― 旧朝香宮邸、「サンルーム」を仰ぐ.現在は東京都庭園美術館 ―
■先週のある平日都内に遊びに行く。東京都庭園美術館の『―ロシア構成主義のまなざし―』、東郷育児美術館の『モーリス・ユトリロ展』を観て、上野アメ横の大津屋に行きスパイスを買って帰った。昼は目黒のスペイン料理屋に行った。
▼アール・デコの館でロシア構成主義
東京都庭園美術館の旧朝香宮邸はアール・デコ様式の建物として有名(⇒wiki)。そもそも豪華な御屋敷ではあるが、美術品の展覧会には少し不向き。ひとつひとつの部屋の空間が十分でなく、作品群と観客とで少し圧迫感がある。
前に来た時は3階(?)の「サンルーム」へは入ることができたが、この日は閉鎖されていた。庭にはバラが植えられていて、外からサンルームを見たのが上記画像。
そのアール・デコの館で「ロシア構成主義」。
華族の館でソヴィエト芸術家の展覧会とはこれいかに?ということは、実は、ない。宮様は当時のヨーロッパの唯美的先端モダニズムを摂取し、一方、ロシア構成主義も社会の産業化を背景としたモダニズムの展開。なにせ朝香宮とロトチェンコとはすれちがっていた可能性がある。
朝香宮邸は1933年に建てられた。1916-1921年頃にはすでにロトチェンコはロシア・アヴァンギャルド展覧会で活動していた。朝香宮鳩彦王がアール・デコ博覧会に行ったのが1925年。一方のロトチェンコ。「ロトチェンコはこの展覧会に、「労働者クラブ」のための家具デザインを発表しました」(展覧会の解説文より)。 さらには本人自らボルシェビキ政権の使節として展覧会場に出仕。朝香宮鳩彦王はロトチェンコ作品をみたはずだし、ロトチェンコの姿も目に入っていたかもしれない。(解説パンフ→pdf 2MB注意)
この頃の日本の巷の状況を示した興味深いブログ記事⇒戦時中の日本の博覧会・イベントポスター(1920年代から1940年代) 。こういう時代だったんだねぇ。
1930年代問題だ。ロトチェンコがとデザインした作業着はナチスに似合いそうだし、なにしろ、ロトチェンコ自身の容貌とファッションがムッソリーニっぽい。
それにしても、ロトチェンコが幾何学的デザイン、即物的実用デザインにいったのはソヴィエトという状況のせいなんでしょうか? 唯美的な絵を描いているとシベリアに送られそうになると危惧したんでしょうか? conservative(地味)なおいらが好きなのは『二人の人物』。図録の色合いと本物とは違う。本物はとてもきれい;
▼非主流派?の宮様たち、あるいは強硬な本土決戦主義者
今この記事のためにwikiを読んでいたらいろいろ面白いことが書いてあった。
1. 非主流派宮様の系譜
このアール・デコの館を建てた朝香宮鳩彦王(あさかのみややすひこおう)は、1922-1926(?)年にフランスに滞在。この時、自動車事故で同乗していた北白川宮成久王が死亡。北白川宮成久王の父親は北白川宮能久親王。幕末維新で奥羽越列藩同盟に「天皇」として担がれた。明治になって宮様(⇒拙記事・馬上宮様; 「大日本帝国貴顕御肖像」解読 )。一方、朝香宮家もおもしろく、朝香宮鳩彦王の父親は久邇宮朝彦親王。どんな人かというと;
・さらに尊融親王(のちの久邇宮朝彦親王)は京都守護職を務める会津藩やこの時期会津藩と友好関係にあった薩摩藩と手を結び、急進的な倒幕と攘夷決行を唱える長州派公卿と長州藩を京から排除しようとし、彼らを嫌い幕府を信頼していた孝明天皇から内意を引き出し、八月十八日の政変を行う。
・明治8年(1875 年)、新たに久邇宮家を創設。維新前後の経緯から新政府の中枢には入らず、また東京へ移住することもなかったが、公家社会に隠然たる勢力を保ち伊勢神宮の祭主を務めるなどした。 (wiki)
つまりは、薩長クーデター派ではない宮様の系統なのだ。
2.本土決戦派・朝香宮鳩彦王
こんな瀟洒な御屋敷に住んでいても、殿下は本土決戦派だったとのこと;
・帰国後は、近衛師団長、軍事参議官、上海派遣軍司令官などを歴任し階級は陸軍大将に進んだ。第二次世界大戦終盤においては、終始強硬な主戦論者として本土決戦に備えた陸海軍統合(統帥一元化)を主張・力説していた。wiki
(それにしても、朝香宮鳩彦元王がpassed away したのが 1981年。すでに、~~あ~わちきの鯉は~南の風に乗って走ってしまっていたんだよ~[過去完了]、おいら、ものごころついてるよ。今思うと、結構「最近」じゃん 。殿下のインタビュー記録とかないのかね? ソヴィエトにしびれました、とか。 朝香宮邸には書斎というからっぽの什器と空間があるのだけど、どんな本を殿下が持っていたかって関係者は知ってるんだろう! やっぱ、国家機密なんだろうね。エロ本より恥ずかしい本もあったはずだから(アカ本)。参謀本部―ソビエトというラインに朝香宮鳩彦さんは一枚かんでいる、あるいは、”巻き込まれている”とおいらは邪推的ににらんでいる。接点は:アール・デコ博覧会:ソヴィエトっていけてるじゃん!:陸軍参謀本部―ソビエトというライン:本土決戦。)
仮説度130% !!!。
●新宿のユトリロ展に行く。
【特別展】 モーリス・ユトリロ展 -パリを愛した孤独な画家-
新宿でも高踏派。
・なぜ、名画は高層階で展示されるのか? 酸素濃度が低くて、ボーっとしてしまう効果を狙っているのだろうか? 参考拙記事→栄華の巷低く見て、あるいは、ターナー展
■上野、アメ横のスパイス・豆の専門店、大津屋に行く;おいらは、絶対、路地裏派!
アメ横 大津屋
少しだけチャンドニーチョークっぽいアメ横。