いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第394週

2022年05月28日 18時00分17秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん

▼ 新しい街でもぶどう記録;第394週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週のメタセコイア

■ 今週の草木花実


越冬した栗が春を乗り切り、この後あらわれるであろう若栗と共存する気配。

■ 今週の幸運な数字 222

牛乳と納豆を買って、222円(🐱🐱🐱)

■ 今週の「勝手口」、あるいは、横田幕府

https://twitter.com/374AirliftWing/status/1529037031632175106

wikipediaに横田基地を使用している米軍第5空軍の通称が横田幕府だと書いてあった。横田幕府とは、初めて知った。

Google [横田幕府]

▼ 日米首脳会談

5月23日11時00分から計約2時間15分間、岸田文雄内閣総理大臣は、訪日中のジョセフ・バイデン米国大統領(The Honorable Joseph R. Biden, Jr., President of the United States of America)と日米首脳会談を行ったところ、概要は以下のとおりです(極少人数会合:11時00分から約30分間、少人数会合:11時30分から約50分間、拡大会合(ワーキング・ランチ):12時25分から約55分間。)。

    1. 冒頭、岸田総理大臣から、今回のバイデン大統領の訪日は、米国がいかなる状況にあってもインド太平洋地域にコミットし続けることを示すものであり、心から歓迎する旨述べました。これに対し、バイデン大統領から、大統領として初めて訪日でき嬉しく思う、日本側のおもてなしに心から感謝する、今回の訪日を通じて、米国のインド太平洋地域への揺るぎないコミットメントを示していきたい旨述べました。
    2. 両首脳は、ロシアによるウクライナ侵略が国際秩序の根幹を揺るがす中、法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序を断固として守り抜く必要性を改めて確認しました。その上で、両首脳は、欧州で進行中の危機のいかんにかかわらず、インド太平洋地域こそがグローバルな平和、安全及び繁栄にとって極めて重要であるとの認識の下、「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向け、基本的価値を共有する同盟国である日米が国際社会を主導し、引き続き豪州、インド、ASEAN、欧州、カナダ等の同志国と緊密に連携していくことで一致しました。この関連で、両首脳は、24日の日米豪印首脳会合において、「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向け、様々な実践的協力の進捗を確認し、更に推進していくことで一致しました。(以下略 外務省 web site

■ 今週の同窓会(かつての占領地で集う米豪印)

日米豪印「クアッド」首脳会談開催 (google)

5月24日、午前10時35分から約2時間、岸田文雄内閣総理大臣は、アンソニー・アルバニージー・オーストラリア連邦首相(The Honorable Anthony Albanese, MP, Prime Minister of the Commonwealth of Australia)、ナレンドラ・モディ・インド首相(H.E. Mr. Narendra Modi, Prime Minister of India)、ジョセフ・バイデン米国大統領(The Honorable Joseph R. Biden, Jr., President of the United States of America)との間で日米豪印首脳会合を主催し、その後約1時間のワーキングランチを実施したところ、概要は以下のとおりです。また、今次会合の機会に、日米豪印首脳共同声明が発出されました。(外務省 web site 

▼ 米豪印は77年前は占領軍であった;

   

左より兵、 兵、 土兵

■ 今週目立たなかった訪日首脳さまたち

1.


リークアンユーの御子息、リー・シェンロンさん(wiki
いまでも「開発独裁」の扱いを受け、この前の米国バイデン大統領の民主主義サミットに招聘されなかった。

5月26日、午後8時20分から45分間、岸田文雄内閣総理大臣は、リー・シェンロン・シンガポール共和国首相(H.E. Mr. Lee Hsien Loong, Prime Minister of the Republic of Singapore)と日・シンガポール首脳会談を行い、その後、午後9時10分から、両国間で署名された文書の交換式が行われたところ、概要は以下のとおりです。会談及び交換式には、牧島デジタル大臣や磯﨑内閣官房副長官他が同席しました。(外務省 web site)

▼ 長期にわたって解決しなかった歴史問題

日本を訪問中のシンガポールのリー・シェンロン首相は26日、東京で開かれた第27回国際交流会議「アジアの未来」に出席して演説し、「日本はどのようにして自らの歴史に直面するのかを考え、長期にわたって解決しなかった歴史問題を処理してから、地域の平和により大きな貢献をすることに専念し、開放的かつ包容の地域構造を確立し、維持していくべきだ」と指摘しました。ソース

「長期にわたって解決しなかった歴史問題」って具体的には何のことだろう。

2.


プラユット・チャンオチャさん(wiki

5月26日、午後6時から約40分間、岸田文雄内閣総理大臣は、訪日中のプラユット・ジャンオーチャー・タイ王国首相兼国防大臣(H.E. Mr. Prayut Chan-o-cha, Prime Minister and Minister of Defense of the Kingdom of Thailand)と首脳会談を実施したところ、概要は以下のとおりです。会談には、磯﨑仁彦内閣官房副長官他が同席しました。(外務省 web site)

なお、日本はタイ軍について、タイと地位協定を結んでいる。以前、立川基地にタイ空軍がいたことは書いた。

一方、国連軍分遣隊として立川基地に駐留していたタイ王国空軍が、1969年12月、立川基地の閉鎖に伴って横田基地に移って来ました。 (愚記事

■ 今週の平和を愛する諸国民

中国軍とロシア軍の爆撃機 日本周辺上空を共同飛行 (google

北朝鮮 25日、大陸間弾道ミサイル(ICBM)など3発を日本海に向けて発射google

■ 今週の釈放; 捕まった「伊藤博文」が自由の身へ

   
失敗したテロリスト          成功したテロリスト(文久2年、英国公使館焼き討ちの前年)

日本赤軍の重信房子・元最高幹部、刑期終え出所google

重信房子は、捕まった不運な「伊藤博文」にほかならない。放火(英国公使館焼き討ち)、殺人(事実)、強姦(風評)を行なったテロリストの伊藤博文は、きちんと「革命」を成功させ、権力を握り、初代内閣総理大臣となったので、捕まったり、処罰されなかった。成功した。これとは、真逆に、「革命」を目指し、その組織が大量殺害を行うも、失敗し、かつ捕まったのが、重信房子。

興味深いのが、①日本赤軍。そんなに日本が好きなのか? 

パレスチナわがまほろばの崩れゆく空のみ高しジェニンの町よ (google

つまり、パレスチナが大和(=日本)[まほろば] と云っているのだ。

②少子化日本へのメッセージ;「親孝行」の子供を産んだ重信房子。

<アラファト紋様>の布を身にまとっている。まだまだ、やる気まんまんらしい。

■ 今週の耶蘇

日本赤軍が起こしたテルアビブ空港乱射事件での無差別殺人で虐殺されたのはプエルトリコからの巡礼耶蘇たちであった。

YouTube Q83 なぜ日本ではキリスト教が広まらないのですか。【3分でわかる聖書】

悪魔が暗躍する日本(?)では、耶蘇が広まらないどころか、わざわざ、イスラエルまで耶蘇を虐殺しに来るのだ。

■ 今週のアクセス 札幌の米軍についての記事群に集中アクセス

■ 今週の初代(Jap policemen)と当代;第3次世界大戦をも危惧される中で

▼当代

札幌・豊平警察署は25日、陸上自衛隊真駒内駐屯地に勤務する男(36)を暴行の疑いで逮捕したと発表しました。google

▼初代

現在の「陸上自衛隊真駒内駐屯地」の前身、米軍基地キャンプ・クロフォードの「門番」をする警察予備隊の日本人(1951年)

第三次世界大戦の際、これらのジャップ警官は同盟した日本軍の中核になるはずです。
There has been speculation that in event of World War III these Jap policemen will be the nucleus of an Allied Japanese army. 
 (愚記事

 


新しい街でもぶどう記録;第393週

2022年05月21日 18時01分08秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん

▼ 新しい街でもぶどう記録;第393週

■ 今週のよその猫

東京都調布市深大寺付近

■ 今週の「岩合光昭」さん

■ 今週の草木花実

▶ 3年ぶり! 神代植物公園 「春のバラフェスタ2022」

■ 今週の物産展

↑溝の口駅  ↓買った

ラグノオ(メーカー)、「パティシエのりんごスティック」 (web site)。 ラグノオとは;
「ラグノオ」はフランス表記で「ragueneau」です。ragueneauとは、演劇・戯曲「シラノ ド ベルジュラック」の中に登場するパティシエ(職人)の名前 だとネットにあった。

関係ないが、思いついた: ragueneauのアナグラムとしてはueの余りとなる、garneau 。自転車のルイガノなどのガノ [garneau]。

■ 今週の「変」

■ 今週のゆるキャラの応援の有無

みきゃん」はいませんでした。

■ 今週の goo blog

■ 今週借りている本

高橋たか子の随筆、日記、自伝を読んできたが、初めて小説を借りた。『高橋たか子 自選小説集1』に貼っている『誘惑者』を読んだ。

■ 今週読んだ小説; 死願者は夜汽車に乗って

『誘惑者』。高橋たか子の小説としては初めてよむ作品。小説は京大の女学生が女学校(女専)時代の友達二人の自殺を幇助する話。舞台は京都と自殺する三原山と途中の東京。時代は1950年、昭和25年、朝鮮相の頃。つまりは、占領下の話となる。なお、高橋たか子はこの小説についてのちにいろいろ書いているが、時代について朝鮮戦争の時代と意識的に云って、かつ、自分は京大生だったが朝鮮戦争なんかに全く興味はなかったと云っている。

<モデルの事件:三原山での女学生自殺> 『誘惑者』の三原山での女学生の自殺とその幇助の話は史実であり、高橋たか子はそれを週刊誌で知り、それに<誘惑>され作品をつくったとのちに云っている。この昭和8年(1933年)の事件はネットでわかる(Google [三原山 心中 女子学生])。当事者は東京の実践女学校(修学年次を考慮すると、現在の大学に相当)の女学生。当時としては稀な種族。モダン日本で勃興した中産階級の子弟なのだろう。ふたりの友人の自殺に立ち会った「死の案内者」昌子さんはこの直後死ぬので、詳細は不明とのこと。

高橋たか子がこの小説のために設定したことにまつわることども

<B-29が来なかった街に生まれて> 高橋たか子は京都生まれの京都育ち。父親は建設専門の役人。すごいのが、この父親が敗戦直後、15歳くらいの高橋たか子を「焼跡を見せてやる」と大阪や、さらには東京に連れて行くのである。東京へは夜汽車で行った(後述)。この経験が『誘惑者』の自殺のための上京に「使われている」。高橋たか子は東京について焼跡を見た記憶はない/忘れたと随筆にはかいている。ただ、バラックに住む旧友に会った思い出は覚えていると。もちろん、東京は戦災で10万人以上が死んだ/虐殺されたジェノサイドの街であり、廃墟の街、死の街だ。その街に15歳くらいに行ったのに、特に死の街の印象を受けたとは云っていない。一方、『誘惑者』では、;

 と、その時、鳥居哲代は、ふと窓の方を見、あっという声をたてて眼をしばたいた。これまで二十年間に一度も見たことのない光景が、そこに展開されているのであった。先刻、おそらく暁方に、何度か窓の外にあらわれて、夢だと思いこんでいたあの廃墟は、実はこれだったのか。
 「これが戦争の?その跡なの?」と鳥居哲代は言った。 あ

戦災を被った都市と、そうでない都市とは、まるで互いに別世界のようだ、鳥居哲代は考えていた。あの、国電の田町とかいう駅で降りて、海ぎわにあると教えられた桟橋に行きつくまで歩いていった、広漠と味気ない焼け跡。埃っぽく乾ききって、吹きなぐりの寒風とともに、土埃が黄色い旗のように舞い上がる、あの荒野。焼けたトタンを屋根にした防空壕のなかで、獣のように生きている人々。残骸だけになった工場のなかで、それでも電気溶接の火花が散っていて、ほそぼそと続けられていた作業。家らしい家はなく、木らしい木はなく、川らしい川はなく、ただただ土と埃と廃物だけの拡がりにすぎない、あの海沿いの地帯。そこから漂い出てくる、あのいいようもない倦怠。行けども行けども到達しない桟橋。空だけが、汚れのない、ただ奇妙に残忍な感じのする青さで、頭上をおおっていた。ー焼跡。なぜか焼け跡が、自分の内部に焼き付いてくる。(高橋たか子、『誘惑者』)

<B-29が来なかった街に生まれて>、<B-29に壊滅させられた街にやって来て>意識をみつけて、おいらは、うれしくなった。

<死願者は夜汽車に乗って> 高橋たか子の小説『誘惑者』の人物は京都の同志社女専英文科時代の友達。21歳。三原山で自殺するので、京都から行かなければいけない。高橋たか子が設定したのは、夜汽車。京都から夜行列車に乗って、東京に行くのだ。そして、東京から船で伊豆大島へ行く。死願者は夜汽車に乗って! どっかで聞いた詞を思い出した; ♪~ 帰れない 何があっても 心に誓うの ♪~ 何かもすてた(死願者) 夜汽車に乗って ♪~

<死んで行く良家の子女> 高橋たか子、『誘惑者』でふたりの死を「誘惑」した鳥居哲代は京大生。死んだ二人、さらには鳥居哲代も、良家の子女である。良家であり、さらに旧い家柄というう設定である。自殺した一人織田薫(女専から同志社大学に進学)の家は特定郵便局であり、父祖たちは代々局長である。

■ 今週知った司教さま

高橋たか子、『私の通った路』は自伝である。高橋たか子が1980年代のほぼ10年フランスのカトリックのある「セクト」に属し、今後の日本での勢力拡大のプロジェクトに参加するつもりだった体験談。結局、退会する。つまりは、高橋たか子の「憂鬱なる党派」物語。俗を「低く」見て、霊的生活を目指すはずの宗教生活が、権力欲旺盛に「セクト」を独裁的に率いる神父ぺーる・ベルナール(仮名)と彼に取り入ろうとする修道女などが登場する極めて「俗」な宗教組織の人間模様。特に、高橋たか子に登場する日本人女性クリスチャン。若い。彼女たちと高橋たか子の軋轢。その軋轢の解決のために東京にいる日本人司教がでてくる。濱尾文郎。これは本名らしく、ググったらあった⇒ wikipedia。最後は枢機卿になった人だと知る。昭和時代は東宮殿下にラテン語を教えていたとある。この『私の通った路』をみると、カトリック教会の政治が少しわかること。カトリックは布教、組織拡大は各セクトの自由であるが、その布教地の司教の許諾が必要らしいこと。

<耶蘇の瀬戸内寂聴?>

高橋たか子は洗礼名が、マリア・マグダラなのだ。あの、マグダラのマリアだ。高橋たか子の文章はあからさまに書いていないが、穏に、ところどころ、暗示したことを書いている。一番、直截なのはこれ;

 だから、異性感情が起こらぬように自分に気をつけよう、と思ったというのは、私が過ぎ去った長い年月において達人であった、男性との愛の域に火がついたりしないように要心をおこたらぬようにしよう、ということに過ぎないのであった。(高橋たか子、『私の通った路』)

<憂鬱なる党派、あるいは、俗物性>

私は、この日本人修道女にたいして、大きなお世話だ、中傷だ、との思いをもった。すぐ、ペール・ベルナールに返事を書いた。あの識別は、大変成熟した頭脳明晰な二人の女性、 M・Oさんと私との合意によるものだ、と。彼自身も、最初から自分でちゃんと識別していたことを令状に書いて、会から出てもらったのではなかったか、と。ナイフを投げるような語調の、私の手紙にたいして、折返し彼からの返事が来た。がらりと内容のニュアンスが変わっていた。そういう電話があったと言っているだけのことで、あの問題は決定的に決着ずみのことだ。あなたがフランスに帰ってくるのを待つ待つ待つ、と。
 数の恐怖にとらわれている彼が、まるでそこにいるかのように私に代わってきた。一つの数を失って、恐れ、そのことを私に言うことで私をがっかりさせた結果、一つの数どころか何倍もの数の内包される私を失うかもしれないことへの、恐れ。 (高橋たか子、『私の通った路』)

このあからさまな承認欲求の充足への満足に満悦している姿はどうだろう。これは、どういう意味なのか、とまどう。つまり、承認欲求の充足への満足に満悦していること、すなわち、典型的俗物であることに無自覚なのか、それとも、作家として霊的生活でもおこりうることときちんと報告していうるのか、わからない。


3年ぶり! 神代植物公園 「春のバラフェスタ2022」

2022年05月18日 20時57分42秒 | 東京・横浜

2020年と2021年はコロナで春のバラフェスタはなかった。なので、3年ぶり。

神代植物公園 「春のバラフェスタ」へ行くのは、今年で6回目(2015年2016年2017年2018年 2019年)。

ものすごい人。少なくとも、300人は行列をつくっていた。30分まち。

▼ バラ園の前に何かのコンクール入賞のバラが展示してあった。

■ バラ園本園へ

■ バラ園を出て、木立の中を抜け、神代植物公園を去る。

■ そば

「湧水」にいく。例年より長くならんでいた。20分待ち。

とり天。¥750。50円値上がりしてた。おそらく、そばも。

使い廻しのクーポンでそばようかん。いつもどおり。


戦艦ミズーリでの降伏文書調印全権(重光・梅津)と随行員の人物同定と所属、役職、階級

2022年05月15日 10時59分15秒 | 日本事情

1945年 (昭和20年) 9月2日、東京湾の戦艦ミズーリ号上で連合国に対する降伏文書の調印式は有名。下記、画像。大日本帝国の全権、重光葵外務大臣、梅津美治郎参謀総長の両名が参加し、調印した。戦艦ミズーリ号の甲板上には二人のみではなく、9名の随員がいた、計11人。この有名な写真について、写った人物のどの人が誰なのか、さらには、所属と役職を記した情報をひとまとめしたものを見ないので、つくった。

①重光葵 ②加瀬俊一 ③岡崎勝男  ④太田三郎  ⑤梅津美治郎 ⑥宮崎周一  ➆永井八津次  ⑧杉田一次  ⑨柴勝男 ⑩横山一郎 ⑪富岡定俊 所属 ①-④外務省、⑤-⑧陸軍、⑨-⑪海軍

なぜ、全権が二人なのか? 大日本帝国の建てつけとして、天皇の下に政府が並列していた。天皇を「代表して」降伏文書調印に調印する場合、政府と軍それぞれが天皇の代わりに署名しなければいけない。

政府
①重光葵 [外務大臣] (wikipedia) (全権)
外務省
②加瀬俊一 [情報部長](wikipedia)、③岡崎勝男 [終戦事務局長官] (wikipedia)、④太田三郎 [終戦事務局部長]

軍 統帥部
⑤梅津美治郎(wikipedia) (全権)
陸軍
⑥宮崎周一 [参謀本部第一部長、中将] (wikipedia) ➆永井八津次 [同少将] (wikipedia) ⑧杉田一次 [同大佐] (wikipedia)
海軍
⑨柴勝男 [軍令部 大佐] (wikipedia) ⑩横山一郎  [軍令部 少将] (wikipedia) ⑪富岡定俊 [軍令部 少将] (wikipedia)

■ 勅命

天皇の代わりに署名した重光と梅津は、天皇から直接、対面し、勅命を受けた。調印式の前日の9月1日。

重光は降伏文書調印という日本史上初の任務を前に、8月28日に伊勢神宮参拝。9月1日に宮中参内。『重光葵 手記』に書いてある;

 九月一日御召しによって宮中に参内、拝謁。左の如き勅語を賜った。

重光は明日大任を帯びて終戦文書に調印する次第で、其の苦哀は察するに余りあるが、調印の善後の処理は更に重要なものがあるから、充分自重せよ。

 世流に何が押されて早まった思ひつめた事のない様にとの優渥なる御諭しであったのである。恐らく梅津参謀総長の「自分に自殺を強いるものである」という語[言]葉が何時の間にか陛下の御耳に入ったものの様である。記者(重光)が退出した後に、梅津大将も召されて同様な勅語を賜はつた模様である。天恩無際、至れり尽くせりである。 (重光葵、『重光葵 手記』)

■ 随行員名簿

 集まるのは梅津全権の外、随員として外務省からは岡崎(勝男)終戦事務局長官、加瀬(俊一)情報部長(内閣情報局第三部長)、太田(三郎)終戦事務局長の三名、陸軍より参謀本部第一部長宮崎(周一)中将の外、陸軍省永井(八津次)少将及び杉田(一次)大佐、海軍から横山(一郎)、高(富)岡(定俊)両少将(柴勝男大佐帯同)であった。 (重光葵、『重光葵 手記』)


その他 気づいたこと

① 隠れる海軍

この写真をよくみると、梅津参謀総長と随員3名の陸軍4名は全員、写っている。しかし、海軍は、柴勝男だけである。

② 太田三郎の白服

正面からの写真では目立たないが、この鳥瞰的写真ではよく見える。太田三郎の白服。これは目だったのではないだろうか?重光をはじめ、外務省からの随員はモーニングにシルクハットの礼装であるのに、太田三郎の衣装。南の島にバカンスにでもいくのかよ、って感じ。これには理由があったとこの場にいた加瀬俊一が後に述している;

外務省の一行は、一人だけ別にして、モーニングにシルクハットの礼装だった。われわれは天皇を代表していたからだった。同僚の太田三郎が戦災でいっさいを焼かれていたために、仕方なく白い背広を着ていた。 『あの時「昭和」が変わった』 加瀬俊一

それにしても、戦災で一切を失ったのはお気の毒だが、外務省の仲間で誰かモーニングとシルクハットを貸してくれる人はいなかったのだろうか?

③ 終戦文書に調印

重光は手記で降伏文書とは書かず、終戦文書、終戦文書と書いている。

④ 大分県

天皇から面会して勅語を受けて、全権として調印した重光葵と梅津美治郎の二人は共に、大分県の出身である。


新しい街でもぶどう記録;第392週

2022年05月14日 18時33分11秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん

▼ 新しい街でもぶどう記録;第392週

■ 今週の武相境斜面

▼ 停電

13日の22:30頃、停電。結局、翌朝5時頃まで、7時間あまり停電。この長さは、つくば山麓ー常陸野で2011年の3.11での停電 15;00-2:00頃に次ぐ長さ。ここ横浜では、こんな長時間の停電は半世紀ぶりらしい。

14日0時頃。

こどもの国線は稼働していた。

■ 今週の草木花実

■ 今週のエンドウ

スナップエンドウ

■ 今週の似た者同士の相違

5月9日のプーチン演説;

『RT』は、プーチン大統領の演説を次のように報じている。

 「プーチン大統領は、ウクライナでの軍事作戦は侵略者に対する先制攻撃であったと述べた。

 プーチン大統領は演説の中で、第二次世界大戦中のソ連国民の功績を称えるだけでなく、モスクワとキエフの間で続く紛争の理由も取り上げた。ロシアが行動しなければならなかったのは、東部ドンバス地域の2共和国に対する大規模な攻勢が計画されていたからだ、と彼は言った。

 『軍事インフラが(ウクライナで)展開しているのを見た。何百人もの外国人アドバイザーが仕事を始め、NATO諸国から最新鋭の武器が定期的に届けられるようになった。危険は日々増していた』とプーチンは述べた。

 『ロシアは侵略に対して先制的な反撃を行った。これは、主権があり、強く、独立した国による強制的で時宜を得た、唯一の正しい決断だった』と、軍事作戦の開始について付け加えた。ソース

先制的な反撃(google) と  aggressively secure itself (攻撃的自己防衛)[1] とはどう違うのだろうか?

[1] 米国ブッシュ大統領がイラク攻撃を正当化した概念 (愚記事:I learn some our JUSTIFICATION from him

■ 今週知った絵画

山口 薫(wikipedia)、《花の像》1932年(昭和12年)

「日本における抽象芸術のパイオニア」(次の項で後述)である山口薫。初めて知った。1932年という時代。日本でのモダニズムの時期。鉄筋コンクリートのビルが建てられた頃。「モダンな感じ」。

1930年にできた鉄筋コンクリート製の建物。戦前のモダニズムですね。先日のブログの小石川植物園、共同印刷麻布の連隊の鉄筋コンクリート製の建物、あるいは、朝香宮邸と同時代。(愚記事

この「モダンな感じ」は、同時代の榎戸庄衛の《緑蔭》1933年(下左)に認められ、抽象画という点でも類似。ただし、Googl (山口 薫  榎戸庄衛)でぐぐってもつながりは確認できなかった。

 

愚記事:「榎戸庄衛展」・茨城県つくば美術館 より

以前は戦前なのにこういう絵があったんだと驚いていたが、1920年代、30年代のモダニズムを知る。これら作品の時代、1932年、近衛内閣発足。支那事変勃発。何より、このモダニズムは、新体制運動にまきこまれていく。

山口 薫は下記の本で知った。

■ 今週借りた本

森元庸介訳『西洋が西洋について見ないでいること 法・言語・イメージ[日本講演集]』以文社、2004年

ピエール・ルジャンドル(Pierre Legendre, 1930年 - )は、フランスの法制史家、宗教史家、精神分析家。wikipedia

この本は日本での講演集。当時の日本政府・文部科学省の資金による「二十一世紀COEプログラム」を使って、東京外国語大学の西谷修が招聘したとのこと。

COEとは、center of excellenceのことで、当時、優秀とされる大学研究拠点を指定して資金が注がれた。どういうものであったかの一見解は下記ある;

COEなどというプログラムができて、とんでもない金額の補助がいくつかの研究に与えられて、文系の研究に何億もの金をつけて、いったい何に使うのだろう、思ってしまいます。どうやらもらったほうも結構使い道に苦労しているようにも見受けられ、ともかくも有名な外国人を呼んできて、おそらくは法外な謝礼を払い、さして意味のなさそうな講演会を開いたり、シンポジウムを行ったりしているように私には思える。(略)
 別にそういうことをやって悪いとはいいませんが、それは知識のほんの表層的な部分にしかすぎません。私には、ただ、公的資金の無駄遣いにしかみえませが、そこにはもっと難しい問題が潜んでいます。  佐伯啓思、『学問の力』(愚記事より)

「西洋が西洋について見ないでいること」という思わせぶりな惹句に惹かれた。こういうことかな?とも思った;


https://twitter.com/hirougaya/status/1497425549240967175

なお、この本に註として下記あった;

同時にキリスト教世界における東方と西方の区別が踏まえられていることにも留意。ルジャンドルの指摘によれば。ローマ・カトリックが東方正教と断絶していたことは、中世にあって西洋近代の核心が形成される上での重要な契機である。p31

ローマ・カトリックとギリシア正教会の相違の強調。

本文は難しくてわからない。西洋理解には「人類学」的視点で見る必要があるとのこと。

わかった点は、西洋の核心であるキリスト教はローマ帝国の法制を受容したことで活力を得て今に至っているらしいこと。

西洋とは何かを端的に云っている;

西ヨーロッパで生まれアメリカ化され今日では己の開放性とやらに陶酔しているこの文明が自己を他の文化と同列な文化のひとつだと見なすようになるとは考えにくい。権力関係の根底においてそれが自らの世界観を相対化するとは考えにくいのである。

科学と教会法: 近代の科学技術的な理性の制定の源泉に、ローマ=カノン法(wiki)がある。ローマ=カノン法は事実および事実証拠のふたつの概念をねりあげ、流通させた。

上記、山口薫については、1章書かれている。おいらは、最初この《花の像》を見た時、顔の部分はモンタージュなのかとおもった。一方、ルジャンドルについての解説みると、彼の考えの鍵語彙に「モンタージュ」があるとのこと。《花の像》とモンタージュとの関連はわからない。

■ 今週の昭和の成仏のために

お茶箱を見かけた。昔、1970年代はお茶箱はあったが、クリアボックスはなかった。がきんちょだったおいらはお茶箱を1個もっていて、おもちゃの収納に使っていた。

今買うと高い。新品は約1万円(価格ドットコム)。中古品(昭和36年製)、4,700円の例がネットにあった。下記のようにお茶箱の中は金属箔板で裏張りしてある。

当世、お茶箱の代替品。クリアボックス

■ 今週の訃報

 国際政治学者 中山俊宏さん死去 55歳 慶應義塾大学教授 (google

3月末の文章;

Maintain the Strategic Focus on China

By Toshihiro Nakayama, a professor of U.S. politics and foreign policy at Keio University

機械翻訳;

中国への戦略的焦点を維持する
慶應義塾大学米国政治・外交教授中山俊宏

ウクライナでのロシアの戦争は、地政学的な現実よりもはるかに地政学的な認識を変えるでしょう。ウラジーミル・プチン大統領の下でのロシアは短期的な挑戦として大きく迫っていますが、中国は中長期的には最優先の脅威であり続けるでしょう。2つのバランスをとる方法は非常に重要です。今ここに注目が集まる傾向がありますが、戦略的な焦点を維持する必要があります。プーチンが死ぬ前に世界を地獄に連れて行かなければ、プーチン後のロシアでの大きな変化が期待できます。しかし、中国からの脅威は構造的であり、リーダーシップの変化は大きな変化をもたらさないでしょう。圧倒的な現実は、中国が米国との権力格差を縮めているということです。

それにもかかわらず、ワシントンの注意はヨーロッパの前線に向けられなければならないでしょう。力を使って勢力圏を再構築しようとするロシアの試みに直面して、米国はそれを権力と対峙せざるを得ない。ヨーロッパでさえ、米国から著しく距離を置いた後、米国の力が不可欠であることを再発見しました。たとえば、ドイツの防衛姿勢の見直しは、この前提に基づいています。

中国は、ロシアに甘んじているとしても、より責任ある国として振る舞おうとします。ロシアの戦争に対応する西側とそのパートナーの団結を見て、北京は今、現状を無理矢理変えようとするゲームがいかに危険であるかを学んでいるかもしれない。プーチン大統領と習近平国家主席が侵略直前に共同で述べたように、中国が「制限なし」で中露のパートナーシップを正当化することはますます困難になるだろう。中国は、すでに行っているように、非軍事的強制による勢力圏の確立を倍増させながら、ロシアのような無法国家ではないことを強調するかもしれない。ワシントンでは、戦略的競争の擁護者と関与の擁護者の間の戦いが前者を支持して解決されたように見えます、

米国には、2つの分野への完全な長期的コミットメントに対する運用能力または持続的な注意がありません。しかし、地政学的な現実は、ワシントンが両方にコミットすることを要求します。この場合、ヨーロッパとインド太平洋の両方の面で米国の同盟国とパートナーは、より積極的にコミットする以外に選択肢はありません。良いニュースは、これがすでに起こっている兆候があるということです。

米国がウクライナに直接介入しないというメッセージは確かに伝わってきます。NATO加盟国と非NATO加盟国の間には明確な境界線があるため、これは理解できます。この論理をアジアに直接適用することはできませんが、米国の信頼性をどのように認識するかは、米国がウクライナでどのように行動するかによって大きく影響を受けることは間違いありません。


新しい街でもぶどう記録;第391週

2022年05月07日 18時06分49秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん

▼ 新しい街でもぶどう記録;第391週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週の「焼き物」

栗どらやき。先週土曜日に購入、翌日の日曜日に切断、食べる。先週の種入り梅どらやきとは違って、包丁ですっぱり切った。

■ 今週のお餅


柏餅

昔、和菓子屋でバイトをしていた。今頃の季節で、柏餅づくりの葉っぱに包む工程をやった。職人さんに葉っぱで餅をつぶすさないようにいわれた。


大福餅

■ 今週の雑木林;二の丸雑木林


二の丸雑木林、皇居東御苑

昭和天皇といえば、「雑草という草は無い」(google)で有名。「雑木林」はいいんだろうか?

■ 今週の「変」

■ 今週の「神」

■ 今週借りて読んだ本

4月中旬から読み始めた高橋たか子(4月16日のブログ記事)。5冊のエッセイと小説1冊(『誘惑者』)を読む。エッセイは出版が古い順から『高橋和巳の思い出』(1977)、『記憶の冥[くら]さ』(1977)、『高橋和巳という人』(1997)、『私の通った路』(1999)、『どこか或る家』(2006)、『終わりの日々』(2013)。 

高橋たか子は1932年生まれ [1]、2013年死去。本名は高橋和子(たかこ)。従って、夫の高橋和巳とは漢字では一字違い。なぜ「高橋たか子」?という話は4/16のブログ記事に書いた。高橋和巳について語っていることに加え、何よりその欧米崇拝、特にフランス崇拝に興味をもった。フランス人に生まれなかった自分の運命を嘆いているのだ。これはすごい、と思った。狂人だ。蛇の道はヘビ、読んでみよう。

敗戦中二病。愚ブログで言及したことのある江藤淳(1932)、篠沢秀夫(1933)、海老坂武(1934)、などとほぼ同時代の文学者。敗戦時が現在の学制の中学生という多感な時期であり、その後フランスなど西洋文学で生きる。何より、日本への態度が興味深い。高橋たか子の属性で特徴的なのは、上記秀才文学者は男性とは学校エリートということは同じであるが、女性であること。エッセイでは女性であることでの、知的エリート社会での、不当な待遇を非難している。なお、鳥瞰的に言明したのは1997年の「男性社会というものがまだ一度も反撃を受けることのなかった当時の日本」である(『高橋和巳という人』)。

[1] 1932年生まれの高橋たか子は書いている;
私と同年(昭和七年生まれ)の石原慎太郎さんが、大変元気な姿でテレビに出ておられると、とてもうれしくなる、と言いそえておこう。終わりの日々の作家に特有な、長い経験の蓄積に仄見える言葉づかいにたいして。2005年(『どこか或る家』)。

フランス。 「私は日本では生きにくいのだ」と云う高橋たか子がフランスの何を憧憬するかというと、民主とか人権とかはたまた革命とかあるいは近代批判とかではなく、カトリックのフランスなのだという。日本人は人間らしく生きていないのであり、「ペルソン」/「ペルソナ」というものをもつヨーロッパは違うのだ、と云っている。キリスト教、それもカトリックに憧れる。ヨーロッパ一般を賞賛するが、特にフランスだ。その理由はよくわからないが、自分がフランス文学をやり、フランスのカトリック作家モーリアックに影響を受けたことによると自分では説明している。でも、それでは、なぜモーリアックなのか?他ではないのかについては言及されておらず、理論的には説明になっていあにとおいらは思う。

なぜフランスのことばかり?について説明している文章があった。晩年の日記だ;

 なぜフランスのことばかり私は思うのか? その理由は、はっきりしている。
 若い頃にフランス文学を専攻したこと。そんなわけで翻訳をいくつかしたこと。(フランス文学を専攻
したと言っても、当時の、元は帝国大学だったところだから、大変レベルが高かった。その上、西洋文学全体を見わたす教授の姿勢があったのだ・・・・)
 そうして、私自身、すっかり日本を捨てる気持ちで、一九六七年にフランスへ行ってしまった。その時、違和感ばかり受けたのだったが、この違和感が、その後、すこしずつ私に飼い馴らされて私という人間の内容となり、そうして、やがてフランスというものが私のものとして私の内部に住み着くようになったのだ。だから今、私は、日本人ではない、という気分でいる。(2010年 2月27日(土)『終わりの日々』)

でも、やはり、説明になっていない。なぜフランス文学を専攻したのか説明されていない。英文学でもなく、中国文学でもなく、はたまた国文学でもなく、なぜフランス文学なのか? やはり、説明されていない。

この点、篠沢秀夫は、嘘かほんとか自己申告なので確かめようがないが、説明している。すなわち、敗戦で戦勝国の文物である英文学をやろうとした、そうしたら、ノルマン征服を知り、英国よりフランスの方が偉いからフランス文学にしたと云っていたおいらの記憶がある。あるいは、平川祐弘が敗戦国民として戦勝国のアメリカを直視できなかったのでフランス文学にしたと江藤淳が云っていることもある。

▼ 高橋たか子のヨーロッパ理解:

1.

「フランス人」
(中略)
では、どんな人たちか?
強い。と、一言で言っておこう。
強さと言っても、むき出しの強さではない。二千年(それ以前から)の間の、ユーラシア大陸内での地続きの地域と地域との間を絶え間なく掻きまぜた戦争 ー歴史書に記されていない戦争がどれほどあったことか!ー こうした暴力によって知らず知らずのうちに作りなされてきた、肉体の力。そうして、やはり、そういう生存の状況を通して培われてきた、精神の力。強烈な力。中世以降は、そうした力が、むきだしのものではないふうに洗練されてき、それは、たとえば、人と人との間の礼節とか、あるいは、言語表現における端正さとか、などなど入れるが、しかし礼節にしても端正さにしても、内に強いテンションがある。
 そのテンション。その緊張力が、その人だ、ともいえるフランス人。(ヨーロッパ人、と言ってもいいがー) (『終わりの日々』)

2.

ロマンチスムはユーラシア大陸でこそ根付いてきたと主張する。ユーラシア大陸で示す地域は、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、ロシアである。

つまり、夢。 それらの国々では、生存の根っこから本能的に立ち上ってくる<ここにはないもの>への夢が、茫漠と熱く、人々を生かしめてきたのではなかったか?
 ユーラシア大陸の国々の、文学や芸術を見れば、一望のもとに、そのことが見える。ユーラシア大陸の、と、ここに書くのは、イギリスやアメリカでは、そうではないから。海を越えた国々では違う相のものが発達していったのだろう。
 なぜユーラシア大陸の内部でそうなったのか、と思いめぐらすと、地続きの国々間での、侵入や侵略や移動をとおして、多種の血が(婚姻によって)混じり。後世の者が証明できぬふうに一人の人において混じったものとなり、そのような複合的な家をもった、ユーラシアの広大な地帯の人々においてのみ、単一の血族である日本人には生じない、なにか憧れのような志向が出てくるのではないか?自分の中にある自分とは違う他人、そんな違いに、無意識的に敏感でーそれが、他人に向かっては、憧れという形をとることがあるのだ。
 こうした憧れ。それがロマンチスムの根っこをなすもの。(2007/9/27 『終わりの日々』)

かように、とにかく知識や情報にもとづかず、「ロマン」的・イメージ的なものである。

▼ B-29の来なかった街に生まれて; 

 戦争体験というものを爆撃に限定するなら、私は戦中派世代に属しながらも戦争体験を持たなかった。京都に住んでいたからである。私にとって戦争は長い長い倦怠の時期として記憶されている。日本の大都市が次々と爆撃されているというのに、京都という大都市は、爆弾一つ落ちず、戦災風景など全く現出せず、しかも勉強も遊びもできないままに、毎日毎日が呆けたように過ぎていった。
 そうした倦怠に終戦が終止符を打ったと言っても、廃墟から立ち上がろうとする人々とはわけが違っていた。どこにも廃墟がないのであるから、ゼロからの出発という希望もない。戦災都市の人々とそうでない人々とで、その点が非常に異なるようである。御破算の度合いと希望の度合いとは比例する。そういうわけで私にとっては戦後というものがゆるゆるときた。何かが、つかみどころのないあいまいさで変わっていた。壊された何かを建てなおすという具体性がないのであるから、いわば抽象的な変化であった。まだ女学生であった私は、それがどういうことなのかすこしも理解できないままに、その変化を感覚でだけ感じていた。(『記憶の冥[くら]さ』)

なお、高橋たか子はB-29の来なかった街、京都に生まれて育ったが、敗戦直後、父親の配慮、すなわち廃墟をみせてやるとの意向で、大阪と東京を訪れたというのだ。

▼ 中二病克服文学:

 何年も前から日本で若い人々の自殺が増えている。そのことを新聞で見るたびに、私などは笑ってしまう。何と、幼いことか!と。私の若かった頃、まわりの人々は(トップクラスの青年たちは)とことんまでニヒリズムを生きていた。西洋から来たニヒリズムをとおして、自身の、この世への本能的な否定と向き合い、また、西洋からきたさまざまの観念と向き合うことによって、教えられ、強められてきたのである。特に男性ばかりの国立大学では、そうであった。
 そうして、たとえば私などは、その頃に、この世および自分自身の否定をとおして、人間形成されてき、いわば、すでに自殺してしまっている自分を、この世と合わせて生きていく、とでも言った強さを、ずっと保持している。
 このことが、<自分自身において死んでいる>ということにおいてのみ成り立つキリスト者としての私を、形成することとダブっている、と言えようか。(西洋のキリスト者は、そうである)(2007/9/11『終わりの日々』)

▼ 駆動力:

 昔の西洋映画もそうだが、昔の西洋文学には、なにか、夢というか熱望と言うか、人間の中から湧きあがってくる情緒がある。
 それこそ、私は生涯にわたって、惹かれ求めてきたのだった。( 『終わりの日々』2008年 3月3日(月))

▼ そして、フランスへ;高橋たか子の「憂鬱なる党派(?)」

さんざんフランスへの憧れを語り、日本にいることを忌避した高橋たか子は、まず日本で洗礼を受けカトリック信者となる。そして、ある神父の率いるあるセクトの修道女としてフランスに行く。1980年。そして、結果的にはそのセクトを辞めて日本に帰って来る。その事情を語ったのが、『私の通った路』。

本人は大真面目なのだけれども、はたから見ると、変な新興宗教に騙されて、おカネとられた人の話と読める。でも、おもしろいのが、この新セクトを率いるフランス人神父。高橋たか子はこの神父に「惚れて」いた。そして、高橋たか子がヨーロッパの美徳としていた強さ、憧憬への邁進などがこの神父の属性となっている。こういうカトリック神父は愚記事の「王と坊主の同床異夢の野望の果てに」に出てくる神父と同じだ。高橋たか子の本には aspiration (野心)が出てくる。

なお、この高橋たか子がこのセクト信心に没入の時代は、日本ではオウム真理教が生成、発展した時代だ。

▼ 住宅事情、鎌倉の家

高橋たか子の本には自分、あるいは自分たちが住んだ家について詳細が書かれている。1965年に買った家は500万円でバブル期に約1億で売ったとある。鎌倉の家は2軒で最初の家の向かいにもう1軒黒川紀章の設計で建てた(下画像の左上の六角形の屋根の家)。本には住所が書かれいる。ネットで見た;


Google Map

この項、後日、別ブログ記事にするかも/したい ⇒ 予定


東京散歩;渋谷駅 ⇒ 皇居・東御苑 ⇒ 向島百花園

2022年05月06日 18時23分46秒 | 東京・横浜

渋谷駅から向島百花園まで歩いた。途中、皇居東御苑に寄った。

1; 渋谷駅、2;青山墓地、3;赤坂見附、4;皇居、東御苑、5;両国橋、6;押上、7;向島百花園

■ 1;渋谷駅 ⇒ 青山墓地

▼ 宮益坂

▼ 国道246

▼ 骨董通り

▼ モロッコ大使館

▼ 岡本太郎記念館

▼ 根津美術館

▼ 青山橋を渡る

▼ 外苑西通り

▼ 青山墓地

■ ⇒ 赤坂見附

▼ 神宮外苑いちょう並木

▼ 赤坂御所門

▼ 赤坂見附

a;骨董通り、b;根津美術館、c;青山陸橋、d;神宮外苑いちょう並木、e;赤坂御所門
A: 赤坂御所、1;渋谷駅、2;青山墓地、3;赤坂見附

■ ⇒ 皇居

▼ 最高裁判所

▼ 桜田門

■ ⇒ 大手門、東御苑

▼ 大手門

かばんの中身を検査される。プラスティックの入場証の使用はなくなっていた。

▼ 二の丸雑木林

▼ 江戸城天守閣跡地

▼ 平川門から出る

■ ⇒ 5;両国橋

▼ 浅草橋交差点付近

■ ⇒ 6;押上付近

▼ 国技館

▼ 旧安田庭園

▼ 横綱公園 慰霊堂

▼ 北上

▼ 錦糸町付近

▼ 墨田業平付近

■ ⇒ 7;向島百花園

▼ 向島百花園

▼ 向島百花園 ⇒ 東向島駅

■ まとめ

歩数:31,622歩。 約15km。

通過町;

渋谷区:渋谷

港区:南青山、赤坂、元赤坂


千代田区:平河町、隼町、皇居外苑、丸の内、一ツ橋、神田錦町、鍛治町、岩本町、東神田、日本橋馬喰町、東日本橋


墨田区:両国、石原、太平、横川、業平、押上、向島、東向島

 

 


つくば散歩;公園通り 赤塚公園 ⇒ 松見公園、or sentimental journey to renew old memories

2022年05月03日 15時46分58秒 | 筑波山麓

つくばに行った。昔住んでたアパートや仕事先、散歩道を再確認した。最下部にYouTubeを貼るが、つくばを特徴づける、共産圏国家を彷彿とさせる、幅広の大通りはもちろん人工的なものであるが、この記事の散歩道の「つくば公園通り」も原野にできた人工の道である。

a:稲荷前交差点、b:茗渓学園、公園通り、赤塚公園の3重点、c;洞峰公園、d;南大通り+公園通り交点、e; つくばエキスポセンター、f;松見公園

b-f; つくば公園通り、1-5; 西大通、6-10;東大通、1-10、国道354線、2-9;南大通、3-8; 土浦学園線、4-7;  、5-6;北大通

■ ひたちの牛久駅 ⇒ バス停・環境研前

▼ イオンモール

ひたち野うしく駅からTXつくば駅へ行くバスは稲岡のショッピングモールに立ち寄ることになったと知る。バスの乗客の大半がここで降りた。

■ 環境研前バス停、稲荷前交差点

▼ 西大通の稲荷前ゲート・モニュメント(a)

▼ 閉店したココス


ココスは閉店したそうです。Google[つくば 学園稲荷前店 ココス 閉店 2020年11月8日]


在りし日の姿

▼ 環境研の門

▼ がんこや かるがん

⇒ 昨日の愚記事: 岩のりチャーシューメン がんこや かるがん つくば店

▼ 動物病院

「うめちゃん」がお世話になりました。新棟ができていた。

愚記事「うめちゃん点滴」より

幸せな X 印」猫もここの動物病院の話です。

▼ 長続きの本屋さん;むさしの書房

 

▼ 国道354を渡り北上

土浦用水 (土浦市外十五ケ町村土地改良区 google

▼ 「とっとくポイント」

「集めたらとっとく」を再訪(愚記事:置き忘れられたどんぐりたち)。


芝畑

愚記事;「11年暮らしました」の窓から見える風景。アパートのとなりは芝畑だった。

■ 赤塚公園、公園通り (b)

▼ 赤塚公園

↑↓ これらの木々は人工林。

▼ c: 洞峰公園  1980年開園 (wikipedia)

公園建設に6年かかったらしい。

▼ イチョウ並木

2005年11月30日、愚記事

■ 洞峰公園 ⇒ 千現 ⇒ 公園通りに戻り、北上 ⇒ つくばセンター

▼ 研究支援センター

20年前に働いていた会社のラボがここにあった。

▼ 公園通りに戻る

この「書道教室」の看板は、少なくとも、20年前からある。


千現通り


d: 南大通り。向こうに見える道の先がどん突きとなっている。

▼ つくばセンタービル

- - つくば市(筑波研究学園都市)の中心に、世界的な建築家である磯崎新が設計した「つくばセンタービルが」あり、そこに「広場」がある。一九八三年に完成してちょうど二十年余、筆者は一度としてこの「広場」に人が憩う光景を見たことがない。時間がとまり音が消えた白昼の墓場が蜃気楼のごとくゆらめくのを誰しも無意識に幻視するだろうか。その虚ろな不気味さが、確かに人を遠ざけている。 - - 中川八洋 (愚記事;「楕円の広場に降りることはない」

降りてた。催しものをやっていた。

▼ つくば美術館

関連愚記事;「榎戸庄衛展」・茨城県つくば美術館

■ e: つくばエキスプセンター

つくばエキスポセンターに生まれて初めて行った。つくばにいた頃は、来たことがなかった。500円。やはり、来る必要がなかったと確認できた。

愚記事(谷田部細川一万六千石)より;

このコスモ星丸なるものを見ておもうことは、そのダサさが当時、時代の最先端を切り開くとされる科学技術の祭典のシンボルになったということに驚くばかりでなく、実はコスモ星丸自身あるいはそれを創造したり受容した神経自身に責任があってそれらが色あせていったのではなく、むしろ、時代の最先端の神経を追い越してそれを古臭くさせることこそ科学技術の使命であると気づくことであり、実にコスモ星丸のだささ、つまり今日現在の神経がコスモ星丸を古色蒼然と認識することこそが、科学技術の祭典の精神、あるいはもっと俗なあさってには打ち捨てられる明日の新しいイベントや商品を必死に作り出す精神の結果に他ならないと気づくことである。

■ 公園通りに戻り、北上、松見公園へ


北大通

▼ f:  松見公園

松見公園展望施設”松見タワー”。100円の入場料を支払えば、エレベータで最上部までいける。

松見公園展望施設”松見タワー”(建築の旅 web site)から望む筑波山


内閣総理大臣として松見公園展望施設”松見タワー”に訪れた大平正芳。 本記事最下部のYouTubeの 41:52のところより。

■ 松見公園から引き返し、TXつくば駅へ

■ まとめ

通過町

つくば市

小野川、赤塚、稲荷前、長峰、二宮、千現、竹園、吾妻、天久保

ACCSスペシャル 昭和41年~47年頃のつくば


岩のりチャーシューメン がんこや かるがん つくば店

2022年05月02日 08時26分01秒 | ラーメンたべた

「ラーメン食べた」のカテゴリーは、2019年10月の記事「札幌 中華料理 香州の住所の謎; 五目やきそば食べた」以来。久しぶりにつくばに行ったので、かるがん がんこやに行く。このつくば店が開店したのが、2005年。開店直後に行った。愚記事;「みぞれラーメン」、「薫風ラーメン」。17年目だけど、やっていた。

2020年春には一度閉店宣言がなされたが、再開されたとのこと(google)。

この日、10人ほどが順番待ちのため並ぶほど繁盛していた。

つくばのTXつく駅から見て南。国道354線と西大通の交叉点、稲荷前交差点の南西側にある。つくば市赤塚。

建物内の椅子で待つ。

岩のりチャーシューメンを食べた。濃厚豚骨スープ。チャーシューはとろける系のやわらかさ。海苔の風味はそんな強くない気がした。

ごちそうさまでした。

税込み990円