いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

ヒロシです。 from Confucian to confusion

2005年04月30日 12時50分52秒 | 
べた なタイトルではあるが、ここ数日、おいらはフルタヒロシであたまがいっぱい。

先日買った本を読んだり、参照したりしている。

『ちょっとだけ、考える-思想という劇薬-』
『東アジア・イデオロギーを越えて』
『韓国学のすべて』

■『ちょっとだけ、考える-思想という劇薬-』
思想好き万人向け。アニメ、勉強、国際化、教養、平等、愛、女性、大衆、哲学思想、アングロサクソンなどの一般的項目について、古田氏のこれまでの知識、学識でコメント。アマゾンの中古で300円なのに先日来まだ残っている。

彼から知った視点は、「中華と事大」。「事大」という言葉の意味を観念的に認識していた。おいらの辞書には、事大的:物事のよしあしを自分で考えるのではなく、力の強いものにしたがって、自分の安全を守る考え方、とある。つまり、こういうことだ。 

[脱線]岡崎研究所のおにいちゃんが、名前忘れた、国家の独立と国家の安全を天秤にかけなければならないとき、国家の安全が優先する、とテレビでいっとった。やっぱ、いのつあってのものだね、だべさ。そんなら、鷹は群れず!!とかかっこつけないで、寄らば大樹!とか、長いものに巻かれろ!とか言えばいいんでねーべか?[脱線終了]

さて、戻って事大。事大は大に事(つか)えること。こういうと即物的にわかる。つまり、「事」には仕えるという意味もあって、それをおいらが知らなかったのね。近代朝鮮の事大党もこの「事大」。反対党は独立党。朝鮮事大党は清の影響下で、柵封を受けて李朝の安全維持を志向。

この「事大」概念は、現在の日本の米国への従属体制を考えるうえで、イメージ喚起的。

朝鮮事大党は清の影響下で、柵封を受けて、李朝の安全維持を志向。
             ↓
「日本」自民党は米国の影響下で、交戦権放棄憲法を遵守し、「日本」の安全維持を志向。

■『東アジア・イデオロギーを越えて』

東アジア「儒教文化圏」の混乱化の説明。from Confucian to confusion!

いろいろおもしろいことが書いてあるが、今日は1点。 

第二章 優越と連帯 ---東アジア中華思想共有圏における日本アジア主義の軌跡

ポイント:各々が中華意識を持ち(中華思想の分有)、自己完結的な国家である中国、韓国、日本、そしてベトナムが、各々が盟主意識を持っているが故に他国といかに「連帯」できないかについて。特に、日本が盟主となった近代をケーススタディとして、明治から大戦時のアジアをめぐる思想、特にアジア主義、の整理。 

脱亜入欧とか大アジア主義とかスローガンが耳についている各思想の比較整理。本で言及されているのは、福澤諭吉、北一輝、尾崎秀実


近代日本、特に先の大戦時に、日本は自国を「皇国」自己認識し、つまりアジア諸国にその所を得るように差配する、つまり「所得」分配をするほどえらいと思うようになった。皇国思想。

上記3人は「皇国思想」外の思想家。その位置付け。3成分分解。日本優位、アジアとの連帯、欧化(当時欧米文明・近代文明が圧倒的だったので、欧米文明を摂取することは、上記の定義より、事大となる)事大、の3軸を設定。 例えば福澤諭吉(後期)はアジアとの連帯をやめ欧化し、かつ日本の優位をも主張。一方極端なのが尾崎秀実。マルクス主義をアジアに適用、アジア共産圏を夢想。その夢想では日本はそのアジア共産圏に奉仕する一地域となる。故にその夢想のなかでは日本「国家は死滅する」。売国奴。

(このパラグラフ尻切れ。いつか追記する。)

↓古田が言及した福澤と尾崎をプロット。大川はおいらが追加。21世紀の売国奴について考察。



■上の図をつくりながら思いついたのが、最近の資本のグローバル化で資本や企業の国籍とか国民文化を問わなくなると、アメリカ覇権下での国際資本のアジア支配というシナリオがありうるのではないかということ。アメラジアンとはAmerica と Asiaの複合語である。このアメリカ覇権下での国際資本のアジア支配下で国籍なしのは資本と国籍なしの賃金労働者が資本制で存在する剥き出しの資本主義が生じるシナリオである。このとき、中国人もコリアンも日本人もなくなる、つまり国民国家や国民文化がなくなる。文化はアメラジアン文化である。今のシンガポールみたい。「日本」の知識人もリークワンユーやマハティールのように「ちゃんと」英語で発信せねばならない。



みぞれラーメン

2005年04月29日 18時15分56秒 | ラーメンたべた


みぞれチャーシューラーメン。

つくば市 がんこや かるがん

真ん中の赤いのは 梅干。 大根おろしでさっぱり。そして、大根?の菜っ葉の刻みが大量に入っている。

しゃり、しゃりおいしい。スープは、たぶん、とんこつ醤油系。麺もふつう。

でも、きざみ菜っ葉がしゃりしゃりおいしく、スープもほとんど飲んで/食べてしまった。

800円。

ごちそうさま。


得た本、買い損ねた本:古田博司

2005年04月26日 19時23分18秒 | 
■中国との騒動で、伝聞で古田博司氏の主張が新聞に掲載されたと知る。内容は、中国は自国中心主義の中華思想なのだから、普通の道理は通らない、らしい(おいらの伝聞情報への勝手な理解)。なぜ、この伝聞が心に残ったかというと、以前にも、たぶん靖国参拝問題か教科書問題が政治の焦点になったとき、ラーメン屋の新聞で、同様の彼の記事を見たからである。記憶ではかなり強硬な人だな、という印象。筑波大っていうし、村松剛・中川八洋の系譜の、ごりごりの反中保守なのかな、と勝手な偏印象をもった。その時は名前は記憶に残らなかった。

【後記】記事を引用したブログを発見。そのブログで新聞記事の古田氏の主張がみえます。

■今回、フルタというのがわかったので、ネット検索してフルネームと彼のweb siteを見つけた。こちら
で、著作を調べ、『東アジアの思想風景』なるものがあることを知る。

買おうとamazonへ。なんと絶版。ちなみに岩波書店からの出版。そうか、ごりごり保守じゃなさそうだな、と思う。古本検索ネットへ。ない。数日たって、ネットで、『東アジアの思想風景』、で検索すると楽天の古本屋で発見! 万歳! 一撃入札。翌日、キャンセルの通知。(ちょっとの差で)既に売れました。売れたのに、ネットに出しててごめんね。ん~、やっぱ、中国騒動でおいらと同じこと考えた御仁がいたのかな。それ以来ネット古本で発見できず。

■新刊をチェック。『東アジア・イデオロギーを越えて』。セブン・イレブン系の通販で買う。さらに、フルタヒロシという名で『ちょっとだけ、考える-思想という劇薬-』なる、なんか内田樹のブログ本っぽい本を出していることを知る。買う。さらに、1年に1,2回しか行かない 天久保(←地名です。超ローカルで、ごめんね) のある古本屋に行くと、『韓国学のすべて』を発見、買う。



■まず、『ちょっとだけ、考える-思想という劇薬-』を読み始める。よい。劇薬ということはなかったが(ある意味残念)、思想・学問・国家・教養・アニメ・アングロサクソンなどなどについて考えるのだが、他の西洋系学者のエッセイと違い、必ずしも西洋型国民国家ではない中国や韓国の事情と思想をくぐった日本を見る視点がユニーク。でも、文化とかアニメとか本を読まない最近の学生とか、普通の話題も多い。中韓ばかりでなく、優勢勢力としての米英にも言及。




バンドン会議でのおわび考

2005年04月25日 20時42分35秒 | 日本事情
■先週であろか、ラーメン屋で新聞を見た。読売新聞。一面で岡崎久彦の投稿があった。題名も忘れたが、内容は、中国はこれから一生懸命大国化する。その推進力は優秀な人であり、最近の中国人、特に若者の活発さは目を見張るものがある、というものであった。それに比べ日本では最近教育熱心でないとの主張。新井白石を例にしてもっと日本人は勉強、努力しなくてはいけない。紹介された白石のエピソードは眠くなったら水を浴びて勉強に励んだこと。たぶん、昔の修身の教科書で知った知識だろう。白石は重要な人物でその足跡を知ると感動するが、それは火の玉のように広い学識を持った宮廷官僚として、王を教育、補佐したことであり、水をかぶって勉強したとかは瑣末なことである。岡崎は国家維持には「インテリの知的エネルギー」が重要であることを指摘し、特に、国の正統性を確立すること、主張することをひとつ重点と挙げている。

【後期】 記事がwebに公開されていた。リンクする。

■でも、おかしいではないか。毎年、外務省には、岡崎の好きな学校秀才が集まっているはずだろう。そして、現在日本に一番欠けるのは 正統性 ではないだろうか。

■さて、バンドン会議50周年記念。アジア・アフリカ会議。 最近ブックオフで高校生用世界史の参考書を買った。100円。内容が豊富でびっくり。高校生ってこんなに勉強するんだ。バンドン会議はもちろんでているのだが、日本が参加しているとは初めて知った。1955年だから、鳩山内閣。というと、外相は重光葵だ。年表を見るとこの年、6月日ソ交渉が始まっている。バンドン会議は4月。日本代表は高碕達之助・経済審議庁長官となっている。 おいらの、1955年のバンドン会議に日本が出席していたことの無知は、戦後日本は対米従属していたはずだから、そういうアジア代表会議なぞにでない、との偏見であった。しかし、当たり前だが、鳩山・重光は対米外交を相対化しようと、ソ連と国交回復をし、国連に加盟したのである。日本は講和をして、東南アジア諸国と賠償交渉をし、賠償を行った。

■昨日のアジア・アフリカ会議で、日本・小泉首相は「過去の日本の植民地支配と侵略をおわびした」。これは、中国が、ことあるごとに、日本は反省していないとプロパガンダを飛ばすので、アジア・アフリカ諸国の前で改めてあやまることで、中国のプロパガンダを無効化するという策なのであろう。

■でも、それは小賢しい策ではある。日本近代は 欧米列強 に反逆した「栄光」がある。この「栄光」

を踏まえない小泉演説はただの戦後日本の主張に過ぎない。

近代日本は何のために、

バルチック艦隊を撃滅し、

米国・太平洋艦隊を空襲し、

大英帝国・プリンス・オブ・ウエールズ撃沈させ、

シンガポールを陥落させたのか!




インドや支那や朝鮮が 何ができたのであろうか! 日本が反撃している頃、今アジア・アフリカ会議に集まっている諸国民の先祖はどういう状況だったのだろうか?日本の「蛮行」があったから、今日のアジア・アフリカ諸国が集まれるのではないか。確かに、ガンジーは偉いだろう。でも、その時イギリスはプリンス・オブ・ウエールズやレパレスなど剥き出しの暴力装置を失っていたのである。ガンジーがどんなに聖人でも、これらを失っていなかったら、イギリスは野蛮な暴力を行使したであろう。

■大東亜会議。 バンドン会議は歴史上の出来事となったが、大東亜会議は不可触歴史事象とさえなっている。大日本帝国は、

然るに米英は自国の繁栄の為には他国家他民族を抑圧し特に大東亜に対しては飽くなき侵略搾取を行ひ大東亜隷属化の野望を逞うし遂には大東亜の安定を根底より覆さんとせり、大東亜戦争の原因茲に存す

と考えたから、戦争をしたのである。現実にインドや東南アジアは 巨大戦艦 に象徴される欧米列強に物理的に支配されていたのである。 よろしくこれに反撃すべきは理である。残念ながら、当時のアジア・アフリカ諸国民には反撃する意志も技術もなかった。もし、野蛮な日帝が決起せねば、いまでも、植民地属領民であったろう。

■日本だけが自由:そんな日本が無残に敗北してのち、講和会議の時、セイロン代表は言った。「戦前、アジアで日本だけが自由で強大であった。大東亜共栄圏のスローガンは従属的人民には魅力的であった。私は今いかにビルマやインドネシアの指導者たちが祖国独立のために日本に協力したか思い出す」と演説した。これは、サンフランシスコ講和会議での演説である。大東亜会議のものではない。

■遺産:1955年のバンドン会議に日本が参加できたのは上記セイロン代表が語るような遺産があったからであろう。2005年のアジア・アフリカ会議ではこの遺産が無視されている。

<過去50年の歩み>50年前、バンドンに集まったアジア・アフリカ諸国の前でわが国は平和国家として国家発展に努める決意を表明したが、この志にいささかの揺るぎもない。わが国はかつて植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた。こうした歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切なる反省と心からのおわびの気持ちを常に心に刻みつつ、わが国は第二次世界大戦後、一貫して経済大国になっても軍事大国にはならず、いかなる問題も武力によらず平和的に解決するとの立場を堅持している。今後とも世界の国々との信頼関係を大切にして、世界の平和と繁栄に貢献していく決意であることを改めて表明する。


言及されているのは、戦後の リセット した(と勝手に考えている)日本の志である。
戦前の 志 は入っていない。

■日本は 志 を反復し、保持し、そして謝罪せよ。
日本は謝罪すべきである。死ぬほど謝罪すべきである。
なぜか? それは大東亜共栄圏の理念に悖ることをしたことである。第一に失敗したこと。そして最も重要なことは大東亜共栄圏に属するはずの支那人や朝鮮人を殺したり、虐待したこと。例えば、シンガポール陥落など、華人殺害の件がなければ、今でもちょうちん行列すべきだ。大英帝国のアジア支配の象徴・実質拠点の陥落は世界史的快挙である。でも、アジア人を殺していてはしょうがない。

謝罪する論理は、大東亜共栄という理念に悖るからである。謝罪し、かつ大東亜繁栄という理念を保持することができる。

これに対して、昨日の外務官僚の作文であろう小泉演説はなんだろう。戦後でリセットした日本、もう戦争はしません。戦争しない、って言えばいいんでしょう。ということ以上のものはない。これはまるで、不都合なファミコンゲームをリセットし、やおらリセット前のゲームなどなかったかのように、新しいゲームで点をかせぐ 厨房 ではないか。戦前の日本外交の理念や正負の遺産を担いで未来につなごうという姿勢が全くない。これが、岡崎の好きな秀才外務官僚のやることだ。

■卑怯な自社:なぜかしら今回もおわびするのに村山談話を持ち出す。自民党もこころから村山首相(当時)に同意したのであれば、自分の責任で自分のことばでおわびしたらよろしい。社会党や村山のおわびも欺瞞的なものである。なぜなら、かれらには、上記においらが提言したような、おわびのロジックがない。ただ、中国人や朝鮮人がぎゃーぎゃー言っているから、びっくりしておわびする以上のものではない。なぜなら、このブログで何度も言及しているが、天皇の軍隊の東北での蛮行には日本左翼は何もいわない。なにより、北海道は植民地そのものだろう。先住民になぜお詫びしない。社会党はなぜ知事となって北海道の植民地支配を続けた? それはひとがいい とーほぐ やアイヌの民がやさしく、うらみがましくないからである。こういうだまっているひとには無視する。がぎゃーぎゃー言われたら、びっくりしておわびする。日本左翼など、このてーどなのである。もちろん、こういう救いがたいばかさ加減が自民党と意気投合したのであろう。

◆とまれ、歴史を貫通させる日本国家の正統性を確立・維持できないのは、日本えすたぶりっしゅめんと・いんてりに 知的エネルギー がないのからである。




支那と机が踊りだす

2005年04月24日 00時39分16秒 | その他
■中国での暴動関連報道で、ラジオで、現在中国に進出している日本企業が8万社、と言っていた。そんなに多いのだろか?ネットでちょっと調べると1万5千社という数字があった。とまれ、1万社を超える日本企業が中国で事業をしているのは確かだ。でも、そうぞうして下さい、社長だけで1.5万人。

■日本企業が中国に進出する理由は2つで、①低賃金労働力目当てと②市場目当てである。日本の産業の、特にものづくりの、空洞化の最大原因は、①低賃金労働力目当ての日本企業の中国への工場移転である。低賃金労働力目当てで生産拠点が地球上を動くことは、資本主義の原理から見て当然といえる。

■しかしながら、中華人民共和国は資本主義の国ではない。共産党が1党支配する独裁国である。資本主義の大前提として、せめて、 自由! 平等! 所有! そして ベンサム! がなければならない。ところがどうだい。支那は共産党支配下にある。おいらは、ここではロジックとして、「共産主義」が悪いと主張したいのではない。資本主義を否定するはずの共産主義を建前とする中国共産党が 資本制 をやるのがおかしいといいたい。

■これは、まるで、売春反対の人権活動家が、売春宿を経営するに等しい。中国共産党がやっているのはつまりそういうことである。 自国の「労働者」を管理し(もはや労働者とはいえまい)、外資を呼び込んで(この際上海あたりでは国家権力が派手に 地上げ をして住民を追っ払ったらしいじゃなねーか)賃労働・搾取させているのである。これでは露骨な賃金奴隷である。

■中国政府は今回の反日暴動を「働かない一部の暴徒が」とか言っているらしいが、一般的に言って、共産党支配体制では 失業者 などいてはいけないのである。

■以上非難したが、一番非難したいのは、のこのこと 売春宿、あっ、もとい、賃金格安共産圏に出て行く日本企業である。低賃金だからといって共産党管理下の賃金奴隷を使っている。確かに、かれら賃金奴隷の賃金は支那土民に比べればはるかに高い。10代のおねーちゃんが田舎の家族を養える。ただ、そういう資本制の支那での広がりが貧富の格差を生み、貧乏人の怨望を作り上げている。

■一部の日本の経済人たちは反日暴動は日本政府の、靖国参拝をはじめとする、歴史認識が問題なのであり、日本政府がそういうことをやめれば、日中関係もうまくいき、経済関係もよくなると思っているらしい。

間違いである。

■自分たちの経済活動、ただ賃金が安いからと工場つくる奴も、商品が売れるからと商売するやつも、貧富の格差が貧乏人の怨望を作り上げている、つまり、自分たちが原因なんだ、という認識がない。不満は意外にも日本製品を買うような中産階級の方が強いかもしれない。なぜなら、彼らは観念的に考えるほどの余裕があり、つまり本やメディアに接することができる。教科書が出会う最初であろう。彼らに植え込まれる日帝は極悪である。しかし、仇役・日帝は観念でしかありえない。なぜなら、現在の生身の日本人はたいていいい人だからである。本当のところ、恨みの原動力は日本の「成功」であり、我彼の差を目の前の日本商品が雄弁に物語る。それは、消費社会のはじまりで、中国人も欲望に火をつけられたからである。中国人は、実は、改革開放の後に「貧乏」になったのである。正確に言うと、自分達が貧乏であって、これを変えたいという意識を持ったということである。

●中国人労働者はちゃんと マルクスの本 が手に入るんだろう? そして読んだことあるんだろうか?素朴な質問である。

ブログ作法

2005年04月21日 20時00分45秒 | 


いまさらではあるが。

昨夜、賃労働から戻ると留守番電話。この地域でチェーンをはる書店「トモトモ堂」(仮名)からだ。「ご注文の雑誌『ユリイカ』は版元品切れです」。

発売当初から一部ブログ界で多少話題になっていた。その時は食指が動かなかったが、先週突然欲しくなった。書店を駆けずり回ったが、なかった。大型書店、大きくなくても思想書が多い店など、どこもなかった。いつもは1冊の『ユリイカ』が入荷して、たぶん、そのまま返品されるのであろう。ただ、4月号はブログ特集という売れ筋テーマだったので、売れたと思われる。

駈けずり回って手に入らないと、ますますほしくなり、書店に注文した。その結果が、冒頭の留守電である。やっぱ、うれてるんだ。

ところが、この注文の結果が出る数日前、この街に新しくできたショッピングモールに大型書店に行った。くまざわ書店。上記『ユリイカ』4月号を探し回っているときは行かなかった。あった、『ユリイカ』4月号、ブログの作法。でも、おいらは「トモトモ堂」(仮名)に注文しているのであえて買わなかった。もし、版元品切れで、かつこのくまざわ書店に舞い戻ってきたとき売り切れていたら?と不安がよぎった。

で、昨夜の留守電。やっぱ、そうだったんだ。午後8時。行ったよ、くまざわ書店。あった!残ってたよ!45分あまり、その『ユリイカ』を持ってほかの本の探索に時間を過ごす。

それにしても、なぜこのくまざわ書店で『ユリイカ』4月号・ブログ作法が売れなかったのだろう?この街の主だった本屋では売れたのに。(まあ、売れたといっても1店1冊だろうけど)。最近のブログの流行でにわかブロガーも増え、この街の本屋からも『ユリイカ』4月号・ブログ作法が消えたのだろう。そこで、新しいショッピングモールのくまざわ書店。たぶん、この本屋の客はショッピングモール目当てに来ていて、ユリイカを(潜在的にも)買うような思想・芸術マニアはそういないということなのだろうか?

でも、このくまざわ書店、大型で思想書も豊富。プチ・ジュンク堂のたたずまい。「トモトモ堂」(仮名)の思想書豊富支店や、この街にこっそりある丸善より、品揃えがいいかも。

書棚に並ぶ吉本隆明。売れるのかな?





小谷野敦に、何なんだ!?、といわれた、「浅田彰氏絶賛」。↑

で、ちっとも『ユリイカ』の記事に言及してねーじゃないか!とおもむきの御仁。

愚猫たちが、かんづめ あけろ!とさわぐので、今日は,おいら、これにて御免。






でも、MIXIなんて、おいら、全然知らんかった!

テロってやる! なんちって。

ジャージャー麺

2005年04月19日 20時54分38秒 | ラーメンたべた


ジャージャー麺。

豚のひき肉と刻んだたまねぎをあえたとろみソース。

細切りきゅうり。

ぬるい麺。

ピリ辛ではなかった。

ほの甘く、しゃきっり、つるつる。

◆さて、支那問題。

こまったもんだ。

でも、支那共産党は日帝に依存している。毛沢東は、日中国交回復の頃、いやみか(当時はたぶん脳軟化状態だったとされてるので)本気か、現在の中国があるのは日本帝国主義のおかげであると言明した。

つまり、支那共産党の正統性は対帝国主義戦争、抗日戦争勝利にほかならない。

まあ、ほんとは都市無差別空襲だの原爆だので米国の力で降参したのだけど、日帝は。

米国は日本の中国からの撤兵を目的のひとつに戦争した。終戦時支那大陸にいた日帝陸軍約100万。玉音放送で武装解除。そのうち60万がソ連に囚われシベリアにつれていかれた。 つまり、日帝東京政府はソ連に支那駐屯日本兵60万を「売る」ことで、終戦したことになる。

本旨にもどって、支那共産党の存続には悪役日本が不可欠である。日本からの侵略が完全過去のものとなっては、支那共産党の存在意義も薄れる。だから、この後におよんでも、日本帝国主義を幻視しなければいけないのである。だから、靖国参拝をやめても何かを 侵略の徴 と幻視するのは必至である。

●さて、日本。ひのもと。太陽が昇るところ、といことだ。でもこれって、支那から見てだろう。ハワイや米国本土から見たら日本は おひさま が沈むところだ。 つまり、支那の視線、視点での話だ。われわれの劣等、あっ、もとい、列島が東であるのは。

日本=太陽の昇るところ=東=支那から見て東、なのだ。

つまり、日本というのはその自称に、支那の視点・視線を含んでいることになる。

支那に依存する 日本。

◆結論; 支那と日本は 共依存 なのである。

こまったもんだ。


出藍の誉れ;町村信孝外相

2005年04月14日 20時50分20秒 | 日本事情



あるいは、掃き溜めの鶴。

 町村信孝外相。最近の中国や韓国に対する毅然とした態度、意志表明の語り口などまことに立派である。
                    
 
 掃き溜め派

きのうの『西のグル、北のグル』は、町村外相に言及したいための伏線でした。

 去年札幌に行ったときから、町村外相の祖父の町村金弥の出身がわかったので、『西のグル、北のグル』のネタの構想はあった。でも、よそんちのことだしなあ、と思っていた。そうしたら、町村外相は最近著書『保守の論理』を出した。主題の保守の論理というのは直裁。そして、「凛として美しい」とうたっている。凛というのはここ10年流行している言葉で手垢が付きすぎである。でも、論理と美、でまとめてあるのはロジック(理論)とエステティック(美学)を想定してますよということで、よくできている。昨日、本屋で立ち読み。で、つまらない政治家の、後援者への無料配布用著作とは違っていた。その中で、自分の祖父・町村金弥(越前家家臣)のことから父・町村金吾、叔父町村敬貴のことに言及。さらには、越前の元士族が新天地・北海道に移住したこと。そして、近代日本での一族のいきさつを描いている。町村金弥は札幌農学校2期生、町村敬貴は長男、町村金吾はその弟で旧制2高→東大法→内務官僚:警察。東京裁判では証人で出廷したはず。戦後は民選の北海道知事。ということは、町村信孝外相は近代日本において3代目ということになる。つまり、代目でいうとひろひとさんと同じだ。 



 『保守の論理』では 独立不羈 が重要であると説かれている。この独立不羈に程遠いのが現在の国家としての日本である。つまりは、日本政府は交戦を禁じられており、自分の力で独立自存を保つことができず、自分の安全を図るため米軍に駐屯してもらっている。そのため基地や資金を提供している。この列島は米軍の軍事空間に存在している。
 日本は独立主権国家ではなく、保護国である。この状態になったのは大日本帝国が敗残しその後戦勝国、占領軍との契約に基づく。なので、戦後の出発状況は自由民主党に責任はない。第一その時自民党はない。しかしながら、いくら敗残国だからといっていつまでもその状態を変えないでいいわけはない。事実、自民党は憲法改正をひとつの目標に結成された。はずであった。それがどういうことだ。戦後60年も経つのに事実上米国の属国である。自民党は論理も原理原則もひったくれもなく、ただただ政権の座にいることのみに専念。あげくのはてが、社会党・村山を担いでの政権である。北朝鮮労働の友党であった社会党を担いだ自民党内閣がいまさらキム将軍に何を言ってもなんら威厳はない。
 
 明治維新を挟んで生きた町村金弥は札幌農学校の2期生。同期生に新渡戸稲造、内村鑑三、宮部金吾がいる。歴史の本に掲載されている写真を見ると同期生は全員で8人である。だから、その中に町村外相の祖父・町村金弥が写っているはずなのだが、脚注は上記のちの「有名人」3人の名だけがある。

 その、町村金弥がどうしたのか?役人となって北海道開拓の事業の現場責任者をやっていたようである。例えば、本(『北海道の歴史』榎本守恵, 1981)を見るとこのような記述がある;

この条件(蜂須賀ら華族が農場を作るにあたり道庁がインフラ整備をすること、いか@註)をうけ入れた道庁は、札幌農学校一期生の技師補柳本通義を農場監督に、二期生の技手町村金弥を事業主任に任じ、雨竜原野を貫通する増毛道路は囚人労働で開削した。

明治26年頃である。囚人労働で作られた道路である囚人道路の工事の管理をしていたのだ。 囚人道路とは何か?

キーパーソン:金子堅太郎


金子堅太郎。福岡は黒田家55万石の藩士。黒田家は55万石の外様大藩ながら、100万石の前田同様ノンポリの大藩である。藩祖は黒田如水。秀吉の参謀。ノンポリの外様大藩といえば覇気のないやくざみたいものである。明治維新の時、クーデター派の薩長の外様大藩にせよ、対抗勢力の伊達、上杉にせよ、外様の大藩は闘うという本来の使命を果たした。そんな闘わなかった黒田家から江戸に勉強しにきていた金子堅太郎。明治維新となり英語を学び、ハーバードで学ぶ。帰国後は 伊藤博文 の片腕として活躍。金子の北海道担当は明治16年であるから、明治14年の政変や開拓使官有物払い下げ事件(薩摩の黒田清隆が同じく薩摩の五代友厚にお友だちなので国有財産を安く売り渡そうとした、とされる)と関係しているのであろう。すなわち、これまでの黒田清隆支配から伊藤博文の力が影響しはじめたのであろう。

 その金子堅太郎のアイデア;

囚徒をして、是等(これら)必要の工事に服従せしめ、若(も)し之に堪へず斃(たお)れ死して、其(その)人員を減少するは、監獄費支出の困難を告ぐる今日に於(おい)て、万已(ばんや)むを得ざる政略なり

 つまりは、囚人を酷使して工事をさせ、死んだら死んだで、え~じゃないか。

と、のたまいあそばされたのある。さすが、薩長ちんぴら政権に登用されただけのことはある。松下村塾を出ずとも恐ろしいぬんげんはいるものだ。といういやみを言うとハーバードに失礼か。

 さて、町村金弥。その金子率いる北海道庁の指示で、金弥は囚人を使って上記の増毛道路をつくったものと思われる。

 あ~、結城秀康が藩祖の(←この件町村外相も上記著書で言及している)栄光ある越前家の藩士だったものが、サムライ廃止となり、新政府の作った学校に入り、新政府の役人となとなり、やっていることはといえば、人の道にはずれたことである。越前藩士も、何の因果か落ちぶれて、今じゃ、あわれ、腐れ外道の薩長政府の役人。

 そして、この悲惨さこそが元サムライを襲った悲劇である。君主である徳川幕府、あるいは藩は敗れ去り消滅した。敗残者となった。それでも生きていかねばならない。敗残者の悲惨とは、負けて悔しいとか受けた傷がいえないとかではなく、勝者に従属し、おもねり、意を枉げて生きなければならないことである。

 さて、町村外相。現代日本も、戦後ずーっと、こんどは国全体として、敗残者として生きねばならない状況である。旧戦勝国の米中に脅され、ばかにされ、食い物にされている。因果なものである。現在の日本外相の最大任務は米国への貢献を以って自国の安全を図ることにある。自分の祖父がやったように勝者・支配者・ご主人様が 外道 であろうとそれに耐え任務を遂行しなければならない。

もっとも、それを遂行することが町村家の家風であり、その保守に努めることが家庭教育の重要性を主張する根拠であり、町村外相がそれを凛とすることであるなら、われわれはそれを諒とせねばならないだろう。

 我が「同盟」軍 :60年前は我々が調教していただきますた。

  

The last foreign minister of Japan & The latest foreign minister of Protectorate-Japan