― 中世大学の「討論」は、騎士の馬上槍試合にたとえられることがあり、実際に貴族、貴婦人、市民たちが見守る中で論戦が繰り広げられることがあったようですが、本来的には対立する立場が火花を散らして対決することを通じて、真理の探究が最も効果的に遂行されることを意図した共同研究の一つの形式だったわけで、トマスも『神学大全』のなかでそのような「討論」の精神を生かして探究を行ったのだと思います。― 稲垣良典、『トマス・アクィナス 『神学大前』』、講談社選書メチエ
大げさな話ではないのですが、というかなんでも大げさな話にするのが当ブログなのですが、現代日本"社会"における欧米社会との顕著な違いのひとつが、discusion(適当な日本語訳はなんでしょう?)がないこと、日本人がdiscusionできないことではないでしょうか。学術の世界ではdiscusionが中心で、これができないとどうしょうもないはずです。理系の世界は比較的やりやすいのだと思います。なぜなら、理論とデータでかなりの部分で白黒がつきますから。教授であろうと学生であろうとその立場は関係ありません。本当はね。
でも、理系学術の世界でも日本ではdiscusionが減衰しているとのうわさを耳にする。論理の破綻を突っ込まれれたり、例えば、検出限界以下のデータを平気で使っているのを指摘すると、逆上したり、泣いたり、「それは個人攻撃ではないか!」と言ったり......(参考ブログ;ブログ終わりますた;議論できる人、できない人 )
■以上、関係あるか関係ないかよくわからない前振りでした。暇なおいらは最近日本政府の御用学者サマ 立派な有識者様による"審議会"の議事録をよく見ます。主に科学技術関係、教育関係です。面白いです。エンターテイメントです。大嗤いです。
知らなかったんだけども、"審議会"って、参加者が自分の論理を提示し、結論を求めてお互い火花を散らすというものではなく、各委員が好きかってな思いつきをしゃべる居酒屋談義だったんですね。アルコールも入ってないのに。そんな中から、みなさんを"審議会"議事録観賞の道へお勧めするための、抜粋をご用意しました。
第26回、初等中等教育分科会の議事録より。この"審議会"では「義務教育に係る諸制度の在り方について」の議論がなされ、教育の無償化に関して、道産子の委員が「北海道は最悪だ!、ユダヤ・尾張マンセー!」という楽しいご発言です。この経験主義の極地には脱帽です。自分の経験と持っているわずかな知識でストーリーを作り上げ、しゃべりあげる。さすが、委員まで出世なされたはずです。大○○野郎だけど。なお、この発言の委員の名前は非公開です。
なお、これらの発言は議事録の中の「自由討議」で行われたものらしい。でも「自由討議」っていうのも極めて日本的。なぜなら、「討議」こそ厳粛なルールに基づいて剣闘試合のごとく行われるべきだからである。
初等中等教育分科会(第26回) 議事録

バカバカしくていちいちツッコミは入れないが、例えば、新聞がサラ金のチラシであることはトウに指摘済み;刷り込みチラシ 。全国紙でも紙面の面積の半分は広告。大半がサラ金。日本中、そうなんだよ。
大げさな話ではないのですが、というかなんでも大げさな話にするのが当ブログなのですが、現代日本"社会"における欧米社会との顕著な違いのひとつが、discusion(適当な日本語訳はなんでしょう?)がないこと、日本人がdiscusionできないことではないでしょうか。学術の世界ではdiscusionが中心で、これができないとどうしょうもないはずです。理系の世界は比較的やりやすいのだと思います。なぜなら、理論とデータでかなりの部分で白黒がつきますから。教授であろうと学生であろうとその立場は関係ありません。本当はね。
でも、理系学術の世界でも日本ではdiscusionが減衰しているとのうわさを耳にする。論理の破綻を突っ込まれれたり、例えば、検出限界以下のデータを平気で使っているのを指摘すると、逆上したり、泣いたり、「それは個人攻撃ではないか!」と言ったり......(参考ブログ;ブログ終わりますた;議論できる人、できない人 )
■以上、関係あるか関係ないかよくわからない前振りでした。暇なおいらは最近日本政府の
知らなかったんだけども、"審議会"って、参加者が自分の論理を提示し、結論を求めてお互い火花を散らすというものではなく、各委員が好きかってな思いつきをしゃべる居酒屋談義だったんですね。アルコールも入ってないのに。そんな中から、みなさんを"審議会"議事録観賞の道へお勧めするための、抜粋をご用意しました。
第26回、初等中等教育分科会の議事録より。この"審議会"では「義務教育に係る諸制度の在り方について」の議論がなされ、教育の無償化に関して、道産子の委員が「北海道は最悪だ!、ユダヤ・尾張マンセー!」という楽しいご発言です。この経験主義の極地には脱帽です。自分の経験と持っているわずかな知識でストーリーを作り上げ、しゃべりあげる。さすが、委員まで出世なされたはずです。大○○野郎だけど。なお、この発言の委員の名前は非公開です。
なお、これらの発言は議事録の中の「自由討議」で行われたものらしい。でも「自由討議」っていうのも極めて日本的。なぜなら、「討議」こそ厳粛なルールに基づいて剣闘試合のごとく行われるべきだからである。
初等中等教育分科会(第26回) 議事録

バカバカしくていちいちツッコミは入れないが、例えば、新聞がサラ金のチラシであることはトウに指摘済み;刷り込みチラシ 。全国紙でも紙面の面積の半分は広告。大半がサラ金。日本中、そうなんだよ。

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―2010年6月21日の筑波山麓の夕暮れ―
■『中世の覚醒』の原著"Aristotle's Children: How Christians, Muslims, and Jews Rediscovered Ancient Wisdom and Illuminated the Middle Ages"のアマゾンレビューに書かれた★★☆☆☆の辛口コメントを読んでみた。
ひとつの指摘はアリストテレスのラテン語への翻訳をギリシア語から12世紀前半にベニスのジェームスが行ったというもの。なるほど、wikiにもある→James of Venice
この指摘はアリストテレスのラテン語の翻訳にはアラビア語訳アリストテレス全集が重要であったというルーベンスタインの主張への反論。
■12世紀ルネッサンスのアリストテレスのラテン語への翻訳事情を改めて確かめる。
元ネタ;
1.クラウス・リーゼンフーバー、『西洋古代・中世哲学史』(Amazon)
2. 『哲学の原型と発展 哲学の歴史I (新・岩波講座 哲学)』 (Amazon)
前者は『中世の覚醒』の読後購入、後者は積んどく物件。昨夏、札幌に退蔵していた本をすべて筑波山麓に引き取ったものに入っていた。四半世紀ぶりにまともに読まれる。
十三世紀の諸学問の興隆は十二世紀の西欧における知的関心と研究活動の開花に起因するものであるが、この間のアラブ人の哲学と科学の本格的な受容とアリストテレス全著作の翻訳は、この流れをさらに加速した。西欧では、十二世紀の中頃にアリストテレスの著作の翻訳が組織的に行われるようになるまでは、ボエティウスの訳で伝わった論理学書の一部分(「旧論理学」)以外のアリストテレスの著作は知られていなかった。一方、イスラーム世界ではアラブ人がすでに七世紀からギリシアの哲学と科学を受容し始めていた。ビザンティン帝国の領域であったシリアやエジプト、あるいはその周辺であったペルシアには、ギリシア哲学と科学の研究機関があり、それらにはイスラームによる征服後も存続したため、ギリシアの文献はこのような径路を通じてすぐさまアラビア語に翻訳された。アラブ人学者たちはこうして西洋のラテン世界よりも二〇〇年も早く、十世紀の半ばにはアリストテレスの全著作を手に入れていた。その後およそ一二〇〇年頃まで、アラブ世界はギリシア的な学問研究の中心地となったのである。
(中略)
ラテン的な西方キリスト教世界が、アラブ人の科学と哲学、およびアリストテレスの著作といったアラブ世界の知的富をスペインのトレドやシチリアのパレルモで活躍した翻訳者たちを通じて受け入れ、消滅から救ったのは、ちょうどこの時期であった。また、十ニ世紀後半からは直接ビザンティンからもギリシア哲学の原点がもたらせ始め、それらのラテン語訳も行われた。
―アラブ哲学とアリストテレス受容、 12 十三世紀のスコラ哲学とアリストテレスの受容、『西洋古代・中世哲学史』(クラウス・リーゼンフーバー)―
見た限り、『西洋古代・中世哲学史』にはヴェネティアのジェイムスはみあたらなかった。
一方、『哲学の原型と発展 哲学の歴史I (新・岩波講座 哲学)』の第4章、山本耕平、スコラ哲学の意味には、一 スコラ哲学における「アリストテレス文献」の翻訳の状況というドンピシャの項がある。
ボエティウスの紹介のあと、12世紀の話へ。
ヴェネティアのヤコブ(Jacob de Venetia)は一一二八年頃『分析論前・後書』『トピカ』『詭弁論論』をギリシア語テクストからラテン訳した。
とある。ヴェネティアのジェイムスは出てこない。一 スコラ哲学における「アリストテレス文献」の翻訳の状況ではこの後、トレドのアラビア語からラテン語訳への話となる。合わせて、シシリーのパレルモのヅレデリック二世の宮廷が翻訳所であった話。その後、
アリストテレス文献のギリシア語原典からのラテン語への翻訳はロバート・グロステスト(Robert Grosseteste, 1175-1253)とメルベケのギヨーム(Guillaume de Moerbeke, 1215?-1286)によって完成された。
とある。木田元のいう、”トマス・アクィナスはフランドル出身のムールベーケのギヨームという友人のつくったラテン語訳でアリストテレスを読んでいるんですね。ギリシア語の原文は読んでいません”のムールベーケのギヨームだ。
見た限り、こちらにも、ヴェネティアのジェイムスはみあたらなかった。
▼問題はヨーロッパ人がギリシア語原典からラテン語へ翻訳するときに、アラビア語の註釈書の役割だと思う。現在の日本で古典ギリシア語から現代日本語に直接翻訳がなされている。だから、日本語人はプラトン全集だのアリストテレス全集などが読める。もっとも、ドイツ語や英語から翻訳したものでも日本語のプラトン全集だのアリストテレス全集はできる。ただ、明治初期にはじめてプラトンやアリステレスを知った日本人は直接古典ギリシア語を読めなかったはずだ。だから、ドイツ語なり英語を経由してプラトン全集だのアリストテレス全集の内容を理解したはずだ。
これは、ラテン語人の古典ギリシア語から直接翻訳に至るまでのアラビア語の役割が、日本語人の古典ギリシア語から直接翻訳に至るまでのドイツ語・英語、その他現代西用語の役割と同似である。それにしても、現代の日本人のアリストテレス学者でこの中世のアラビア語文献をも研究している人っているのだろうか?もっとも、このアラビア語の註釈書の大部が失われているらいいとも聞く。
▼ヨーロッパ人がギリシア語原典からラテン語へ翻訳するときのアラビア語の註釈書の役割の話に戻って、12世紀のアリストテレス・インパクトで形成されたのが"ラテン・アヴェロイスト"というグループ。アヴェロエスとはアラブ語文明のアリストテレス学者。そのアヴェロエスに影響うけたラテン語人のアリストテレス学者が,
Siger de Brabant (also Sigerus, Sighier, Sigieri, or Sygerius), (c. 1240 – 1280s),; 『哲学の原型と発展 哲学の歴史I』ではシジェ、『中世の覚醒』ではシゲルス。パリ大学人文学部の教授。信仰の真理と理性の真理の存在を認める「二重真理説」を認めた。カトリック教会とあつれき。のち、異端審問官に召喚される。


Amazon; 中世の覚醒―アリストテレス再発見から知の革命へ
■『中世の覚醒』を読みとおす。理由は、『Amazon; 天使はなぜ堕落するのか―中世哲学の興亡』が欲しくなった。でも、まだ『中世の覚醒』を読んでない。この上に『天使はなぜ堕落するのか』を買って、積ん読にしておくと無駄遣いに切りがないしなぁ。それでは、『中世の覚醒』を読んだら、そして、その証としてブログに読書メモを載せたら、『天使はなぜ堕落するのか』を買っていいこととした。
『中世の覚醒』の原題はAristole's childrenつまりアリストテレスの子供たちというもの。内容は中世にヨーロッパ人がキリスト教の思想、特に啓示とその信仰に主に支配されていた時代に、アリストテレスのテキストに触れた人たちが、従来の啓示中心のキリスト教の思想を変革せざるを得なくなったという物語。登場する主な思想家は、つまり"アリストテレスの子供たち"は、ピエール・アベラール、カタリ派、オーベルのギヨーム、ロジャー・ベーコン、トマス・アクィナス、ボナベントゥラ、シゲルス、スコトゥス、そしてオッカム。
著者はRichard E. RubensteinというConflict Resolution and Public Affairs(紛争解決と公共問題)に関する教授だそうで、思想や哲学の専門家ではない。じゃぁなぜこんな本を書いたというと驚いたからだ。これ自身アリストテレス風である;
-- けだし、驚異することにより人間は、今日でもそうではあるがその最初の場合にもあのように知恵を希求し(哲学し)始めたのである -- アリストテレス、『形而上学』(出隆 訳)
R.E. ルーベンスタインは書いている:「私がアリストテレス革命の物語に遭遇したのは、宗教間の衝突が生じる原因を研究していたときのことだった。そのときに私は初めて、十二世紀にキリスト教の聖職者たちがムスリム支配を脱したばかりのスペインの都市で、過去一〇〇〇年近くも西ヨーロッパから姿を消していたアリストテレスの一連の著作を再発見したことを知ったのだ。新たに発見された古代の知識は、西ヨーロッパの知の歴史上、他に例を見ない衝撃を与えた。
R.E. ルーベンスタインがこのアリストテレス・イムパクトをいつ知ったか明示されていない。この本が出版されたのが2003年なので、案外9・11事件の後かもしれない。少なくとも彼が高校生の頃ではないだろう。ちなみに、このアリストテレス・イムパクトは日本の高校生用の世界史の教科書に丸々1ページ使って「ヨーロッパの翻訳時代」と題されて解説されている。つまりは、R.E. ルーベンスタイン教授様が驚いたことは現代高卒日本人には常識なのだ!ということは、実は、ないのだろう。なぜなら、ベストセラーの岩田靖夫の『ヨーロッパ思想入門』には"二〇〇〇年におよぶヨーロッパ哲学の絢爛たるシンフォニー"とあるし、一方、近刊の清水真木の『これが「教養」だ』には"ヨーロッパの精神史には、ギリシアから数えますと三千年近くのながい歴史がありまして..."とあるからだ。あたかも、ヨーロッパ人が何千年もずーっとプラトンやアリストテレスを読み継いできたみたいじゃないか。そして、18世紀以降の西欧文明の世界支配は優秀な文明の長い伝統の当然の結果であるという口吻ではないか。
■『中世の覚醒』メモ(主に各章で紹介される思想家列記);
◆第1章 「知恵者たちの師」―アリストテレスの再発見
・書き出しは以前愚ブログで引用した;十二世紀のスペインは、まさに学者の楽園だった。頭に浮かぶのは、こんな情景だ。蝋燭で明々と照らしだされた大きなテーブルの上に、シリア語、アラビア語、ヘブライ語、ギリシア語などで書かれた何十冊もの写本が広げられている。テーブルのまわりで写本に読みふけったり、メモをとったり、活発に議論し合っているのは、顎鬚を生やしたユダヤ教徒、剃髪したキリスト教の修道士、ターバンを巻いたムスリム、黒い髪のギリシア人といった顔ぶれだ。 ここはスペイン中央部のトレド。(拙記事:おらほの街にKing&Emperor )アリストテレスなどの翻訳はスペイン・トレド(ライムドゥス1世大司教)とシチリア(マイケル・スコット)で行われた。
・この章後半は古代ギリシアにもどり、アリストテレスの生涯が書かれている。アリストテレスの学説の要点(多岐のわたる分野、論理学・哲学ばかりではな、ハードサイエンス)、とくにプラトンの説との違い、プラトンとの人間関係。草稿はテオフラストスが管理、甥のネレウスが埋める。
・アリストテレスの全著作のラテン語への翻訳は13世紀に完成。ムールベケのギヨーム(1215?-1286)。ギリシア語原典を直接ラテン語に翻訳。
◆第2章 「レディ・フィロソフィー」の殺人 ―古代の知恵はいかに失われ、ふたたび見出されたか―
アウグスティヌス(354-430)について。プラトン主義とされるアウグスティヌスはアリストテレスの『範疇論』を独力で読んでいる。アウグスティヌスの死後、ローマ帝国の権威がなくなった頃、アリステレス(全集)は"ヨーロッパ"から忘れ去られはじめた。
一方、12世紀にアラビア語で初めて知ることとなるアリストテレスの著作とは別に、5世紀の段階でギリシア語からラテン語に翻訳されたアリストテレス作品は『命題論』、『範疇論』、『分析論前書』、『分析論後書』、『トピカ』、『詭弁論駁論』だけ。これはボエティウス(480?-524?)が行った。このボエティウスは「最期のローマの哲学者にして、最初のスコラ学者だった」といわれている。
この章のタイトルである、ヒュパティア(wiki)の殺害について。西ローマ帝国ばかりでなく、ビザンツ帝国でもキリスト教によるギリシア哲学迫害が強まり、哲学者たちはペルシアに逃げた。ギリシア哲学のペルシア語への翻訳。のちペルシア語からアラビア語へ。そのアラビア語からラテン語に翻訳されてヨーロッパ人はアリストテレスなどの古代ギリシアのテキストを読むこととなる。
◆第3章 「彼の本には翼が生えている」―ピエール・アベラールと理性の復権
ピエール・アベラール(1079-1142)の話。パリ。アンセルムスの講義に物足りないアベラール。"まるで剣を振るうようにアリストテレスの『範疇論』を駆使しながら、彼は弁証法を中世のカリキュラムの中で最も刺激的な科目とすることに貢献した。" この時代、討論という知的作業が確立。自論と対立する理論の理解、対立点への反論、反論を応用して当初の論証を拡充させるというプロセスの確立。弁証法。
この頃旧ローマ帝国版図では"大学"の時代。パリ、ボローニャ、オックスフォードでは"アベラールのような先駆的思想家たちが哲学と宗教を融合させた新たな学問を創造し、神学と称していた。"
ちなみに、アベラールが使ったとされるアリストテレスの『範疇論』は"ヨーロッパ"が自前でラテン語訳として持っていたもの。修道院で埃をかぶっていたらしい。ただし、ギリシア語原文テキストは"ヨーロッパ"が自前でもっていたかは書いてない。
◆第4章 「そなたを打ち殺す者は祝福されるだろう」―アリストテレスと異端
カタリ派もアリストテレスの理論を運用していたという話。悪の問題。悪にも原因がる。なぜなら、原因がないことは出来しないはずだから。
カタリ派と正統派は直接論争するも、埒があかず、カタリ派はローマから征討される。アブビジョア十字軍。
・大学:神学部と学芸学部。学芸学部はアリストテレス哲学花盛り。司教会議はアリストテレス禁令。
◆第5章 「ほら、ほら、犬が吠えている」―アリストテレスとパリ大学の教師たち
・オーヴェルのギヨーム 「13世紀最初の偉大な哲学者」;
・アルベルトゥス 自ら自然観察。神と自然の2つの領域。弟子が;
・トマス・アクィナス 真打ち登場!(ドミニコ会)(←”トマス・アクィナスはフランドル出身のムールベーケのギヨームという友人のつくったラテン語訳でアリストテレスを読んでいるんですね。ギリシア語の原文は読んでいません”木田元・計見一雄『精神の哲学・肉体の哲学』)
◆第6章 「この人物が知解する」―パリ大学における大論争
トマス・アクィナスのライバル二人、急進的アリストテレス主義者を取り巻きに;
・ボナヴェントゥラ
・シゲルス (ダンテが評価)
"自然と人間の本性に関するアリストテレスの思想をそのままの形で、つまり伝統的なキリスト教の教義とすり合わせずに提示"。 アヴェロエスの影響。
・保守派;ジョン・ペッカム
::アリストテレス主義者としてのトマス・アクィナス::→関連拙記事
◆第7章 「オッカムの剃刀」―理性と信仰の分離
・西暦1300年、教皇ボニファティウス8世(聖の頂点)、ローマで派手なお祭り。でも、フランス国王派(世俗)に襲撃され、結果死ぬ。世俗化する"ヨーロッパ"。 世俗化の時代とアリストテレス思想繁殖の伴走性。
・ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス (フランシスコ会)(←ハイデガーの教授就任論文のタイトルは『ドゥンス・スコトゥスの範疇論および意味論』)
・オッカム
◆第8章 「もはや神が天球を動かす必要はない」―アリストテレスと現代の世界
スコラ学の象徴と目されたアリストテレスが足蹴にされる時代。自然学(科学)というものがありますよ、理性を使って論理的に考えるといいですよと元々蛮族のヨーロッパ人に教えてあげたアリストテレスも、蛮族も理性を使って論理的に考えるようになって、用済みになったらしい。
●最期に、小沢千重子さんという方の訳がすばらしい。翻訳って、本当、変わったんだね。翻訳調という感じがしない。きわめて、読みやすい。びっくりした。芸術ですよ、和文芸術。
でも、「なかんずく」はやめたほうがいいよ。

ロシアの「サカタのタネ」のかぼちゃの種を植えた記録です;3週目。

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