いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

湯島~お茶の水 散歩

2005年09月30日 19時13分15秒 | 東京・横浜
都内で仕事。 湯島からお茶の水まで散歩。 わずか30分に、湯島天神、神田明神、湯島聖堂、ニコライ堂と目白押し。


湯島天神


湯島のラーメン屋で食べた「湯島ラーメン」
さっぱり醤油味。海苔がないのが特徴。麺はややふと。
きざみネギも特徴。東京ラーメンの定石?
あと、ワカメたっぷり。 どこが「湯島」ラーメンなのかは不明。
530円。



神田明神


湯島聖堂の敷地に入るのは生まれて2度目。8年前関東に来て初めて東京にきた時、なぜかしら湯島聖堂を選んだ。そうだその頃は、白石の伝記を読んでいたのだ。

今日、いた人は2人。ひとりは毛唐さん。旅行なのだろう。もうひとりは上記写真の堂の右の回廊で本を読んでいた中年・初老男性。

この堂は土日祝日のみ開くので今日は閉まっていた。


屋根のうえの獣。聖獣なのだろう。

来月北京へ行く。孔子堂があるそうなので行ってみたい。

「倭」国における、孔子さま関連グッズが筑波山麓に保管、というネタは後日。



ニコライ堂

巨大な建物がなんらめずらしくない今日でも、ニコライ堂の体積感と存在感はやはりすごいと思う。ましてや、明治(大正?)その威容が「脅威」と写ったのも無理はない。


藤堂家その後

2005年09月24日 20時44分02秒 | 日本事情
渡辺昇一センセが、現代日本はアメリカに対して、徳川家康に徹底的に仕えた藤堂高虎のごとく対応せよ、との御主張。これが「アメリカ幕府」論。論というほどでもないので、「アメリカ幕府」モデル。

■さて、その藤堂家がどうなったかというと、伊予の宇和島で築城したのち転封した後、伊勢の津に移り、津藩・藤堂家32万石の外様大名として江戸期を完走した。

そして、1868年、鳥羽伏見の戦い勃発。藤堂軍は京都南の山崎の関の守備軍。もちろん徳川幕府軍として。山崎は淀川のほとりにあり対岸が橋本。そこには同じく幕府軍がいる。藤堂軍のいる山崎には高浜砲台があり藤堂軍が管理していた。鳥羽伏見から後退していた新撰組を含む幕府軍は山崎で迫撃してくる薩長軍を食い止めなければならなかった。幸運にも背後にの淀川沿いには高浜などの幕府の砲台がある。この砲台から薩長軍を砲撃すれば薩長軍を食い止められる。

ところが、その高浜砲台が砲撃したのは薩長軍ではなく、幕府軍であった。つまり藤堂家は徳川を裏切り薩長に寝返ったのである。

これで幕府軍は退路を絶たれて、総崩れ。この夜、慶喜は大坂から船で逃亡する。

■最後の藩主は藤堂高猷(たかゆき)。明治新政府では伯爵。30万石以上の大名だったのに侯爵になれなかったリストに載っていた。例えば仙台伊達家(62万石→30万石)は維新後伯爵。これは「賊軍」だからでしょう。一方、秋田の佐竹は20万石で侯爵。これは奥羽越列藩同盟を裏切った恩賞。これらを考えるとなぜ藤堂家が維新後伯爵だったのか謎。ちなみに、公爵>侯爵>伯爵>子爵>男爵、です。

▼で、渡辺センセは藤堂の数百年後の最後の裏切りも含んだ上で、「アメリカ幕府」に奉公せよ、とおっしゃっているでせうか?

▲後記;もし、渡辺センセが幕末の藤堂家のことも知って、「アメリカ幕府」モデルを言ったとしているのであれば、それは日本は数百年後も見て生きよ(つまり米国が弱体化したらやっちまえ)という高等なモデルを言外に提示しているのかな、ということです。

単なる「アメリカすがりつき」論と違うかと。


アメリカ幕府 藤堂高虎

2005年09月23日 20時51分09秒 | 日本事情
先日9/21, NHKのテレビ番組・その時歴史が動いたで、藤堂高虎をやっていた。。戦国 出世の方程式 ~藤堂高虎 大坂夏の陣の大勝負~そこで、思い出したのが「アメリカ幕府」。「アメリカ幕府」といのは渡辺昇一センセの造語であるらしく、現在の世界情勢を穿った表現である。そういう「アメリカ幕府」的状況で日本は藤堂高虎のごとく生きよ!というのが渡辺センセの御主張らしい。雑誌に掲載されたその文章が現在本として出版されているのかわからず、原文を見れていないので、その渡辺センセの御主張のまとめを2つネットで拾った;

イラク攻撃でフセイン政権は崩壊した。上智大学名誉教授の渡部 昇一氏は『Voice』2003年5月号の「アメリカ幕府が始まった」で、機能が麻痺した国連に代わり、イラク攻撃を支持した日米英にスペインを加えた4カ国同盟を結成せよと呼びかける。そうなれば、日米間の安全保障面での結びつきは強まり、集団的自衛権の行使を認めないとか、非核3原則でアメリカの核持ち込みに応じないといった非現実性も改められ、北朝鮮や中国を牽制するうえで、アメリカから見ても日本はより頼もしいパートナーになれると言うのだ。渡部氏によると、イラク攻撃で日本国内の意見が分かれるのは、「どちらが正義か」という視点だけで見ようとするからで、大事なことは「自らの国益をいかに守るか」という視点だと指摘する。氏はさらに現在の国連が日本やドイツを敵国条項から外していないことを問題視して「国連とNATO(北大西洋条約)という第2次大戦後の世界をリードした2大組織にヒビが入ったことは、日本にとってきわめて有利に働く」と判断する。氏は現在の世界は江戸開幕期の状況に似ていると見る。共産主義の残党を潰す戦いが始まろうとしている時、日本はアメリカにとって藤堂高虎になれと提言する。高虎は豊臣家の家臣だったが、天下をとった徳川家に勝てないとみて徳川につき重臣に取り立てられた戦国の武将である。

ソース

今のアメリカと世界のあり様を、うまく表現しているのが、渡部昇一さんの「アメリカ幕府が始まった」(『ボイス』五月号)という論文です。
・「現在の世界を比喩的にあらわすなら、ソ連の解体によって、四百年前の日本と同じ状況になった」
・「一六〇〇年の関ケ原の戦いで西軍(石田側)が敗北し江戸幕府が開かれ、以後、徳川家に武力で対抗する藩がなくなったように、現在のアメリカに武力で対抗できる国はない。そうイメージすれば、世界が現在どのような構図にあるのか、はっきり見えてくるだろう」
・「現在の世界が江戸開幕期の状況にあるとするなら、これから起こるのは『大坂冬の陣と夏の陣』で、つまり共産主義の最後の残党である北朝鮮と中国を潰す戦いが始まる」

ソース

■問題はこの「渡辺モデル」では大阪の陣はまだなのです。渡辺モデルでの豊臣家は中国、北朝鮮とのこと。つまり、渡辺モデルでは、今後中国、北朝鮮との戦争を米国がやるから、日本はしっかりそれについていけというもの。

■この渡辺モデル・「アメリカ幕府」認識で日本は行こうと主張しているのは、次の首相候補でもある麻生太郎氏。

麻生太郎は言う;

私はブッシュ政権が仮に来年の11月に再選したら、たぶん共産主義の残映を残し、覇権を唱えている中国や北朝鮮との戦さが始まるだろうと想像しています。その時日本では、アジアだからとかいった情緒的理由ではなく、真の国益を考え、中国への思いや、未練を断ち切り「アメリカ幕府」を支えなけりゃならない事が有り得る、という心構えと言うか覚悟をしておかねばならないんじゃないでしょうか。

■中国、北朝鮮との戦さが始まる。と明快に見通し、かつ米国を支えると。

ん~、すごい覚悟だ。それにしても、日本は、日本国民は戦争をする覚悟があるのか、ないのかを真剣に決断しないといけなくなりそうです。別に憲法9条を守るのも一策と思います。しかし、その場合でも、戦争すると決断した場合と同様、覚悟が必要です。戦後まもなくの所与のものとしての憲法9条を不可避的に戴いてきた状況と違い、自分として9条を着るのか、脱ぐのか決断しなければなりません。ただ改正しないからそのままある、というのでは最悪の状況をもたらすでしょう。




後藤田正晴 の死

2005年09月22日 22時14分53秒 | 日本事情

人が道徳に服従するのは道徳的であるからではない。---道徳への服従は君主への服従と同じく、奴隷根性からでも、虚栄心からでも、利己心からでも、断念からでも、狂信からでもありうる。それ自体ではなんら道徳的なことではない

ニーチェ (『曙光』永井均訳)


後藤田正晴を礼賛する人々がある。信じられない。後藤田礼賛者の勘違いを指摘したい。後藤田死去で一番の後藤田評価は、朝日新聞を筆頭とする、いわゆる「護憲派」からのものである。理由はもちろん後藤田が「非戦」の政治的立場をとり、将来も日本が軍隊をもたないことを望むからである。後藤田伝説の一番は中曽根内閣の時ペルシャ湾に掃海艇、海上自衛隊を派遣することを体を張って止めたという話である。この話は「護憲派」にとって軍国主義者中曽根が護憲派後藤田に阻止され、日本が軍国主義の道に行かずよかったという神話となっている。

さて、後藤田の好きな日本国憲法を日本が守ればアジアひいては世界が平和であったのだろうか?後藤田は死ぬまで、将来の日本の海外での武力行使に反対した。しかしながら、後藤田が一身にして二世を過ごした後の方、つまり「日本国憲法」時代、日本列島には米軍が駐屯して朝鮮、ベトナムと「海外」で戦争をしまくっていたのである。別にこういうことに対して後藤田が何か批判したといったことは聞かない。もし言っていたなら死んだ日に回顧されるだろう。回顧されたのは日本の軍事権回復への抵抗=憲法九条護持の業績だけである。

つまり、後藤田って「からくり」は簡単だろう。米国は占領軍として敗残国家に憲法を与えた。当時大日本帝国憲法下で法制を学んで実践していた法制官僚たちは、大日本帝国の瓦解とともに、さっさと米国製の日本国憲法に乗り換えた。これを、一身にして二世を過したと、おいらは、いっているのだ。その日本国憲法の真髄とは日本が2度と米国にとって不都合な国にならないようにすることであり、その最大のことが日本の軍事権の放棄である。だから今でも日本は交戦権がなくて事実上米国の保護領となっている。その証文こそ日本国憲法である。後藤田は日本国憲法の最もいいたいこと、つまり日本は軍事権を放棄して、小さくなっていろ、を実践していたのである。憲法とは国家権力を制限するものである。その制限の実践を、大日本帝国法制官僚どもが転向して、行っているのである。

後藤田は別に順法精神をもっていたとか正義の人であったわけでない。その証拠に警察庁長官までやって、退官後やったことが角栄への服従である。警察トップが角栄の薄汚さを知らなかったのであろうか!?この時自分の選挙では派手に選挙違反をやった。なんのことはない、別に思想も哲学もなく、最高権力者に服従しつづけているだけのことである。

後藤田って政治家として何をめざしたんだ?非戦?ばかなことを言うな。後藤田は米国の戦争やりまくりには何も言ってまい。思い出すところでは、中曽根内閣の時の米国のリビヤ爆撃。支持したね。米国の戦争はOK!日本の戦争はNo! これが後藤田。彼はこうも言っているらしい;
(後藤田) 60年間、ともかく日本は武装部隊によって外国人を殺した経験がない。また、外国の武力によって殺された経験もない。これは戦後、先進国の中では日本しかない。そういう意味で憲法の大きな役割を今後とも残す必要があると思う。ところがいまの改憲はそれと逆の方向ではないか (、『世界』2005年8月号対談、「歴史に正対しなければ未来はない」<憲法をめぐって>  後藤田正晴 × 加藤周一)ソース

つまり、日本から出撃した米軍が朝鮮やベトナムやクエートでどれだけ「外国人」を殺しても不問にする。その米軍に基地と「おもいやり予算」を与えているのにである。これはやくざには絶対ならないが、やくざに金を払って自分の安全と利権を確保する成金と同じ神経である。こういう後藤田のみえすいた「からくり」を無視して、「最後まで貫いて非戦」とか言っている御仁たち。その認識のゆがみにきづかず死んでいくのだろうか?

一方、96年の朝日新聞紙面では「武力によって他国民、他民族を従わせることはできない。ぼくは加害者の立場の経験を持っているから」と語っている、 らしい。ソース

こういうもの言いが自己欺瞞的であると思う。なぜなら、後藤田や日本人が米国の武力に屈して日本国憲法を戴き、対米従属で生きてきたのだから。日本というのは米国に武力で屈した唯一の例ではないだろうか?現在のイラクを見よ! 身過ぎ世過ぎの百姓根性、という言葉があるが、百姓に失礼である。身過ぎ世過ぎの役人根性、である。こういう役人あがりの人間が政治にまでしゃしゃりでていたことが戦後日本の不幸である。

●野球をしている選手に野球のルールがなぜそうなのか?聞いてもはじまらない。野球選手はルールに則ってゲームをしているだけである。自分がなぜゲームをするのか考えない。そういう「たかが」選手にプロ野球の経営を聞いてもしょうがない。

◆ところで、その夜、NHKで藤堂高虎をやったのは、後藤田追悼なのか?


冷やし坦坦麺

2005年09月21日 20時40分16秒 | ラーメンたべた


これまた、職場近くの中華屋。汁なし坦坦麺に続き、今日は冷やし坦坦麺。

たまねぎ、ひき肉のアンソース。汁なし坦坦麺の時のガシューナッツがない。ソースは暖かく、麺は冷たい。なので、全体として、ひんやりつめたいというわけでなく。猫舌&麺好きにはつるつるいける。

800円。

◆つぶやき◆ ネット界で数年前から活発に動いているA氏という人がいる。昔は掲示板。その昔は普通のサイト。今はブログ。いつもハンドル・ネームを変えるのでidentificationは保障されないのではあるが、watcherから見ると彼だとわかる。現在、彼のブログが絶好調なのである。おいらがそのブログにたまた行って、ああ彼だな、とわかった契機というのは、小泉支持者は衆愚orマスコミに操作される人々、と主張するブログを調べたことだった。彼のブログを見たとき、すぐ彼だとわかった。それだけ彼はdistinguishな御仁とも言える。で、ここ数日彼がphonyであるとのブログも目につきはじめた。そうなのである、彼こそ偉大なイカサマ野郎なのである。それにしても、小泉支持者は衆愚という考えの彼のブログのファンたちは、彼がphonyであるとは誰も見抜けないのである。