▲ 今週の看猫;みけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第307週
■ 今週の武相境斜面
■ 今週の草木花実
■ 今週の弦巻発条
■ 今週の撥水(はっすい)
■ 今週の毛細管現象
画像:上のペン;インクが漏洩したもの、下のペン;通常のペン本体、ただし、ポケットに引っかえる部分が折れている。最下部は替え芯の箱
ユニボール、シグノというペンを使っている。仕事場ではラボノートを書くため、家では日記を書くため使っている。ペン先ボールが0.38mmで細い。今週、仕事場のシグノのインクが派手に漏れた。ただし、ペン本体内での漏洩で、外への被害はなかった。このペン本体は、おそらく、2-3年は使っているだろう。ペン芯は取り換える。ペン芯は箱で買っている。さて、なぜインク漏れをしたのかググると、製造メーカーの解説があった。数年使っているので、キャップがゆるゆるになりつつあった。したがって、ペンの先端が収まる細孔がも緩んでいたのだろう。下図の解説にあるように、インクが、毛細管現象で漏れ出したのだ。
https://www.mpuni.co.jp/customer/ans_12a3.html
■ 今週の認識
ある日、何かが僕たちの心を捉える。なんでもいい、些細なことだ。バラの蕾、失くした帽子、子供の頃に気に入っていたセーター、古いジーン・ピットーニーのレコード・・・・、もはやどこにも行き場所のないささやかなものたちの羅列だ。 (村上春樹、『1973年のピンボール』)
YouTube: Gene Pitney - Louisiana Mama
35年前から何度も読んでいる『1973年のピンボール』。昨日、認識した。ジーン・ピットーニー。もちろんこれまでこの本を読んだのだから、「ジーン・ピットーニー」は目に入っていたはずだ。知らない固有名詞。レコードとあるのだから、ミュージシャンなのであろうと、読み飛ばしていたのだ。昨日、あの『Louisiana Mama』を唄っている歌手と認識した。
■ 今週の「ワシントン・ハイツ」[1] 情報
[1] 愚ブログに現れる「ワシントン・ハイツ」
YouTube:飯田久彦 ルイジアナ・ママ 1961 / Louisiana Mama
『Louisiana Mama』を日本語にして唄っていたのが、飯田久彦。ネットで見つけた;
飯田:そうやって歌ってるうちに、事務所の社長とかの口伝てでレコード会社の人が来て、「やってみないか?」みたいな話になって…。バンドボーイで歌ってる頃はね、外人の女の子にモテたんですよ。日劇にも出てカバーソングとか歌ってたら、外人の女の子のファンがついたんです。当時ワシントン・ハイツとかグランド・ハイツっていうキャンプがあって、レコードがいっぱいあるから聴きに来ないとか言われて、キャンプに行くようになった。今の代々木公園にワシントン・ハイツってのがあって、まだジャニー(ジャニー喜多川氏)さんがそこにいる頃ですよ。そこにはレコードがいっぱいあって聴けるんですけど、歌詞も何もない。こういうボール紙の中にアナログとかバーンと入ってて、それで聴かしてもらうと良い歌があるんですよ。『グッドタイミング』だとかね。 (飯田久彦インタビュー)
■ 今週の朝鮮戦争認識
三谷太一郎、『戦後民主主義をどう生きるか』で、朝鮮戦争に対する認識を示している。
朝鮮戦争は史上最も悲惨な事例と認識している。北朝鮮が侵攻したとも認識。そして、毛沢東独裁体制にも言及している。
もっとも、この文章を含む章の主旨は、安倍政権の集団的自衛権容認を批判するもので、安倍政権の集団的自衛権容認というのは不安にかられて現在の国際的無秩序(アナーキー)の中に身を投じようとする態度が現れているのではないかと考え、国際的な無秩序に身を投じることによって秩序を無秩序に変えようとする衝動があると、三谷が感じるということ。過去の2つの集団的自衛権行使として、日英同盟、日独伊三国同盟を挙げ、両者とも戦争に結果したと指摘する。そして、集団的自衛権はよくないとして、その証拠として、三谷が挙げるが中ソ同盟である。
なお大きな戦争へ導いた第二次世界大戦後の集団的自衛権行使の歴史的先例として、一九五〇年一〇月の中国の朝鮮戦争への軍事介入があります。中国はその前年一九四九年一〇月一日に中華人民共和国と中央人民政府の成立を宣言しましたが、一二月一六日、毛沢東はモスクワを訪問し、スターリンとの間の難航した交渉を経て、翌年二月一四日に中ソ友好同盟相互援助条約に調印するわけであります。そして六月二五日北朝鮮が北緯三八度線を越えて韓国に侵攻し、それに対抗して国際安保理決議を経て、米軍主導の国連軍の介入が始まり、その反転攻勢が強まると、中国はそれを中国本土への脅威と受け止め、一〇月二五日厖大な人民義勇軍を投入し、朝鮮戦争に参戦するのであります。朝鮮戦争は中国にとっては、まさに中ソ同盟という軍事同盟に基づく集団的自衛権の行使であったわけでありまして、史上最も悲惨な事例であったというべきであります。ある中国の研究者によりますと、当時日中戦争や国共内戦後間もない中国においては、毛沢東とその側近を除いては、国内世論の大勢は参戦に否定的であったようであります。(陳肇斌「中国市民と朝鮮戦争ー『毛沢東の朝鮮戦争』の陰翳からー」『首都大学東京法学会雑誌』第五六巻第二号、二〇一六年一月、また「中国『知識分子』と朝鮮戦争ー海外派兵・原爆・同盟・租税をめぐってー」同上、第五七巻第一号、二〇一六年七月)。厖大な人名の損失を伴った参戦が毛沢東の絶対的権力の確立に貢献したことは、疑う余地のないことであります。(三谷太一郎、『戦後民主主義をどう生きるか』、Ⅰ政治社会を生きる、1政治社会の変化と集団的自衛権の問題)
そして、三谷は云う;
戦争はひたすら独裁への道である。そのことは本論文(1政治社会の変化と集団的自衛権の問題)が特に取り上げている朝鮮戦争への中国の軍事介入として現れた中ソ友好同盟相互援助条約に基づく集団的自衛権の行使がもたらした政治的結果に明らかである。すなわちそれは「プロレタリアート独裁」として正当化された毛沢東体制の確立であった。
と云っている。つまり、20世紀の「戦後民主主義者」とは違い、北朝鮮、中国が朝鮮戦争の責任者であるという認識をもっていると思える。ただし、安倍政権の日本の集団的自衛権行使正当化は、「毛沢東体制の確立」「史上最も悲惨な事例」のような事態へ導くものと三谷は認識しているのだ。
■ 今週の「」付き
https://twitter.com/loveKAKIPEANUTS/status/1309301800885866496
第41回石橋湛山賞を受賞した、山本章子、『日米地位協定』の副題に「同盟」とある。「」がついている。
この「」に込めた意図は何なのだろう? 日米安保体制を「日米同盟」であるとの認識は1980年以降のことである。でも、今では遡って、サンフランシスコ講和条約の時に結んだ旧安保をして日米同盟が始まったと外交官が言っている。旧安保は、内乱条項がある「植民地・駐兵」条約なのに。
日米同盟。 現在、日本外交、ひいては日本政治、そして現在の日本社会の一番重要な条件は「日米同盟」である、と多くの日本人は思っているだろう。これは戦後一貫して続いたものだとも多くの日本人は思っているだろう。
しかしながら、「日米同盟」なんて言葉は、池田勇人の時代や佐藤栄作の時代、そして福田赳夫の時代にもなかったのだ。もちろん、吉田茂の時代には、当然、ない。 (愚記事より)
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