いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

この「子」の100のお祝いに;D論の被引用数が100を超えた、あるいは、死んだ子の年を数える。

2019年12月26日 18時06分00秒 | ぐち

2011年の記事に「この「子」の50のお祝いに、あるいは、死んだ子の年を数える。」というのがある。

内容は論文の引用数についてのこと。研究者は論文を書く。その論文は他の研究者によって引用される。たくさん引用される論文は学術に貢献していることを示す。なので、研究者はたくさんの論文を書くことを目指し、その論文がたくさん引用されることを望む。その両方が研究者の業績ということになる。

研究者は博士論文(D論)を書いて学位を取得し、ポスドクをやり、アカデミックの常勤職(パーマネントのポスト)の獲得を目指す。おいらは、アカデミックの常勤職を得ることができず、ポスドク任期切れとなり、無職を経て[1]、産業界で、10年の非正規雇用職で生きて来た。のち、「正社員」となり現在に至る。

[1] 2001年 9.11、米国同時多発テロ事件、十年ひと昔。あの時おいらは失業者で、death valleyのとば口だった。

さて、おいらをアカデミックの常勤職を得ることができない運命にしたD論の一部の論文とポスドク時代の論文2報が、20年を経て、今年、引用数100を超えた。下記表で「前世」というのがアカデミック時代、「現世」が産業界での論文である。

「前世」と「現世」は分野が全然異なる。文学研究で例えれば、英文学と仏文学くらい違う。したがって、学部 or 修士を出て今の「現世」の分野の産業界に入っていれば、会社でよほど出世できたであろう。「前世」は全くもって無駄であった。今でも奨学金を年20万円返している。本当に人生を棒に振ったと思っている。

20年前のD論は今でもコンスタントに毎年5報程度に引用される。それらの論文をみて、20年前においらが携わっていた分野の現在の動向がわかる。 おいらの論文を引用している最新の論文を見ることだけが楽しみだ。


a phony

2014年04月09日 19時24分24秒 | ぐち

  出典

超後出しではあるが、1月末の理研の記者会見の報道の時、おいらは、これは phony ! だと直感した。

その理由は、上左の画像を見たことだ。 この実験作法は、報道用の「演技」としても、いや「演技」だからこそ、とても「変」である。

 そして、これはphonyだと、2・26 には確信に到っていた。

(なお、1/29の愚記事の 枕営業で、教授をめざせ!  は全くこの理研・小保方「事件」とは関係ない。あえていうなら、天の配剤であろうか)

「本物」なら、普通、こうするという画像が先週公開されたので、reference として示す。演技としても正しい演技を報道のためにしている。上右の画像である。

普通の「研究者」なら、上左の画像は、絶対おかしい!、と思うはずだが...

 

■ なぞの安倍内閣の実績

話は全然変わって、日米関係。

その時代のひとはその時代を実はわからないのである。

分からない、日米関係。

ヘーゲル国防長官の政治的言動。

ロシア情勢:プーチンのクリミア併合の影響か!?

すでに米国はクリミア情勢では負けが決まった。

すごいな、プーチン。 熟して、落とした。

今更、米国は何もできない。

そのプーチンの熟柿落下戦略に安倍ちゃんも巻き込まれていたのだ。

すごいな、プーチン!

日欧分断だ。 プーチン・安倍会談 5回目

そして、クリミア陥落で、やっと気づいた米国、オバマ。

びびりはじめた。 米国の勢力圏は浸食されはじめたのだ。

クリミアどころか、韓国=南朝鮮も中国にとっての「クリミア」になりかねない。

精神的には既に韓国=南朝鮮は北京帝国に編入されそうである。

「仲人」は、安重根にほかならない。

今、集団的自衛権が話題となっている。

右翼~保守=集団的自衛権賛成!という図式は、当の右翼~保守はきずいていないかもしれないが、「右翼~保守」的な目的にはそぐわないかもしれない。

なぜなら、今米国のヘーゲル国防長官が望む会解釈改憲による集団的自衛権の行使の実現は、第二次朝鮮戦争に備えてのものだからだ。つまり、米国の支那大陸への橋頭堡たる韓国=南朝鮮での米国の理研確保の目的に奉仕するものである。

あれだけ反日の韓国=南朝鮮のために、日本が集団的自衛権を行使して第二次朝鮮戦争に参加して、日本の国益になるのか!?という右翼~保守的疑念が生ずるべきである。

日本の追及するべきは日本の自存自衛である。

それにしても、オバマ・ヘーゲル政権って、セックスしたいときだけ連絡してくる男みたいで、わらえる...。

 


国を肇(はじむる)こと...、そして、偉大なる敵役

2013年06月30日 21時00分15秒 | ぐち


 -階段をのぼるうめちゃん―

▼  最近、幸せだ。 なぜなら、大日本帝国の偉大さをひしひしと感じるからである。

ウヨに生まれて、よがったと思う刹那である。

 どのように、「大日本帝国の偉大さをひしひしと感じる」というと、大日本帝国の文明的遺産にほかならない「中国共産党」と「大韓民国」の首領さまが、反日を出汁に、結束なさっているからだ。 


最近の歴史などの問題で(北東アジア)域内国家間の対立と不信が深まっており、

 (おまけ; 【中国BBS】習近平と朴槿恵って兄妹のように顔が似てないか?) 

「中国共産党」が大日本帝国の文明的遺産であるとはどういうことからというと、当の御本人がおしゃっている。やはり、天才だ。

もし、みなさんの皇軍が中国の大半を侵略しなかったら、中国人民は、団結して、みなさんに立ち向かうことができなかったし、中国共産党は権力を奪取しきれなかったでしょう、といいました。ですから、日本の皇軍はわれわれにとってすばらしい教師であった...by 毛沢東 (google
 ikagenkiに顕われたる、毛沢東

「大韓民国」殿については、いうまでもない;

自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行け なかったのに、日本人が来て義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、親は仕方なしに大事な労働力 だった自分を学校に行かせてくれた。すると成績がよかったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれた。さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に 進学し、首席で卒業することができた。朴 正煕(パク・チョンヒ)回顧

もちろん、「教師」たるもの、反面あって、正面あって、教師なり。 教師は正反糾える縄の如し   (????)
  (憲兵だって、教師だ!

▼ ところで、日帝支配による受難で死んだ朝鮮人と朝鮮戦争で中国軍に殺された朝鮮人はどっちが多いのだろう?

ホント、歴史を正視してほしいよね。

それにしても、支那、朝鮮の 建国の精神が、打倒! 大日本帝国なのだ。

大日本帝国は、支那・朝鮮をして、国を肇(はじむ)らせんとしたのだ。

偉大なる敵役!

 朴槿恵(パク・クネ)さんは日本を悪魔化して憎悪し、その憎悪の共有で、 「中国共産党」の支那と、馴れ合っていこうというのだ。

すごいな。 でも、案外そういう動機は、凡庸なものなのかもしれない。 

すなわち、おやじ殿の朴正さんだって、ただ、ただ、ひたすらに、北朝鮮を敵として、悪魔化して憎悪していたから日本と条約を結んだのかもしれないからだ。

▼ そんなクネのおっかさんががんばっているのに、コリアンキッズどもは能天気だ: すなわち、朝鮮義士たる;安重根(アン・ジュングン)と尹奉吉(ユン・ボンギル)の区別がつかないのだ;


 歴史を知らない民族に未来はない

大丈夫か!? コリアンキッズども。

弁当爆弾の尹奉吉(ユン・ボンギル)は、こっち今かと思う幾瞬間の後、水筒形のその怪物は爆発した。爆音は強かった。)。 
安重根はこっち(人殺し、人殺しに遭う)。

▼ 真打登場! 大日本帝国の文明遺産@むしろ正嫡?


日本はむしろ北朝鮮に学ぶべきで、「世界で孤立しながら一国で自主的に頑張ってみせるなんてのは...


カネで買えないもの、それは、経済成長、あるいは、ΔG

2013年04月07日 20時41分52秒 | ぐち

お勤めを終え、おまけに実験が黒焦げになった堀江貴文さん通称ホリエモンは、かつて、「世の中にカネで買えないものなんて、あるわけない」と言ったとされる。

「世の中にカネで買えないもの」。 見つけたよ。

経済成長。

アベノミクスと小渕内閣の激しい政府支出政策がどうちがうのか?わからない。
(2019/1/21後述; ↑ バカだな、おいら。 金融緩和 [アベノミクス]と財政出動 [小渕財政]の違いだよ。)

いずれにせよ、小渕内閣の激しい政府支出で、日本の経済成長は順調な軌道にのらなかった。

財政赤字が急激に膨らんだ。

カネで買えないもの、それは、経済成長!

いくらおカネを注ぎ込んでも、日本経済はデフレから脱却しないのだ。

ところで、アベノミクスは、壮大な社会・経済(ソシオ・エコノミクス)実験なんだそうだ。

浜田宏一米エール大名誉教授(内閣官房参与)が言っているそうだ;

  こんなに大規模な実験は世界でもそれほど行われてない (Google)

    
実験物理学者  「実験経済学」者

世間では、経済とはおカネが回ることである、すなわち、経済がよくなるとはおカネがぐるぐる社会をまわることだと考えている人々がいる。おそらく、まちがい。資本制とは利潤がでることに意味がある。現在、日本の大企業は内部留保という「お金」をたくさん抱えている。時には、批難の的となる。でも、企業の内部留保とは守銭奴的にため込んでいるのではなく、投資先がないのである。ここで投資先とは利潤が出る、つまりはΔGが確保できる経済案件ということだ。そして、資本家さまの最大の任務は、投資である。現在の日本企業の経営者の最大の問題は投資家でないことだ。これは、本人たちの問題ばかりではなく、日本において成長する経済案件がないので、投資できないのである。一方、民間の投資が少ないので、政府が財政出動し、「投資」している。政府がやることなので、ほとんどが無駄な投資である。食税研究者と彼らの研究課題への投資なぞ、最たるものである([1] 「研究」したって日本は富まない 、[2] 無駄な公共事業としての肥大化した大学院教育)。そして、財政赤字が膨らんでいくのである。

3本の矢の内のひとつである成長戦略。これは、小渕内閣以降、全然進捗していない。理由は、ぬっぽんずんがまぬけだからである。成長戦略とは経済的事象ではなく、文化的事象(端的には、いわゆる、イノベーション)だからだ。イノベーションが実施できないのは、当事者の文明的器量が小さいからだ(関連愚記事; 想像力なき日本)。いくらカネがあってもダメなのだ。

カネで買えないもの、それは、イノベーション !

関連愚記事;

今回の原発事故で露わになったのは、原子力村に象徴される"ぬっぽんのえすたぶりっしゅめんと"事情。

あんなぬるいことしていて、高給もらっているんだから、経済成長なんかするはずがない。

なぜ、日本で経済成長が見込めないのか?それは、当事者たちがバカだからである。

▼ 私ごとで恐縮ですが、おいらは、すほんかさま(資本家様)から、G(資本)を投下され、技術開発を行い、市場で売れるものをつくり、利潤あげなければならない。つまり、G+ΔG=G’ を実施しなければいけない。 このΔGが、結果的には、ぬっぽんのGDPの増加分の(極微量ながら)一部となる。つまりは、おいらは経済成長の最前線におかれているのだ。いつも、すほんかさま(資本家様)から、どつかれて、技術開発とG+ΔG=ΔG’ の実施に励んでいる。

でも、全然だめ。ΔG’ <0である。アカでてる。ゆるしてください。

理由は、おいらがまぬけ(=アタマが悪い)だから、技術開発の目標が達成されないのだ。カネとスペース(愚記事;スペースならある)は与えられているのに...。

カネで買えないもの、それは、おいらのまぬけの除去!

▼ あべちゃんのぬっぽん:大いなる実験 (アベノミクス 2013-)

YouTube 毛沢東の中国:大いなる実験 (文化大革命1 1966-1967)

▼ 大いなる実験への必需品;

  




非うれし顔の三人、スリー・ファンキーズ、本歌

2013年01月13日 18時59分21秒 | ぐち

▼非うれし顔の三人
―予算乞食さんと票乞食さん―
なぜ、顕微鏡ひとつ覗くのに白衣になる必要がある?
ノーベル学者さまたちが背広姿じゃないか!

■本日、2013年1月13日、NHKのインタビューで安倍晋三総理大臣(関連愚記事; 国亡族)は、国力増強のための経済政策が最重要課題であると力説した。その一環として先日神戸の理研(理化学研究所)に行き、例の事業仕分けで殺されかけたスーパーコンピューター「京」やiPS細胞の研究を見学したと語った。科学技術による経済成長!路線である。科学技術への税金による投資が重要であるとの認識も示した。

スーパーコンピュータのことについても、「やはり世界一」が重要であると主張していた。つまりは、「2番じゃだめなんですか!?」というあの言葉へ反撃しているつもりなのである。でも可笑しい。なぜなら、現在理研のスーパーコンピューター「京」の性能は世界一ではないからだ。そういう事実を無視することができないのか、「やはり世界一を目指すことが重要!」と世界一が努力目標になっている。そしてさらには、世界一ではなくなった理研のスーパーコンピューター「京」の存在意義を言いわけするために、そのスパコン「京」の応用利用が意義深いことを主張する。そこでダシにされていうのがiPS細胞である。iPS細胞の研究のためにスーパーコンピューター「京」が使われているんです!キリッと安倍ちゃん。 今度は、iPS細胞の研究のためか。

スパコンが太陽電池の開発津波のシミュレーションに欠かせない、とのこと。

一昨年度、事業仕分けで殺されかけたときの計算目的は;

それにしても今日のテレビ報道番組でも、スパコンが新型インフルエンザのワクチン開発に 欠かせないなどと巻き 返し派の工作情報を流していた。全然わかってないね。予算乞食さんたち。そういう戦略性がない、一貫性がない、素人を口先でだます、その場しのぎの対応こ そが元凶なんだよ。今回の仕分け作業ではそういうtax eaterのずさんさがわかったのは良いことだろう。(⇒愚記事;(無題))

何のことはない、世間の事情で重要そうなものをターゲットにしている振りをしているのだ。(愚記事; Devil In Her Heart; 悪魔の面目躍如、あるいは、お京はんの時代に... 

という状況と変わりない。

世界一ではなくなった理研のスーパーコンピューター「京」の存在意義を言いわけするために、そのスパコン「京」の応用利用が意義深いことを主張することは、蓮舫センセの「2番じゃだめなんですか!?」という疑問に全然答えていない。むしろ、2番(以下)だって、応用利用が意義深いんですということであれば、蓮舫センセの「世界1を目指す必要はないのでないか?」という主旨にすがっていることになる。

■愚ブログでは一貫して、日本において税金を使った科学技術研究が直接経成長に寄与する効果は少なく、投入した税金が、将来、税収として政府に戻ることはない、と主張している 。
   ・愚記事;「研究」したって日本は富まない  )
   ・【デマ!&捏造データ】拡散禁止; 論文激減、twitterつぶやき激増; ぬっぽん食税研究者事情 )。
   ・シロアリ研究者としての日本食税研究者。 
   ・他人を欺かんと欲するものはまずは自らを欺け?... 

理由は簡単である。端的にはこういうことだ。秀逸な表現をネット上からパクった;

一方、大学業界は(吉川弘之氏のような重鎮は別であろうが)わけも判らず予算が増やされたので喜んで使ってしまったわけである(確かに私も母親に買ってこ いと言われたものを忘れたとき、自分の食べたいものを買って帰るが、それとおんなじようなものだろうか)。結局のところ、産官学連携という掛け声に反し て、これらの三者は伝言ゲームも満足にできない関係しか築いていなかったのであろう。博士はなぜ余るか? 日本の科学技術政策の10年に関する覚え書き

今回、iPS細胞工学など再生医学に10年で総計1000億円の投資が決まった。1年に100億円だ。100億円。この意味を考えてみよう。国庫から支出された100億円。将来国庫に戻らなければならない。そうでないなら、政府の赤字が膨らむからだ。国庫への回収は徴税である。100億円の徴税を、例えば、消費税で実施すると消費税率が5%と仮定して、なんと2000億円の売り上げがないといけないのだ。つまり、100億円の技術開発投資をするとうことは将来その技術に基づく産業の売上規模が2000億円とならねばならないのだ。ちなみに現在日本のGDPは約500兆円である。1/2500か。すごいな。 (売上規模が2000億円の産業として10年継続すれば、税の支出は元が取れる。さらに継続すれば政府の"儲け"になる)

でも、100億円使う研究者さまたちはそんなことは全然考えていないのだ。ノーベル賞をもらうような技術であるから、政府がノーベル賞をもらうような技術に毎年100億円ぐらい出すのは当然だ!くらいに思っているのだろう。そして、その毎年100億円は投資であるなんて考えてやしない。ノーベル賞をもらうような技術にたずさわるボクちゃんたちへの小遣いだくらいに思っているのであろう。 うらやましい!

ごめん。邪推が進み過ぎた。誹謗もすごい。これも、毎年100億円ポーンともらって投資回収の責任を負わずに研究できる食税研究者さまたちへのおいらのねたみだ。おいらは、《資本家》さまから御預かりした《資本》で技術開発の研究を行っている。そして、いつも、《資本家》さまから、G⇒G+ΔG、のΔGの進捗具合を問い質され、     「おまい!、どないなっとんのや!」と、すほんか(資本家)さまからド突かれるのである(愚記事;おいらも、▼紫陽花色に染められて: 普請中の大手町-丸の内界隈 )。

                           
          無駄な作業着、しかも襟立て          無駄な白衣

■ 今週知ったこと、おいらが生まれる前の昔の話;

▼うれし顔の三人
 ⇒ YouTube

ラジオがいっていた。高石ともや(彼は関西系と認識されているが、実は、道産子だったりする[wiki])の曲「受験生ブルース」の最後の"落ち"である、~♪~ 勉強ちっともしないで こんな歌ばっかり歌ってるから 来年もきっと歌ってるだろ 予備校のブルースを~♪~には本歌があるって。予備校のブルースとは、スリー・ファンキーズの曲「予備校ブルース」に由来するとのこと。スリー・ファンキーズもほとんど知らなかった。ただ、おいらが物心ついたころは長沢純はテレビに出ていた。あと、水戸黄門のうっかり八兵衛が昔アイドルだったとなんとなく聞いたことがあった。1980年代のラジオでは70年代フォークや頻度が落ちて60年代のグループサウンズの曲がかかることがあったが、スリー・ファンキーズって聞いたことがなかった。ただ、今から思いだすと、「ビートルズを和訳して歌っていた人たち、ゲッ!」といういいかたを聞いたような気がする。昔の詩をきいて、それより昔があって、本歌があると、考えればあたりまえのことを知った今週でした。




資本の文明化作用; A day in my life for Marunouchi-Sadistics

2012年12月12日 18時57分47秒 | ぐち


《大手町-丸の内界隈》のイチョウ

■ 毎月いち日(以上)、筑波山麓の《death valley》から、常磐線に乗って、《大手町-丸の内界隈》に出向かねばならない。《death valley》における《金儲け》への進捗状況を、つまりは、G⇒G+ΔG、のΔGの進捗具合を、《参謀本部》へ《上奏》しにいかねばならないからだ。最前線の《尖兵》が、《参謀》さまに御説明に上がるのだ。そして、 「おまい!、どないなっとんのや!」と、すほんか(資本家)さまからド突かれるのである極めて慇懃に、そして静かに恫喝されるのである。つらいずんせいである。かれこれ15年ほど前、おいらが学位をとった頃、いわゆる"ポスドク1万人計画"が始まった。当時、このポスドクは一部の偉いセンセイからは、「日本科学の近代化の尖兵」とも認識されていた(らしい)。おいらは当時はそういう尖兵認識は知らなかった。ただ、おいらより業績の少ないパーマネントの研究者さまがあまたいる状況でおいらのポスドクの任期は切れたのだ。敗北した《尖兵》![1](詳細愚記事;失業者になったのは2001年3月末でポスドクの任期が切れたからである)。その後、麻薬中毒者がシャブ抜きの断末魔に苦しまないと正常人になれないように、おいらもシャブ抜きのため、バイトでがんばった。バイトは、《death valley》での業務だ。何のことはない、《資本》の《尖兵》に他ならない。いつだって、おいらは、《尖兵》だ。ぬっぽんすほん(日本資本)の手先として、《尖兵》のおいらは、あるときは、インドまで行った(愚記事;草莽微賎の地球化(グローバリリゼイション))。

■そんな《尖兵》のおいらは、今月も《大手町-丸の内界隈》に行く日となった。朝9時から夕方まで一日中、《参謀》さまへの御説明と質疑応答、そして昼飯の帰りエレベータでばったり遭遇した《いとやむごとなきお方》への1分間エレベータピッチ(爆)など、大変だ。その前日、電話があった。《教育参謀》からだ。何事だろう? 《大手町-丸の内界隈》的慇懃な声で、「明日9時から会議だと思いますが、その前の1時間ほど、お時間をつくっていただけますか?」。ますか?っていわれても、「嫌です」とは言えない。そして、その冷徹な《大手町-丸の内界隈》的慇懃な声に、おいらは、嫌な感じ、もっと言えば、恐怖を感じた。ただごとではない。声でわかる。8時に約束をした。何事だろうと考えた。思い当たることはある。おいらの《所業》である。というか、おいらの行儀の悪さだ。ブラック・ベンチャー出身のおいらがこの《大手町-丸の内界隈》的典型的ぬっぽんメーカーの《行儀作法》になじんでいないことはわかっていた。もちろん、典型的ぬっぽんメーカーの《行儀作法》、すなわち、"冬には、受付が見える場所に来る前にコートを脱ぐし、面接室では立ったまま、面接担当官が来るのを待って"いるとかそういう御《行儀》を実践するマインドを、おいらは、さらさら持ち合わせていない。でも、コートの扱いや面接での不手際では、朝8時に《教育参謀》殿にはよばれるはずがない。もっと野蛮なおいらの所業が議題だろなと想像がついた。確認のためメールした。「何か、準備する資料はありますか?」。普通、参謀》さまが来いということは、おいらのツラをみせることではなく、資料を持ってきて、説明せよ!ということなのだ。つまりは、ΔGに関する資料と説明なのだ。 しかし、参謀》さまからの返事、 「ない」。 お~!決まった。これは絶対、おいらの行儀の悪さだ。

(なお、この会社[=《木村摂津》]との馴れ初めはここに書いてある: かりそめにも自分から進んで行きたいという言うのであるから、実はあっちでも妙なやつだ、幸いというくらいなことであったろうと思う。すぐに許されて私はお供をすることになった。 

■朝、行っただよ、《大手町-丸の内界隈》 8:00AM。慇懃な参謀》さまからの御下問。「いか@さんは、《山麓》研究所で《ジュニア・パートナー》さんに大声でどやしつけたりしていると、よその研究室より通報がありました。これは、本当ですか?」。「本当です」。あっさり認めたので、慇懃な参謀》が不意を突かれたのを少し顔に出したのを、おいらは見た。"大声でどやしつける"って、すごそうに聞こえますが、ブラック・ベンチャーで普通でした。ただ、「何やってんだょ!、おまい」と声を荒げる程度です。でも、「バカヤロー!」、は言いません。いいたいですけどね。しかし、これは、典型的ぬっぽんメーカーの《行儀作法》コードからは激しく逸脱するようです。でも、学びました。典型的ぬっぽんメーカーってホントは怖いって。極めて慇懃に、そして静かに恫喝するのです。大きな声を出すような荒くれ者のおいらを資本は慇懃に指導してくださるのです。そして、極めて慇懃に、そして静かに恫喝する《尖兵》になるように。 ありがとう!、資本の文明化作用!


[1] 思い浮かべてほしい映像。刑に「うたれる」、広能昌三 [菅原文太]と武田明 [小林旭](彼ら尖兵たち!)、そして、生き残って!笑う!!山守義雄 [金子信夫] (おいらより業績の少ないパーマネントの研究者さま)。



大手町・丸の内界隈

2012年04月08日 12時22分24秒 | ぐち


    ―界隈―

年度が変わった。新年度の最初の1週間。

いつものように筑波山麓でビーカーを洗い、そして大手町・丸の内界隈に数日出張った。

実験する人生、実験される人生。(⇒ビーカーを洗うおいら

■ flash back of my life

おいらが、大手町・丸の内界隈に初めて現れたのは11年前だ。

超ブラック企業の《非公然メンバー》としてつんぐん(賃金)労働を行うことにしたのだ。

何の因果か、すほん(資本)の手先 (⇒ブラックOK!)。

労働内容は、《死の谷渡り》。利益を上げるための技術の研究開発。

「資本」と「技術」のからまる現代哲学の一級の課題の現場に放りこまれたのだ。

「資本」と「技術」はおいらの成熟する場所だった(???)。

 技術にはそれ独自の論理があり、それに従って自己展開していく。どこまでも自己を分化させ、自分のもつすべての可能性をとにかく現実化しようとし、その結果が人間にとって有益であるか有害であるかなどはまったく顧慮しない。技術とはそういったものではないかと思うのです。
 資本というのも同じです。資本はそれ自体の論理をもって、自己を増殖するところならどこにでも入りこんでいき、一種の自己運動を起こしているように思われます。技術もそれと似たような自己展開の運動を起こしているのではないでしょうか。
 木田元、『哲学は人生の役に立つのか』 ❖技術も資本も人間にとって不気味なもの 

 (⇒でも、資本家さまに技術開発で雇われているおいらの技術は全然「自己展開」しないし、売上も「自己増殖」しないよ。

つまりは、不気味なものと闘う日々が始まったのだ。 もっとも、向こう様だって不気味なおいらを見て、びびったかもしれない。

"書物に傍点をほどこしてはこの世を理解して行こうとした"幼稚な夢を見ていたおいらは、罰が当たったのだ。

罰ゲームとしてのおいらのずんせい(人生)

さらには、「資本」と「技術」のリャンファン(二翻)に加え「グローバル化」が加わりサンファン(三翻)付いて、資本の手先として、しかも《非公然メンバー》、がんばってきた。⇒インドの町工場でがんばるおいら。 《公然メンバー》さまで英語で仕事ができる人が少ないのだ。

そして、すほんのご主人さまは変わり続ける。

タライまわしだ。でも、大手町・丸の内界隈の範囲内。ぬっぽんブルジョア村の狭い世界だ。12年通った(月に数度のペース、もちろん本業はずっけん[実験]だ)。
Death valley稼業についての日記。おいらは、「・役に立つこと ・お金になること」のためにバイトでがんばっている。

■ A day in my life at the Capital-Village

今春からは、《公然メンバー》だ。 

日帝中枢に寄生し、植民地主義に参画し、植民地人民の血で肥え太る植民者としてがんばりたい。

そして、新入社員研修(一部)を、22-24歳の《公然メンバー》嫡子さまと一緒に受講させられた。

よんじゅうなかば過ぎで、新入社員研修を新卒嫡子さま方と受ける。

おいらは最高齢 freshman だろう。 キモイ!

彼らは、おいらが大学出たころ生まれたんだね。    うーん。

ありがとう!運命。実験する人生、実験される人生

ひとつ、おいらの役割があったの

講演する会社幹部が、「私のようなロートルが...」と言っていた。

今の若い人はdictateできなかった(聞き取れなかったなかった)だろう。

おいらは、ちゃんと、受け止めたよ。

the very ロートル in the freshmen だからね。

 


バカは何でも知っている

2011年12月25日 16時04分12秒 | ぐち


 ―昔のコダックカメラの広告 [1] ―

「知らざるを知らずと為す是知るなり」 論語

 「化学工学」を誤解していた村上陽一郎さん

どうでもいい話です。

化学工学という分野があります。化学工学は応用化学や工業化学とは異なる学術分野です。お互いの分野は隣接していたり、重複している部分もありますが、disciplineが違います。disciplineってわざわざ原語で書くのは訳語が誤解を与えるからです。disciplineの日本語の意味は「学問の分野」というのがこの場合一番ふさわしいように思えます。ただし、disciplineの「訓練、訓練法」という意味合いが落ちてしまいます。disciplineというのは学問の専門分野が扱う対象ばかりではなく、その専門分野の専門家となる訓練方法および訓練で習得する内容も含まれます。

そこで、化学工学という専門分野は、実は、かなり明瞭なdiscipline(研究対象と訓練内容)を持った分野です。これは隣接の応用化学とは極めて異なることです。応用化学という分野のdisciplineは事実上ないのも同然です。大学の学科にはありますが。つまり、応用化学という分野にいる研究者に共通の基盤は基礎化学以外ほとんどありません。化学を基にしてれば何でもありという分野です。例えば、応用化学という看板を出している学科に属する研究室はやっていることはばらばらであるばかりでなく、研究のための学習(訓練)内容もばらばらです。有機化学と無機化学の壁もあるので、共通の訓練法も極めて限られたものです。一般基礎化学くらいと思われます。そもそも応用化学科の教官で、学部時代の出身が化学系ではない人もいます。

さらに工業化学というのもあります。これも化学工学とは違うものです。応用化学や工業化学というのは役に立つ化学物質を開発したり、合成方法の最適化などを研究する分野です。一方、化学工学というのは、実際に量産するためのプロセスを決めて、そのプロセスを実現する実装を決めることです。端的に言って、プロセスエンジニアリング、プラントの設計と具現化のためのエンジニアリングのことです。これは米国で発生し、事実上第二次世界大戦後の石油化学産業の興隆に伴い発展したものです。端的に言ってこういうものです↓(きれいですね。おいらのdeath valleyでの仕事場はこんなの

化学工学の明瞭なdisciplineは、プロセス計算やプロセス設計です。そのプロセスにはいろいろな機能があります。その機能を単位操作というサブプロセスに分けて、各々機能を検討し、各々の単位操作を繋げ、全体のプロセスを作り上げる方法です。ですから、化学工学のdiscipline=訓練は、化学ばかりでなく数学や熱力学、流体力学のような物理、機械工学が主となります。化学工学とはこういう学問分野です。

こういう定義で次の村上陽一郎さんの文章を読んでみましょう。

 例えば日本における工部大学校のもう一人の秀才下瀬雅ちか(1859-1911)を考えてみよう。彼は安芸藩の藩士の息子として生まれ、明治十年(1877)年に上京して工部大学校に入学、化学課程を専攻した.貧困のなかで、学業を中断したりしながら明治十七年(1884)年に卒業、直ちに大蔵省印刷局に奉職して、印刷用のインキの改良に努めたが、明治二十(1888)年海軍省に転じ、火薬の研究を命じられ、努力の末に明治二十一(1888)年にはある程度の成果を得た.彼の着想は当時は軍事機密として内容が明らかにされなかったが、結局ピクリン酸を主剤にしたものであった.これは改良を重ねて、明治二十六(1893)年に日本海軍の制式火薬として採用されることになった.ピクリン酸を爆薬に使うことは、必ずしも彼の独創ではなく、すでにフランスやイギリスの軍隊で試用されていた.下瀬はこれを弾丸や水雷に充填する方法に工夫を凝らし、世界に先駆けてこれに成功したものである。これを充填した魚雷は、日露戦争の際に非常に効果を発揮し、ロシアを恐れさせたが、やがてトリニトロトルエン(TNT)に取って代わられることになる.

 この実例だけでも、化学工学が、軍事と直接関わることは理解できるし、電信もまた軍事用に重要な意味を持つものであった. (強調、いか@)
「工学の歴史と技術の倫理」、p170-171、村上陽一郎、岩波書店、2006年

化学工学という言葉の用法を間違えています。爆薬の開発に化学を応用したこの例の場合、化学工学という言葉の代わりに工業化学を用いるべきです。

この間違いは「理解」はできます。村上さんは化学を工業に利用するための分野を化学工学と思い込んでいるのでしょう。しかし、上述したように化学工学とは明瞭な定義をもつ分野で、村上さんの上記の文脈にはふさわしくありません。

ここでわかることは、村上さんが化学工学という言葉の定義の内容に立ち入ることなく、つまりは化学工学のdisciplineの詳細を調べることもしていないことです。雰囲気で化学を工業に利用するための分野を化学工学と思い込んでいることがわかります。経済史学と経済学史が全然違うように、化学工学と工業化学だって違うんです。

以上のことは1年ばかり前に気付いたのですが[2]、まぬけだなぁくらいに思っていました。もちろん、ひがみ根性旺盛なおいらは、有名な元東大教授さまの瑕疵をつついては、どうも頭が悪いぢゃないかとつぶやいて、豚のように眠ったのでした。

しかし、今年、このまぬけさが大変な事態の原因を彩る片々のひとつであるとわかりました。

すなわち、村上陽一郎さんは、経済産業省総合資源エネルギー調査会の原子力安全・保安部会の部会長であったのです。

おいらは、驚愕しました。

なぜ、化学工学を知らなかったことが原発事故に関して問題かというと、原子力発電を担うのは原子力工学と思われています。間違いではないです。でも、その原子力工学の原理、プロセスを設計し、実装を機械工学で実現するという本義は、化学工学から派生したものです。原子力発電所のことを所詮は湯沸かし器、とい言う人がいます。そういう観点は重要です。ただ熱源に核分裂反応を用いているだけで、その熱源の制御、ポンプ、配管、冷却装置などは化学工学の知見を基にしています。ちなみに、かの班目春樹さんは、原子力工学や核物理の出ではなく、機械工学の出です。この機械工学は上記のプロセスを実現するための実装を研究する分野です。原子力発電所の安全管理をする場合重要なのは核分裂そのものばかりでなく、発電=蒸気の発生、制御のプロセスの安定運転の維持が重要です。今回のメルトダウンも冷却プロセスの不全が直接の原因でした。

つまり、村上陽一郎さんは原子力発電の実際がどのような学術内容、あるいは技術内容であるかの詳細を知らないうえに、さらには原子力発電に携わっている技術者や工学者が各々どのようなdisciplineを持ちながら参加しているのかを知らなかったのではないでしょうか?

安楽椅子にすわり、だいたいこんなもんだろうぐらいに各disciplineを想像しながら(バカは何でもしっている)、右から左に会議を流していたのではないでしょうか? まさに、盲人、蛇に怖じず、おバカ、原発、ばかりではなく科学と技術あるいは知識一般を恐れず、です。つまり、知らざるを知らずと為すことへの査定の欠如です。これまた、「自己の狭隘なイデオロギーや日常的意識を不断に反省する努力(西部邁)」をせずにこれまできたのかという典型例です。

村上陽一郎さんは科学と技術に関する"権威"として原子力安全・保安部会の部会長に政府によって祭り上げられたのだろう。そしてあんまりものを知らないのに原子力安全・保安部会の部会長になった。その権威さまの科学や工学や技術に関する理解は観念的、抽象的とういうばかりでなく、しばしば寓意的、比喩的なもので、とても安全などを考察する力量はないように見える。こういう部会長が原子力の安全を担ってきたのだから、日本の原子力安全政策の実際、つまりは「お猿の運転手」が原発の安全を導いてきたことが、今回の原発事故により、露わになった(真理=アレーテイア=隠されたものが露わになる)のだ。


[1] 今年初夏飛行機で、座席の雑誌にコダックの最盛期の広告が特集されていた。

[2] もちろんおいらが村上さんの本を読んで気付いたわけではなく、雑誌「現代化学2008年12月号」の読者投稿欄にあった川井利長氏の指摘で気付いたのである。


磯江毅へのオマージュか?、そして、はやぶさ・川口淳一郎尊師の妄言; 自分のヒステリーで考えよう。

2011年12月18日 12時16分05秒 | ぐち

磯江毅へのオマージュか?

15日、スペインのバルセロナで、皿に「盛り付け」られた裸の女性…芸術作品ではありません。食肉用として動物を殺すことに抗議する動物愛護団体の過激なパフォーマンスです。一糸まとわぬ姿は、寒そう。

http://photo.sankei.jp.msn.com/kodawari/data/2011/12/12barcelona/

新聞記事より; ちなみに、磯江毅の年譜の1981年の部には、「バルセロナ伯爵夫人展(当時スペイン最大のコンクール)にて名誉賞受賞」とある。

    
磯江毅:「新聞紙の上の裸婦」、と「鰯」。

■ はやぶさ・川口淳一郎尊師の妄言; 子宮はないけど自分のヒステリーで考えよう。

真理に至りたいならば自分のあたまで考えるまでもないだろう。真理は普遍なんだろうから唯一に違いない。つまり誰が考えても同じってことだ。そういうことにわざわざ自分のあたまを差し出すこともなかんべ。

つまり、「普遍の真理はひとつであるが、誤りは多様である」ってことだ。 ずぶんのアタマは誤りに差し出してみよう。

一匹(普遍の真理)と、九十九匹のなかの一匹(多様な非真理の中の一例)と、である。 こりゃ、ややこしい。

そして、せっかくだから、多様な誤りの中のひとつであるずぶんを記述してみよう、と散歩先の竹林(ちくりん)で賢人が教えてくれた。

自分のヒステリーで考えよう。

竹林(ちくりん)で賢人が、お面を着けていたかはナイショ。

普遍の真理へ至る手段は理性であり、多様な誤りの彩りをささえるのは情念である。

愚ブログはルサンチマンという情念を駆動力として、みずからのヒステリーを追い風にぐちを書き綴っている。

ところで、おいらには「子宮はないけど自分のヒステリーで考えよう」 とはこれいかに?、という疑問はフェミナチの餌食になるだろう。

■さて、おいらがヒステリー状態になるのことの中で、惑星探査機・はやぶさ問題もひとつである。

世間的には大人気で、大成功!という風評に対しておいらはぐちを言ってきた;

試料採取目的惑星探査機『はやぶさ』の残念について

Re; 惑星探査機『はやぶさ』の残念について 、あるいは1粒じゃNASAの取り分がないよ

塵(ちり)で筑波山がわかるのか?イトカワって筑波山より小さいのね、知らなかったわ。

セシウムで汚れちまった梅を干す、そして、「宇宙村」の滅亡を希求する。

ラストオーサーは私に; Science のはやぶさ試料6論文を読んだょ 

こういうぐちの効果絶大で(のわけないが)、実は世間的には大人気で、大成功!のはやぶさ後継プロジェクトの予算獲得が難航しているらしい。

その状況に危機感をもった、川口淳一郎尊師が所感を表明した。

その表明文の内容が超まぬけすぎて、びっくりした。まるで、おいらのつっこみのための文章ではないか。

でたらめと説得力のないことばかり書いてある。

1.

川口淳一郎尊師曰く; 「小惑星を探査することは、地球を理解することつながる。実は、大地震を起こすプレートの運動をドライブするメカニズム、その理解にも通ずる。また地球の温 暖化の鍵となる二酸化炭素の起源を理解すること、生命の進化を育んできた環境を理解することに通ずる。だが、イトカワの探査は後者にはまったく答えてくれ ない。我々の水と有機物に覆われた環境の起源と進化を探ることが、はやぶさ-2の目的である。」

地球の形成と進化、ましてや上記「大地震を起こすプレートの運動をドライブするメカニズム」の理解に「はやぶさ後継機のはやぶさ-2」は貢献するはずがない。

地震予知なぞ論外であるどころか、地震の発生機構、そもそも地震規模の見積もりなど現在の地震学そのものができていない。そのできていないことをできるようにすることが科学の進歩、発展の目的である。ただし難題である。たぶん50-100年たっても解決していないだろう。そうであるならば、どのように「はやぶさ後継機のはやぶさ-2」はその難題に貢献するのか?全く不明である。

まぁ、おいらもいい人だから、忖度するに、地球は惑星の中でも水をもつ惑星である。その水の役割というのは地球の形成と進化と現在の状況を決定的に支配している。そもそもプレート運動が成り立つのもプレート生成場が水に覆われたせいである。水が無いと、プレートのわき出しでの冷却、さらには海溝での沈み込みが生じえない。その水の起源を知ることは重要だ。その水の起源は地球の母材となった小惑星に違いない。だから、小惑星を探査することは地球を理解することつながる、という言い分なのだろう。

でも、それは尊師、あるいはプロジェクト賛同者の脳内でつながっているだけだ。たしかに45億年前の小惑星の水がなかったら地球の水はない。あるいは他の起源を検討しなければいけない。でも、現実に今水はあるのだから、起源を調べたって、大地震を起こすプレートの運動をドライブするメカニズムの理解には貢献するはずがない。

こういう、「つながっている」思考をする人は実は研究者に多い。何か重要なこと、もっと下世話に言えば研究予算がつきやすいホットなテーマにつながっていると主張する。

1’. そもそも今回のはやぶさのサンプルリターンでわかったことのことの中の数少ないheuristicな結果は、小惑星がやせ衰えていることの時間を含めた定量的把握である。つまり、46億年前の表層物質は惑星から散逸している。今の小惑星の表面は46億年前の母体の中の方がやせ衰えてむき出しになったものだ。そうであるなら、炭素質隕石的物質で構成される小惑星だって熱変成し、昔の中心部の試料しか得られない。その部分は数百度まで熱変成したのであろう。ならば、有機物も期待できない。水もあり得ない。ただ含水鉱物の有無が焦点か?そんなの惑星科学的意義があるのか?

2.

川口淳一郎尊師曰く;はやぶさを担当した者として、強調したい、その最も大きな意義は、この計画が、すべて我々日本の独創性、創造性に発しているという点に ある。我が国のこれまでの産業・経済成長は、製造の国であることに依っていた。しかし、それが幻想で、いつか限界に来ることはうすうすと予見されていたは ずである。近隣諸国は、かつての我が国と同様に、比較的低廉な労働力で高品質の製造技術を手にし、大きな経済成長を遂げている。しかるに、我が国では生活 水準の向上、福祉レベルも上昇しているため、かつてと同じ方針で競争力が得られるはずはない。創造の国に脱皮し、転換していかなくてはならないのだ。新し い技術、新しい製品、そして新しいビジネスイノベーションを発信していかなくては、この国に競争力の復活はおろか、未来も展望できまい。その創造性を担っ ていくためのインセンティブをどのようにして得るのか、そして次世代を担っていく人材をどう育んでいくのかこそが問われている。

問題の認識はいい点を突いている。日本は製造業さえできなくなっているのだ。製造業立国としての日本は存続が難しい。そこでだ。10-20年前から始まった「科学技術創造立国」の路線は失敗している。高度な技術を創り出せば付加価値の製品を製造できて、進化した製造業立国としてやっていけるという策は破綻している。例の、技術力で勝る日本が、なぜ事業で負けるのか、の問題だ。

いくら技術を磨いても、社会や市場に無頓着では意味はない。なぜなら、技術とは手段なのだから。

このはやぶさプロジェクトも技術磨きを極めているように見える。イオンエンジンっていうんですか?そして、目的を小惑星探査でごまかしている。その惑星探査の目的も上記1に書いたように虚ろなのだ。

あと、日本発、日本独自という発想も嫌だ。日本の現状は大国という範疇の末席にいるのであり、「ただの国」への「転落」も時間の問題だ。おいらは「転落」なぞ大歓迎であるが、縮減した日本のやることは国際協力と分担である。 ネットでみる<はやぶさマニア>の少なからずが偏狭な排外主義者であることもあわせて、嫌な点だ。

本当に惑星探査がしたいなら、イオンエンジン技術を信じているのであれば、興隆の国に売り込めばいいのだ。日本政府も「はやぶさ後継機のはやぶさ-2」に予算を出さないなら、そして「世界が評価し、NASA もこの5月、NASA 版はやぶさ計画の実施を発表し、欧州版はやぶさ計画がたちあがらんとしている」のであれば、技術と人材ともども割譲してあげればいいのだ。

川口淳一郎尊師曰く;  新し い技術、新しい製品、そして新しいビジネスイノベーションを発信していかなくては、この国に競争力の復活はおろか、未来も展望できまい。その創造性を担っ ていくためのインセンティブをどのようにして得るのか、そして次世代を担っていく人材をどう育んでいくのかこそが問われている。

あほ。日本が停滞している理由のひとつは食税研究者がまぬけであるからだ。税金使ってろくなことをしていないからだ(愚記事;シロアリ研究者としての日本食税研究者)。そういうセクターのおまえが偉そうなこというな。おまえが、どんなビジネスイノベーションを考えついたっていうんだ。おまいら食税研究者どもの大半は、どれだけ「新しい技術、新しい製品、そして新しいビジネスイノベーションを発信して」きたっていうんだ!と、つい言いつのってみたくなる。

もっとも本当はそんな必要(新しい技術、新しい製品、そして新しいビジネスイノベーションを!)はないんだけどね。だから予算請求しなさんなって。アタマ使え、頭。

おまいらは、職人じゃないんだょ。職人はそう簡単になれるものじゃないんだょ。わかったかな?食税とっちゃん坊やたち。

おまいらは、坊主なんだよ。坊主。でも、どっちでも半端もんなんだけどね、実態は。 「坊主か?職人か?」。

それにしても、いつも、最近は、金出せ!金出せ!の予算乞食行脚ばかりだろう。ぼけ。

●川口淳一郎尊師ははやぶさ後継プロジェクトに予算が出ないかもしれない状況を愚痴っている。でも、そんな尊師においらは伝えたい;

日本社会は、自分に研究を続けさせるべきある といううぬぼれた感じを持ってはいけない。(中略)自分のために社会があるのではなく、社会のために自分がある。それが不満ならば、自分の能 力一つで社会にたち向かえばよい。それが不満ならば、自分の能力一つで社会にたち向かえばよい。) 川口淳一郎尊師なら一人ではなく多くの優秀な御仁の能力を結集できるのであろう。それならば、なおさら、能力一つで(税金なぞあてにせず)社会にたち向かえばよい。 I hope someday you'll join me, And the world will be Capitalism!


 -東証で鐘を打つ川口淳一郎-

2010年の年末は、ぬほんブルジョアさまの巣窟、東京証券取引市場で鐘を打った。

これは、シュールである。食税のお役人様、つまり自らを何ら投機したことのない御仁が、すなわち税金でプロジェクトをやってきた御仁が、「投資という果敢な挑戦が未来を開く」と述べたというのだ。税金使っての果敢な挑戦だろう。

大丈夫か? ぬほんすほんしゅぎ! 

もちろん、以上の暴言はおいらのヒステリーから発したものだ。毎日、役に立って、お金になるものをつくれと資本家さまからこづきまわされ、精神的にテンパッテいるのだ(関連愚記事; ・役に立つこと ・お金になること ・職にありつけること)

おいらは人生そのものがdeath valleyで投機されているのだ。役に立って、お金になるものをつくれないので何度もdeath valleyでたらいまわしに遭っている(職にありつけることに苦労している)。

そこで、優雅な食税研究者さまが資本家に上から目線で訓示を垂れているのを目の当たりにして、資本家さまからこづきまわされる運命と資本家に上から目線で訓示を垂れている運命の落差に愕然として、発作がおきたのだ。

以上、自分のヒステリーで考えてみました。

 


元「はやぶさ」プロジェクトマネージャ、川口淳一郎 http://image.itmedia.co.jp/l/im/nl/articles/1112/12/l_wk_111212hayabusa01.jpg

はやぶさ後継機(はやぶさ-2)への政府・与党の考え方が報道されている。大幅 に縮小すべきだという信じがたい評価を受けていることに驚きを禁じ得ない。

はやぶさ初代の代表として、発言しておきたい。

はやぶさは、史上初めて、地球圏外の天体に着陸し、その試料を往復の宇宙飛行で地上に持ち帰った。イトカワに滞在した近傍観測の成果、また帰還させた試料の分析の成果は、サイエンス誌に2度にわたって特集されその表紙を飾った。
世界が評価し、NASA もこの5月、NASA 版はやぶさ計画の実施を発表し、欧州版はやぶさ計画がたちあがらんとしている。我が国の科学技術が、世界から追われるフロントランナーの立場にある、その代表例と言ってよいはずである。

はやぶさ後継機のはやぶさ-2 という名称が誤解を生んでいるかもしれない。私は、この後継機プロジェクトの名称を変えるべきだと主張したのだが、多数の関係者の意見を受け入れて、やむを得ずこの名称に同意した。
はやぶさ-2 は、実は、これが本番の1号機なのである。はやぶさでできたじゃないか、という声も聞く。否。はやぶさ初号機はあくまで、往復の宇宙飛行で試料を持ち帰る ことができるという技術が、我々の手の届く範囲にあるということを実証しようとしたもので、あくまで実験機だったのである。
小惑星を探査することは、地球を理解することつながる。実は、大地震を起こすプレートの運動をドライブするメカニズム、その理解にも通ずる。また地球の温 暖化の鍵となる二酸化炭素の起源を理解すること、生命の進化を育んできた環境を理解することに通ずる。だが、イトカワの探査は後者にはまったく答えてくれ ない。我々の水と有機物に覆われた環境の起源と進化を探ることが、はやぶさ-2の目的である。まったく異なる天体(C型小惑星)を探査し、試料を持ち帰ろ うという計画なのである。小惑星ちは小さな天体の総称。C型小惑星はまさに未知の天体なのである。政府・与党の意見には、はやぶさ-2 に科学的な意義を見いだせないというものまであったという。まことに信じがたいことである。

はやぶさを担当した者として、強調したい、その最も大きな意義は、この計画が、すべて我々日本の独創性、創造性に発しているという点に ある。我が国のこれまでの産業・経済成長は、製造の国であることに依っていた。しかし、それが幻想で、いつか限界に来ることはうすうすと予見されていたは ずである。近隣諸国は、かつての我が国と同様に、比較的低廉な労働力で高品質の製造技術を手にし、大きな経済成長を遂げている。しかるに、我が国では生活 水準の向上、福祉レベルも上昇しているため、かつてと同じ方針で競争力が得られるはずはない。創造の国に脱皮し、転換していかなくてはならないのだ。新し い技術、新しい製品、そして新しいビジネスイノベーションを発信していかなくては、この国に競争力の復活はおろか、未来も展望できまい。その創造性を担っ ていくためのインセンティブをどのようにして得るのか、そして次世代を担っていく人材をどう育んでいくのかこそが問われている。

はやぶさ初代が示した最大の成果は、国民と世界に対して、我々は単なる製造の国だったのではなく、創造できる国だという自信と希望を具体的に呈示したことだと思う。
自信や希望で、産業が栄え、飯が食えるのか、という議論がある。しかし、はやぶさで刺激を受けた中高生が社会に出るのはもうまもなくのこと。けっして宇宙 だけを指しているのではない。これまで閉塞して未来しか見ることができなかった彼らの一部であっても、新たな科学技術で、エネルギー、環境をはじめ広範な 領域で、インスピレーションを発揮し、イノベーション(変革)を目指して取り組む世代が出現することが、我が国の未来をどれほど牽引することになるのかに 注目すべきである。こうした人材をとぎれることなく、持続的に育成されていかなくてはならない。
震災の復興が叫ばれている、その通りだ。即効的な経済対策にむすびつかない予算は削減されがちである。しかし、耐え忍んで閉塞をうち破れるわけではない。
なでしこジャパンのワールドカップでの優勝、それは耐え忍んだから勝てたのか?
そうではない。それは、やれるという自信が彼女らにあったからだ。震災からの復興を目指す方々に示すべき、もっとも大きな励ましは、この国が創造できる能力がある国だという自信と希望なはずなのだ。

日本は、お手本と格付けがないと生きていけないかのようだ。はやぶさでこの分野で世界の最前線、トップに立ったが、トップに立つとどうしてよいかわからなくなるのだろう。NASA も欧州も、我々を目指しているのに、なにか安定しない。
進んでトップの位置を明け渡し、後方集団にうもれようとしているかのようだ。
どうして2番ではだめなのか、この国の政府は、またも、この考えを露呈したかのようだ。トップの位置を維持し、独走して差を開いて行こうという決断を行う ことに躊躇してしまう。世界の2番手にいて、海外からの評価と格付けに神経をとがらせるばかり。堪え忍べと叫び、自らの将来を舵取りするポリシーに欠け る。
なんとなさけないことか。次世代を支える若者が、この国の国民でよかったと感じられなくなるようでは、将来はない。

私は、はやぶさ後継機のプロジェクトからは身を引いている。
しかし、アドバイザとしては残らなくてはいけないと考えている。それは、人材育成のためである。完全に身をひいては、技術と経験面で完全なリセットが起こ るだけに終わり、それは初期化することで、はやぶさの成果はなかったことにもどるだけになる。新たに初代はやぶさを開発することにもどったのでは進歩はな い。それどころか、現状から後退するだけである。初代に重ねて、上乗せして、はじめて進歩となるはず。だから、退職時になってようやく身を引いたのでは、 科学・技術のコミュニティは突然死をむかえてしまうのだ。
いうまでもない。私の自己のために、私がさらにもう1つプロジェクトを行おうとして、はやぶさ後継機を進めよというのではない。もう身を引いている。それは、そうしなければ、後進が育っていく土壌そのものを崩壊させてしまうからである。
宇宙探査プロジェクトには時間がかかる。はやぶさ初代は、プロジェクトが始まってから15年を要した。飛行時間が長いのが宇宙探査プロジェクトを長くする
特徴でもある。しかし、このことは、人材育成の難しさを明示している。15年毎にしかプロジェクトの機会がなかったとしたら、科学と技術両面で、継承・育 成などかなうわけがない。今、はやぶさ後継機(はやぶさ-2)を立ち上げることができなければ、日本は、コミュニティに技術や経験が継承されるどころか、 はやぶさ初代の成果をふりだしにもどしてしまうのだ。

はやぶさ後継機(はやぶさ-2)を進めることに政府・与党の理解を期待したい。
この文章をお読みになった方々から、草の根的であっても、それぞれの方法であってでも、政府・与党にメッセージを出していただければと思うものです。

                            (元「はやぶさ」プロジェクトマネージャ、川口淳一郎)

 

 


シロアリ研究者としての日本食税研究者。

2011年12月11日 17時31分42秒 | ぐち



-日経サイエンス、2012年1月号Amazonから転載。元データはOECD。-

表題のシロアリとは、橋下徹さんの発言とされる、「大阪市役所は金をむさぼり食うシロアリ。放っておいたらシロアリに全部食われちゃう」(Google)の意味のシロアリです。

先に言うと、日本の科学技術の一部であるトップレベル層は世界最高水準です。でも、それは一部なのであって、日本総体の平均を、科学や技術を遂行している国々の中で見ると、まぬけであることが分かります。総体の平均としては中国に追いつかれるのは時間の問題でしょう。もっとも、中国が今の日本の水準に追いついても世界的には下位です。

どうなんでしょう。旧帝大クラスの理系の教授でも、その分野で世界最高水準を競い合うグループのひとつであるくらいのレベルの教授は何割くらいでしょうか?おいらは1/4もいないんじゃないかという見立てです。他は、トコロテン教授。ポストが空いたからなった。

上の図は縦軸が「論文の相対的な強さ」を示し、横軸が「国際共同研究から出た論文の割合」を示します。この図では3つのことを各国の科学の強さについて示しています。研究の量、研究の質、研究の国際性の3つです。本記事では、研究の量と質の問題を述べます。

この図で研究の量は論文の出版数で代表されています。そもそもこれが正しくその国の研究の量を示すものか議論があるかもしれません。ここでは論文を書かない者は研究者ではないという前提で話を進めます。図中の丸の大きさがその国の論文数です。日本は米国に次ぎ、イギリス、中国並みに多いです。そして、その質を示すのが縦軸。図の上に丸がある国の研究が、より引用され影響力があるので、質が高いことになります。

米英は高いですね。日中は低い。つまり、中国や日本は論文数は多いけれど、それらの論文があまり引用されないということです。引用されない論文というのは質の低い論文ということです。だから、日本人の学術論文雑誌の編集者も引用される論文をきちんと採用するためがんばっているのです。 ⇒それで、Editor in Chief だけど、、。少なくとも5年間も被引用回数がゼロであるような論文は掲載してはならない、と責任を持って感じている。Microbiology and Immunology 文句タラタラ第2弾。 日経サイエンスが指摘している「量は多いが質で劣る中国」より少しましなのが日本というとになります。

ここで、日本として示されている論文の数と引用数はもちろん出版された論文に関してです。おいらから言わせるとここまでたどりついただけでもまだましなんじゃないかと思う。つまり、曲がりなりにも論文を出しているから。毎年コンスタントに論文を出さない食税研究者さまは結構います。シロアリさまです。

繰り返しますが、このデータは論文を発表した研究者の成果です。研究者といえば民間セクターの人もいるでしょう。でも、そういう人たちがたくさん論文を出して、かつ引用されないので、日本総体の足をひっぱているということはあり得ません。会社の人は特許はいっぱい書いても、論文はそんなにいっぱい書きませんから。

上記の日本の結果はほぼ日本の食税研究家の成果なのです。明らかにドイツ、イギリス、フランスより劣ります。ただし、日本政府が科学技術に支出している予算は、明らかに独英仏各国が支出している予算より多いはずです。数兆円規模の科学技術予算を日本政府は税金を使って、日本の食税研究者に提供しています。そして、その果てはこの結果なのです。

ギリシア、ポルトガル、スペイン、イタリア(GPSなど財政破たん寸前諸国!)より質が低いというのも悲しい話です。日本の食税研究者!

なぜ、日本の研究論文の質が低いのか?

それは当時者の資質の問題です。日本国民は、科学技術予算のために数兆円の負担をしています。日本の食税研究者の大部分は<メンバーシップ>を持っています。最近はテニュアトラック制度の導入などがあり、必ずしも終身雇用の研究者ばかりではありません。でも、ほとんどの食税研究者は終身雇用であり、事実上彼らが特権的に税金を元とする研究費を申請することができます。メンバーシップの更新査定もありません。確かに業績が出なくなると、研究予算の獲得はできなくなります。恐ろしいことにそのままメンバーシップは維持されるので、ポストだけが無能な食税研究者によって占められることになります。

シャッター商店街としての日本食税研究室

たとえ話です。没落する街の象徴的風景としてシャッター商店街があります。店は昼間からシャッターが下りていて、営業していない。恐ろしいことにその店には人が住んでいる例が多いそうです。店の営業をやめても住んでいる。だから、新たに商売をやろうとする人が店を開けない。街はますます錆びれる。こういう悪循環だそうです。

日本食税研究室群もそうなるでしょう。

(追記)ネット上でシロアリさまの甘い汁をむさぼる描写を発見しました。コピペします;

一方、大学業界は(吉川弘之氏のような重鎮は別であろうが)わけも判らず予算が増やされたので喜んで使ってしまったわけである(確かに私も母親に買って こいと言われたものを忘れたとき、自分の食べたいものを買って帰るが、それとおんなじようなものだろうか)。結局のところ、産官学連携という掛け声に反し て、これらの三者は伝言ゲームも満足にできない関係しか築いていなかったのであろう。 (ココから。)

まとめ; うらやましいなシロアリさま。なりたかったょ。おいらもシャッター閉めて、朝寝がしたい。
(ヨタ追記; シロアリをエサにして食べるのがナマケモノっていうんだから、この世は奥深い)

図の右上に行けないのは、金が少ないからだ! 

    もっと、金出せ!

この尊師さまたちはとっても右上(国際的)の方々です。

なぜかしら、まぬけなシャッター商店街研究者のために.....。


後記;

江崎玲於奈氏「日本の科学技術が世界最高と信じるのは危険」