―今朝の筑波山麓、かさ地蔵ぶる集積された落花生たち―
■最近読んだ本に共通する"ある"ことに気づいたので書く。
・まずは、四方田犬彦、『歳月の鉛』から;
―パリでの留学を終えた蓮實重彦が教室に登場したのは、一年の秋学期の最初の授業のときだった。彼はまず学生たちに向かって、フランス語で言葉というときにはどのような単語があるでしょうかと尋ねた。何人かの学生がそれに答えた。彼はそれを纏めて黒板にparole, langue, langageと大書きすると、その一つひとつの単語の微妙な意味の違いについて、細かな説明を行い、「この三つの区別がつかないでいると、『言語にとって美とはなにか』のような吉本隆明のように、お猿さんのような本を書いてしまうのです」と、ニコリともせずに語った。―
・次に、渡辺守章、『フーコーの声 思考の風景』の中の渡辺と豊崎光一と蓮實重彦の対談から蓮實の発言;
―いや、もっと形而下にいってね、物理的にこいつは猿だと思っちゃったわけです。なぜかというと、連想の貧しさは恥じ入るばかりですが、彼、変な声出して笑うわけですよ。その笑い方というのは、ぼくが初めて聞いたものでもないし、何度も聞いて知っているんだけども、その笑い方そのものがテープに入ってそれを耳で聞いてると、これはもう猿のけたたましい叫びとしか思えない。そう思ったら最後、彼の動作がすべて猿に見えてきちゃう。―
もちろん、ここで蓮實重彦が語っているのはミシェル・フーコーについてである。
・そして、猿-猿通訳;
中公文庫に吉本隆明、『世界認識の方法』という本がある。その本の冒頭に吉本隆明とミッシェル・フーコーの対談が載っている。対談というにしては、ひとりが一度に3-5ページ分の分量の言葉を語っちゃている。そして、その通訳こそが、蓮實重彦に他ならない。もちろん通訳というより、この2「匹」をぶつける企画・編集・実行・通訳をやったのだ。
やっぱり、猿マニアだったのだ。
■
「かさ地蔵」の足元
コーンサラダ。
食われる(?)スイスチャード。やわらかい葉の部分が失われています。
季節外れのかぼちゃの花。
雨にうたれるキンカン。
■
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―27日朝の筑波山麓―
■1. 筑波大学の開学は1973年10月(#1)。翌年4月から新入生を受け入れた。第一期生。入学時に18歳として、生まれたのは1956年。この第一期生は、1984年の時点で28歳となる。もっとも、18歳で入学するとは限らないので、1984年の時点で28歳以上の筑波大学出身者はいてもおかしくない。
■2. 村上春樹、『1Q84』の天吾は、筑波大学の「第一学群自然学類数学主専攻」という設定である。さらに、1984年の時点では高円寺に住み代々木の予備校で数学を教えているという設定。29-30歳とも設定している。したがって、上記1の"この第一期生は、1984年の時点で28歳となる。"という条件と矛盾する。
■3. では、天吾は18歳で筑波大学に入学しなかったのか?を検討する。1984年で30歳という設定につじつまをあわせるなら、天吾は20歳で筑波大学に、1974年に、入学したことになる。1978年卒業。この設定だと1984年の時点で予備校で7年間働いていて30歳という条件にあう。
■4. しかし、天吾は大学入学後の20歳に学問としての熱意を失い始めたという設定である。大学でも成績がよく指導教授に大学院に進むことを勧められたという設定であるので、浪人や留年をした気配はない。
したがって、1984年の時点で30歳で筑波大学出身の数学講師という設定は無理があるのである。
▼という、きわめて些細なつっこみをしてみた。
あるいは、天吾が天久保の松見タワーあたりで、1974年の世界から1Q74の世界へ転移したという落ちがあるのであればにこにこできるのだが。まだ3巻読んでないし....。(もっとも、松見タワーこそ1974年にあったかわからないよなぁ)
#1: wikipedia;筑波大学
―借家の庭のハナミズキの実―
■今年初秋水戸に行った時のこと。夕方バスに乗った。バスは郊外のJR駅に向かっていた。市街地ではないので道が狭いし、さらにはバスはよく曲がった。
帰宅の女子高生が4-5人のグループで乗っていた。席にはすわらず、立っていた。ゆれたり、急ブレーキ、急発進したりするバスの中でイスや棒につかまりながら、4-5人のグループはわいわいやっていた。
そんな時、これまでにない揺れがおきた。必死に足をふんばったり、つかまったりして何とか姿勢を保とうする女子高生たち。その中でひときわずっこけた子が苦笑して言った;
「これじゃ、昭和のバスガールにはなれないわ」
▼なんだよ!? 昭和のバスガールって。どこでそんなの覚えた?そしてその脳内昭和のバスガールは強靭にして柔軟な脚スタビライザーを有しバスの揺れに耐えて任務を遂行するのだ。
40過ぎたおいらだって子供の頃はもうほとんどワンマンバスだったよ。たまに車掌さんがいても男の人だった。
その女子高生は何を見て昭和のバスガールを知ったのだろう。今日に至るまでの謎である。それにしても恐るべし!平成生まれの女子高生を巫女としてよみがえる昭和のバスガール。成仏して欲しい。
コロンビア・ローズ/東京のバスガール
佐伯祐三、「下落合風景」1926年
佐伯祐三、「郵便配達夫」1928年、「ロシアの少女」1928年
■
【思わせぶりな引用1】
この人は間違いなくある種の狂気の中にいる、と青豆は思った。しかし頭が狂っているのではない。精神を病んでいるのでもない。いや、その精神はむしろ冷徹なばかりに揺るぎなく安定している。実証に裏付けられてもいる。それは狂気というよりは狂気に似た何かだ。正しい偏見と言った方が近いのかもしれない。今彼女が求めているのは、私がその狂気なり偏見を彼女と共有することなのだ。同じ冷徹さをもって。そうする資格が私にあると彼女は信じている。
第17章 青豆 "私たちが幸福になろうが不幸になろうが"、村上春樹、『1Q84』
【思わせぶりな引用2】
かつて私は、自分が「日本人であること」に対して天邪鬼なのだと思ってゐた。ところが実は、「日本人であること」それ自体がひとつの逆説(パラドクス)なのである。 長谷川三千子、『からごころ 日本精神の逆説』
【思わせぶりな引用3】
私は無益で精巧 な一個の逆説である。 三島由紀夫、『仮面の告白』
▼先日、5年ぶりか10年ぶりくらいで、産経新聞社の雑誌『正論』を覗いた。長谷川三千子センセの文章を見つけた。
長谷川三千子センセは極右だ。美しい。しびれるほどの極右だ。
正論11月号、"「果たし得ていない約束」を読む――「サムライの遺言」から、いま何を汲み取るか"において、三島由紀夫の死の意味について、長谷川三千子センセはおっしゃいます;
なぜ、戦後二十五年は「びっくりする」ほど空虚なのか。なぜそれは「鼻をつまみながら通りすぎ」なければならないような腐臭をはなってゐるのか-―アメリカの占領軍がそれをもたらした、などという話ではないことを、彼はよく知ってゐる。また、戦後にはびこった、「民主主義」の大宣伝や、「進歩的文化人」たちがその元凶なのでもないことを、彼は知っている。それらは単なる症状にすぎない。本当の根は、日本人がとことん戦い抜いて全滅するかはりに生き延びてしまったことにある―その事実を彼は、くっきりと見て取ってゐるのである。
つまり、普通の"保守的"評論家・政治家(#1)の人たちとは違って、戦後の空虚の原因は、日本人が先の大戦で敢闘できない死にそこないであることを長谷川三千子センセは指摘しています。
その普通の"保守的"評論家の典型的な意見が産経新聞の正論欄にある;
≪空想的平和主義続く日本≫
従って、近未来における国家としての日本の役割は重大なのだが、今日の日本には依然、米軍による日本占領の後遺症が残っていて、吉田ドクトリンの、経済に特化した軽武装路線が成功を収めてきたこともあり、国家の根幹ともいうべき国防と外交をアメリカ任せにして安逸を貪(むさぼ)っている。日本人は戦後6年8カ月、アメリカに占領された間に、言論検閲や焚書(ふんしょ)などによって洗脳されてしまい、自分さえ武力を持たなければ「平和を愛する諸国民」(憲法前文)の間で安閑としていられる、と思い込んでしまった。
日本を、この空想的平和主義の迷夢から覚醒させるのは、普通の手段では難しい。 【正論】明治大学名誉教授・入江隆則 日本人覚醒させる「小さな戦争」
洗脳によって日本人は本来的ではない意識をもたされているのだ、という「他責」的な考えと、闘えなかった日本人・降参して勝者に阿(おもね)って生きながらえた日本人、そして全滅すればよかったという考えは違う。
全滅すればよかったということを、孫引き、ひ孫引きしながら長谷川三千子センセは書く;
なかで、もっとも感心したのは児玉誉士夫の話で、米軍が日本に侵攻してきた時に日本人はみんな死んでいて焦土にひゅうひゅうと風が吹き渡っているのを見たら連中はどうおもっただろう(笑)、と発言して、ああいいことをいうなと僕は感心して聞きましたと吉本隆明の文章を引用している。そして、「サムライの遺言」から、全的滅亡を汲み取っているようだ。
狂気である。そして、この狂気とは冒頭の引用1のような、「その精神はむしろ冷徹なばかりに揺るぎなく安定している」たぐいのものである。
聖戦貫徹。まさに、「"私たちが幸福になろうが不幸になろうが"」である。
■偽毛唐
長谷川三千子センセの御商売は西洋哲学、あるいは西洋思想らしい。最近の業績として、"これまでの聖書の常識を覆す旧約「創世記」の根本的な読み直し"である『バベルの謎―ヤハウィストの冒険』があるらしい。
それにしてもなぜ"極右"の日本人が哲学、ましてや聖書を研究しなければいけないのだろうか?さらにその研究というのも、西洋人文化人類学が「未開人」の生態や文化を研究するという態度ではないのだろう。近代日本においては、西洋思想を仰ぎ見て、摂取、同化することに努めてきたように見える。
つまりは、偽毛唐だよ。 長谷川三千子センセが偽毛唐かは、情報不足で、わからない。ただ、長谷川センセは『あなたも今日から日本人』(2000年)という本を出しているので、おとといあたりまでは偽毛唐だったけど、無事変態に成功したのかもしれない。
長谷川三千子センセはこの問題を、「日本人であることとは何か」という問いで、考えている。「われわれ日本人の内には、確かに、何か必然的に我々本来の在り方を見失わせる機構、といったものがある」と書いている(『からごころ 日本精神の逆説』1986年)。
極右なら最初から国学をやればよかったのではないか?
どうやら、長谷川センセは西洋思想の研究の上、極右になった気配がある。それは、西洋思想の誤りに気付いたというわけではなく、西洋思想の研究の極限に至った境地なのかもしれない。
その『からごころ 日本精神の逆説』に書いている(#2);
たとえば、佐伯祐三という画家がゐる。ほとんどパリの街角の風景画ばかりを画いて、若くして亡くなった人である。
その佐伯祐三が、ほんの一年余り帰朝した間の作品がいくつかある。「下落合風景」その他いづれも近所の町を画いたものであるが、そのいくつかの絵の印象は、ただ「痛ましい」の一言につきる。或る人は、日本の風景は油絵には合わない―殊に佐伯祐三のやうに量感のある油絵には合わないのだと言ひ、或る人は、もう少し描くモチーフを考え直せばよかったのではないかと言ふ。しかし、そんな枝葉のことではなくて、画家はもう、日本の風景を目の前にして気が滅入ってしまってゐるのである。
●そして、電信柱
佐伯祐三の「下落合風景」で描かれた日本の街のまぬけさを、つっ立った電信柱が象徴している。既にあった家屋に電気時代ということだろう電線を引っ張り込むために電信柱を立てたに違いない。もちろん地中に埋めるという美観を守るための処置は今でもろくに行われていない。
さて、ひゅうひゅうと風が吹き渡っている焦土には、焼け残った電信柱がつっ立っていて欲しい。事実、焼け跡には焼け残った電信柱や焼けた立木がつっ立っていた⇒焼け野原の御巡幸。
それにしても、誰も描かれいない佐伯祐三の「下落合風景」はすでに、ひゅうひゅうと風が吹き渡っている焦土かのようである。
▼
***************************************************************
#1; 例えば今朝のテレビで、石原東京都知事は戦前の軍部への嫌悪を表明し、「それは北朝鮮のような体制であった」と評した。これほど大日本帝国を侮辱した表現もないだろう。なぜなら、大日本帝国は戦時中に、翼賛選挙であったにせよ、男子普通選挙を行っていたからである。東條内閣の時代である。議会だって、予算委員会だって開かれていた。北朝鮮と戦時中の日本を同一視する石原が、極右ということはない。)
#2; おいらが、1986年に『からごころ 日本精神の逆説』を読んだ時、つまりは1986年中曽根内閣が300議席を獲得し、中央公論社が『重光手記』を刊行し、おいらがたった1年だけハイデガーを読んだ年には、おいらは佐伯祐三って全く知らなかった。一方、数年前、「没後80年 佐伯祐三展 鮮烈なる生涯」に行った時、長谷川三千子センセの『からごころ 日本精神の逆説』に佐伯が言及されていること忘れていた(正確に言うと、おいらの脳は佐伯を"拾わなかった")。最近、四半世紀前に封印した書籍群の開封を行ったことから生じたことだ、このブログ記事。つまりは、「産経新聞社の雑誌『正論』を覗いた。長谷川三千子センセの文章を見つけた」のではなく、長谷川三千子センセの文章がたち現れたのだ。
コーンサラダ、3週目。
【今週の菜や花】
花咲くピーマン。
スイスチャード。
お茶の木
キンカン。
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【今週気づいたこと1】
あるブログ(私にも話させて)にこの絵がある。ずいぶん前から掲げてあったと思う。誰の絵なんだろう?とずっと気になっていた。すごい好みだったから。働くずんどうおんなと勝手に名付けていた。
今週、peasant(小作農民)というイメージ・画像が欲しくなり、google検索した。この絵が目にとまった。誰の絵だろうと調べると、カジミール・マレーヴィチと知る。知らない名前。さらに、調べるとロシア構成主義のメインメンバーと知る(wiki)。
おおすごい、大好きと思う。
さらに、マレーヴィチという検索語で画像検索をして作品群をみる。
全く予期せず、働くずんどうおんながあった。びっくりした。
改めて調べるに、今年ロシア構成主義の展示会(愚記事:アール・デコの館でロシア構成主義 )やシャガール展(愚記事:シャガール展)ですれ違っていたとわかる。ただ、典型的なマレーヴィチ作品がなかったので、気づかなかったのだ。
図録みたら、「ロシア・アバンギャルドを代表する二人の作家アレクサンドル・ロトチェンコとカジミール・マレーヴィチを比較してみると、この両者には(中略)、そこにロシア・アバンギャルドの展開に関わるひとつの問題、つまり都会と農村、近代と非近代という問題がせりあがってくるように思われる。」とある(五十嵐利治、ロシア・アヴァンギャルドのなかのロトチェンコ)。ちゃんと読んだ方がいいんだな、図録。
■中国とか、民主主義とか;
昨日の続きで、日本"保守派"の話。たとえば、西部邁さんや佐伯啓思さんは決して官僚批難をしません。この点小さい政府を目指す新自由主義の竹中平蔵さんは政府・官僚批判派です。佐伯啓思さんは、「日本の「保守」派はこういう新自由主義と一線を画すことができなかったから、今日の日本の混乱となった」という考えです。つまり、西部邁さんや佐伯啓思さんは公(おおやけ)たる政府や官僚が国の存続には最重要であると考えているようです。とってかえして、民や選挙をいかがわしいものとも考えているようです#1。中国共産党、それも保守派の顧問にふさわしいのではないでしょうか?
一方、フランス派(?)の人(日本の対米依存を減らそうとするゴーリスト [ド・ゴール主義者] らしい)のブログでは、中国の民主化の不可能性を指摘しています⇒中国に幸せな社会が出来れば世界はもっと幸せになる。
中央の統制を弱め、中国をバラバラにする簡単な方法は、明日から民主主義になることです。
おいらも、「民主化」は、実際的にはこういうことになりうるだろうと推定します。
さらに、そのフランス派(?)の人のブログで、"有名人気ブログ" My Life After MIT Sloanの 「世界第二の経済大国は、世界に嫌われた国のままでいるつもりか」が紹介されています。このMy Life After MIT Sloanさんは、もちろん、ネトウヨでもなく、上品なブログであるがゆえに、この中国憎悪には驚かされます。
しかし、「中国はいい国だ」「好きな国だ」「尊敬できる」などの言葉を聴いたことは、中国人以外では今まで一度も無い。
米国に何年も住んでいるとこういう経験になるのだろうか?でもおいらが今度行く米国のある大規模な学会には、<米中親睦分科会>が派手に予定されているけど。なにより、中国で開かれた国際学会に行ったら、うれしそうな欧米人はたくさんいたよ。
それにしても、民主主義とか自由とかの評価基準で他国を"査定"して、日本によい点を与える日本人というのは、次のような認識はないのであろうか?
戦後日本は実際は、1)内政は官僚・政府主導で政治が行われ、2)外交・軍事は米国の保護下、制限下であった。
そして、3)選挙はどうころんでも自民党が多数派であり、しかしながら、憲法改正の三分の二以上の議席が取れない。そして、自民党と社会党は裏で取引をしているという茶番であったこと。
つまりは、民主主義とか自由とかは無化されていたのだ。中国共産党が目指しているのはこれである。
***************************************
#1; 考えている「ふり」かもしれません。なぜなら、佐伯さんは、 佐伯は「ボクは何かに価値的にコミットなんかしないけどね」(p172)、「個人的には、国家なんてホントはドーなってもいいんだけどね(笑)」(p202)だそうです。⇒ここのレビュアーより。
週末、筑波山麓のイーアスに行ったら、沖縄物産展をやっていた。
ランチョンミートが売っていた。生産国をみるとアメリカとデンマーク(Tulip)だった。南の島に行ったとき、沖縄の人はランチョンミートをよく食べると知った(⇒愚記事:ポーク玉子 (ポーク卵) )
■尖閣問題
社民系の大田昌秀元知事@鉄血勤皇隊も尖閣は沖縄県という認識。これは尖閣が琉球王朝の一部であったことに基づくのだろう。
でも、150年前は琉球王朝は「日本」ではなかった。琉球王朝の官僚は北京で研修をしていた(⇒愚記事:南の島⑤ 沖縄 君美 琉球 )。もちろん、清朝(中国)領であったわけでもない。
だから、150年後にどうなってるかはわからない。 なぜなら、琉球の帰属は、日中間のその時の力関係で決まってきたからだ。
将来、力をつけた中国が、西洋風近代法や国際法に従う必然性もない。
▼今回の尖閣の事件を、前原大臣の"陰謀説"で説明しようとする人たちがいる。おいらは、陰謀とはいわないが、計算づくで前原大臣が手を打ったのではないかと邪推する。なぜなら、彼が民主党代表の頃に「中国は脅威」だと主張していた。議論をよんだ。必ずしも多数から中国脅威論が賛同を受けたわけではなかった。でも、今回はどうだい。前原大臣はなんら明言や説得するわけでもなく、日本国民ばかりか世界の人たちにまで「中国は脅威だ」という認識を持たせることに成功した。
前原大臣は成長したんだよ。言葉だけで説得してもだめだって。
▼狙いは沖縄の米軍基地存続。
前原大臣の今回の事件の戦略的目的は、沖縄の米軍基地存続を沖縄県民に認めさせること。北朝鮮問題なんかだと、なぜ沖縄が!?という沖縄県民の反発があった。でも、沖縄県民よ、あなたたちは最前線なんですよ!中国がにじりよって来てますよと沖縄県民に言うと、漁民をはじめ切実なこととして説得力がある。
これで、対米すがりつき路線のお墨付きを得たわけだ。
■どうする無思想の日本"保守派"
ノーベル平和賞の劉暁波(Liu Xiaobo)の拘束問題。どうする?日本"保守派"。まさか、あれだけさんざん人権を、放埓の源泉として、批難していたり、"自由と民主主義をやめる!"と言っている日本"保守派"のみなさんはどういう思想で対応するのでしょうか? やっぱり、劉さんは牢屋に入っているべきなんでしょうか?
だって、中国共産党が、毛沢東思想の連合赤軍の死刑待ちの服役囚に、マオ平和賞をあげるから釈放しろって言ったら困りますしね。
さらには、大東亜戦争肯定論思想はどうでしょう?
この先50年、中国は日本や韓国に軍事基地を置いてアジアを支配する米国から"アジアを解放する"ため戦略的行動を行ってくるでしょう。ついには、21世紀の大東亜戦争、つまりはアジアを欧米列強に売る日本に攻めてくるでしょう。日本が1941年に行ったように。
かつて日本が香港やシンガポールを陥落させたように。
その時、米軍がちゃんとしてくれればいいですね。こんな風じゃなければ;
アジア人は砲撃が始まるとうろたえると思われていたが、実際には冷静で犠牲を受け入れて死んでいった。これとは対照的に日本軍の爆撃や砲撃が始まると、まっさきにテーブルの下に潜り込んだのは白人のボスたちだった。
シンガポールに日本軍が攻めてきた時のリー・クワンユー回顧。
▼米中に挟撃され衰退・没落する日本;
経済篇; 米中に挟撃され没落する日本中産階級
戦争篇;沖縄を踏みにじり日米が戦争をしたと同様のことが、この先この日本列島で、米中戦争という形で出来するだろう。
●物産展では、海ぶどうを買って帰った。
525円。青紫蘇のドレッシングがついていた。南の島では違った。⇒愚記事:南の島の海ぶどう
(今みるとこの時もマオさんねただ。ワンパターンだな。あと、海ぶどうにいくらがついている。琉球-千島連合らしい。~♪~ 千島の奥も、沖繩も、八洲の内の、護りなり ~♪~)
きんかん
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