いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

国を肇(はじむる)こと...、そして、偉大なる敵役

2013年06月30日 21時00分15秒 | ぐち


 -階段をのぼるうめちゃん―

▼  最近、幸せだ。 なぜなら、大日本帝国の偉大さをひしひしと感じるからである。

ウヨに生まれて、よがったと思う刹那である。

 どのように、「大日本帝国の偉大さをひしひしと感じる」というと、大日本帝国の文明的遺産にほかならない「中国共産党」と「大韓民国」の首領さまが、反日を出汁に、結束なさっているからだ。 


最近の歴史などの問題で(北東アジア)域内国家間の対立と不信が深まっており、

 (おまけ; 【中国BBS】習近平と朴槿恵って兄妹のように顔が似てないか?) 

「中国共産党」が大日本帝国の文明的遺産であるとはどういうことからというと、当の御本人がおしゃっている。やはり、天才だ。

もし、みなさんの皇軍が中国の大半を侵略しなかったら、中国人民は、団結して、みなさんに立ち向かうことができなかったし、中国共産党は権力を奪取しきれなかったでしょう、といいました。ですから、日本の皇軍はわれわれにとってすばらしい教師であった...by 毛沢東 (google
 ikagenkiに顕われたる、毛沢東

「大韓民国」殿については、いうまでもない;

自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行け なかったのに、日本人が来て義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、親は仕方なしに大事な労働力 だった自分を学校に行かせてくれた。すると成績がよかったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれた。さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に 進学し、首席で卒業することができた。朴 正煕(パク・チョンヒ)回顧

もちろん、「教師」たるもの、反面あって、正面あって、教師なり。 教師は正反糾える縄の如し   (????)
  (憲兵だって、教師だ!

▼ ところで、日帝支配による受難で死んだ朝鮮人と朝鮮戦争で中国軍に殺された朝鮮人はどっちが多いのだろう?

ホント、歴史を正視してほしいよね。

それにしても、支那、朝鮮の 建国の精神が、打倒! 大日本帝国なのだ。

大日本帝国は、支那・朝鮮をして、国を肇(はじむ)らせんとしたのだ。

偉大なる敵役!

 朴槿恵(パク・クネ)さんは日本を悪魔化して憎悪し、その憎悪の共有で、 「中国共産党」の支那と、馴れ合っていこうというのだ。

すごいな。 でも、案外そういう動機は、凡庸なものなのかもしれない。 

すなわち、おやじ殿の朴正さんだって、ただ、ただ、ひたすらに、北朝鮮を敵として、悪魔化して憎悪していたから日本と条約を結んだのかもしれないからだ。

▼ そんなクネのおっかさんががんばっているのに、コリアンキッズどもは能天気だ: すなわち、朝鮮義士たる;安重根(アン・ジュングン)と尹奉吉(ユン・ボンギル)の区別がつかないのだ;


 歴史を知らない民族に未来はない

大丈夫か!? コリアンキッズども。

弁当爆弾の尹奉吉(ユン・ボンギル)は、こっち今かと思う幾瞬間の後、水筒形のその怪物は爆発した。爆音は強かった。)。 
安重根はこっち(人殺し、人殺しに遭う)。

▼ 真打登場! 大日本帝国の文明遺産@むしろ正嫡?


日本はむしろ北朝鮮に学ぶべきで、「世界で孤立しながら一国で自主的に頑張ってみせるなんてのは...


ぶどうの木再生日記;第15週目

2013年06月29日 07時42分20秒 | 草花野菜

▼ 今週の看猫


     -通りすがりにみた猫―

▼ 今週の公園


     -日比谷公園―

▼ 今週聞こえた空耳

猫々センセブログに顕われたるキチガイ


多分...

▼ 今週みたアカ

カクサン、って最初ピンとこなかった。フィックの法則には日ごろお世話になっているのに…。

アカが、マヌーバ (←すんごい死語)として、「情宣」という言葉の代わりに使っているのだ。

アカ@ヨヨギといえば、ひらがな流だったんだが。 今回は、カタカナだ。

おいらは、"書物に傍点をほどこしてはこの世を理解して行こうとした"と考えていた頃、才能も財産も、ましてや血筋もなかったので、デーガクに行った。 

書物にあったミンセーの実物を見た。

当時はなかったが、今はある言葉; まじめ系クズ。 それだった、彼らは。 

中曽根300議席の、今から見れば、バブルの頃だ。

おいらにとって何より残念だったのは、彼らの親分が言ったはずの「野蛮な情熱」が、彼らには全く感じられなかったことだ。

野蛮な情熱が横溢しておいらには、唾棄すべきものに他ならなかった。

情熱はともかく、彼らはアタマもわるかった。 いわさきちひろの絵本が愛読書だったんだろうんな。 今から思えば。

         「いい人」たちだったんだろうけど...

ディスってごめんよ。


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便器の向こうに回り込んで、小便するおいらの姿を見つめる愚猫について

2013年06月26日 21時45分15秒 | ねこ


     -梅雨時の小便小僧-

愚猫にまつわる数年に一度ある事象。たった1度ではなく、数年に1度起きるので、普遍的事象かと思われる。

小便をしようとトイレにドアを開けて入る。その時、ちょろちょろと愚猫も一緒に隙をみて、入ってくる。入ってくるとすぐに腰かけ式の普通の家庭用便器(大小兼用)の向こう側に回り込む。そして、おいらを見上げえるのだ。便器に向かって小便をせむとするおいらをである。別に、おいらは、愚猫を無視してズボンのチャックを開け、陰茎を取り出し、小便をする。じょんじょろ、じょんじょろ。その一部始終を便器の向こうに回り込んだ愚猫は、じっと見上げているのだ。

あれはいったいなんだろう?と不思議に思う。そして、気づいたよ。JR浜松町のホームの小便小僧の像を見て。愚猫はこういう姿を見たいのだろうと。それにしても、なぜ見たいのだろう? 導火線に火がついてるよ!と知らせにきているわけでもないし...


兵隊やくざシリーズ (1965-1968....1972); 造反時代への準備教材

2013年06月23日 19時23分04秒 | その他

   観流す(ミナガス)だけで昭和の成仏をマスター!

        ポスト昭和元禄[google]造反時代を、スピードラーニング

今月、頭に、映画・『兵隊やくざ』(1965年(昭和40年)製作・公開、増村保造監督、大映映画)を観たこの『兵隊やくざ』はシリーズ化して映画興行された。1965-1972年。現在DVD化されているのは、下記シリーズ(出典 wiki)の内、1972年の『新兵隊やくざ 火線』以外の8作品。レンタルでDVD化されている8作を観た(1作目の『兵隊やくざ』はネット上の"違法"サイトで観た)。シリーズが進むと、原作の核香は薄れ、勧善懲悪的、やじきた道中的エンタメになっていく。でも、やたら、人をぶん殴る映画なんです。そして、いろんな視点で見れる。たとえば、典型的「ミソジニズム」的要素満載である。「女・娼婦」を捨て、有田上等兵の元へ走り帰る大宮二等兵。

普通におもしろかった。 ただ、仁義なき戦いシリーズのように、せりふをそらんじるくらい何度も見たいとも思わない。 しかしながら、おいらが10歳ころ見て、記憶に残っていたシーン(数分)が確認できた。覚えていない大部分のシーンとなぜそのシーンだけが記憶にあったかを解明することは、余生の楽しい課題だ。

時代は、世界の先進国で同時多発に勃発した「大学紛争」、新左翼運動、そして支那大陸では、文化大革命の時期、と重なる。そして、この『兵隊やくざ』シリーズの終焉が1972年であり、連合赤軍事件、浅間山荘籠城事件・リンチ殺人の発覚の年である。

『兵隊やくざ』シリーズの特徴は次の通り。敵軍との戦闘シーンを観客へのエンタメ的見せ場とする他の(1960年代の)普通の戦争映画と違って、『兵隊やくざ』シリーズは軍隊生活の日常、それも理不尽な規律と支配に成り立っていたと「される」日帝陸軍での、「アウトサイダー」的人物を題としたもの。「アウトサイダー」的人物として「インテリ」と「やくざ」を登場させている。

肝心な点は、『兵隊やくざ』シリーズは敗戦20年後の作品であること。観客たちは、つまり当時の社会の空気は、戦争なぞ愚劣なことで、特に日帝陸軍は理不尽な組織で、我々庶民はいやおうなく放り込まれ、とんでもない目にあったんだ、というもの。当時の大勢は、誰も日帝陸軍の再建なぞ望んでいなかった。つまり、日帝陸軍は悪、もっと言えば、ほとんど絶対悪であった、はずである。と、この映画シリーズが上映されていた頃生まれたおいらが、言ってみた。

特にこのシリーズで興味深いのは日本軍というのは内部でお互いの足の引っ張り合い、そしてリンチばかりしていることを描いていることである。戦争で敵軍に負けたことよりも日帝陸軍の組織運営ができていなかったこととして、描かれている。

戦争に「駆り出された」日本人の庶民のほとんどは、「アウトサイダー」ではない。唯々諾々と日帝陸軍の組織の論理に従っていたのだ。当然だ。それが規則であり、法であり、秩序のため、なによりお国のためだと「思って」いたのだ。

一方、『兵隊やくざ』シリーズが上映されていた頃、敗戦20年後、1960年代中後半、高度成長期だ。みんな、「秩序のため、なによりお国のためだ」と思い、唯々諾々と日本資本主義の論理に従って、勤労に励んでいたのだ。

でも、、『兵隊やくざ』シリーズに引き寄せられた勤労や勉学に励んでいるはずの日本人の庶民は、何かを求めていたのだ。

何か、鬱積していたのだ。

それは、実は、正しく、道ることは実現しがたく、造反がその実現をなしうることであると、わかっていたのだ。

造反にこそ、道理が有る、ということだ。

有田上等兵と大宮二等兵のやっていることは、反逆である。 特に理不尽な上官への反逆である。 組織内の垂直的暴力。ただし、反逆の方向。上官への造反。

そして、その反逆の根拠が義侠や戦争からの忌避だ。敗戦20年後の道理である。 大義のためなら暴力を!という「造反時代の準備教材」だったのではないかと、おいらは、感じた。 ⇒ 「さぁ、殴ろうじゃないか!

                
大宮二等兵@のちパンツに大麻    丸山二等兵@のち教授さま/殴られっぱなしの人生

さて、リンチばかりして自滅した日帝陸軍を描いた『兵隊やくざ』シリーズは1972年に終焉した。おいらは、連合赤軍のリンチ殺人事件の発覚で、リンチばかり描いている『兵隊やくざ』シリーズはシャレにならなくなって、やめたのだ、と邪推した。

違ったょ。 1972年に『兵隊やくざ』シリーズをつくっていた映画会社 「大映」が、倒産したのだ。

おまけ; 1960年代中頃の美意識;

このうなじ、くび、かた、頬の輪郭の浮き上がらせ方...

この女優さんは? おこたい

なお、野暮な解説ですが、この女優さんの役は慰安婦さんではありません。上記、 典型的「ミソジニズム」的要素の視点、あるいは、フェミ的視点からは、男が姦るオンナと、姦らないオンナの内、典型的後者となります。

この兵隊やくざシリーズでは、のちに昭和の大女優となるあまたの女優さんが出ますが、慰安婦役とそうではない役に分かれます。


 


ぶどうの木再生日記;第14週目

2013年06月22日 11時03分03秒 | 草花野菜

今年は実は期待できない。でも、極微の実ができていた。例年の今頃のぶどうの実→過去画像

▼ 今週の看猫


最近、よく出会うエリザベス猫。「おひかえなすって」と言っているにちがいない。
 でも、ちょっと、まったが、仁義を切る口上は、なかった...
      というか、流れ者のおいらこそが、仁義を切らねばいけなかったのだ。
      シャッターばかりきって、ごめんなさい。

▼ 今週の草木花


  - 筑波山麓のあじさいはまだ三分咲き -

▼ 今週の好事

今週の猫々センセブログ(6/22)で、外山継男、『サビタの花』が言及されていた。誰も知らないょ、外山継男、『サビタの花』。その証拠に、ブログ検索しても、ヒット数ゼロである(投稿数時間後、 but me となった)。外山継男、『サビタの花』の副題は、ロシア史における私の歩み、である。学者さまの自伝だ。 おもしろい。 1934年、神田の生まれょ (神田の外山っていうから、やっぱ、幕臣の子孫なんだろうか?)。 その自伝では、その学者さまが、1960年代はじめに世界のいろんなところに行く。今じゃ、日本円が高くなったことと、冷戦が終わったことの2つの理由で、普通の人でも難なくいける場所だ。

猫々センセは、「童貞、東大、フランス語、土井先生」という認識上のチャンネルでこの外山継男、『サビタの花』に遭遇し、猫々センセにとって好都合の情報を得たのだ。

おいらはの認識上のチャンネルは、「学者さま、内地人の見たサッポロ」だ。

外山継男、『サビタの花』にある;

 山のふもとのこの梅林のあたりは、カッコーがよく鳴いていたが、時としてこの鳥は真夜中にも鳴くことがあった。なかなか寝つけない夜など、寝床のなかでカッコーの鳴くのを聞いていると、「ああおれもとうとう札幌に来たんだな」と、ひとしきり感慨にふけったものだった。

札幌っ子であれば、初夏に、すなわちライラックの花がくたびれたころから、カッコーが烈しく鳴きだすのを知っているだろう。そして、しばしば、まだ夜が明けぬうちから、カッコーが鳴き始めることも知っているだろう。札幌の初夏の「夜中」3時は、夜が明けはじめる。でも、カッコーが夜中に鳴くことを文章化した例はあるのだろうか? やはり、「内地」の「文人」の「札幌体験」なのである。 ところで、上記文章は、相当「性的」文章である。そもそも、なぜ鳥が鳴くのか?独身男性が夜中に寝つかれず煩悶(?)としているのか。鳥のように夜中から鳴いているのはおまえのリビドーだろう、って文章。

 最近のおいらは、近所で、カッコーが鳴かないことに、「ああおれもとうとう内地に来たんだな」と、ひとしきり感慨にふけっているのだ[#1]。

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[#1] 少し、ウソ。 筑波山麓でカッコーが鳴いているのを聞いた。2005年頃。


次々消えゆく札幌老舗書店、アテネ書房、リーブルなにわ

2013年06月19日 19時45分44秒 | 札幌

ネットで知ったょ、 アテネ書房今月で店終い。 そして、リーブルなにわは既に消えたのだ。


ソース 現在リンク切れ

  

  
ペグマンに撮ってもらったアテネ書房(左)。 この前札幌に帰ったときは、まさかアテネ書房がなくなるなんて思いもしなかったので、画像採取なし。画像を採取したのは、「●変わらない札幌の風景」の玉屋だ(右)。 雪印パーラーも残っていた。

おいらは、中二病に罹患した時に、よく行った。 いや、アテネ書房やリーブルなにわなぞに行ったから、中二病に罹患したのかもしれない。

上記画像は、おいらが本なぞ50冊ももっていなかった頃買った本だ。 特に、左の本は中二病に罹患の瞬間の本だ。 カバーを外して、中身をお見せするのが恥ずかしい。今後、厚顔の程度が高くなっていくと、晒して、ブログのネタにするのだろう。 右の本もかなりはずかしい本だ。

 1980年台前半、おいらが中二病に罹患し、こじらせていた頃、アテネ書房には「極左」の党派の機関紙の販売コーナーがあった。店に入って、左奥。そして、そのコーナーを観察するに、しばしば、背広姿の人が「機関紙」を読んでいた。当時は、おじさんにみえたが、今思うとまだ30-40代だろう。何にびっくりしたかというと、背広姿。中二病に罹患し、こじらせていたおいらには、背広姿=何の因果か落ちぶれて、いまじゃすほん(資本)の手先、というものに見えたからだ。
 1980年台前半、おいらが中二病に罹患し、こじらせていた頃、おいらは、背広着て、仕事に行く「サラリーマン」というものだけにはなりたくないと念じていた。 当然、"書物に傍点をほどこしてはこの世を理解して行こうとした"と考えていたのだ。左翼なぞに全く魅力を感じなかったおいらは、世界を変革しようなどという考えを嗤い、ただ、"書物に傍点をほどこしてはこの世を理解"できれば、この世なんぞ滅びてもいいと考えていただけであった。

 そして、なったょ。 背広着て、仕事に行く「サラリーマン」 (愚記事;資本の文明化作用; A day in my life for Marunouchi-Sadistics)になっちまったのだ。月に数度だけど。がきんちょの頃、生意気なことを考えたばっかりに、バチが当たったのだ。

 そして、上記画像の彼らも、罹災者なんです→ 愚記事 

● まとめ; がきんちょの頃、生意気な口をきくと、歳をくって、バチがあたる。

 

 

 


唱紅は、野心喚起の響き

2013年06月16日 19時43分34秒 | 

もうすっかり過去のニュースになってしまった。薄 熙来(Bó Xīlái 、和名(笑):はく  きらい) [関連愚記事] の失脚。大変な野心家であったが、中国共産党の権力闘争で敗れ、失脚した。その薄 熙来の「コピー」が、「毛沢東」になれなかった男、(google)である。

薄 熙来は、人民煽動と動員をひとつの手段として成り上がったといわれる。

「共同富裕」のスローガンを掲げて格差是正や平等・公平をアピールし、民衆をひきつけた。そして、大衆を動員し毛沢東時代の革命歌を歌わせる政治キャンペーン「唱紅」を展開した。「唱紅」の目的は古き良き共産党のアピールであったが、これが思わぬ懐古ブームを巻き起こし、人々から好評を得た。wiki

毛沢東時代の革命歌を歌わせる政治キャンペーン「唱紅」で人民を鼓舞、煽動し、自らの野心の手段としたのだ。そして、彼が煽動し人民をして「唱紅」せしめた響きで、薄熙来自身大いにその野心が励まされたに違いないのだ。

■ 30年ぶりに林真理子の本を読んだ。

30年前の本に書いてあった;


 私の少女時代というのは、父親によって実に複雑な色彩に彩られていた。
 幸福だったといえば嘘になるだろうし、不幸だったといえば、ちょっと言いすぎたかと口をつぐんでしまう。
 そんな日々を私はおくったのであるが、私の父親というのは今考えても本当にいいかげんな人物であった。
  「お父さんはとにかくあなたにそっくり。お父さんを見ていて嫌なところがあったら、それはそのままあなたの性格だと思いなさい」
 と私はよく母親に言われていたものだ。私のだらしなさ、根性のなさ、わがままなところは、すべてこの父親から受けつがれたものらしい。今にしてみれば、つくづくそれがよくわかる。 (「節操なき「男性像」が私を苦しめる」、林真理子、『夢見るころを過ぎても』 1983年)

▼  
 私の母はみんなに言わせると「貧乏クジをひいちゃった」女だそうだ。もうすでに年老いた彼女はきっとあのまま田舎でうずもれていくのであろうが、彼女の同級生というのがスゴイ。
政治家や実業家夫人などそうそうたるメンバーが揃っているのだ。
 私はこの母の友人たちに、幼いころからずいぶんと可愛がってもらった。特に上京してからは、親戚同様にしょっちゅう上がりこんで、夕食をたらふく食べさせてもらった後、おこづかいまでもらっていたのである。 (林真理子、 『花より結婚きびダンゴ』 1984年)

そして、今年(2013年)の新刊に書いてある;

 林真理子の母親は大正4年 (1915年) 生まれ。山梨という田舎ではめずらしく女子専門学校(いまの女子大) を出た。その後、相馬で女学校の教師をし、東京で旺文社に勤める。そこで、銀行員だった男性と結婚。林真理子の父のことだ。

 結婚後まもなく、満州の国策会社に転職した父と共に中国にわたり、商社に勤めていましたが、父が現地召集になった後で妊娠していることがわかり、昭和19年(1944年)に単身帰国して、故郷の山梨で男の子を生みました。
 翌年、終戦になっても、父は帰ってきません。戦後の混乱の中で、母は、生きていたら私の兄となるはずだった初めての子どもを病気でなくします。
 その後、二年たっても三年たっても、父は帰ってきませんでした。生活のために、母は、実家で古本を売り始めました。それが、私の実家が営んでいた林書店の始まりです。
 そして、父が生きているのか死んでいるのかさえまったく分からないまま年月が過ぎ、終戦から八年後、女手ひとつで店を切り盛りしていた母のもとへ、ひょっこり父が帰ってきました。翌年に私が生まれました(生死不明だった期間に父が何をしていたかというと、なんと共産党の傘下に入り、有名な日本人医師の下でプラセンタの研究をしていたといのです―)。
 私が生まれた翌々年には弟も生まれましたが、教養が深く働き者の母と、享楽的で、毎朝、中国共産党の革命歌を歌う変わったおじさんの父が、うまく行くはずありません。 (林真理子、『野心のすすめ』)

30年目の真実! 「毎朝、中国共産党の革命歌を歌う変わったおじさんの父」だったんだ。

毎朝の「唱紅」で愛娘の野心を育てていたのだ!

林真理子は『野心のすすめ』でいう;

* 野心を持つことを私がすすめ続けるのは、自分が本当に何も持っていなかったところからのスタートだったということには自信があるからです。

* せめて、正真正銘ゼロからスタートした私の話から何かを感じて、野心を持ってもらうことはできないだろうか―。それを信じて、再び本論に戻りたいとおもいます。

 うーん。 うそだよね。 正真正銘ゼロからスタートした私 

 「唱紅」で鼓舞、煽動されて育ったんじゃないか!

正真正銘ゼロからスタートした私  :実績がゼロでも、動機をもっていたのだ。その動機=野心の起源が何であるかが重要である。

 もちろん、「毎朝の「唱紅」で愛娘の野心を育てていた」というのは冗談であるが、林真理子が「野心」をもったのはその家庭環境によるところが最大因子に違いない。この「家庭環境」には上記の1983-4年頃の回想にもある母親の友達たちとの交流も含めてである。

(それにしても、「最近の若者」の野心の無さ、というのは、いいんじゃないの!? だって、言うじゃない、野に賢心なし、って[???])

▼ 唱紅と野心の果てに;

  
得意のひと     失意のひと

▼ まとめ; 唱紅と野心の果ては、あざなえるなわのごとし (糾える縄の如し)。


ぶどうの木再生日記;第13週目

2013年06月15日 09時29分10秒 | 草花野菜

▼ 今週のお野菜

 

▼ 今週の看猫

▼ 今週の不明; みのむしにしては、時期が合わない?

ガラス戸の外側にみのむしらしきもの。ただ、みのむしは冬と書いてある(wiki)。

何なんだ?!、これ↓

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東宮殿下、スペイン(西国)を南へ北へ;あるいは、マドリ―っ子は、みんな高踏派::東南西北揃ったょ

2013年06月12日 20時14分17秒 | 欧州紀行、事情


 ↑まさこさまもついていけない、東宮殿下のスペイン弾丸ツアーがこれだ!

東宮殿下は今頃、マドリ―だ。今度のスペイン訪問は実に、6回目だという。

(おいらは、4回すか行ったことがありません。 露払いができず、ごめんなさい。)

(2008年の関連愚記事; 東宮殿下の行きなさる Zaragoza サラゴサ I、  東宮殿下の行きなさる Zaragoza サラゴサ II 

東宮殿下は、米国に何度行ったことがあるのだろう?

日本の"いわゆる「保守派」"が、日ごろ、同盟国であると主張する米国を、である。

6回は行ってないだろう。

なぜ、そんなにスぺインに行くのであろう?逆に考えて、なぜそれだけ頻繁に行けるのか?という視点で考える。ひとつはスペインに王室があること。現在のスペイン王室は1975年に王政復古した。たった40年前だ。もうひとつは、1945年9月1日の東京湾上の戦艦ミズーリの上にスペイン代表がいなかったことだ (関連愚記事; 帰路東京湾中より富士見事に見ゆ。) 。つまりは、日本とスペインは交戦関係になかったのだ。先の大戦の対日戦勝に一番効果があったのが米国、ソ連、ついで英国か。中華民国は事実上無力。なのに、敗戦後約70年経って、中国の北京政府や戦争の勝ち負けと関係ない韓国までが、対日勝利に基づく戦後国際環境を、「現在の日本が打ち破ろうとしている」というプロパガンダを発し、世界世論を味方につけて、日本を掣肘しようとしている。米国の一部世論や政治家も中国、韓国に同調しはじめている。こういう日本を取り巻く状況で皇室が訪問できる外国は限られるのだ。

関連愚記事;  マドリードにおいてフランコ総統を始め,多くの人々から温かく迎えられましたが,

▼ 「時」政学、あるいは、「相」政学

地政学をもじって、ヨタ用語を考えた。

20世紀直前から20世紀中ばの約50年の間に、米国を敵としたのが、スペインと日本。

米西戦争(wikipedia)と日米戦争だ。

アメリカ帝国主義は、日西尊王家の共通の敵!なのだ(???)。 

もっとも、日西の方が「帝国性」が高いかもしれないのだが... [1]


革命国家の (=王室、皇室を持たない) 方々

そもそも、今年は日西交流400年記念である (関連愚記事; 大泉光一、『伊達政宗の密使』、あるいは王と坊主の同床異夢の野望の果てに)。

その頃、United States of America なんてものはないのだ!

アメリカさまなんて、ポッと出の「ちんぴら」じゃないか! 憲法つくってもらったけど....

そして、何より、今年、すめろぎさまが、印度に行きなさるのだ! (おいらは、印度は 6回 いきました! 関連愚記事; チャンドラ・ボース;おぼえてね!(^_^)  )

何という、戦略的皇室外交!

● マドリ―っ子は、みんな高踏派

今日滞在しているマドリ―の東宮殿下が心配だ。なぜなら、空気がちょっぴり薄いかもしれない。

アトーチャ駅からプラド術館へ行く道すがらにあった、スペインの「国土地理院」。

マドリ―は、標高が627メートルなのだ。日本の県庁所在地で標高の一番高いのが長野市の372メートル。そして同県の松本市が592メートルだ。

一方、ヨーロッパではアルプスで有名なスイスの首都ベルンの標高は、542メートルだ。 すなわち、マドリ―は高い位置にあるのだ。


[1]

~あわせて読みたい???~

  
西帝               日帝