いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第333週

2021年03月27日 19時07分50秒 | 草花野菜


「おひかえなすって」というみけちゃん

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第333週 

■ 今週の武相境斜面


桜越しの町田中心街

■ 今週の草木花実

■ 今週の「麺食べた」

バーミヤン:おすすめメニュー

ビャンビャン麺って食べたことがない(と思っていた)。今調べると、当地横浜では、中華街に1軒ビャンビャン麺が食べられる店があると知る(はまれぽ.com  中華街で食べられるのは1店舗だけ!? ビャンビャン麺ってなに?)。でも、バーミヤンで今やっていると知り、行く。特徴は、幅広麵とスパイス(四川の唐辛子、花椒など)。食べると、麺はもちもちしていた。食感として一番ちかいのは、水餃子の厚手の皮。 よい。

メニューに「混ぜて食べてください」と書いてあった。今回も「ぐちゃぐちゃ」にした。四川というのは「ぐちゃぐちゃ」が流儀なんだろうか? 

さて、思い出した。2005年に初めて北京に行った時の初日、街頭の店で羊肉を食べた(該当愚記事)。そのとき「待つこと3-4分。途中で粉状のスパイスを茶こしみたい道具で振りかける。味は、羊の風味よりスパイスの方が強かった。独特のあの感じ」と思った。その風味が、花椒。他のスパイスも入っていたと思うが基調は花椒。一方、その初日、食事をとらないといけないので、入った食堂で字面でたらめに選んで注文して出て来たのが、幅広麺だった。そして、風味がきつかった。花椒+八角+カレー系?風味。汁は少し黄色だった。麺の食感は覚えていないが(もちもちしていなかったとおもう)、幅広麺であったのは覚えている。もちろん、それはビャンビャン麺ではないだろうが。以上、ただ思い出しただけ。

■ 今週の落とし物

■ 今週の13年前

米大統領、胡主席に対話促す チベット問題  2008年03月27日

2008年の3月というのは、北京オリンピックの年の春。チベットでの抗議を中共が弾圧。この時、米国などは非難し、北京オリンピック・ボイコットを示唆している。結果的に、北京オリンピックは開催され、ブッシュ米国大統領などは訪中し、胡錦濤と会見した。

中共のチベット問題は中共発足時以来指摘されている。でも、現在のウイグル問題と違って、ジェノサイド認定されていない。 事情はわからない。 というか、むしろ、わかりやすいのであって、米国のご都合主義だろう。この頃まだ中共が米国を凌駕するとは認識されていなかったのだ。

■ 今週のユダヤ系米国外交責任者によるマッチポンプ or  放牧・育成&狩猟

  育成⇔狩猟 

バイデン政権の外交最高責任者である国務長官のブリンケンは、前トランプ政権のポンペイオによるウイグル・ジェノサイド認定を継承することが明らかになった(ポンペオ米国務長官、ウイグル族迫害は「集団虐殺」 ブリンケン氏も認定に同意)。

王毅と楊 潔篪は、米国の大統領・政権が変われば、トランプーポンペオの対中認識が変えられると期待していて、かつ、秋波を送り関係改善を期待したが、先週のアラスカ会談の結果(激しい非難合戦)となった。バイデン政権の対中強硬策は定まった感がある (もっとも、おいらは油断していない;米国を信じてはいけない)。

さて、ブリンケンは、中国政府による新疆ウイグル自治区でのイスラム教徒少数民族の弾圧を「ジェノサイド(民族大量虐殺)」wiki)を事実だと認識している。つまり、中共をナチス・ドイツみたいな国だと思っているのだ。そして、ブリンケンはユダヤ系アメリカ人であり祖父はナチス・ドイツの収容所から生き延び、アメリカに渡ったとのこと。

一方、キッシンジャーもナチス・ドイツの迫害から逃れたユダヤ人である。アメリカに逃れた時は子供。そのキッシンジャーが、のちにジェノサイドを行うような党・国家との国交を開き、今に至るまで米中関係の維持に努めている。 つまり、歴史的結果として、アメリカ合衆国はユダヤ人難民を外交責任者として、のちにジェノサイドを組織的に実行する党・国家と外交関係を持ち、相互に協力しあってきたことになる。

チベット問題など米中国交前から存在していた。でも、キッシンジャーの「現実路線」により看過されてきたのだ。

そして、現在、米国は中共をジェノサイドをする国と「悪魔」化して処分しようとしているのだ。理由の第一は、人権問題ではなく、中共が米国を凌駕する可能性が高まってきたからだ。トールポピー症候群(背の高いケシ症候群は、高い地位の人々が同級生よりも優れていると分類されたために、憤慨され、攻撃され、切り倒され)だ。人権問題は「口実」である。なぜなら、中共の「ジェノサイド」なぞ中共発足時からチベットで行っているからだ。

憤慨し、攻撃し、切り倒す:それをもうひとりのユダヤ系アメリカ外交担当者が行うのだ。

でも、このパターンは米国の典型なのだ。ビンラディンはアフガニスタンでソ連に対抗するため、米国により支援された。イラクはイランに対抗する当て馬として米国により富国強兵化された。 なにより、日露戦争前アジアでロシアに対抗するため、日本は米英に富国強兵化を支援された。 

そして、中共。1980-90年代中共は冷戦時にソ連と日本を牽制するめに米国により富国強兵化された。ソ連は崩壊し、日本はバブル崩壊、アメリカ流市場原理主義により経済が停滞した。日本は中国を支援する米国に追随し中共を支援した。今じゃ誰も日本の対中ODAについて語らない。

米国の、日ソ牽制・没落戦略の引き換えに、中共が肥大化した。中共はトランプーポンペオの対中認識革命(2020年)まで、米国を欺き続けることに成功したのだ。米国は、そして日本も、まぬけなのだ。

そして、まぬけだったことに気付いたので、憎さ倍増で、今回のブリンケン政策だ。トランプーポンペオと違って、人権原理主義的なところがあるので、融通が利かないかもしれない。原理主義に溺れ、激突するのか?


 

 


京都中華料理屋での昼ご飯3軒;MACHIYA 兪、秋華、芙蓉園

2021年03月26日 20時15分33秒 | 国内出張・旅行

今月第3週の平日の三日間、京都に遊びに行った。3日ともお昼は中華にした。

■ MACHIYA 兪 〒604-8101 京都府京都市中京区柳馬場通御池下る柳八幡町77



Google Map

たまねぎに火のとおり具合が絶妙で、少し辛味が残るしゃきしゃき状態。とてもおいしかった。ピーマン、ヤングコーン、ピーマンもしゃきしゃき。鶏肉は小ぶりに切。味付けは濃いと思う。言い方は悪いが、化調的(化学調味料、"華"学調味料?!)"華"調的風味。

食べログ( MACHIYA 兪 (まちや ゆ))

▼ お店、周辺など

町屋つくり(奥深い敷地が特徴)の建物をお店としてます。奥の庭が見れました。

姉小路通り。左手が京都市立洛風中学校。このあたりは、「初音」学区だそうです(京都市中京区 web site)。

おいらの本籍のある都市は何条何丁目という野暮な住所で街を示していたので、街に「初音」なんてのがあると、うれしくなります。(これはネタでも冗談でもなく、おいらは、「柏木」とか「堤通雨宮」とかみて、あ~内地に来たんだ!と思った。)(下線部;愚記事より)

この看板に書かれた文章(ソース);

姉小路界隈地区は、姉小路通を軸として東西は寺町通から烏丸通まで、南北は御池通から三条通までの区域において、歴史的な市街地として、低層の戸建てを中心とした落ち着いた町並みが残り、文人墨客の看板を掲げる格調ある老舗が集まる京都らしい品格のあるまちです。

古くからの「町式目」にみられる自主的なルールのもと、お互いに気遣い、お互いに協力しながら、「なりわい」を継承し、もてなしの心を育んできた暮らしの知恵や精神が受け継がれています。

このような地区において、以下に掲げる3つの方針を柱とする「暮らし」と「なりわい」と「文化」のバランスを大切に育むまち姉小路界隈」の実現を図ります。

■ 秋華 〒606-8167 京都府京都市左京区一乗寺樋ノ口町27 コーポラス禅


Google Map


近江牛すじ麻婆豆腐ランチセット

食べるとすぐに「牛」という感じ。豆板醤風味が強烈。前記、Machiya愈や後記の芙蓉園とは違う風味、味付け。四川風だから。牛の出汁と豆板醤風味が脂に溶け込んで、その油が口の中に広がることで、味が強烈に伝わる感じ(???)。


前菜

食べログ(秋華)

お店周辺

山際に位置します。

平地へ向かいました。天下一品さんが見えました。

■ 芙蓉園 〒600-8018 京都府京都市下京区市之町240−1


Google Map


平日Bセット:酢豚、チャーハンハーフ、春雨サラダ、デザート

酢豚;豚以外の具はパイナップルのみ。ソースが甘く、酸っぱく、上品。豚肉のしまりと火のとおりがよい。噛み締める食感がよかった。

杏仁豆腐がほかの中華屋さんと違った。豆腐の食感がもっちり。いままで食べたことのない感じ。おいしかった。

食べログ(芙蓉園)

お店と周辺


高瀬川

■ 蛇足;

上記、高瀬川周辺にて

 

 


京都散歩;府立植物園 ⇒ 賀茂川 ⇒ 今宮通 ⇒ 今宮神社 ⇒ 船岡山

2021年03月21日 18時37分58秒 | 国内出張・旅行

先週は京都に行った。府立植物園から船岡山まで散歩した。旅行計画の時点では、植物園と船岡山に行こうとした。そうすると、車谷長吉の『赤目四十八瀧心中未遂』に今宮通り、小山花ノ木町が出てくるので、見物することにした。


1.府立植物園、2.賀茂川・北山大橋、3.今宮通り;4.今宮神社;5.船岡山

上の図の京都全体の中での位置は下図(左)と 京都 土地分類基本調査

  

今宮神社へ向かう途中から台地となる。

■1. 府立植物園

入園料200円、温室は別途200円。

a: 北山門

b: 椿園

▼ d: 観覧温室

平成21年11月19日、天皇皇后両陛下(現在、上皇上皇号)の行幸啓を賜り、植物園にとって歴史上もっとも輝かしい一日となった。
観覧温室内熱帯植物の多くをご案内する光栄に浴したが、温室内の特別展示室にて、植物園の所在場所をご説明申し上げた。「西に金閣寺、北に上賀茂神社、東に銀閣寺、南に下鴨神社。植物園は世界遺産の四つの社寺仏閣に囲まれたほぼ中心にあります。東方向には比叡山がそびえ、園内から見るその姿はNo.1ビューポイントです」。
私にとっても生涯忘れ得ぬ、大感激の約一時間だった。 京都府立植物園 97年の歴史①

▼ e;  くすのき並木

▼ f. 植物園会館

園内の植物園会館という建物に入ると植物園の歴史が示したあった。そして、敗戦後は占領軍に接収され、占領軍住宅が建設されたと知る。

1924年、公開公立植物園として日本で最初に開設された。第二次世界大戦後の進駐軍接収に伴い、米軍住宅地として樹木伐採などが行われたが、再度植樹等をして蘇り、現在は公立植物園として維持されている。日本造園学会  京都府立植物園)


京都府立植物園「80年の歩み展」から

GHQ京都司令部は翌21年7月に、難題を持ち出す。「将校家族住宅DHを数十戸建設するため、京都御所外苑を接収する」。これには京都府市民のみならず、府庁も宮内省も仰天してしまった。東京のGHQ本部にも陳情し、なんとか京都御苑を回避することができた。
 このころになるとアメリカ本土から軍将校のたくさんの家族たちが、日本に駐在している夫や父と同居するために押し寄せてきた。日本軍では占領地で家族と暮らす軍人はまずいないであろう。しかしアメリカでは一般の兵卒は別にして、少尉以上の将校は家族とともに暮らすのが当然であり常識であった。子どもたちには幼稚園から小学校まで、アメリカンスクールが住居地内に併設さる。当然、グラウンドもテニスコートもプールも付いている。

 御苑をあきらめた司令部は代替地を要求した。府は淀競馬場を提案したが「水害の心配がある」と断られてしまう。そして米軍が下した結論は、京都植物園である。同園の広大な敷地すべてがDH将校家族用住宅(デペンデントハウス)数十戸建設のために、接収されてしまった。御所御苑の身代わりに、京都が誇る日本最大最高の公立植物園が取り上げられてしまったのである。 (ふろむ京都山麓 様  GHQ占領下の京都 第2回 「日本占領」


開園当初(1926年/昭和元年)の大典記念京都植物園の模型

樹木が切り倒された部分が航空写真から確認できる ↓


航空写真;敗戦後・占領下(左)と現在

▼ f-g. 洋風庭園 ー ばら園

▼ h. 沈床花壇

▼ ⇒ 沈床花壇から外周道をたどり、再び椿園を通り、i の賀茂川門へ

植物園を賀茂川口から出る。 北山通り ↓


賀茂川

■ 2.北山大橋

京都では、私はいつも鴨川の橋の上から薄墨色の北山の色を眺める。そうするとすさんだ気持が慰められるのだ。それは京都で働いていた時からの心のゆくたてだった。が、その日は生憎雨に降りこめられていて、北山は見えなかった。(車谷長吉、『赤目四十八瀧心中未遂』)

 

■ 3.今宮通り、あるいは、小山花ノ木町の小児科

 私はアマへ来てからはじめて、阪急電鉄に乗って京都へ行った。六月半ばの雨の降る日だった。れいの小山花ノ木町の知人の家を訪ねるためだった。この原田巳記という人は、私が京都で料理屋の下働きをしていた時分に知り合うた四十過ぎの男であるが、小児科を開業するかたわら、フッサールやメルロ=ポンティの哲学を勉強し、時たま新聞雑誌に夢のもつれのような文明批評を書いたりしていた。住所不定の私には健康保険証がないので、通常の病院へは行けない。行けば、あれこれと面倒なことを言われるのである。だから、私は横着を起こして、この人にただで、一応は傷口を診てもらっておこうと考えたのである。 (車谷長吉、『赤目四十八瀧心中未遂』)

富岡小児科 〒603-8122 京都府京都市北区小山花ノ木町17 (google
 

車谷の小説とは関係ないと思うが、小児科があった。でも、閉院していた。

* 小山初音町

* 堀川通り

* 登り坂

■ 4. 今宮神社

* 今宮神社を出る。 南下。


振り返り、今宮神社をみる。

* 北大路通りを渡る

■ 5. 船岡山

船岡山は硬い岩石でできているので、侵食を免れている。岩石はチャート(堆積岩の一種。主成分は二酸化ケイ素(SiO2、石英)で、この成分を持つ放散虫・海綿動物などの動物の殻や骨片(微化石)が海底に堆積してできた岩石 [wiki])。この岩石を含む地層は丹波層群の一部。丹波層群の堆積年代は、古生代二畳紀~中生代ジュラ紀 (2億5,000万年~2億年前)(引用元)。海洋プレートのチャート(古生代に堆積)と大陸起源の泥岩や砂岩から構成されている、とのこと。

丹波層群は、古生代の石炭紀(約3億6千万年前から約3億年前)から中生代のジュラ紀(約2億年前から約1億5千万年前)にかけてアジア大陸東側の海底で形成された後隆起した地層群であり、大陸から流出した泥や砂からできた泥岩や砂岩、大陸から離れた深海底で生成されたチャート、サンゴやフズリナなどが堆積してできた石灰岩からなる地層が混在している。 (建勲神社

船岡山を下りる。

船岡温泉(ふなおかおんせん)は、京都市北区紫野南舟岡町にある公衆浴場(風呂屋)。船岡山南麓、鞍馬口通の南側に位置する。脱衣場(下駄箱やフロント、休憩所などを含む建物)や浴場(脱衣場の奥に繋がる浴室の建物)などが国の登録有形文化財に登録されている。

なお、「○○温泉」は上方における伝統的な風呂屋の屋号に多く見られるものであり、天然温泉を意味するものではない。  (wiki

船岡山の南側におりる。船岡山を東側から回り込んで、北大路通りに戻る。

織田信長を祀る建勲神社 (web site


北大路通り

バスに乗って、市街に帰る。

■ まとめ

通過町

下京区

下鴨半木町、 

北区

小山東元町、 小山上内河原町、小山上花ノ木町、 小山上板倉町、 小山上初音町、 紫竹下梅ノ木町、 紫竹東高縄町、 紫竹高縄町、 紫竹西高縄町、 紫竹西南町、 紫野上野町、 紫野今宮町、 紫野大徳寺町、 紫野西野町、 紫野北舟岡町、 南舟岡町、 紫野西藤ノ森町、 紫野下築山町、 紫野上築山町

 


新しい街でもぶどう記録;第332週

2021年03月20日 18時51分52秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第332週 

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週の後ろ姿

京急東神奈川駅。 だるまの後ろ姿と思われる。 安全祈願で、無事故を1年間達成すると、目を入れるのだろうか?

■ 今週の「戦略的」

趙氏は特に日本を名指しし、「喜んで米国の戦略的属国となり、信義に背いて中日関係を破壊した。オオカミを部屋に引き入れ、この地域全体の利益を売り渡した。見下げたやり方だ」と非難した。近年では異例の激しい対日批判は、日米が安全保障面での結束を強めることへのいらだちの表れとみられる。 google

日本が米国の従属国であることは4年前に米国副大統領(当時)、現大統領が言明している;

↑ これ嘘訳だと、今、知る。 ↓ 核武装阻止のための憲法と言明している;

西村幸裕さん提供動画原本(訳は西村だが原音は聞こえる)[https://www.youtube.com/watch?v=J3ezjsG_GCM  の40分あたり]。バイデンは、日本が原子力保有国にならないように、我々が憲法を書いたことを彼(トランプ)は理解しないのか? = Does he not understand we wrote Japan's Constitution to say that they could not be a nuclear power? と云っている。 nuclear powerの意味は直訳では原子力だが、現在日本が発電用のnuclear powerを現に保有しているのだから、バイデンの云っているのは核兵器のことだろう。a nuclear power = powerが可算名詞扱い(a が"ついている")。a power = 権力者; a nuclear power = 核(兵器)保有者 の意味。

日本が米国の「従属国」であることは真実である。ただし、「従属国」という言葉は必ずしも正確な学術的用語ではないので、あいあまいだ。端的に「保護国」(protectorate)[wiki]といえばいい。日本が米国の保護国である法的根拠は現行(マ元)憲法だ。日本は交戦権を否定され軍隊も禁じられている。したがって、安全保障を他国に頼るしかなく、その「他国」が憲法制定時に日本を占領していた(名目上戦勝国・GHQだが、事実上一強国の)米国だ。それ以来日本にはずーっと「オオカミ」がいるのだ。そして、「オオカミ」は日本の再軍備を阻止し続けているのだ。米中露鮮の核兵器に囲まれての再軍備は核武装が当然。

むしろ、「オオカミ」と野合したのは中共だ。戦略的 (!) 野合だ。「オオカミ」さん、ずっと日本にいて、我らが中共に攻め込んでくるのを抑えてくださいと懇願したのだ。

これだ;

さらには、そもそも「オオカミを部屋に引き入れ、大日本帝国を打倒したのは中共である」;

 毛沢東とパトリック・ジェイ・ハーリー [wiki]


上のwikiより。 1972年と1944年で中共の面子(毛沢東、周恩来)が変わってないというのがすごい。

我々東夷の倭国は毛沢東さまを先達として見習っているのだ;平成の毛沢東主義者!

▼ それにしても、「戦略的従属国」という言葉は味わい深い。たとえば、「戦略的忍耐」という言葉があった。すなわち、オバマ大統領時代の米国の対中政策だ。その意味は、本当は中国には忍耐ではなく積極的制裁外交をすべきであるが、あえて耐えて相手の態度が米国の意に添うように待つということだ。つまり、戦略的と付けるのは理想ではないがあえてやるということの隠語である。この「"戦略的"忍耐」という言葉で、米国内の対中強硬派に対し、オバマは自分は自覚的にわざと対中宥和を不本意ながらやっているのだよと表明していたのだ。

そこで、「戦略的従属国」という言葉を見直すと、日本は本来米国に従属してはいけない独立国であるはずではあるが、自覚的にわざとあえて米国の従属国という役目を演じているとも解釈できる。 これはどういう意図か? こう考えればよいのではないか。

日本国内親中派へのメッセージである。現行の米国の対中強硬策に賛同する勢力は日本本来の勢力ではない。あくまで、自覚的にわざとあえて米国の従属国という役目を演じているはずだ。将来、中共の日本支配の時に、「戦略的従属国」派狩りが行われ、日本国内親中派は本来的日本=本質的対中従属国として生きる道の提示だ。そのためには、2021年の時点で、「戦略的従属国」派ではないということの表明を日本国内親中派は求められているのだ。その昔、中共が日本軍国主義者と日本人民を分けたように。

外交の趙立堅から オオカミを部屋に引き入れ、この地域全体の利益を売り渡した。 といわれた今週の日本であった。

■ 今週のレコンキスタ史跡探訪; 古都で出くわした「オオカミ」の住処跡地

愚ブログには「レコンキスタ史跡探訪」というシリーズ(?)がある。 今週、京都に観光に行った。別に事前に知っていたわけでもなく、意識していたわでもないのに、行った場所がレコンキスタ史跡だった。

京都府立植物園 楠の並樹。

園内の植物園会館という建物があり、中に入りると、植物園の沿革、歴史が示されていた。いきなり、米軍住宅。

1946年(昭和21年)から12年間は連合国軍に接収され閉園を余儀なくされた wiki

練兵場だった例(関連愚記事群)、畑をつぶした例、牧場だった例(愚記事)は知っていたが、植物園の樹木を切り倒して米軍住宅の例は初めて。

占領下の航空写真を見てみた。

現在の航空写真と比較して園内のどこが切り開かれたのがわかる。

ネットでこの京都の米軍住宅についてググったが、ワシントンハイツと比べてはもちろん、札幌のCamp Crawford Dependent-housing area よりすぐには見つけられなかった(理由は進駐師団の情報など検索ワードが貧弱なせいではあるが)。一方、こういうのを見つけた。おそらく、戦勝国の京都派遣・駐在は、軍人へのご褒美的要素もあったのだろう。

連合国軍による日本占領が1945年8月終わりに開始されてから、早くも9月21日には、京都に占領軍の調査班が入り、同25日には連合国軍第6軍が進駐を開始しています。占領軍は次々と市内の建築物の接収を開始し、大建ビル(現KOKON KARASUMA)に司令部が設置されます。また、植物園は、占領軍の家族用住宅地となったほか、第一赤十字病院も占領軍用病院として接収されるなど、官民問わず多くの施設が占領軍施設、あるいは関連する娯楽施設として用いられました。本資料で描かれる京都は、伝統的な名所、観光地と同時に、こうした占領軍にとって関係の深い建物が多く含まれており、「占領者の目から見た京都」がいかなるものであったかを垣間見ることができます。(青羽古書店 目録 アメリカ陸軍第1軍団 公人訪問連絡部 (便利堂)(GHQ) 『京都とその近郊の旅』)

実は、以前からこの本の存在は知っていた。老後にでも見ようと思っていた。おそらくこの本には府立植物園の占領軍住宅についても書いてあるのだろう。まさか、今度の京都旅行で、心の準備もなしに出くわすとは思わなかった。もっとも、遺構的なものは確認できなかった。なお、京都と札幌はB29が"来なかった"街である。

  Amazon

■ 今週の有電鉄線

有刺鉄線はオフリミットの象徴だ。この画像の鉄線には棘がない。なので、正確には有刺鉄線ではないのだが、電気が流れるらしい。

こんな排他的場所に入った。 絶景だった。

修学院離宮、上離宮

■ 今週の昭和の成仏のために

万博公園。モノレールから。 モノレールで太陽の塔をみて、ガキのように騒いでいるのは、おいらひとりだ。50過ぎて大丈夫か!?と思う。でも、当地のがきんちょは生まれながらに太陽の塔が目に入って育つのだ。当然の前提なのだ。

ロバのパン。 人々の記憶に残っているロバのパン屋は、株式会社ビタミンパン連鎖店本部という、京都市に本社を置く蒸しパンの行商を行なっていたチェーン店 wiki

札幌発祥と初めて知った (最初にロバを用いてパンを販売したのは、石上寿夫が札幌市で起業したロバパン石上商店である。1931年(昭和6年))(wiki)。

■ 今週の落とし物

京都市南禅寺付近

■ 今週の「何事にも、先達あらまほしき事なり」;有朋の芝好き

無鄰菴は3度目。1度目は2006年、2度目は2016年。そして、今年3度目。京都市の所有だが、管理を委託しているらしい。そして、管理会社が変わったらしい。まずは、ネットで事前予約、前払いだった。行くと、一度靴を脱いで家屋に上がり、(希望があれば1時間に1度の)説明を受けて、再び靴を履いて庭に出られる。これは以前と違う。以前は家屋への上がりは茶を飲むなど希望者だけで、入園後靴を脱ぐ必要はなかった。

さて、今回説明を受けて無鄰菴のこの庭の地面が芝として造園されたと知った。山縣有朋の好みであったとのこと。さらには、有朋は「苔は嫌いだ」と云っていたと説明の人は教えてくれた。そこで、「現在、この無鄰菴の庭では苔が繁茂しているのでは?」とおいらがお尋ねすると、有朋は「それもまた自然」と容認したとのお答え。知らなかった。「何事にも先達あらまほしき事なり」(どんな些細なことにも指導してくれる人は欲しいものだ)。

日本での反政府集団どころか、毛利家においてさえ反体制少数派であった青年暴力集団(指導者;高杉晋作)において、文字通り槍働きからはじめて、藩内闘争、対政府(徳川幕府)戦争、戊辰戦争、西南戦争と日本人」を殺しまく った山縣有朋は、高杉晋作や伊藤博文と違って、苔のむすまで生き延びたこととなる。

 


新しい街でもぶどう記録;第331週

2021年03月13日 20時24分36秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第331週 

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の花

■ 今週の マサ子さま、あるいは、今週の戦争花嫁

wikipedia [桂マサ子]

桂マサ子(かつら まさこ、1913年 - 1995年)は、日本出身でアメリカで活躍したビリヤード選手。ニックネームは「カツィ(Katsy)。 1950年に在日米軍の陸軍士官と結婚し、1951年に夫と共に渡米、1952年の世界スリークッションチャンピオンシップに特別出場し、10人中7位となった。桂は世界トーナメントに出場した初の女性となった。

「在日米軍の陸軍士官」って、間違いではないけど、要するに、占領しにきた進駐軍の将校だろう。

■ 今週の黒X緑

レタスと海苔は合う。有名な話らしい。

■ 今週のキリ番

■ 今週、気付いたこと;上下巻で続き絵、あるいは、刀水書房⇒中公文庫 ライン

ウイリアム・H・マクニールの『戦争の世界史』(高橋均 訳)、中公文庫を買った。買う前から単行本は刀水書房から出版されていたと知った。でも、刀水書房版は中古本でありながら、文庫(上下合わせて)より高かった。なので、中公文庫版を買った。ところで、刀水書房の単行本だった『カタロニアへの眼』(樺山紘一)が中公文庫になっていることを思い出した(関連愚記事)。刀水書房⇒中公文庫 ラインというのがあるのだろうか? なお、文庫本は上下で続き絵となっていると気づいた。

■ 今週の呉越同舟?、あるいは、「野心的な協力体制」へのおいらの歪んだ歴史感覚

日米豪印の4カ国(QUAD=クアッド)による初の首脳協議が12日夜、オンラインで開かれた。アジアなどに新型コロナウイルスのワクチンを供給する方針を確認した。4カ国で連携し「ワクチン外交」を通じて影響力拡大を図る中国に対抗する狙いも。(google)

歴史・地政学的基礎情報

・四か国ともイギリスに征服されていたことがある 。
・四か国ともモンゴル帝国に征服されなかった。ただし、日印は海からイギリスに征服された。
・日本以外の3か国は日本を占領した。



モンゴル帝国最大版図

インドはヒマラヤ山脈で、日本は海でモンゴルからの征服を免れた。ただし、その地点が現在、チャイナとの紛争地となっている。(なお、インドは16世紀にムガール帝国となるが、始祖バーブルはチンギスハーンの子孫。モンゴル帝国時代に征服されなかったということには変わらない)

でも、海洋から来たイギリスに征服された。

・日本以外の3か国は日本を占領した。


豪兵(渋谷のハチ公;恵比寿に駐屯した部隊)とインド兵(英連邦インドパンジャブ第1連隊第55大隊 [1])

[1] The 5th Battalion was sent to Japan as part of the British Commonwealth Occupation Force (wikipedia; 1st Punjab Regiment)

 ▼ イギリスの日本征服、あるいは、占領軍標本の模式地:鳥取県

敗戦後の鳥取県には米軍、英印軍(ジョージ6世が統治するインド帝国の軍隊)、豪軍が駐屯した。



ソース 進駐軍は鳥取で何をしていたか

■ 今週立ち読みで見た「間違い」

金井美恵子、『白雑録 小さいもの、大きいこと (914) (平凡社ライブラリー か 38-2)』(Amazon)を立ち読みした。(以下、おいらの記憶) その中で、「ジェロニモ」に言及していた。ジェロニモは「アメリカインディアン、アパッチ族のシャーマン」(wiki)であり、毛唐に抵抗した。そしてその後の米国史/西部劇での毛唐の象徴的敵役。一方、2011年に米軍はウサマ・ビンラディンを殺害した。このとき、「米オクラホマ州の先住民族(インディアン)は3日、米海軍が国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者を殺害する際、同容疑者の暗号名に先住民族の指導者ジェロニモの名前を使」(ソース)ったとのこと。今日、この立ち読みで初めて知った。

ところで、金井美恵子はマッカーサーに言及する。文脈は、マッカーサーを知っている世代はジェロニモを毛唐/白人さまへの反逆者として名前を知っているだろう。でも、今の人はそもそも「ジェロニモ」を知らないので、現在の作戦の中で名前が安易に使われてしまうのだと。 そして、金井がマッカーサーについて、説明していた。「書き忘れていたが、彼は占領軍総司令官として日本に君臨していた時日本人の精神年齢を12歳と発言したことがある」。

まちがい。

日本人の精神年齢を12歳と発言したのは日本で君臨していた時ではなく、解任され帰国した後である。いくら日本人がnaiveでも、占領統治下の自分たちの前で「日本人の精神年齢は12歳」と云ってるのを聞いたら、マ元も街道に数万の人に見送られることはなかったであろう。

帰国したマッカーサーが、1951年5月3日から開催された上院の外交委員会と軍事委員会の合同聴聞会で「#日本人は12歳」証言を行った (wiki)。

つまり、金井の占領下の日本認識として、占領軍総司令官が日本人を精神年齢12歳と発言しても、日本人は何も抗議もしなかったというものなのだろう。もし、日本で発言したら、それに対する日本人の反応があるはずで、「知性」のある人間であればどういう反応であったのか?反発、抗議はどうであったのだろう?と疑問に思い、そして、調べて、発言は解任後であり、その発言が日本に伝えられマ元人気が衰退したとわかるはずだ。あるいは、占領下の日本人は占領軍総司令官に侮辱されても何もしなかったという金井が認識しているかのだろうか。あるいは、マッカーサーは心中で思ったことを、占領地民の反感を考えず、無分別に口にする愚か者と金井が認識しているのかもしれない。

金井の脳内では、彼は「日本人の精神年齢は12歳」と云って日本で君臨しているのだろう。

■ 今週の「人殺し」(元POW)の奥さんのカマトト発言

英王室の公務を退いたヘンリー王子の妻でアフリカ系の血を引くメーガン妃が、妊娠中に王室内から「生まれてくる子の肌の色はどれくらい濃くなるのか」と懸念を示されたことを7日の米テレビで告白した。世界で反差別の声が高まる中での爆弾発言は、英王室にとって大きな打撃となりそうだ。google

   
愚記事(▼今週知ったこと、2. 人殺し系王子、しかも、POW )より

カマトトとは:「かまとと」は昔、ある女性が「蒲鉾(かまぼこ)は魚(とと)からできているの?」と、わかりきっていることを知らないそぶりで聞いた様子から生まれた言葉。 そして「~のフリをする」の意味の「ぶる」がくっついて、“うぶ”を装っている女性のことを「かまととぶる」と表現するソース)。このメーガンさんってアメリカ人。どこに嫁いだつもりだったのか?奴隷貿易をしていた国の王室なのだよ。人殺しは朝飯/結婚前。

 


十年一昔: 3・11 (2011年;東日本大震災)の翌日の新聞

2021年03月11日 04時26分29秒 | 日本事情

十年一昔(じゅうねんひとむかし)というが、この日もブログをやっていた。つまり「昔」からブログをやっているのだ。【号外】 壊滅したおいらの部屋 (副題、琵琶法師@見習いは泣かない)。「筑波山麓ー霞ヶ浦湖畔」地域は地震直後から停電。日付が変わって深夜に復電した。復電直後に投稿したのが上の記事。この時点で福島の原発が話題になっていた記憶はない。

▼ 地震の日は金曜日だった。なので、翌日は休み。震災翌日、すなわち震災後最初の新聞;

 


新しい街でもぶどう記録;第330週

2021年03月06日 19時36分59秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第330週 

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週のいちご頻度 (訂正あり)

 

カルビーの「いちごリッチフルグラ」という商品がある。フルグラとはフルーツ グラノーラの略。同社のただのフルグラとは違う。この「いちごリッチフルグラ」のいちごの頻度を見た。

適当に器に出したり(2回)、袋の中を見たりした。

 

いちごの種類は複数あり、「粒いちご」と「スライスいちご」とのこと。

その都度、いちごの頻度は違った。1枚目の画像は頻度が多い。

【訂正】 本ブログ記事投稿後、「検閲官」(@荊の簪を差した御方 [1])さまから指摘。当フルグラには、別途ブルーベリーとマンゴーのドライフルーツを追加しているとのこと。したがって、青い粒、黄色い粒は本来のカルビーのものではない。 なお、本主旨である麦に対するいちごの相対頻度に変わりはない。 [1] ネタにしてんじゃないわよとお叱り

■ 今週の昭和の成仏のために

自転車でおいで  (関連記事

グラノーラ 矢野顕子 [Amazon] 1987年(昭和62年)。 おいらが、初めて「グラノーラ」という言葉を知ったのがこれ。何だよ、グラノーラって!!!???。ラジオで矢野顕子本人が説明した。 またアーティストの嫌味な命名かよ!と思った。今、wikipedia見ていたら書いてあった;

米俗語の用法では、「(人が)健康食品志向の、環境を意識した」[8]、「ヒッピー的カウンターカルチャーに逆戻りしたような(人)」という意味がある。

カルビーのグラノーラは、1991年の発売とのこと(ソース)。

『フルグラ®』は、オーツ麦やライ麦、玄米等の穀物にシロップをまぜて香ばしく焼き上げたグラノーラに、彩り豊かないちごやりんご等のドライフルーツやナッツ等をミックスした、ザクザクとした食感が楽しめるシリアルです。1991年に発売して以来、売上は約30億円程度で推移していましたが、2012年頃から「時短需要」や「鉄分」「食物繊維」といった健康志向の高まり等を背景に販売強化を図った結果、シリアルブランド売上No.1(※1)の商品となりました。

■ 今週の光透過食品;第二回目 (第1回目

豚の脂身に火を通すと、透ける。光透過を確認するため豚の脂の裏に箸を入れてみる↓。

箸が透けて見える、光透過を確認。 なぜ光透過性があるかはおいらはわからない。おそらく、脂肪酸の高分子組織の熱的変性のせいなのであろう。ちょっとググったがわからなかった。

■ 今週の訃報; 篠田桃紅

 墨を使った独特の抽象画で知られ、100歳を超えても旺盛な創作活動を続けていた美術家の篠田桃紅さんが1日、老衰のため東京都内の病院で亡くなりました。107歳でした。
 篠田桃紅さんは大正2年、旧満州で生まれ、幼いころ父親の手ほどきで書道を教わり、以後、独学で書道を学びました。
 昭和31年に単身アメリカに渡り、ニューヨークを拠点に、墨を使った独特の抽象画を創作しながら、アメリカやヨーロッパで個展を開いて注目を集めました。 NHK

Google [篠田桃紅 死去]

愚ブログにおける関連記事;

篠田桃紅 昔日の彼方に; 前衛、商業的「成功」、そして、桃紅-弦一郎-NY ライン、あるいは、おいらの「冷戦下のCIAの美術工作」的感覚

 ■ 今週の 後 衛 の 位 置 から

■ 今週の毛唐さま

欧州軍、侮れぬ対中圧力 「砲艦外交」で揺さぶり(日経新聞)[google]

▼ 1839年の毛唐さま



ジョヴァンニ・アリギ、『北京のアダム・スミス』p60 より

アヘン戦争(1839年)の11年後の1850年のGDPは中国(清朝)の方が米英総和より大きい。つまり、「金持ち」清朝は国際的暴力団の餌食になったのだ。そして、21世紀。再び、「金持ち」になった中共に毛唐さまは群がってくるのだ。

▼ 幕末のおフランスさま

上記ニュースの幕末の両方にフランスは来ている。そして、幕末の生麦事件の時、英国海軍が幕府を脅し、江戸湾で砲撃を行うと云ってきた。この時、フランス人のミニストル・ベレクルという人物が「大層な手紙を政府に出して、今度のことについてフランスは全く同説だ、いよいよ戦端を開く時には英国と共々に軍艦をもって品川沖をあばれ回ると乱暴なことを言うて来た」(福沢諭吉、『福翁自伝』)。アヘン戦争で大いに清朝を餌食にした英国のコバンザメとなって日本切り取りを狙っていたのだ。 自由、平等、博愛!

■ 今週の<やつらの食い物>

https://twitter.com/Bed_gentleman/status/1367907150119501825

たいしたもの食ってなさそうだし、何より<やつら>がありがたがる食い物が特別なものでもなさそうだ。Sunday roastなんて聞いたこともなかった。ネットでみたら、別にたいしたものでもなさそうだ。ただし、あのローストビーフはここに含まれるらしいので、まあ、悪くなはい。でも、ビーフストロガノフとはなんか聞いただけですげぇーものを食っていたら、ルサンチマンに燃料注入にできてうれしかったのに、がっかりだ。

今でもイギリス人は、日曜日にだけSunday roastをいただくわけでもないのだろう。いつでも食べているのだろう。ということは、昔(ヴィクトリア朝時代?)にはこの程度の食事が週一のごちそうだったのだろうか?しからば、国際的暴力団となってインドやチャイナを餌食にしても、イギリス本国では、このくらいの食い物だったということか。

■ 今週知ったこと、東アジア「勤勉革命」

経済史で「勤勉革命」という概念がある。速水融[wikipedia]の提案だ。西欧の産業革命 (industrial revolution) に対し、速水は日本の江戸時代にも高い経済成長と経済の高度化が見られることを指摘した (上wiki)。

一方、与那覇潤の『中国化する日本』という本がある。小谷野敦による疑問など話題となった。Amazonレビュー。この本の中で、速水融の勤勉革命が日本を特徴づける属性として言及されている。与那覇潤の『中国化する日本』の一番の語るところは日本社会の中国化しない部分であり、中国化しなかった徳川時代を嫌悪している(こんな近世は嫌だ ー自壊する徳川日本(18-19世紀))。その徳川時代の特徴が「勤勉革命」だ。

その勤勉革命がチャイナ(清朝)でも生じていたと主張するのが、杉原薫[wiki]という研究者。

杉原薫自らの文章(ソース);

周知のように、「勤勉革命」という概念は、1979年に速水融氏が江戸時代の日本をイングランドと比較して提唱され、その後、土地が希少だった近世の日本には労働吸収の経験の量的質的な蓄積が見られ、それが明治の工業化を準備する「初期条件」となったという議論の文脈で使われてきた。私はこれを近現代史につなげ、労働集約的な技術や労働吸収的な制度の発達は、日本だけでなく、より一般的に東アジアや、その他の地域の工業化の特徴でもあると論じた。

与那覇潤は、産業革命に"対抗"/対応して「勤勉革命」をつくりだしたかの評価をしています。そして、「中国と比較した場合の日本の近世の特徴をよく示したセオリーではないかと思います」と書いている。つまり、チャイナには「勤勉革命」なんてセオリーは通用しないのだと云っているのだ。たくさん文献調査して諸説に詳しいと思っていた与那覇潤は案外底が浅いのだろうか?と疑問を持ち始めた。