▲敵前逃亡する宰相から、原爆しょーがないのデーズン、便宜供与の次官、
そしてログノート棄てちゃう末端まで、バカばっか、の海上「米」衛隊。
佐久間艦長と同じ日章旗を掲げるのはやめてほしい。
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キチガイが国を興し、バカが国を滅ぼす。
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皇国の興廃この一戦にあり!
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皇国の荒廃この一帯にあり
▲ こんなクニ、もう滅ぼせ!
ああ!国亡族! うらやましーじゃねーか!
- - ちっぽけな「背高」アワダチソウ - -
Google; ちっぽけな自己に対する肯定の感情
橋本努・『自由に生きるとはどういうことか』、ちくま新書の208ページにあった言葉。
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「ちっぽけな自分」を否定するって信じられないな。「自分」がちっぽけでなければ、世界中の人びとみんなが「自分」なのであるから、うるさくてしょうがない。
「自分」はちっぽけで当然である。これに悩むなど狂気の沙汰の一里塚である。
▼上の段落は混乱しているな。肯定するのは「ちっぽけ」なのか、「自分」なのか不明だし、混乱している。 臆面のない自己肯定と『ちっぽけな自分に対する肯定の感情』がどういう関係にあるか考えられていない。 だめだ。
- - あの頃みたいに、ダサいスカジャン着て、おまえ待ってるから- -
横山剣
YouTube: タイガー&ドラゴン、クレイジーケンバンド
▼ US. PARATROOPS, SENDAI, JAPAN
先日来の仙台ネタで仙台の米占領軍を調べていると、 (仙台参り 【2007】 ページェント通り 、仙台参り 【2007】後記; そして、Occupied Japan (O-J) ) 仙台に来たのは第11空挺師団であるとわかったので、さらにググッて調べていると、こんなサイトに行き会った。↓
SJ-2 横須賀ジャンパー(スカジャン)第11空挺師団 仙台駐留
はずめて、スカジャンって何かわかった。これまでは耳にしても、スタジャンの変種くらいに勝手に思っていた。というか、思いさえしなかったのだろう。ごめんなさい。「タイガー&ドラゴン」のスカジャンも、くじのはずれのスカのイメージで、スカジャン=だめだめジャンパーと想像してますた。 ごめんなさい。
知らなかったよ; 「横須賀ジャンパー」
このスカジャンなるもの元祖/当世オキュパイド物らしいじゃないか!
名前の由来
戦後間もない頃横須賀米軍基地で日本駐留の米兵達が記念として鷲・虎・龍などのオリエンタル柄や、自分の所属していた部隊や基地などの刺繍をテーラーショップにオーダーしたのが始まり。このような刺繍をしたジャンパーを「横須賀ジャンパー」と呼ぶようになり、お土産として販売されるようになった。このためスカジャンは「スーベニアジャケット」の略であるという説もある。
ウィキペディア(Wikipedia):スカジャン
でもさ、このスカジャンの「11th Airbone, SENDAI, JAPAN」ってデザインは、「戦後間もない頃」からずーっとあるのか? 60年間。 そして今の横須賀の米兵は、「11th Airbone, SENDAI, JAPAN」をわかって買うのか?
やっぱ、- - あの頃みたいに、ダサいスカジャン着て、おまえ待ってるから- - っていうことか? イーネ!イーネ!イーネ!
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ダサいスカジャンは、なかったわ。 残念!
▼米国占領軍・第11空挺師団はこのあと札幌に進駐、日本最大規模の占領軍基地を作る。
真駒内 占領軍の痕跡
いか@、タコを思う。
かわいそうな羊たち
目を据えて彼がそういったときの情景は、いまも忘れがたい。
(昭和37年,1962, の三島由紀夫についての村松剛の回顧)
一方、三島は1968年の時点でも、「食事に人を招くときには印刷された英文の招待状を送り、食後には必ずコニャックと葉巻とを供するという生活」をしていた。
(ふたつともネタ本は『三島由紀夫の世界』、松村剛)
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- - 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであろう。 - -
盾の会隊長としての檄
↓ そのとおりになったよ。
辞世の句;
益荒男が手挟む太刀の鞘鳴りに幾年耐えて今日の初霜
仙台市青葉区立町にて。 - - 画像と記事の本文なす。- -
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昨日来の、仙台は広瀬川の向こう岸の「主」さまについて。
瑞鳳殿が焼かれ、大手門が焼かれ、何より旧二の丸にあった第二師団の兵舎が焼かれたあとの、昭和20年9月以降の「主」さまは、 占領軍である、アメリカ合衆国は陸軍の第7歩兵師団司令部 サマ に他ならない。
仙台市戦災復興記念館所蔵の写真
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旧二の丸、川内のカマボコ兵舎 は、実に、平成の御世に至るまであった。 今はどうなっているのか、お散歩を敢行しなかったので不明。
何の因果か知らねども、このあと、彼ら「アメリカ合衆国・陸軍第7歩兵師団」は、政宗公と同じく、朝鮮「出兵」となることは言うまでもない。
ページェント;
pageant (歴史的な場面を舞台で見せる)野外劇。 (時代衣装などを身に着けた壮麗な)行列、山車(だし)、はなやかな見もの。
-- お城方面から、広瀬川を渡り、仙台の街へ向かう車列 --
この風景は、仙台雑民が、藩政時代はお城からの大名行列を、そして日帝時代には、出陣する陸軍第二師団を見物できる最前線なのである。 今回気づいたのは、仙台雑民は参勤交代の 上下に動く 鑓の先の毛飾り を最初の光景として、広瀬川に架かる大橋を渡り、段丘を上がる坂道を登るものとして目に入れるのであった。なぜなら、(たぶん)町人は広瀬川を渡って、お武家様地域に行けなかったのだろうから。
大橋からお城の方を見た画像。
ページェント通り。 お披露目通り。
大手門を出た行列はこの通りを進み、物見高い仙台雑民の視線集まる市街へと向かう。
写真中央の樹木の中に櫓(やぐら)が見える。ここに仙台城の大手門があった。
この門をくぐり、藩政時代は伊達家の行列が出発し、日帝時代は大日本帝国陸軍第二師団が出撃した(写真あり)。
古写真。 昭和20年7月20日、空襲で焼失。
↓スペクタクル