ブラウン管にクリステルを見ると、おいらはこんな時間まで何をやっているんだ!とびっくりする。 年に3回もクリステルの御尊顔を拝さない。
最近は、10時に寝入ると3時に目が醒めてしまう。
二十歳のころの、何でおいらはこんなに寝続けるのだろうと驚嘆していた12時間睡眠時間をなつかしくおもう。
ぐっすり眠るの語源が、good sleepってホントなんだべか?
さて、豚のように幸福に熟睡 の芥川と、彼は満足して意気揚揚と横になった。彼はぐっすり眠った。の魯迅とにおける、愚者=good sleep説は、シンクロなんだろうか?、それとも両者に共通のネタ元があるのだろうか?
2010年5月28日に追記、最下部に筑波山麓岡本太郎作品
岡山に出張しました。めしを食おうと駅ビルをうろうろしていたら、
なんだ! こりゃ!
という壁画にぶちあたりました。
岡本太郎だそうです。
■ 岡本太郎の陶壁画「躍進」 なぜJR岡山駅東口に!? /岡山 現在リンク切れ。 当時のコピペは下記;
▼
◇なぜここに!?
◇「玄関口飾る芸術作品を」 地元民放、新幹線開通に合わせ設置
意外と知られていないが、JR岡山駅には偉大な芸術作品がある。駅東口「つどいの広場」に設置されている岡本太郎(1911~96)の陶壁画「躍進」(縦約4メートル、横約8メートル)がそれだ。初めて岡山駅に降りた時から、圧倒的な存在感に魅了されている。それにしても、なぜ太郎の作品が岡山駅にあるのだろう。【石戸諭】
■実は広告□
JR西日本岡山支社に取材を申し込むと、「うちに資料はありません。山陽放送(RSK)さんに聞いてみては」との返事。そこで作品わきにも社名があるRSK(岡山市)を訪ねると、丁寧に保管された古い社内資料を見せてくれた。そこには「広告掲出」という言葉がある。ん? 広告? 聞けば、「実は作品は『広告』扱いなのです」と衝撃的な答え。てっきり太郎が寄贈したとばかり思っていたが、一体どういうことなのか。
時代は1972年にさかのぼる。当時、「ひかりは西へ」のキャッチフレーズとともに、岡山に新幹線が開通した。社内資料によると、当時のRSK幹部が新幹線開通に合わせて「岡山の玄関口にふさわしい芸術作品を設置し、地域貢献を」と考え、旧国鉄と交渉に臨んだ。その結果、新幹線玄関口のスペースに企業広告として▽しかし、会社のPRはできる限り小さく--などの条件で設置が決まったという。作家の選定にも、担当者が書いた手書きのメモが残っている。そこには「100年、500年先にも名声が続く、歴史に残る作家」という条件で、複数の作家が候補として挙げられていた。その中から、大阪万博「太陽の塔」で名を知られ、当時のイベント「岡山交通博」を監修していた太郎に白羽の矢が立った。
■作品完成□
赤磐市に住む陶芸家、おかだきよしろさん(67)は、完成までの経緯を詳しく知る一人。陶壁画は作家がデザインし、陶器部分を外注することが多い。当時、おかださんはその外注先の信楽焼メーカーに勤め、メーカー側の制作責任者に指名された。東京・南青山にあった太郎の自宅兼アトリエに通い、原図を基に5分の1サイズの模型を作った。「他人の作品を忠実に作るのは難しい。ましてや岡本太郎。緊張しました」と振り返る。
「躍進」は600個以上の信楽焼のピースを組み合わせている。おかださんらは模型を基に、各ピースのサイズを合わせて焼き上げる。乾燥、素焼き、本焼きと段階ごとに大きさを確認。「色にこだわりを持っていて厳しかった」という太郎の意図通りの色に仕上げた。太郎は、ある時は上半身裸で、時にウイスキー片手に制作現場でおかださんらに指示を出した。「ちゃめっ気があって気さく。本当に楽しい作業だった」とおかださん。72年3月14日、「躍進」は岡山駅に設置された。
■太郎の信念□
「躍進」には、積極的に公共スペースに作品を提供した太郎の信念があふれている。太郎にとって芸術は「大衆のもの」であり、「すべての人が創造していくもの」だった。ただし、それは民衆にとって心地よい作品を置くという意味ではない。長年、共に歩んだ太郎のパートナー、故岡本敏子さんは著書の中で「(太郎は)『自分が民衆にならなければならない』とは思っていなかった」と書いている。「私たち○○○」という言葉に象徴される集団主義から距離を置き、太郎は徹底的に「個」を貫いた。太郎は作品を通じて、「芸術は創ること、生きることそのもの」という自身の信念を万人にぶつけたのだ。「躍進」も「太陽の塔」もすべて同じ発想だったのではないか。
■後日談□
設置から35年以上が経過した「躍進」は一時、岡山駅改修にあわせて、移転話も持ち上がったが「文化財として残していく」ことでJR、RSK両社が合意、今も岡山の玄関口で異彩を放ち続けている。おかださんはその後「独自の作品を作りたい」と会社を辞め、故郷・岡山に戻り制作を続けている。
「今でも岡山駅を通るたびに恥ずかしくて。実は色を間違えたピースがあって」とおかださんがこっそり教えてくれた。太郎は気付いていたのだろうか。「太郎さんも含めて今まで気がついた人はいないですよ。だってペンキで……」。えっ、そんなことが。作品をじっくり見れば分かるかも?
毎日新聞 2008年9月3日 地方版
▼2010年5月28日に追記、最下部に筑波山麓岡本太郎作品
【山麓記念日】 N度目は何劇として?...四半世紀前の今日筑波万博開幕 ; 筑波万博の時の岡本太郎作品が今でも筑波山麓に残存しており、じかに触れます。
コメントいただきました 11年くらしました。 その時、愚猫どもは!?
コメント
Unknown (華)
2008-10-22 10:33:06
うめちゃんくろちゃんは初めてのお引っ越しですか?
新しい環境に早くなじんでくれるといいですねぇ
Unknown (インチキ号後悔記@ながいうた)
2008-10-23 17:11:40
猫は家に付くって云うからウメちゃん居残るって言い出したりして。
■猫ってほんと環境変化に過敏です。
11年住んだ部屋の引っ越し荷物の運び出しの間は、愚猫どもをお風呂場に幽閉しておいました。
すっかり荷物がなくなり、お風呂場の戸を開けると、勢いよく飛び出してきたところまではよかったのですが、すっかんぴんでがらんとした環境を見た瞬間、前足をつっぱり急停止。おろおろ右へ、左へ。そして、無目的に走り回り、最後はおしいれ(何もない)に入り、片隅で固まったのでした。
まさか、ずーっと住んできた部屋で猫がこんなふるまいをするとは予想せず、デジカメの準備をしておらず、迂闊でした、その時の画像はありません。残念。
上記画像は、新しい引っ越し先で、猫かごから放った直後のクロさん。押入れに脱兎のごとく入ってしまいました。
なぜかしら、昨日10/25はスポンサーではなかった。
ところで、永六輔はスポンサーの「批判」にはくみしないと公言している。具体的には、TBSラジオが主催だか協賛して今やっているフェルメール展を罵倒した大橋巨泉にくみしない、なぜならTBSがスポンサーだからと言った。かつては、暴走おしゃべりが過ぎて携帯電話を批判した永はアシスタントに「携帯電話会社がスポンサーですよ」とたしなめられると、あわてて脈絡なくその批判をぶったぎった。
どうみても、自民党なんか好きではなさそうな永六輔と久米宏の番組のスポンサーが自民党だったので、おもしろいなァと思って書いた次第。
口封じには、刃物はいらぬ.....。しょせんやつらは、たいこもち。
50年。
すごいよね、粛清されたおばはんが、さっさと大臣。
でも、この復党組をのどにつまらせて窒息しているのが愚民党だっちゃ。
■人の志も頼むべからず。必ず変ず。■
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つくば市長選が告示され、選挙戦がはじまったようです。 (現在リンク切れ; コピペは最下部に無断転載)
現職の市原さんと前職の藤沢さんの一騎打ち。
怪文書が、ご丁寧にも、郵送されてきました。
市原市長を攻撃する内容です。 もちろん、この怪文書の出所は藤沢陣営のものだろうと野暮はいいません。
でも、藤沢陣営の「工作」伝説は30年前にさかのぼれるそうです。
1978年 12月10日 筑波大生集団買収投票事件
この年の12月に行われた茨城県議選で、新治郡から立候補した藤沢順一候補は運動員2人を使い、筑波大学学生の宿舎の学生50人に1人あたり現金3000円と石けんを持たせて投票を依頼、不在者投票をさせていた。
茨城県警はこの事実をつきとめ、同5日までに学生3人を選挙法違反の容疑で取り調べ、翌6日には運動員2人を買収の容疑で逮捕した。
開学間もない、新治郡桜村の筑波大学の学生が大量選挙買収されたという話。
ちなみに、この時代、筑波大学の学長と副学長はふたりして、その肩書きを使って、朝鮮カルトの文鮮明の集会に出席していた。
なお、筑波大学は開学以来、他の国立大学ではほとんどなかった推薦入学枠を設け、一定の学生を入学させていた。この意図と目的は知らない。
それにしても、現金とせっけん、ってなんだべ?
■
現・前一騎打ち
つくば市長選が告示
つくば市長選と市議選が19日告示され、7日間の舌戦がスタートした。市長選には、いずれも無所属で、再選を目指す現職の市原健一氏(57)(自民推薦)、前市長の藤沢順一氏(68)の2人が立候補を届け出た。市議選(定数33)には40人が立候補した。
両氏は、4氏の争いとなった4年前の選挙に続いての対決。前回は市原氏が約1万6000票差で3選を目指した藤沢氏を破り初当選した。今回は、現職と前市長による一騎打ちとなり、それぞれの出陣式では互いに市長としての政治、行政手法を強烈に批判。「こういう状況をつくったのは、いったい誰なのか」と聴衆に呼びかけ、支持を求めた。
市原陣営は、同市大曽根の選挙事務所前で出陣式を行った。山口武平・自民党県連会長や県選出の衆参院議員、自民、公明両党の県議、周辺市の市長らに加え、沼尻博・県商工会連合会会長らが続々と壇上で応援演説し、集まった大勢の支持者に「大差で勝利させてほしい」と訴えた。
市原氏は、「つくばに本気!」と書かれたバッジを付けた、おそろいのオレンジ色のウインドブレーカーを着た運動員とともに街宣カーに乗り込んで各地を回り、大型商業施設などで演説。少子高齢化対策や安心・安全の実現を訴えた。
藤沢陣営は、同市古来の選挙事務所近くで出陣式を行った。陣営幹部らが「このままでは、つくばの将来はない」「一部の人の私利私欲で市が牛耳られている」などと現市政を批判。「つくば市政を市民の手に取り戻すために、勝ち抜かねばならない」と支持を訴えた。民主党の白真勲参院議員も応援に駆け付け、「弱いものいじめ、無駄使いの政治はもう、やめさせましょう」と呼びかけた。
藤沢氏は、つくば市中心部で白議員らとともに街頭演説などもこなし、4年前の雪辱を期すための訴えを続けた。
市議選には40人 市議選は現職29人、新人11人の計40人が立候補した。党派別は、自民5、民主4、公明4、共産4、諸派3、無所属20。
投票はいずれも26日午前7時から午後8時まで、市内73か所で行われ、午後9時から開票される。
18日現在の有権者数は15万8620人(男8万972人、女7万7648人)。
(2008年10月20日 読売新聞)
11年暮らした筑波山麓アパートとお別れです。
1997年冬カナダで山一證券廃業のニュース、あの社長の泣きっ面の会見ニュースについて回りから、あれは何だ!?と説明を求められました。そう、あのニュースは世界中どこでもトップニュースだったのです。カナダで日本のニュースについて説明を要求されたのは、あの山一の泣きっ面社長の件だけです。
その後、今思えば、なぜかしら、日本に帰ってきてしまいました。バブル崩壊の本当の「痛み」が出来するのは、むしろ、このあとでした。今思えば(2回目)、その時点でドイツか日本の職があったのですが.....。まさか、デフレの大失業時代の真っただ中に巻き込まれるとはつゆとも知らず。ホント、バカでした。
転職5回、小泉内閣発足やNY911事件の時は失業者でした。2001年の雇用状況は最悪で、日本企業は首切りはしても雇用など皆無でした。日本企業はCurriculum Vietaeさえみてくれませんでした(予備エントリーしても、Curriculum Vietaeを見せろという段階にさえ行きませんでした)。このとき、Curriculum Vietae を見てくれたのは台湾、韓国、オランダの企業だけで、面接してくれたのはオランダの企業だけでした。結果は不採用。でもずーっと11年間この部屋で暮らしてきました。今でも名誉ある40歳・「非正規」賃金労働者です。 マンセー!
人生そのものが炎上中の、おいら。
copy right
ここ数年は、"Across a Death Valley 「キャラバン隊」"で日銭を稼いでいました。不安定ながらインド、中国、欧州、北米とおつかい稼業も楽しかったです。シンガポールも「最高」でした。各カテゴリー参照。
その、"Across a Death Valley 「キャラバン隊」"が、とある企業に買収されることになり、内定をもらっていたのですが、ドタキャンになりました。
また失業者か、面倒くさいな、でも数か月世界旅行でもするべかと思っていたら、すかさず、別の企業に買収されました。幸い、新しい仕事場も筑波山麓です。でも、ちいと遠いので、引っ越すことにしました。
さよなら、11年暮らしたアパート。
▼蛇足; えんじょう はしても、乱心には至らぬようガンバリます。