■ 磯江毅へのオマージュか?
15日、スペインのバルセロナで、皿に「盛り付け」られた裸の女性…芸術作品ではありません。食肉用として動物を殺すことに抗議する動物愛護団体の過激なパフォーマンスです。一糸まとわぬ姿は、寒そう。
http://photo.sankei.jp.msn.com/kodawari/data/2011/12/12barcelona/
新聞記事より; ちなみに、磯江毅の年譜の1981年の部には、「バルセロナ伯爵夫人展(当時スペイン最大のコンクール)にて名誉賞受賞」とある。
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磯江毅:「新聞紙の上の裸婦」、と「鰯」。
■ はやぶさ・川口淳一郎尊師の妄言; 子宮はないけど自分のヒステリーで考えよう。
真理に至りたいならば自分のあたまで考えるまでもないだろう。真理は普遍なんだろうから唯一に違いない。つまり誰が考えても同じってことだ。そういうことにわざわざ自分のあたまを差し出すこともなかんべ。
つまり、「普遍の真理はひとつであるが、誤りは多様である」ってことだ。 ずぶんのアタマは誤りに差し出してみよう。
一匹(普遍の真理)と、九十九匹のなかの一匹(多様な非真理の中の一例)と、である。 こりゃ、ややこしい。
そして、せっかくだから、多様な誤りの中のひとつであるずぶんを記述してみよう、と散歩先の竹林(ちくりん)で賢人が教えてくれた。
「自分のヒステリーで考えよう。」
竹林(ちくりん)で賢人が、お面を着けていたかはナイショ。
普遍の真理へ至る手段は理性であり、多様な誤りの彩りをささえるのは情念である。
愚ブログはルサンチマンという情念を駆動力として、みずからのヒステリーを追い風にぐちを書き綴っている。
ところで、おいらには「子宮はないけど自分のヒステリーで考えよう」 とはこれいかに?、という疑問はフェミナチの餌食になるだろう。
■さて、おいらがヒステリー状態になるのことの中で、惑星探査機・はやぶさ問題もひとつである。
世間的には大人気で、大成功!という風評に対しておいらはぐちを言ってきた;
・ 試料採取目的惑星探査機『はやぶさ』の残念について
・Re; 惑星探査機『はやぶさ』の残念について 、あるいは1粒じゃNASAの取り分がないよ
・ 塵(ちり)で筑波山がわかるのか?イトカワって筑波山より小さいのね、知らなかったわ。
・セシウムで汚れちまった梅を干す、そして、「宇宙村」の滅亡を希求する。
・ラストオーサーは私に; Science のはやぶさ試料6論文を読んだょ
こういうぐちの効果絶大で(のわけないが)、実は世間的には大人気で、大成功!のはやぶさ後継プロジェクトの予算獲得が難航しているらしい。
その状況に危機感をもった、川口淳一郎尊師が所感を表明した。
その表明文の内容が超まぬけすぎて、びっくりした。まるで、おいらのつっこみのための文章ではないか。
でたらめと説得力のないことばかり書いてある。
1.
川口淳一郎尊師曰く; 「小惑星を探査することは、地球を理解することつながる。実は、大地震を起こすプレートの運動をドライブするメカニズム、その理解にも通ずる。また地球の温 暖化の鍵となる二酸化炭素の起源を理解すること、生命の進化を育んできた環境を理解することに通ずる。だが、イトカワの探査は後者にはまったく答えてくれ ない。我々の水と有機物に覆われた環境の起源と進化を探ることが、はやぶさ-2の目的である。」
地球の形成と進化、ましてや上記「大地震を起こすプレートの運動をドライブするメカニズム」の理解に「はやぶさ後継機のはやぶさ-2」は貢献するはずがない。
地震予知なぞ論外であるどころか、地震の発生機構、そもそも地震規模の見積もりなど現在の地震学そのものができていない。そのできていないことをできるようにすることが科学の進歩、発展の目的である。ただし難題である。たぶん50-100年たっても解決していないだろう。そうであるならば、どのように「はやぶさ後継機のはやぶさ-2」はその難題に貢献するのか?全く不明である。
まぁ、おいらもいい人だから、忖度するに、地球は惑星の中でも水をもつ惑星である。その水の役割というのは地球の形成と進化と現在の状況を決定的に支配している。そもそもプレート運動が成り立つのもプレート生成場が水に覆われたせいである。水が無いと、プレートのわき出しでの冷却、さらには海溝での沈み込みが生じえない。その水の起源を知ることは重要だ。その水の起源は地球の母材となった小惑星に違いない。だから、小惑星を探査することは地球を理解することつながる、という言い分なのだろう。
でも、それは尊師、あるいはプロジェクト賛同者の脳内でつながっているだけだ。たしかに45億年前の小惑星の水がなかったら地球の水はない。あるいは他の起源を検討しなければいけない。でも、現実に今水はあるのだから、起源を調べたって、大地震を起こすプレートの運動をドライブするメカニズムの理解には貢献するはずがない。
こういう、「つながっている」思考をする人は実は研究者に多い。何か重要なこと、もっと下世話に言えば研究予算がつきやすいホットなテーマにつながっていると主張する。
1’. そもそも今回のはやぶさのサンプルリターンでわかったことのことの中の数少ないheuristicな結果は、小惑星がやせ衰えていることの時間を含めた定量的把握である。つまり、46億年前の表層物質は惑星から散逸している。今の小惑星の表面は46億年前の母体の中の方がやせ衰えてむき出しになったものだ。そうであるなら、炭素質隕石的物質で構成される小惑星だって熱変成し、昔の中心部の試料しか得られない。その部分は数百度まで熱変成したのであろう。ならば、有機物も期待できない。水もあり得ない。ただ含水鉱物の有無が焦点か?そんなの惑星科学的意義があるのか?
2.
川口淳一郎尊師曰く;はやぶさを担当した者として、強調したい、その最も大きな意義は、この計画が、すべて我々日本の独創性、創造性に発しているという点に ある。我が国のこれまでの産業・経済成長は、製造の国であることに依っていた。しかし、それが幻想で、いつか限界に来ることはうすうすと予見されていたは ずである。近隣諸国は、かつての我が国と同様に、比較的低廉な労働力で高品質の製造技術を手にし、大きな経済成長を遂げている。しかるに、我が国では生活 水準の向上、福祉レベルも上昇しているため、かつてと同じ方針で競争力が得られるはずはない。創造の国に脱皮し、転換していかなくてはならないのだ。新し い技術、新しい製品、そして新しいビジネスイノベーションを発信していかなくては、この国に競争力の復活はおろか、未来も展望できまい。その創造性を担っ ていくためのインセンティブをどのようにして得るのか、そして次世代を担っていく人材をどう育んでいくのかこそが問われている。
問題の認識はいい点を突いている。日本は製造業さえできなくなっているのだ。製造業立国としての日本は存続が難しい。そこでだ。10-20年前から始まった「科学技術創造立国」の路線は失敗している。高度な技術を創り出せば付加価値の製品を製造できて、進化した製造業立国としてやっていけるという策は破綻している。例の、技術力で勝る日本が、なぜ事業で負けるのか、の問題だ。
いくら技術を磨いても、社会や市場に無頓着では意味はない。なぜなら、技術とは手段なのだから。
このはやぶさプロジェクトも技術磨きを極めているように見える。イオンエンジンっていうんですか?そして、目的を小惑星探査でごまかしている。その惑星探査の目的も上記1に書いたように虚ろなのだ。
あと、日本発、日本独自という発想も嫌だ。日本の現状は大国という範疇の末席にいるのであり、「ただの国」への「転落」も時間の問題だ。おいらは「転落」なぞ大歓迎であるが、縮減した日本のやることは国際協力と分担である。 ネットでみる<はやぶさマニア>の少なからずが偏狭な排外主義者であることもあわせて、嫌な点だ。
本当に惑星探査がしたいなら、イオンエンジン技術を信じているのであれば、興隆の国に売り込めばいいのだ。日本政府も「はやぶさ後継機のはやぶさ-2」に予算を出さないなら、そして「世界が評価し、NASA もこの5月、NASA 版はやぶさ計画の実施を発表し、欧州版はやぶさ計画がたちあがらんとしている」のであれば、技術と人材ともども割譲してあげればいいのだ。
川口淳一郎尊師曰く; 新し い技術、新しい製品、そして新しいビジネスイノベーションを発信していかなくては、この国に競争力の復活はおろか、未来も展望できまい。その創造性を担っ ていくためのインセンティブをどのようにして得るのか、そして次世代を担っていく人材をどう育んでいくのかこそが問われている。
あほ。日本が停滞している理由のひとつは食税研究者がまぬけであるからだ。税金使ってろくなことをしていないからだ(愚記事;シロアリ研究者としての日本食税研究者)。そういうセクターのおまえが偉そうなこというな。おまえが、どんなビジネスイノベーションを考えついたっていうんだ。おまいら食税研究者どもの大半は、どれだけ「新しい技術、新しい製品、そして新しいビジネスイノベーションを発信して」きたっていうんだ!と、つい言いつのってみたくなる。
もっとも本当はそんな必要(新しい技術、新しい製品、そして新しいビジネスイノベーションを!)はないんだけどね。だから予算請求しなさんなって。アタマ使え、頭。
おまいらは、職人じゃないんだょ。職人はそう簡単になれるものじゃないんだょ。わかったかな?食税とっちゃん坊やたち。
おまいらは、坊主なんだよ。坊主。でも、どっちでも半端もんなんだけどね、実態は。 「坊主か?職人か?」。
それにしても、いつも、最近は、金出せ!金出せ!の予算乞食行脚ばかりだろう。ぼけ。
●川口淳一郎尊師ははやぶさ後継プロジェクトに予算が出ないかもしれない状況を愚痴っている。でも、そんな尊師においらは伝えたい;
日本社会は、自分に研究を続けさせるべきある といううぬぼれた感じを持ってはいけない。(中略)自分のために社会があるのではなく、社会のために自分がある。それが不満ならば、自分の能 力一つで社会にたち向かえばよい。(それが不満ならば、自分の能力一つで社会にたち向かえばよい。) 川口淳一郎尊師なら一人ではなく多くの優秀な御仁の能力を結集できるのであろう。それならば、なおさら、能力一つで(税金なぞあてにせず)社会にたち向かえばよい。 I hope someday you'll join me, And the world will be Capitalism!
-東証で鐘を打つ川口淳一郎-
2010年の年末は、ぬほんブルジョアさまの巣窟、東京証券取引市場で鐘を打った。
これは、シュールである。食税のお役人様、つまり自らを何ら投機したことのない御仁が、すなわち税金でプロジェクトをやってきた御仁が、「投資という果敢な挑戦が未来を開く」と述べたというのだ。税金使っての果敢な挑戦だろう。
大丈夫か? ぬほんすほんしゅぎ!
もちろん、以上の暴言はおいらのヒステリーから発したものだ。毎日、役に立って、お金になるものをつくれと資本家さまからこづきまわされ、精神的にテンパッテいるのだ(関連愚記事; ・役に立つこと ・お金になること ・職にありつけること)。
おいらは人生そのものがdeath valleyで投機されているのだ。役に立って、お金になるものをつくれないので何度もdeath valleyでたらいまわしに遭っている(職にありつけることに苦労している)。
そこで、優雅な食税研究者さまが資本家に上から目線で訓示を垂れているのを目の当たりにして、資本家さまからこづきまわされる運命と資本家に上から目線で訓示を垂れている運命の落差に愕然として、発作がおきたのだ。
以上、自分のヒステリーで考えてみました。
元「はやぶさ」プロジェクトマネージャ、川口淳一郎 http://image.itmedia.co.jp/l/im/nl/articles/1112/12/l_wk_111212hayabusa01.jpg
はやぶさ後継機(はやぶさ-2)への政府・与党の考え方が報道されている。大幅 に縮小すべきだという信じがたい評価を受けていることに驚きを禁じ得ない。
はやぶさ初代の代表として、発言しておきたい。
はやぶさは、史上初めて、地球圏外の天体に着陸し、その試料を往復の宇宙飛行で地上に持ち帰った。イトカワに滞在した近傍観測の成果、また帰還させた試料の分析の成果は、サイエンス誌に2度にわたって特集されその表紙を飾った。
世界が評価し、NASA もこの5月、NASA 版はやぶさ計画の実施を発表し、欧州版はやぶさ計画がたちあがらんとしている。我が国の科学技術が、世界から追われるフロントランナーの立場にある、その代表例と言ってよいはずである。
はやぶさ後継機のはやぶさ-2 という名称が誤解を生んでいるかもしれない。私は、この後継機プロジェクトの名称を変えるべきだと主張したのだが、多数の関係者の意見を受け入れて、やむを得ずこの名称に同意した。
はやぶさ-2 は、実は、これが本番の1号機なのである。はやぶさでできたじゃないか、という声も聞く。否。はやぶさ初号機はあくまで、往復の宇宙飛行で試料を持ち帰る ことができるという技術が、我々の手の届く範囲にあるということを実証しようとしたもので、あくまで実験機だったのである。
小惑星を探査することは、地球を理解することつながる。実は、大地震を起こすプレートの運動をドライブするメカニズム、その理解にも通ずる。また地球の温 暖化の鍵となる二酸化炭素の起源を理解すること、生命の進化を育んできた環境を理解することに通ずる。だが、イトカワの探査は後者にはまったく答えてくれ ない。我々の水と有機物に覆われた環境の起源と進化を探ることが、はやぶさ-2の目的である。まったく異なる天体(C型小惑星)を探査し、試料を持ち帰ろ うという計画なのである。小惑星ちは小さな天体の総称。C型小惑星はまさに未知の天体なのである。政府・与党の意見には、はやぶさ-2 に科学的な意義を見いだせないというものまであったという。まことに信じがたいことである。
はやぶさを担当した者として、強調したい、その最も大きな意義は、この計画が、すべて我々日本の独創性、創造性に発しているという点に ある。我が国のこれまでの産業・経済成長は、製造の国であることに依っていた。しかし、それが幻想で、いつか限界に来ることはうすうすと予見されていたは ずである。近隣諸国は、かつての我が国と同様に、比較的低廉な労働力で高品質の製造技術を手にし、大きな経済成長を遂げている。しかるに、我が国では生活 水準の向上、福祉レベルも上昇しているため、かつてと同じ方針で競争力が得られるはずはない。創造の国に脱皮し、転換していかなくてはならないのだ。新し い技術、新しい製品、そして新しいビジネスイノベーションを発信していかなくては、この国に競争力の復活はおろか、未来も展望できまい。その創造性を担っ ていくためのインセンティブをどのようにして得るのか、そして次世代を担っていく人材をどう育んでいくのかこそが問われている。
はやぶさ初代が示した最大の成果は、国民と世界に対して、我々は単なる製造の国だったのではなく、創造できる国だという自信と希望を具体的に呈示したことだと思う。
自信や希望で、産業が栄え、飯が食えるのか、という議論がある。しかし、はやぶさで刺激を受けた中高生が社会に出るのはもうまもなくのこと。けっして宇宙 だけを指しているのではない。これまで閉塞して未来しか見ることができなかった彼らの一部であっても、新たな科学技術で、エネルギー、環境をはじめ広範な 領域で、インスピレーションを発揮し、イノベーション(変革)を目指して取り組む世代が出現することが、我が国の未来をどれほど牽引することになるのかに 注目すべきである。こうした人材をとぎれることなく、持続的に育成されていかなくてはならない。
震災の復興が叫ばれている、その通りだ。即効的な経済対策にむすびつかない予算は削減されがちである。しかし、耐え忍んで閉塞をうち破れるわけではない。
なでしこジャパンのワールドカップでの優勝、それは耐え忍んだから勝てたのか?
そうではない。それは、やれるという自信が彼女らにあったからだ。震災からの復興を目指す方々に示すべき、もっとも大きな励ましは、この国が創造できる能力がある国だという自信と希望なはずなのだ。
日本は、お手本と格付けがないと生きていけないかのようだ。はやぶさでこの分野で世界の最前線、トップに立ったが、トップに立つとどうしてよいかわからなくなるのだろう。NASA も欧州も、我々を目指しているのに、なにか安定しない。
進んでトップの位置を明け渡し、後方集団にうもれようとしているかのようだ。
どうして2番ではだめなのか、この国の政府は、またも、この考えを露呈したかのようだ。トップの位置を維持し、独走して差を開いて行こうという決断を行う ことに躊躇してしまう。世界の2番手にいて、海外からの評価と格付けに神経をとがらせるばかり。堪え忍べと叫び、自らの将来を舵取りするポリシーに欠け る。
なんとなさけないことか。次世代を支える若者が、この国の国民でよかったと感じられなくなるようでは、将来はない。
私は、はやぶさ後継機のプロジェクトからは身を引いている。
しかし、アドバイザとしては残らなくてはいけないと考えている。それは、人材育成のためである。完全に身をひいては、技術と経験面で完全なリセットが起こ るだけに終わり、それは初期化することで、はやぶさの成果はなかったことにもどるだけになる。新たに初代はやぶさを開発することにもどったのでは進歩はな い。それどころか、現状から後退するだけである。初代に重ねて、上乗せして、はじめて進歩となるはず。だから、退職時になってようやく身を引いたのでは、 科学・技術のコミュニティは突然死をむかえてしまうのだ。
いうまでもない。私の自己のために、私がさらにもう1つプロジェクトを行おうとして、はやぶさ後継機を進めよというのではない。もう身を引いている。それは、そうしなければ、後進が育っていく土壌そのものを崩壊させてしまうからである。
宇宙探査プロジェクトには時間がかかる。はやぶさ初代は、プロジェクトが始まってから15年を要した。飛行時間が長いのが宇宙探査プロジェクトを長くする
特徴でもある。しかし、このことは、人材育成の難しさを明示している。15年毎にしかプロジェクトの機会がなかったとしたら、科学と技術両面で、継承・育 成などかなうわけがない。今、はやぶさ後継機(はやぶさ-2)を立ち上げることができなければ、日本は、コミュニティに技術や経験が継承されるどころか、 はやぶさ初代の成果をふりだしにもどしてしまうのだ。
はやぶさ後継機(はやぶさ-2)を進めることに政府・与党の理解を期待したい。
この文章をお読みになった方々から、草の根的であっても、それぞれの方法であってでも、政府・与党にメッセージを出していただければと思うものです。
(元「はやぶさ」プロジェクトマネージャ、川口淳一郎)