、死者1,789名、負傷者2,353名、所在不明者5,251名との記録も残っています。
 根岸外国人墓地入り口脇の説明板には「現在1,200有余の外国人が埋葬され、墓碑は160基程が確認されている。」と書かれていますが、同時に「外国人船員、関東大震災罹災者及び第二次大戦後に埋葬された嬰児(幼児)など、埋葬者名が不明な者も多い。」とも記され、震災の犠牲者が何名埋葬されているかは不明ですが、ここには横浜市が建立した外国人震災慰霊碑が建っています。神奈川県 web site:根岸外国人墓地

 

墓地は本牧台地の端の段丘崖にあり、敷地は段々になっている。最上位の面からの見晴らしは、(墓地では不謹慎だが)すばらしかった。

モニュメント [片翼だけの天使の翼の像を模した慰霊碑](Google

■ ⇒ 3.馬の博物館

仲尾台公園 更新再開のお祝いをしていた。


根岸森林公園が見えた。

■ 3.馬の博物館

馬の博物館(うまのはくぶつかん)は、神奈川県横浜市中区の根岸競馬記念公苑(根岸森林公園)の敷地内にある、競馬・馬事文化の関連資料を展示した博物館である。1977年にJRAにより開館。

同公苑は、日本で初めての近代洋式競馬が行われ、1866年に誕生した横浜競馬場(根岸競馬場)を記念して建てられたもので、この施設では横浜競馬場の関係資料や、競馬競走の成り立ち、馬と人間の文化関係、馬の体の仕組みや習性などを収蔵資料や模型などで多角的に紹介している。wiki

馬の博物館は2017年に来たことがあった。ただし、何か特別なことをやっていたらしく、本物の馬がいた(下画像)。招待がない人は入れないといわれ、博物館の中を見ることはできなかった。2024年1月28日をもってしばらくの間休館するとのこと。長期休暇の前に博物館に入ることができた。

2017年

馬の博物館の入口から旧根岸競馬場一等馬見所の上半分が見える

フィナーレ展 「うまはく所蔵優品選」をやっていた。

 
「三彩女子騎馬俑」(左) 「埴輪馬」

■ ⇒ 4.旧根岸競馬場一等馬見所

■ 4.旧根岸競馬場一等馬見所

wikipeia 横浜競馬場

■ ⇒ 根岸米軍住宅、エリアX

根岸住宅地区:

管理:在日米海軍横須賀基地司令部

米軍人、軍属及びその家族が居住し、管理事務所、教会、宿舎、中央公共施設(図書館、銀行、郵便局等)、診療所等が所在していましたが、平成27年12月にすべての居住者が退去しています。

なお、現在も在日米海軍司令部統合消防隊第5消防署は存続しており、在日米海軍横須賀基地司令部憲兵隊が交代制により立哨業務及び警備巡回を行っています。

また、米軍施設・区域に囲まれた土地に横浜市民の方々が居住しており、日常生活上の様々な制約を受けています。

横浜市 web site

ネット情報によると、すでに2023年中に米軍住宅は解体されているとのこと(google)。
上の画像で、瓦礫の山が見える。

 

左上から時計回りに地形凹凸図、1945-1950年航空写真、現在の航空写真、1974-1978年航空写真。

敗戦後、耕地であった域が米軍住宅になったとわかる。米軍住宅域ないに緑に覆われた小山が見える。下図参照。これは、神奈川・米軍根岸住宅地にある「日本人」住宅

「この家は船具商だった祖父母が別宅として建てた家なんです」と、みどりさんは説明する。1951年にこの家で生まれ、ずっとここで暮らしてきたという。みどりさんが生まれたとき、すでに自宅の周囲は米軍施設に囲まれていた。接収が行なわれたのは47年だが、当時10軒が徴用を免れたそうだ。ただし当時の記録がないため、なぜ取り残されたのかはわからない。(上リンクより)

終戦後の日米間の国力の差は歴然としており、「基地の中は高級車ばかりでした」と、みどりさんはふり返る。根岸住宅地には上級士官とその家族しかいなかった。日本人がようやく自転車を手にしたとき、基地内の駐車場には米国製のキャデラックやムスタングが並んでいた。この住宅地の近くに実家がある実さんも、当時の様子をよく覚えていると言う。みどりさんが中学校を卒業する頃まで、米軍将校たちの家々にはメイドやボーイとして働く日本人の姿があった。敷地内に彼らの独身寮があり、そこから毎日通勤していたのだ。米兵と結婚した日本人女性たちも暮らしており、基地内で日本人を見かけることは珍しくはなかった。


赤線内が米軍接収、現在も未返還区域。

星条旗新聞:‘Things don’t last forever:’ College student documents demolition of US Navy housing complex in Japan

■ ⇒ 6.岸根小学校裏の段丘崖の階段

■ 7.根岸なつかし公園 旧柳下邸



横浜市指定有形文化財[根岸なつかし公園 旧柳下邸]横浜市 web site

外観の見どころ

建物は東館、西館、洋館、蔵から構成されています。洋館の屋根は規模は小さいですが、周辺の町並みからは突出した高さを持っていることから、近隣のランドマーク的存在となっています。

東館、西館の屋根は「むくり」を持たせた入母屋造りの和瓦葺きです。東館は棟の向きが直交しているため、4つの入母屋屋根の複雑な構成になっています。

洋館の屋根にはフランス瓦が葺かれていて、ドーマー窓、銅の棟飾りがついています。(横浜市 web site)

■ ⇒ 8.磯子区磯子1丁目2−11(ガスト磯子店)


掘割川

堀割川(ほりわりがわ)は、神奈川県横浜市南区から磯子区を流れ、根岸湾に注ぐ流域全長2700mの二級河川。大岡川の分流である。明治時代に作られた運河(人工河川)で、横浜港発展に大きな役割を果たした。wiki

 

ガストとバーミアンが並んでいる。しばしば見る風景だ。すかいらーくグループの<まとめ賃借り>策なのだろう。


ガスト、味噌カツ丼味噌汁・漬物付き

■ 9.八幡橋バス停


八幡橋交差点横断歩道

八幡橋バス停から桜木町行きバスに乗り、伊勢佐木町に向かう。

▼ 伊勢佐木町 イセザキ・モール

▼ 有隣堂本店

有隣堂本店にお参りした。初めて来た。売り場面積の広さの割には展示冊数は多くないと感じた。高密度感はない。

■ まとめ 散歩通過街

横浜市 中区 仲尾台、豆口台、滝之上、根岸台、簑沢、寺久保

磯子区 西町、下町、原町、中浜町、磯子

↓ バス

中区 伊勢佐木町

 

 

 

 

 

 


新しい街でもぶどう記録;第478週

2024年01月13日 18時44分22秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第478週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週の薄皮剥き

■ 今週の餡(あん):トースト用小倉餡

⇒ 楽天市場 トースト用小倉餡

■ 今週の手ぬぐいと同定

横浜市指定有形

文化財、根岸なつかし公園 旧柳下邸で見かけた手ぬぐい。向かって左の手ぬぐいの柄が同定できた。

⇒ 戸田屋商店の手拭の「雪だるま」だ。エビデンス

■ 今週の美称:金港 = 横浜港 (google)

金港交通(画像右上)
金港モーターズ(画像左下)

■ 今週の訳あり

山形産訳ありリンゴ : 味も濃く(甘酸っぱさがよい)、みずみずしかった。外見以外なんら問題なし。

10kg, 3,780円

■ 今週の練り物:練乳 [wikipedia]

自家製プリンのジョナサンデー (いちごと練乳)(google

練乳はイチゴの下に敷いてあった。 ふつうはイチゴの練乳を垂らして食べるよね。違った。

■ 今週のフェンスの向こうのアメリカ

旧根岸競馬場一等馬見所(google

旧根岸競馬場一等馬見所の詳細説明⇒ 散歩の達人:公園に残存する国内初の常設型西洋式競馬場「根岸競馬場一等馬見所」

▼ エリアX (areaX)

エリアXの横浜市による説明

管理:在日米海軍横須賀基地司令部

米軍人、軍属及びその家族が居住し、管理事務所、教会、宿舎、中央公共施設(図書館、銀行、郵便局等)、診療所等が所在していましたが、平成27年12月にすべての居住者が退去しています。

なお、現在も在日米海軍司令部統合消防隊第5消防署は存続しており、在日米海軍横須賀基地司令部憲兵隊が交代制により立哨業務及び警備巡回を行っています。

また、米軍施設・区域に囲まれた土地に横浜市民の方々が居住しており、日常生活上の様々な制約を受けています。

 


札幌郊外のキャンプ・クロフォードの映像:冬を迎える孤児たちへ 札幌<時の話題>、あるいは、棄てられた混血児?

2024年01月11日 17時42分36秒 | 札幌

NHKアーカイブス 冬を迎える孤児たちへ 札幌<時の話題> という動画を見つけた。動画はニュースであり、1951年11月に札幌に駐屯していた米軍が孤児のために寄付を集め、孤児施設を訪問し孤児たちと戯れる映像。YouTubeではないのでblogに貼れない。リンク先で動画を見てほしい。この動画に註をつけてみた。上の建物はキャンプ・クロフォード(当時)の教会(Post Chapel (駐屯地教会))。白く太い4本の柱が特徴的。この建物は現存する。 ↓ 現在の姿


画像出典 https://poros.exblog.jp/13580634/
なおこの建物、基地の建設費は日本人の負担でした:「日本占領米軍に払ったわれわれのお金」


Google map

動画のNHKによる解説;

放送年:1951年

札幌郊外のキャンプ・クロフォードのチャペルでは、兵隊さんたちが孤児たちのための募金に応じています。この温かい企ての会長、オズボーン領事夫人はスタイロン少将らと共に、11月7日、市内の天使院に、寄る辺ない子どもたちを訪ねました

スタイロン少将とは、1951年11月の時点で札幌郊外のキャンプ・クロフォードに駐屯していた米国オクラホマ州兵の第45師団の師団長[1]。この部隊は同年の4月に札幌にやって来た[2]。その理由は、朝鮮戦争の勃発でキャンプ・クロフォードにそれまで駐屯していた米国第7歩兵師団が朝鮮半島に出兵し、空白になっていたからだ。

[1] 札幌市中央図書館-新札幌市史デジタルアーカイブ:占領軍の交代
[2] 1951年、札幌に進駐した米軍 ;第45師団(オクラホマ州兵)

したがって、この寄付を行ったのは第45師団(オクラホマ州兵)の軍人たちで、映像にみえる軍人は同部隊の所属員に違いない。なお、「オズボーン領事夫人」は調べ切れていない。おそらく、米国国務省の札幌駐在組織(領事)の夫人であり、この寄付を第45師団と共に行った。あるいは、呼びかけて実施させたのかもしれない。

孤児

寄付を集めたのは、札幌郊外のキャンプ・クロフォードの教会、すなわち、現在 札幌市南区真駒内17番地の陸上自衛隊真駒内駐屯地の「中央講堂」である。一方、映像に出てくる孤児院は、キャンプ・クロフォードから離れた北12条東3丁目の天使病院と思われる。映像に出てくる;

天使病院の歴史がネットにあった;

戦後のベビーブームを迎えた昭和22年は、他方では混血児の誕生など複雑な世相を生みつつあった。
(中略)天使病院ではすでに院内にベビーホームを設け混血児をはじめ、幸の薄い子供達50~60人の世話をしていた。(天使病院 100年史)

このニュース映像では明言していないが、孤児たちの少なからずが、米兵の子供なのだ。

どんな米兵の子供か?

寄付を行ったのは第45師団(オクラホマ州兵)の軍人たちだが、混血孤児の父親は彼らの中にはいないだろう。なぜなら、第45師団(オクラホマ州兵)はこの年(1951年)の4月に来たからだ。「十月十日」を考慮すると彼らの子供ではない。前任部隊の子供だ。第45師団(オクラホマ州兵)の前に札幌にいた米軍部隊をまとめる。

第77師団   1945年10月~1946年2月 キャンプ・シーデンバーグ
第11空挺師団 1946年2月~1948年4月 キャンプ・クロフォード
第7歩兵師団     1948年4月~1950年6月 キャンプ・クロフォード
キャンプ・クロフォード事実上の空白:(警察予備隊)
・第45師団(オクラホマ州兵)1951年4月~ 

まとめ 

この混血孤児がどうなったのか?はわからない。


刀削麺(とうしょうめん):町田 香港厨房 風香園

2024年01月08日 07時33分50秒 | ラーメンたべた

五目刀削麺。麺は幅広だった。食感は、とにかく、もちもち。汁は醤油味。具は、烏賊、貝、牛肉、ミニコーン、白菜、人参、小松菜、マッシュルーム等など。110円追加で半炒飯と杏仁豆腐が付く。総計1,045円。麺はおしいしかった。一目見た時、ビャンビャン麺を思い出した。基本的にその類の麺だった。麺を幅広にすると食感がよくなるのかな?おいらは、麺を目当てに行ったのだが、注文した五目刀削麺は具が多い。具材の種類の数が多いばかりでなく、量が多い。もう少し、麺が多くて、五目が少なくない方がよかった。醤油味は、正直、そんなにおいらにはとても合ったというわけではなかった。汁は残してしまった。

刀削麺(wikipedia)を食べたことがなかった。以前から、町田で刀削麺の店があることは知っていた。2021年1月に行ったことがある店だ。当時から刀削麺を一押し風に宣伝していた。その店は、名前を変えた。2021年には香港酒家 九龍(クーロン)だったが、今では、香港厨房 風香園(ふうかえん)となった。ビルの地下1階にある。相変わらず刀削麺を一押し風に宣伝しているので、変わったのは名前だけなのだろう。

いろいろ種類があった。確かに迷ったが、何か「マニアック」のように感じられたので、「無難」に五目刀削麺にした。


香港厨房 風香園 Retty

■ 刀削麺の刀削;刀で削る様子;

 


神奈川・東京散歩:こどもの国⇒ 東玉川学園⇒ かしの木山自然公園⇒ 芹が谷公園⇒ 町田駅

2024年01月07日 12時34分06秒 | 東京・横浜

こどもの国駅から町田駅まで散歩。こどもの国から西へ東京(町田市)に向かうと尾根にぶつかる。成瀬尾根。この尾根が都県境となっている。下の地図の2の点の上下=南北に走る線状となっている。航空写真では樹木の線として見える。緑道となっているから。成瀬尾根の西は成瀬台という造成された宅地、住宅地となっている。元来は丘陵地(本文の1960年代の航空写真参照)。さらにその西は、航空写真で緑地が広く広がっている域がある。昭和薬科大学やかしの木山自然公園がある。この域は丘陵が造成されず残っている。自然が残っている。今まで行ったことがなかった。さらに、西へ向かい、恩田川を渡り、芹が谷公園へ。

1.こどもの国駅、2.成瀬尾根(奈良ー成瀬台境界:都県境)、3.東玉川学園化石谷公園、4.かしの木山自然公園、5.恩田川 三蔵寺橋、6.芹が谷公園、7.JR町田駅

■ 1.こどもの国駅 ⇒ 2.成瀬尾根(奈良ー成瀬台境界:都県境) ⇒ 3.東玉川学園化石谷公園

▼ 成瀬尾根から外れて、東京都町田市成瀬台へ。

左手が町田市、右手が横浜市の奈良北団地。この右手の横浜市は北から成瀬台に舌状に張り出してる。

南を向く。成瀬台。開発された街であることがよくわかる。上の1960年代の航空写真を参照。谷戸・尾根を削りまくって造成したことがわかる。

造成された成瀬台の北端を行く。東玉川学園の尾根、すり鉢地形を進む。

都県境。横浜市は北から成瀬台に舌状に張り出した横浜市の南端。

すり鉢地形の底へ降りる。

すり鉢地形の底。

成瀬駅へ向かう道。

進む道。

町田市 web site

■ ⇒ 昭和薬科大学/三井住友海上玉川研修所グラウンド ⇒ 4.かしの木山自然公園

▼ 東玉川学園/南大谷の境界の尾根

尾根の西側。三井住友海上玉川研修所グラウンド(google

昭和薬科大学 門。尾根の東側。1990年にここに移ってきたとある wiki 。


ユニヴェルシオール学園の丘 google

■  4.かしの木山自然公園

1988年(昭和63年)に開園。敷地は西成瀬のほか、南大谷、高ヶ坂が入り組んでいる。園内は大部分が雑木林で、シラカシ、クヌギ、コナラなどが生い茂り、野鳥、昆虫が多く生息している。また、尾根道からは丹沢の山並みや町田の町並みが望めるほか、第三日曜日にはかしの木山自然公園自然観察会(但し不定期)を開催している。(wiki)

成瀬、高ヶ坂、南大谷にまたがる面積約5.5ヘクタールの緑豊かな自然公園です。シラカシ、クヌギ、コナラなどが生い茂り、野鳥、昆虫も多く、尾根道からは丹沢の山並みや町田の町並みが望めます。町田市 web site

■ ⇒ 5.恩田川 三蔵寺橋 ⇒ 6.芹が谷公園


a : 恩田川、三蔵寺橋

恩田川が流れているのは低地。台地に向かい坂を登る。

台地に登ったが、芹が谷公園は台地に刻まれた谷にある。谷を降りる。

■ 6.芹が谷公園

谷底

再び、台地に向かい登る。

■ ⇒ 原町田 ⇒ JR町田駅

原町田の台地面の平坦を歩く。

まとめ 

通過街

神奈川県 横浜市 青葉区 奈良

東京都 町田市 成瀬台、 東玉川学園、 南大谷、 高ケ坂、 原町田


新しい街でもぶどう記録;第477週

2024年01月06日 18時00分00秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第477週

■ 今週の武相境斜面


除夜の鐘

■ 今週の草木花実

■ 今週の炭水化物

お正月なのでお餅を焼いた。去年買ったトースターで焼いた。

■ 今週の何十年ぶりか? パンの「みみ」

めったにパンは食べない。疑似お武家さまだからだ。お米を食べているのだ。パンを食べるとしても、1年に数回、スーパーの大量生産品の食パンを買って食べる。ヤマザキだ。したがって、パンのみみは、はなから入っていない。最後にパンのみみを食べたのは成人前だ。今週、パン屋さんで食パンを買った。もっとも、別に買ったのはおいらではなくて、<荊の簪を挿した御方>さまだが。おいらが子供の頃はパンのみみだけを集めて売っていた。成人してからはそんなのは見たことはない。


300円

■ 今週の繕い

 

■ 今週の動物

こどもの国線「ひつじ電車」運行中!

■ 今週の旧住民に関する告知


Google

■ 今週の購書:新刊

ルシオ・デ・ソウザ、岡美穂子、『大航海時代の日本人奴隷』(Amazon)

Amazonの解説: 
戦国時代の日本国内に、「奴隷」とされた人々が多数存在し、ポルトガル人が海外に連れ出していたことは知られていた。しかし、その実態は不明であり、省みられることもほとんどなかった。ところが近年、三人の日本人奴隷がメキシコに渡っていたことを示す史料が見つかった。「ユダヤ教徒」のポルトガル人に対する異端審問記録に彼らに関する記述が含まれていたのだ。アジアにおける人身売買はどのようなものだったのか。世界の海に展開したヨーロッパ勢力の動きを背景に、名もなき人々が送った人生から、大航海時代のもう一つの相貌が浮かび上がる。
増補にあたっては、豊臣秀吉の朝鮮出兵によって大量に連行された朝鮮人捕虜、その捕虜たちの扱いに直面したイエズス会、さらに、長崎に連れて来られたアフリカ人奴隷など、アジアにおける奴隷貿易の実態をさらに深く紹介する。

▼ 購入動機

平川新、『戦国日本と大航海時代』をもってて、まだら読みをしていた。当初、読みはじめた理由は伊達政宗のこと。でも、この本は豊臣秀吉の朝鮮出兵が明の征服を目指したもので、その根本的動機はポルトガス、スペインのキリスト教&帝国主義勢力への対抗にあるとの指摘をしている。何より本書では宣教師に導かれたポルトガル、スペインは日本征服の意図を持っていたことを明瞭に記している。さらに、イエズス会が関わるポルトガルの日本との貿易に日本人奴隷が取引され海外に連行されたことが書かれている。これは従来の歴史書より踏み込んでいるといえよう。Amazonでレヴューが400を超えている。よく読まれているらしい。

対照的に、佐藤彰一、『宣教のヨーロッパ』(平川新、『戦国日本と大航海時代』と同じ中央公論新書!)日本人奴隷のことは書かれていない。(1989年と古いが)『バテレン追放令』には、人身売買のことが言及されている。秀吉とコエリヨ[wiki]の人身売買についての応答が書かれている。しかし、つっこんだ日本人奴隷認識はない。最近、グローバルヒストリーで「日本銀」という用語が周知となった。一方、大西洋奴隷貿易に準ずるような人身売買/奴隷貿易が日本で行われ、「日本人奴隷」が広く海外に連行されたのだ。長崎は世界的に記録に残る奴隷貿易の拠点だったことになる。そして、その長崎を支配していたのがキリスト教徒であり、日本人を捕まえて奴隷として売った日本人はキリシタン大名領の日本人なのだ。キリスト教支配下での、人身売買と奴隷貿易である。

実は、日本人奴隷の認知は最近、2017年以降のことだからだ。事実、平川新、『戦国日本と大航海時代』ではこのルシオ・デ・ソウザ、岡美穂子、『大航海時代の日本人奴隷』が日本人奴隷の史実の根拠として言及されている。

興味深いのは、なぜ最近まで日本人奴隷の認知が遅延していたかである。これは明瞭で、従来の歴史学者がキリスト教、イエズス会を恐れているからである。ルシオ・デ・ソウザはイエズス会の人身売買への関与を示している。イエズス会は奴隷廃止を謳っていたことも史実だが、実際には人身売買への関与を辞めなかった。奴隷廃止を騙っていたのだ。これはキリスト教徒の常套手段である。愛を謳い、戦争をする。これらを明らかにすると、「炎上」するからとルシオ・デ・ソウザは云っている。

佐藤彰一、『宣教のヨーロッパ』にはキリスト教宣教師の日本での布教が書かれているが、イエズス会の人身売買/奴隷貿易への関与は書かれていない。なお、佐藤彰一は大学時代イエズス会のフランス人に塾で教えを受けていた。

さて、日本人奴隷の認知がなされた現在から見て、日本人奴隷に言及した歴史研究は存在している。岡本良知、高瀬弘一郎の成果。そもそも、天正遣欧少年使節の日記に日本人奴隷のことが書かれている。しかし、歴史家たちは見て見ぬふりをしていたのだろう。恰好の言い訳は「史料がない」だ。でも、史料は自分で探すのが歴史家の使命だろうに。ルシオ・デ・ソウザさんはイエズス会の人身売買/奴隷貿易への関与の史料を探し、解読している。その成果の一部が『大航海時代の日本人奴隷』。でも、原著の一部を翻訳したもの。なお、同書では下記に述べる高瀬弘一郎、岡本良知の研究成果に言及している。

▼ 高瀬弘一郎、『キリシタン時代の研究』

高瀬弘一郎の業績は「殉教にいろどられた布教史のイメージを転換し」たとされる。先駆的な仕事だ。

一六世紀半ば以降,イエズス会のキリスト教布教を支えた経済活動を厖大な同会機密文書により分析.従来の公文書に基づく,殉教にいろどられた布教史のイメージを転換し,キリシタン研究に新段階を画した名著. (ソース)

海外に所在するカトリック教会の同時代史料を博捜し、教会が一翼を担った海上貿易、商人、通貨、送金、為替、利子、教会と権力者に焦点をあて、キリスト教教会の本音と建て前を徹底解明。ソース

一方、日本人奴隷に言及したおそらく初の研究者は、1936年の岡本良知 [wiki]、『十六世紀日欧交通史の研究』。この文献については上記『バテレン追放令』に文献として言及されている。しかし、本文では著者はキリスト教徒による日本人奴隷売買について言及、評価はしていない。

■ 今週の購書:古本

ブックオフのお正月セール。全品20%引き。