▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第34週
■ 今週のよその猫
■ 今週の訳あり1
山形県の「洋梨」。5Kg, 1980円。
竹城青果
■ 今週の訳あり洋梨が運んでくれた文化財情報
訳あり洋梨を包んでいた山形新聞
・文化遺産オンライン 小嶋総本店店舗兼主屋
・弊社店舗兼主屋など12件、文化財へ 国文化審答申、県内登録208件に。
■ 今週の訳あり2
すべてが、でかい。 愛媛産、15Kg、2300円。
■ 今週のアクセス:キャンプ・クロフォード4部作への閲覧多し
・札幌郊外の「アメリカン・スクール」(1946-1958);道庁から9km;敷地は牧場をつぶしたのだ。
・札幌郊外の"ワシントンハイツ";幻と現(うつつ)の五輪を挟む敗戦・占領・DH(ディペンデント・ハウス)
・札幌、キャンプ・クロフォードにおける定山渓鉄道からの引き込み線; Do you know the way to Korea, in the Camp Crawford ?、
・札幌郊外米軍キャンプクロフォードのペンタゴンと定山渓鉄道引込線の車両のカラー画像
■ 今週のアクセス
今週アクセス数が多かったページ:新しい街でもぶどう記録;第377週
ページ内のどの内容を目当てにアクセスしてきたが不明であるが、おそらく、有吉佐和子、『非色』だろうか?
■ 今週のダブルバインド(二重拘束)の片側
トランプ政権で国家情報長官になるとされるトゥルシ・ギャバード(wiki)(元陸軍少佐)が去年、日本に防衛努力を要請すると、そのうちハワイに責めてくるぞ!と警告していた。
ダブルバインドとは、矛盾する2つのメッセージを同時に受け取ることで、どちらの指示も受け入れられず、不審を抱いたりストレスを感じる状態です。日本語では「二重拘束」とも呼ばれます。(google)
■ 今週返した本
『証言三島由紀夫・福田恒存たった一度の対決』
『沖縄文学選』
▼ 『証言三島由紀夫・福田恒存たった一度の対決』
三島由紀夫と福田恒存が対談した。1967年・昭和42年、雑誌「論争ジャーナル」[wiki]においてだ。これが公開された二人だけの対談の唯一のものとのこと。集団対談でのものが別途ある(「現代日本人の思想」という座談会:後述)。二人は演劇についての見解で疎遠になったらしく、この1967年の対談では冒頭にそのことに振れ、今日はおてやわらかにと言い合っている。この対談は現在『若きサムライのために』(文春文庫)に入っている。今週返した『証言三島由紀夫・福田恒存たった一度の対決』はこの対談についての持丸博[1]と佐藤松男の対談。佐藤松男は日大出身。大学紛争で反左翼運動を行い、福田恒存に師事した。
持丸博は盾の会の初代学生長であり三島の側近であった。ただし、歴史認識、すなわち二・二六事件の決起における昭和天皇の拒否を認めるか認めないかで意見が分かれるなど思想の相違が明らかになった。持丸博は、元もと、「論争ジャーナル」という右派学生が創った雑誌の編集人。『論争ジャーナル』を作ったのは、中辻和彦。三島は原稿料を取らずに、この雑誌に貢献した。しかし、三島と中辻和彦が仲違いした。原因は中辻の性格が奔放であったことと田中清玄からの資金援助を受けた/受けようとしたことであると、持丸は言っている。三島は中辻と絶交した。三島は中辻と絶縁したが、持丸には期待していた。三島の費用負担で、盾の会の専従にならないかと打診があった。持丸は断った。そして、盾の会と論争ジャーナルの両方と縁を切った。この時持丸は中辻に同調し三島から離れた。その理由は中辻と持丸は平泉澄一門で、昭和天皇による226事件鎮圧を支持。その国体観の相違で、持丸は三島と袂を分かったというのだ。
[1] 持丸博の妻は松浦芳子。彼女の『自決より四十年 今よみがえる三島由紀夫』については愚記事に書いた。
★ 三島由紀夫と持丸博との関係
三島と持丸博との関係は微妙なものである。すなわち、持丸との決別後に三島は森田必勝と死ぬ。ここで、持丸との決別後に三島は森田必勝と「心中」するという視点で見れば、持丸博の特異な立場がわかる。
実のところ、私は長いこと森田氏が一緒に自刃したことについて複雑な気持ちを持っていました。そこで一昨年、小賀正義氏(盾の会二期生、市ヶ谷事件に参加、二人の自決を見とどけ、人質の益田総監を解放後、縛につく。裁判で懲役四年の判決を受く)に会うために彼の住む和歌山を訪ね、事件に関するある質問をしました。(中略)それは、あの場で三島先生が最後に「森田お前はやめろ」と叫んだということでしたので、その真偽のほどを確かめたかったからでした。彼の答えは、やはり予想通りでした。 『証言三島由紀夫・福田恒存たった一度の対決』持丸博の証言
しかしながら、この発言は、小賀正義宛の三島由紀夫の命令書の一部、下記と整合的でない;
今回の事件は楯の会隊長たる三島が計画、立案、命令し、学生長森田必勝が参画したるものである。三島の自刃は隊長としての責任上当然のことなるも、森田必勝の自刃は自ら進んで楯の会全会員および現下日本の憂国の志を抱く青年層を代表して、身自ら範をたれて青年の心意気を示さんとする鬼神を哭(な)かしむる凛烈(りんれつ)の行為である。
三島はともあれ森田の精神を後世に向かって恢弘せよ。 (全文)
すなわち、三島は森田の死を起こるものだとの認識で生前に命令書を書いている。「森田お前はやめろ」という三島の発言とこの命令書は整合性がないのではないか?
あと、持丸博は、宮崎正弘の証言に苦言を呈している。
★ 「暗渠(あんきょ)で西洋に通じている」問題、あるいは、なぜこの二人は米国の悪意を直視できないのか?、はたまた、偽毛唐
福田恒存は三島由紀夫の死について当時何もいわなかった。昭和63年・1988年に「福田恒存全集 第六巻」の巻末の覚書で三島の死について言及している。その言及の冒頭で福田が三島に言われた苦言/嫌味について述べている;
さて、昭和四十三年の一月、原書房の企画で国民講座「日本人の再建」のなかの一冊、「現代日本人の思想」という座談会を、会田雄次、大島康正、鯖田豊之、西義之、林健太郎、福田信之、三島由紀夫、村松剛の諸氏とともに試みたことがある。どんな話をしたか全く覚えていないが、その席上でか、その後の食事の時にか、私は三島に「福田さんは暗渠で西洋に通じているのでしょう」と、まるで不義密通を質すかのような調子で決め附けられたことがある。先日、たまたまその話が「日本人の再建」であり、座談会が「現代日本人の思想」というからには、どう考えても三島はそれを良い意味で言ったのではなく、未だに西洋の亡霊と縁を切れずにいると男という意味合いで言ったのに相違ない。それに対してどう考えてたか、それも全く記憶にないが、私には三島の「国粋主義」こそ、彼の譬喩を借りれば、「暗渠で日に通じている」としか思えない。
この福田の発言に佐藤と持丸がコメントしている;
福田恒存が三島由紀夫から「福田さんは暗渠で西洋に通じているでせう」ということを言われたそうです。これを福田は良い意味で言ったのではなく、あなたは、未だに西洋の亡霊と縁が切れずにいるのではないかと、まるで不義密通を質されるかのようなことを言われた。(要約)
それに対して、福田先生は、むしろ三島の国粋主義こそが、彼の譬喩を借りれば「暗渠で日本に通じている」と書いていますが、これは、三島の国粋主義こそ彼の譬喩を借りれば「暗渠で西洋に通じている」の間違いではないかと思います。おそらく書き損じがあったのではないか。これはどう読んでも、三島の国粋主義こそ「暗渠で西洋に通じている」でなければ意味が通じないのです。
福田恒存読者の多くは、これをそのまま素直に捉えているようです。しかし、これを「日本に通じている」と捉えると文章としてもつながらなくなるし、三島由紀夫に不義密通していると質されたのに対して、これじゃ有効なカウンターパンチになっていないわけです。あくまでも三島由紀夫に反論しているのですから、それならば三島のほうこそが暗渠で西洋に通じているのだという意味だと思いますね。(佐藤)
持丸:「暗渠で西洋に通じている」、ことの当否は別にして三島先生らしい表現ですね。それに対する福田先生の反論は、佐藤さんのおっしゃる通り、文脈から言っても、三島の国粋主義こそ「暗渠で西洋に通じている」と解すべきでしょう。
佐藤・持丸は「暗渠で日本に通じている」は「暗渠で西洋に通じている」の福田の書き間違えと主張する。そうだろうか?福田は変な家に住んでさんざん稽古した英語を話し英語人に自己喧伝しノーベル賞を希求して「西洋」からの承認を求めさらにはディズニーランドが大好きな三島由紀夫は暗渠でなく太陽に照らされた明々白々たる人工水路で西洋に通じているのが一目瞭然であることを自明の前提として、偽毛唐でしかありえない三島由紀夫の異常行動の動機は「日本」から由来するのではないかと云いたいのだ。「暗渠で日本に通じている」。なぜなら、偽毛唐は偽物であることに居心地が悪く、つい「日本」を希求し、窒息に絶えられず「日本」を吸ってしまうのだ。吸ったのが二二六事件とその周辺思想であり、天に拒まれ死んでいく思想に捕らわれた。これを生来の自傷自殺願望が「憂国」思想とそのための死という症状として発作が出たと云ってもよい。「暗渠で日本に通じている」。
なお、佐藤は福田恒存が西洋化にも日本回帰にも走らず、自分を維持したことを称賛している。さて、この本で注目すべきことは佐藤松男が日米安保条約は幻想であると言明していること。現在(2010年頃)の日米同盟の深化(イラク派兵など)は日本の米国への従属化であるとして、米国・米軍の手足として使われるだけだと云っている。日米安保も発動されるかは米国大統領/議会の意志/承認が必要なので実際に発動されるかは疑問だと指摘している。そして、核の傘の幻想を指摘。これこそ日本保守の原則であり、佐藤はそういう人だとわかる。
ただし、憲法・安保体制という日本が米国の保護領となっているのは、憲法改正を民主的に実行することは事実上に不可能=日本の軍事権放棄状態の継続、これが原因で日本が米軍の駐屯を求めざる得ない結果できた安保条約は、講和条約後も米国が日本を米軍天国にしたい米国の意志の結果である。
福田恒存は憲法改正を民主的に実行することは事実上に不可能と認識しながら、これを制定した米国の意図=悪意を認めないのが不思議だ。さらにそれを指摘しない佐藤松男も不思議だ。この頃福田恒存が云っていたのは「アメリカを孤立させるな」である。
■ (ネタバレ注意)『沖縄文学選』に収録の『カクテルパーティー』大城立裕
1967年に沖縄出身の作家が初めて芥川賞を受賞した小説。今借りている本、マイク・モラスキー著『占領の記憶/記憶の占領』のある章に出てくる。その章はこの『カクテルパーティー』と小島信夫、『アメリカンスクール』(1954年、芥川賞)が評されている。『カクテルパーティー』は読んだことがなかったので、借りて読んだ。この本の要旨はこの作品を文庫としてを出している岩波書店のweb siteにある;
米軍統治下の沖縄を舞台にし,米軍属に暴行を受けた娘を持つ主人公が,不利だと分かっている裁判に事件を訴えることを決意するまでの展開を描いた物語である.そのテーマ性と,沖縄の近現代史が重層的に織り込まれた物語は,九五年の事件をはじめとした数々の基地被害をほうふつさせるだけではなく,依然基地の重圧が押し付けられている沖縄をめぐる複雑な政治状況をも浮かび上がらせる.その意味においてこの小説は,決して単なる古色めいた「古典」にはなることはなく,同時代的な緊張を読む者に強いてくる.
――本書「解説」(本浜秀彦)より
娘を米兵に強姦されるという話ではあるが、その父たる男はかつては支那大陸への兵隊として出陣していたことがあり(つまりは、日帝侵略兵士であった)、そして、娘の件を相談した中国人弁護士に日帝侵略を糾弾される話。
なお、この作品の芥川賞の評価で選定委員であった三島由紀夫の評;
「他の審査委員は褒めるだろうから、私は(引用者中略)欠点をはっきりと述べておく。」「「広場の孤独」以来の常套で、主人公が良心的で反省的でまじめで被害者で……というキャラクタリゼーションが気に入らぬ。このことが作品の説得力を弱めている、という風に私には感じられた。」「主人公の社交能力の欠如が、事件をこじらせる一因でもあろうが、作者はそれをすべて大きな政治的パズルの中へ融かし込んでしまう。」(引用元:)
一方、一番誉めているのが大岡昇平;
「困難な沖縄の状況の下で、これだけの作品が出たということは、慶賀すべきことである。内地にはない深刻な状況が取扱われていて、切迫した小説的興味を生み出している。」「この作品の下には、表面に出ていない、多くのものがある、という感じである。それをどういう風に書きあらわすか、に作者の将来の問題がかかっていると思われる。」(引用元:同上)
この小説の主題についてではなく、気づいた些細な点について書く。
・大城立裕さん、芥川賞受賞作「カクテル・パーティー」を語る 「米琉親善」の仮面はぐ
・読書メーター 『カクテル・パーティー』
★ 米軍住宅の曲線道路
この小説『カクテルパーティー』には多くのことが多くの人に語られているらしいのだが、この点、米軍住宅の曲線道路についての言及はあるのだろうか?おいらは、そうだよね、沖縄もそうなのか、と思った。
ゲートをはいると、きれいに舗装された道が二手にわかれて、ハウスの立ちならんだ奥へ流れていた。奥のほうで、また幾手かに岐れて、基地住宅[ベースハウジング]、あるいは沖縄の住民のよびかたによれば「家族部隊」とよばれるハウスたちをつないえいる。この道路設計がくせもので、直線でなく曲がりくねっているものだから、十年前にひどいめにあったことがある。はやり今日のように蒸し暑い午後だった。(中略)
・・・私は少年の頃から、知らない道の方角だけを見定めて歩きまわるという、妙な趣味をもっていた。いわば、ささやかな探検趣味である。私はゲートをすべりこんで歩きだした。ところが誤算に気づいたのは、およそ二十分ほど歩いたところか。私の計算では、ほぼ直線に突っきれば十五分、ぶらぶら見物しながらでも二十分、というつもりだったのに、三十分ほど歩いても東端の金網らしきものは見えないのだ。私は、おなじ道をぐるぐるまわっていた。ハウスはどれもおなじ形をしていて、たまに植えこみの形ちがっていたりするだけだ。洗濯物の色やかたちで、おなじところへ舞いもどっていることに気がついた。外人やメイドたちは、私をみてもなんの表情もみせなかったが、道をみうしなったとき、ふと恐怖がきた。 (大城立裕、『カクテルパーティー』)
おいらはかつて指摘した;両住宅地とも曲線道路で特徴づけられる(愚記事:札幌郊外の"ワシントンハイツ";幻と現(うつつ)の五輪を挟む敗戦・占領・DH(ディペンデント・ハウス))
★「華青闘告発」以前に芥川賞作品に現れたる日帝批判
愚記事:「村上春樹、『1973年のピンボール』に現れたる「華青闘告発」的視点」で書いたことだが、絓秀実さんによると1970年7月7日の「華青闘告発」が、マイノリティーによる対抗運動の初めての勃発として、重要だそうだ。すなわち、1970年に在日中国人たちが対支日帝侵略(侵華)の責任、むしろ一般日本人の責任、特に没批判的な日本人左翼を糾弾しはじめたというのである。
でも、1967年の芥川賞受賞作品の『カクテルパーティー』には中国人による告発が出てくる;
(中国人・孫)「あなたは何の悪いこともしなかったとおっしゃりたいのでしょうが、あなたの眼の前で日本人が中国人にたいしてとっている態度にあなたが批判的でありながら無関心をよそおったことはありませんか」
(日本人・小川)「それはしかし、あなたがいまこの土地でとっていらっしゃる態度と同じだ」
(中国人・孫)「そうです。恥ずかしいと思います。私もいずれは懺悔しなければなるまいと考えています。それでもしかし、私はあなたがたの責任を追及しなければならない。(以下略)」
現実ではない。小説の中での話だ。でも、文学評論家はこういう作品の中の「その無定見な日本人意識を前提にしていた新左翼など「革命」運動参加者に「コペルニクス的転回」をくらわした」話にも言及すべきではなかったか?
★ 強姦と逆襲
三島由紀夫がこの大城立裕『カクテルパーティー』大城立裕を嫌った理由は、主人公を被害者と設定としたことだろう。これは小説=作り話において、米兵が強姦者とされている。作品のために設定=つくられたのだ。三島はこういう「作り」を嫌ったのではないか?こう設定してしまうと、もう、向こうが悪で、こちらが被害者。そして、被害者というのは、論理的にはすぐそうにはならないのだが、正義であり、さらには復讐権を付与され、その実行が正義の名の元に実行されることが、物語において、期待される。三島はそう考えて、嫌ったのではないだろうか?相手の悪魔化。これは彼の趣味の問題だが、三島は弱者と被害者、そして彼らの被害者意識に基づく行動が嫌いだ。さらには、強姦事件というのはその立証が困難である。でも、この作品、大城立裕『カクテルパーティー』は興味深い。犯された娘が米兵に逆襲して米兵に怪我を負わせる。そのせいで米占領軍に告訴される。ただし、この米兵への犯罪という行為が彼女の被害性を証明することとなる。なぜなら和姦なら、その後傷害を負わせないからである。
それにしても、米兵を犯行者としての強姦というのは小説=作り話としても、ベタというか、とってつけたような受難の話である。相手を悪魔化する。米軍支配を批判するにしても、その米軍を強姦者と設定することは安易、やりすぎ、といえるかもしれない。
しかしながら、この大城立裕『カクテルパーティー』がその後も存在意義を認められるのは1995年の沖縄米兵少女暴行事件(wiki)が現実に起きたことだ。
ところで、現実性というと、沖縄では1853年に「ウイリアム・ボード事件」が起きた。この事件は、ペリー提督率いる米国海軍艦隊が琉球王国に来航した時、水兵のウイリアム・ボードが民家に押し入り54歳の女性を強姦した。注目すべきはその後の経緯。事件を知った近所の琉球人が逆襲。ウイリアム・ボードを捉えようとするもウイリアム・ボードは海に転落し、溺死する。この事件を受けて、米国が取った態度は、ウイリアム・ボードを追い詰めた琉球人を処罰することを琉球王国に武力威嚇を含め求めたことだ。(ペリー艦隊の来航と女性犯罪)⇒ ウイリアム・ボード事件
この1853年の事件における米国の態度は、大城立裕『カクテルパーティー』において、米軍占領府が強姦された主人公の娘を米兵への傷害で告訴したことと同じである。
大城立裕『カクテルパーティー』がその後も存在意義を認められると書いたが、今に至るまで存在意義を認められつづけるというのが沖縄の現状だ。今年2024年には「16歳未満の少女を誘拐し性的暴行を加えたとして、わいせつ目的誘拐と不同意性交の罪に問われた米空軍兵長ブレノン・ワシントン被告(25)」(google)が裁判中だ。被告の主張は未成年であったことは知らずかつ和姦であったというものらしい。そこで興味深いのは、米国人というのは初めて会った言葉の通じない相手とセックスするということだ。年齢がわかるほど相手の素性は気にしないということだ。
★ 仏桑花を知る
愚記事より
大城立裕『カクテルパーティー』に、仏桑花なる花が出てくる。ハイビスカスだ。
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