いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

伊達政宗来ました; 霞ヶ浦湖畔・蔵福寺

2010年04月27日 01時55分44秒 | 仙台・竹雀・政宗

ただのお寺↑。
「伊達政宗、来ました」に続く第2弾:伊達政宗来ました;霞ヶ浦湖畔・蔵福寺。
"うわさ"によれば1626年に政宗公御視察。

【政宗公とおいら】:会ったことはない。1987年・昭和62年、おいらは仙台にいた。NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」が放映された年だ。その春、夏、おいらは仙台のお菓子工場(こうば)でバイトしていた。時給480円。その強欲なお菓子会社(従業員10人くらい)の社長夫婦は大河ドラマによる仙台観光ブームに便乗してひともうけを企んでいた。白松がモナカから人を引き抜いて工場長(こうばちょう)とし、自分の店をたたんだ元零細自営和菓子屋さんを職人1とし、和菓子屋の次男坊を職人2とし、ゆべしや笹かまパイなど既存の仙台菓子のコンセプトをぱくっては上記職人さんたちに作らせて売っていた。(20年経ってその工場をセンチメンタルジャーニーしたら操業していなかった。当時からあった隣の雑貨屋に事情を聴くと、従業員とのトラブルで操業中止となったらしい。あの強欲な社長夫婦を思い出し、当然と思った)。

そんな状況なので、その頃の仙台の政宗ブームは知っている。でも、おいらにとって伊達政宗って<<町内会長>>の先祖に過ぎなかった。全然興味なし。なぜなら、その頃のおいらは概念による全世界の掌握を試みていた(w!)のだ。<<町内会長>>はいいのだ。そもそもテレビなぞもってなかったし。仙台に住んでた頃は、青葉城址、大崎八幡宮、瑞鳳殿など政宗ゆかりの名所は行ったことがなかった。なぜなら、彼は<<町内会長>>でしかなったからだ。なにせ、おいらは全世界の概念的掌握を目指していたのだ。

Wach Watch your step !】そして、40歳を過ぎた。全世界の概念的掌握どころか、何も掴めなかった。少年老い易く、学成り難し。筑波山麓でぼーっとしてたら、やってきた、伊達政宗。仙台で未履修だった伊達政宗。筑波山麓で再履修せよ!だって。Watch my step ! 恐るべし、独眼竜。<<町内会長>>の逆襲。

↓政宗が見たはずの霞ヶ浦・"仙台領"の風景;
常陸・仙台領一万石の配置はこちら。






 ⇒⇒蔵福寺はここ:

ムスカリ群生

2010年04月25日 16時36分00秒 | 草花野菜


■週末、のんべんだらりんと、『福翁自伝』を読んでいたら、福沢諭吉は加藤弘之(1836-1916)とすれ違っていたのだなぁと気付く。『福翁自伝』を読むのは数度目だが昔は「加藤弘之」の意味(東京学士会院会長、東京大学綜理、帝国大学総長、貴族院議員、帝国学士院院長、枢密顧問官)を知らなかったから。

すれちがった場面というのは、鳥羽伏見の戦いの直後の江戸城中。薩長軍東上中。諭吉は、裃を決め込んで薩長に徹底抗戦をすることを慶喜に進言しようとする加藤弘之と対峙する。

東昭神君三百年の洪業は一朝にて捨つべからず、吾々臣子の分として、義を知るの王臣となって生けるは恩を知るの忠臣となって死するに若かずなんて、種々様々の奇策妙案を献じ、悲憤慷慨の気焔を吐く者が多いから、言わずと知れた加藤らもその連中で、慶喜さんにお逢いを願うに違いない。

これに対し諭吉は「いよいよ戦争に決まれば僕は荷物を拵えて逃げなくてはならぬ」と加藤に言う。「僕は(戦争が)始まると即刻逃げて行くのだから」と言ったら、加藤がプリプリ怒っていたことがあります。

もちろん、加藤弘之は「忠臣となって死する」ことなく薩長新政府で「東京学士会院会長、東京大学綜理、帝国大学総長、貴族院議員、帝国学士院院長、枢密顧問官」となることを、歴史は示しています。

諭吉が瘠我慢の説を書いた宛先は海舟・榎本ばかりでないと、今日おいらは気付いた。なにせ、加藤弘之は明治なって諭吉の同業者 but 政府公認・税金蕩尽だから。




梅の木 2010 ; その14

2010年04月24日 08時43分54秒 | 筑波山麓

おいらの大切な梅の木に蟲が.....。

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エルミタージュに行きたい-のか?!

2010年04月22日 19時44分49秒 | 欧州紀行、事情


プラドに行きたい」に続く第2弾「エルミタージュに行きたい-のか?!」。人が多いらしい、エルミタージュ。ブログとかで見ると満員電車に展示状態らしい。さらにはロシアの個人旅行は非常に困難とのこと。"旅行計画書"などを出してビザをとらないといけないらしい。行くならツアーしかないと。恐るべしツァーリズムの国、ロシア(???)。

■えっ!?と思ったこと。エルミタージュにマチスの絵があるということ。エルミタージュと言えばエカテリーナ2世(1729-1796)の時代にはじまる帝政ロシアの絵画コレクションのはず。マチス(1869-1954)って最近だベさ!と思った。赤色革命政権も絵画コレクションかいな?と。

調べたら、シチューキン(1854-1936)というブルジョアが1890年代にパリで絵を買い集めていた。モネ、ルノワール、ゴーギャン、セザンヌ、ピカソ、そしてマティス。マティスとは交流があり「ダンス」は1910年にシチューキンの直接注文で描かれた。それで、ロシアに移り、今はエルミタージュにあるとのこと。では、エルミタージュはどのようにシチューキンから「ダンス」を落手したのか?とう経緯を書いたものはまだおいらは見ていない。

ただ、革命の時、貴族が持っていた西洋絵画はエルミタージュに革命政権に?没収?収集されたとおおざっぱに書いてあった。シチューキンも没収されたのだろう。

ところで、エカテリーナ2世に代表される帝政ロシアの貴族の西洋趣味はなんだろう?と驚く。プラドはスペイン王室お抱えの絵師の作品が中心。特別オーダー作品群。それに比べ、ロシアは「世界の中心」で買ってきたものの作品群。田舎者=周辺文明、ロシア!別にロシアそのものが田舎なのではない。世界中どこだってそこが世界の中心だ。ただ、そこからある場所を仰ぎ見て、文物を摂取しはじめると、そこは田舎になり、そいつらは田舎者になる。それにしてもロシア王室のお抱え絵師っていなかっただんべか?

▼「モネ、ルノワール、ゴーギャン、セザンヌ、ピカソ等などを買い集めました」という読んで、そういえば日本にもいたなぁと気付く。

ゴッホ、ルノワール、モネ、ロダン、ゴーギャン、セザンヌ、ピカソの絵画・彫刻を買い集めたのが松方幸次郎(1866-1950)。初期近代日本の田舎者。エカテリナ2世が田舎者を始めた18世紀中盤から遅れること150年あまり、成り上がり公爵サマの正義さんの御子息。維新前の正義さんがただの人の頃、鹿児島城下で生まれた(wiki)。

松方幸次郎が欧州で莫大な資金を手にコレクションを始めたのは日露戦争の後。つまり、シチューキンと入れ替えにヨーロッパでコレクションを始めたことになる。

彼のコレクション(google)が国立西洋美術館の核。というか、コレクションを財産的に維持できなくなって事実上国に移譲し管理を税金でやってもらっているのだ。アカがいなくても、ブルジョアはコレクションを手放さなければならないのだ。

複雑な田舎者。 松方幸次郎のヨーロッパでの美術品買収の特徴は西洋最新絵画ばかりではなくヨーロッパに流出した浮世絵を膨大な資金で買い"戻し"ていること。さらには、それら浮世絵コレクションはのちに皇室に献上されて、保存されているらしい。これはいろんな意味で複雑だ。なぜなら、近代以前の皇室が浮世絵なんかに触るはずもないからだ。

▲現代浮世絵師っているのだろうか?聞かない(でも、少しはいるのだろう、複雑な理由でやっている人達)。一方、近代西洋絵画のアーティスト、あるいは日本画家、そして日本画と近代西洋絵画のハイブリッド、はてはスーパーフラットまで様々なる意匠。"近代以前の"浮世絵師こそ非田舎者筆頭に他なならない。なぜなら、他の場所を仰ぎ見ることなく、自己本位に勝手に創作していたからである。さらには"印象派"の諸君が浮世絵を"仰ぎ見た"らしいことさえ関係ない。自己本位だからである。

もし、"印象派"の諸君が浮世絵を"仰ぎ見た"らしいことをくり込んで浮世絵を買ったり、ましてや描いたりしたら、田舎者である。複雑な田舎者

因果応報: 保護国の巻

2010年04月20日 01時31分32秒 | 日本事情

おいらがトラウマになっている幼少の頃の記憶。ある夏の日、おいらは弱ったカエルを棒きれでつついていた。そこへ腰が曲がり、杖を突き、白髪が乱れた老婆。そして言った、「おまえは今度、このカエルに生まれ変わるだろう」と。茫然とするおいらを置いて、老婆はゆっくり背を向け立ち去った。


↓因果応報: 保護国の巻。 (因果応報: 人殺し・テロリストの巻)


  Jimmy

石原慎太郎:「彼らにとって屈辱だったろうが、悪い選択ではなかった」

おもしろいよね。ある意味一貫している。現行日本は米国の保護国に他ならない。その法的根拠は国家主権の根源たる戦争の放棄(戦勝国による制限・剥奪)を唄う現行憲法と日米安保条約(戦勝国の駐留・事実上の占領)である。この状況にぐちを言いながらも結局何もできなかった石原はこの戦後の体制を「我々にとって屈辱だったろうが、悪い選択ではなかった」とやりすごしているのだ。石原を右翼ましてや極右というのは絶対間違っている。なんちってウヨ@石原である。

ところで、大臣として土下座って日本史上これだけだろう。 まさに、「私にとって屈辱だったろうが、悪い選択ではなかった」。屈辱、なんのその! 恐るべき、慎太郎!

本当の日本極右は、義士挙兵の朝鮮烈士(それは松陰センセのごとく)のようでなくてはならない。


「私は人類に敵対する」 円城塔

2010年04月18日 15時15分49秒 | その他


円城塔(wiki)さんという作家がいて、ポスドク脱出組らしい。
そんな彼が"古巣"?の 日本物理学会誌 日本物理學會誌に「ポスドクからポストポスドクへ」という文章を書いていると知る。
コピーを無断で勝手に貼りつける。人類への敵対のために!
もとより円城氏自身は原稿料を受け取っていると思うので被害はないはず。




梅の木 2010 ; その13

2010年04月17日 08時20分03秒 | 筑波山麓
  今朝積雪


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▼ アルバータ・ゴーストップ事件;

つい数日前まで宣伝していたのに、リンク切れになっている。キャンペーンが4/15で終わったからだ。
キャッシュ
Stop! アルバータ航空トラブル:エアカナダ機が2度も緊急着陸 成田空港に*1

▼カナダのアルバータ州はみんなが知っているバンクーバーがあるブリティッシュコロンビア州を内陸に向かってロッキー山脈を越えたところにある。ウクライナからの移民が住民の10%を占め*2、スーパーに行くと「ピロギー」という水餃子が売っている(wiki ピエロギ)。中国から東欧まで広く分布しているらしい(ポーランドの例)。 

カナダでは伝統的なウクライナ系女性、とくに年配者はスカーフをする。→こんなかんじ。ムスリムという意味ではなくて。

数年前、つくばのカスミで見たことがある。その子連れの女性は若かった。出稼ぎに来ているウクライナ人研究者の家族と推察した。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

*1;航空トラブル:

 16日午後4時50分ごろ、千葉県沖約200キロの太平洋上で高度約9800メートルを巡航中の成田国際空港発カナダ・カルガリー行きエア・カナダ10便(ボーイング767-300型、乗員10人・乗客181人)が、エンジン故障を示す警告が表示されたため成田に引き返し、約50分後に緊急着陸した。点検を終え午後8時20分ごろ再離陸したが、同じエンジンの故障表示が出て、約1時間後に再び成田に緊急着陸した。けが人はなかった。

 国土交通省成田空港事務所や空港会社によると、故障の表示が出たのは2基あるエンジンのうち右主翼の第2エンジン。最初の着陸後の点検で、燃料に混じった異物を取り除くフィルターの目詰まりがあり、フィルターを交換して2度目の出発をしたという。

 同機は当初、長さに余裕があるA滑走路(4000メートル)に着陸予定だったが、直前に着陸した米フェデラル・エクスプレスの貨物機から部品が落下、散乱していたため破片の回収作業でA滑走路は閉鎖されており、急きょB滑走路(2500メートル)に着陸した。【山田泰正、斎川瞳】

*2 ブロンフマン一族は1898年にルーマニアからカナダへ移住して来た。 後にウクライナのガリツィア地方から膨大な数の難民が亡命を求めた時、ブロンフマンのアルバータ州だけが難民を受け入れる事になる。こうしてカナダのアルバータ州がウクライナ・マフィア=ロシアン・マフィアの拠点となる。

↑嘘かほんとか知らないが。出典

なぜ日本の公的研究者は日本人の税金を使っていいのか?

2010年04月15日 19時42分38秒 | 日本事情
日本政府が科学技術にいくらの出費をしているか?見積もるのは結構むずかしい。なぜなら、科学技術予算は多くの省庁が出費しているから。文部科学省の文教および科学技術振興費は5.4兆円。そのうち科学技術振興費は1.4兆円(データ)。最も低く見積もっても日本政府の狭い意味での科学技術予算は1.4兆円。大学の人件費や校費は文教費に含まれているだろうし、科学技術予算は経産、農水、厚生その他、その他でも予算を組んでいる。だから数兆円にのぼるだろう。

2兆円として、国民一人あたり2万円の負担。

まず議論の前提として;日本国民は自分たちの社会の維持・発展のための技術、そして人類の知的財産の発展と文化のための科学に税金が使われることは当然であると考えている。なぜなら、その成果を享受するのは日本国民であるからだ。さらにはその成果は結果的に人類も享受できる。

さて、この科学と技術の発展のための仕事を日本人の研究従事者が行う必要があるのだろうか?

もし日本人が求める科学技術の成果を低コスト・高品質で享受できるのであれば外国に"外注"したってかまわないのではないだろうか?税金の効果的利用のために。なお、海外から資金を受けて研究している日本の研究組織もある。

どこに研究を発注するのか?という点で注目すべき事実。日本企業は日本の大学に支払うより2倍の資金を外国の大学研究機関に支払っている。自分のお金なので発注先は命がけで選択する。10年前のデータで古いのですが、示します。

【出典】産学(官)連携の戦略的取組、~新時代の産学官連携施策の在り方~
平成14年5月15日、文部科学省研究振興局、研究環境・産業連携課、技述移転推進室、磯谷桂介

費用対効果の観点で行動する企業、ブルジョア!(この言葉は時代錯誤との声もあるが、ブルジョア以外なんであろう)は正直だ。それにひきかえ、日本庶民は税金をお上にふんだくられて、お上研究者が御大尽。日本庶民に自分が負担する2万円の行き先を選ぶ権利はない。

基礎科学だって、英国やドイツは日本より少ない予算でより多くのノーベル賞科学者を輩出している。効率高い。
⇒参考ブログ記事:日本は「質」の低い基礎科学研究論文を「量」産する国でしかないのか:ISIトムソン・ロイターズのデータが示すもの(追記2件あり)(ブログ、大「脳」洋航海記)

こういう日本企業の行動に次のような批難がある;

ポスドクや博士課程修了者を幸せにしないと、大学院自体の空洞化が進む(2010/03/15 RANKING MAIL 第1404号)
Biotechnology Japan:Webmasterの憂鬱、宮田満


んっ?んっ?んっ?んっ?
日本企業って、日本の大学の成長と改革への貢献義務があるのか!?

昨年晩秋の仕分け作業でtax eater研究者が発狂したとき、「日本は資源がないのだから人材だけが頼りだ!それに金をださないのはけしからん」と憤激していた。でもさ、もし大学が有為な人材を、つまりは世界に通用する科学者、技術者を制度的に供給しているのであれば、もう少し外資の企業が人材目的に日本に進出するのではないでしょうか?

さらには博士余りの日本。本当に有為であれば、この供給過剰マーケット、つまりは低価格賃金の博士を目当てにもう少し外資の企業が人材目的に日本に進出するのではないでしょうか?

●参照;
新科学技術基本計画と大学改革 黒川 清

美しき理念なのか? 虚しき絵空事なのか? 読んでほしい。

いずれにせよ、今の日本の現実は述べられた理念・絵空事とはほど遠いことは事実。

▼全然関係ない備忘録;
Харуки Мураками

↑な~んだ?

↓おこたい;

ろすけも大好き!

狸血なう (たぬきちナウ!)

2010年04月13日 20時31分46秒 | 日本事情
 ←心臓の強い方だけクリックして拡大して御覧ください。

■朝、ちゃんりんこをギコギコこいで仕事先に向かった途中、たぬきが眼をみひらき血を吐いて死んでいた。狸血なう。

■最近の人気サイト『たぬきちの「リストラなう」日記」』。
hatenaはリンクするだけで、トラバしなくても、向こう様に表示さてしまうので、
かのサイトを知らない人はgoogle経由でどうぞ;google; 『たぬきちの「リストラなう」日記」』

大手出版社の高給取りの社員が希望退職に応じるという現在進行中の実況中継。そのたぬきち氏は45歳で営業をやっているらしい。その営業の仕事内容の紹介も少ししていた。つまり、書店の店員さんにダイレクトのメールを出して情報提供・収集に努めていたとか。

大手出版社は大手マスコミとならんで正社員の高給が周知らしい。そういう状況で、先日給与を公表してコメント多し。いろいろな反応があった。当のたぬきち氏は心が折れたとか言っている。おいらから見てそう罵詈雑言でもない。ただ、大手出版社は専門職として多くの人を同一労働・格安賃金として非正規に雇い、あるいは関連業界の書店業に"君臨"しているらしい。そういう状況で大手出版社の"正"社員の高給は実現されているとの"通説"。

それで、ひとつ強烈パンチコメントがこれ↓


わっ、意地悪ぅ~。「ホザけ」!と痛烈パンチを浴びせられたたぬきち氏の文章はこんな感じ;
■桜が、こんなに寒い日が続くのに、果敢に咲きましたね。毎朝ウォーキングするKD川沿いには延々2キロくらいの桜並木がありますが、ED川公園の手すりとかには連日「○月○日18時~」といった予約票?がべたべたと張り出されています。KD社のがあるなー、と思ったら弊社某編集部のもありました。昨日だったかな? 寒いのにご苦労なことです。 ■ED川公園はW大学に近いので、W大の元気な若者が花見に来ます。そして毎年、誰か男子の一人くらいが必ず全裸になっています。夜にウォーキングしててよく見ました。「草上の昼食」って名画がありますが、アレの間抜けなコピーみたいです。今年も誰かお調子者が全裸になってるはずです。 ■僕は地方の大学を出たので、W大やK大など私立の名門がどんなにすごい学校なのか全然知りません。会社には有名私大出身の先輩や同僚がわんさかいますが、一人一人を見ているとやはり「学校」としての凄さとかはわかりにくいんですよね。なので、僕のなかのイメージは、「W大=全裸」。ひどい短絡だ。
リストラなう!番外編 担当書店さんへのメール

▼コメントのひとつの指摘にもあるように、たぬきちの「リストラなう」日記 って、ぱっと見、なんちって村上春樹風なの。いままで毎年千万円以上享受してきたけど、夜中に自分を見るとクリエーターたる素質がまるでない・ でも「"りすとら"」に飛び込めば、その「"経験"」で、極めて凡庸で、表現貧乏で、すなわちなんちって村上春樹風の文章しか書けない<僕>でも、はたまた本を売る側でしかなかった<僕>でも、日本銀行券の取得にしか運が恵まれていなかった<僕>にも、他人に読まれてしまうというあのめくるめく体験ができるかも!という動機に基づくはてな?サイトに他ならない。

●でも、面白くって、いきなり、ロスジェネ信仰の告白!いままで、千万以上もらっていたのに、本当はロスジェネが好きでした!って...

面白いよ! たぬきちの「リストラなう」日記

筑波山麓江戸時代の"子供手当"

2010年04月11日 19時15分02秒 | 筑波山麓


―今日の筑波山麓―

■江戸時代の間中ずっと仙台伊達家(表高62万石)は常陸の国の筑波山麓と霞ヶ浦湖畔に1万余石の領地を徳川家から与えられていた。陣屋は龍ヶ崎にあった。(拙記事、・伊達政宗、来ました、 ・ 『仙台藩領と阿見地域』

常陸仙台藩領は3地域に分散していた。筑波郡、信太郡、龍ヶ崎。下の地図で筑波郡とあるのが仙台伊達領の3村の大砂・西高野・吉沼(現在もある)。信太郡は阿見町、龍ヶ崎は陣屋のあったところ。色絵地図(図2)は大砂・西高野・吉沼(図左・つまりは東から)の3村。

日本は村が社会の基本的構成単位。色絵図(図2)でおもしろいのは村同士は癒着しておらず、独立していること。平野の中の"離島"みたい。村ごとの自治がおこなわれていたのだろう。お互い地域意識とか希薄だったと推定される。なぜなら、自分の村がほぼ全世界だったのであろうから。

図1 図2

今の地図⇒http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=36.1488220008509&lon=140.0350509928319&z=15&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=36.1472279188&hlon=140.03685343729&layout=&ei=utf-8&p=

筑波山麓江戸時代の"子供手当"

仙台本領では宝暦年間(1750年~)に飢饉があった。貧困で子供を間引く領民が多くなった。そこで藩政庁は法を定め役人を当て1807年から、
「赤子養育仕法」に則って領内の村々を巡回し、
・領民に対する堕胎・間引を防ぐための教育
・幼児の養育状態の監査
・懐妊婦の保護および出生調査の実施
・養育費の支給 

を実施した。(出典;~我、領民の母たらん~ 観心院

伊達領である龍ケ崎でも実施;

赤子養育仕法は、飢饉、疫病、人口制限(堕胎・間引)などによる人口減少を緩和するために、仙台藩では、文化四年(一八〇七)養育方係役人が任命され、藩政の一環として制度化されており、龍ヶ崎領でも村々に赤子制動方が任命されている。養育料の支給は、本領では「親類・与頭・肝入・制動役折入吟味の上」代官並びに赤子養育方係横目連名で願い出ることになっており、龍ヶ崎市岡田家には、弘化三年からの赤子養育金御蔵出入帳が現存しているが、藩からの赤子養育手当金では賄いきれず、制動方の大庄屋からの献金や軍用金からの流用などがみられる。更に注目する必要があるのは、その支出の内容であるが、赤子養育金の本来の目的である養育金の貸付や赤子制動方への手当への支出は微々たるもので、貸付金の額が大半をしめていることである。貸付金は赤子養育金の運用のため始められたものと思われるが、幕末には、本末転倒して、赤子養育金とは考えられない貸付が大半を占めており、しかも無利息で、長期間のものが多い。今後の研究にまつべき点も多いが、藩財政の窮乏が赤子養育金の運用にもひずみをかけたものとおもわれ、幕末には、龍ヶ崎領においても、御用金の強制とともに不健全な赤子養育金の運用が領内の農民の生活を圧迫していたものと思われる。 内山純子(解説)『龍ヶ崎市史 史料集』

■幕藩体制での"子供手当"は領主の都合。領主は主観的には儒教に基づく慈愛の精神を発揮しているつもりではあるのだろう。しかし、実際は人口減少で田畑を耕して年貢を納めてくれる人がいないと藩の石高が減る。そうして、幕府認定の表高を割ると、財政難となる。なぜなら、参勤交代や幕府に言いつけられた事業や江戸城での格式行事の出費が出来なくなる。つまり、"デフレ"・藩経済縮小の忌避。

封建社会でなく自由な社会であれば民は子供を産もうと、持たないと勝手・自由。お上からとやかくいわれることではない。まず人がいて、それに奉仕するために政府がある。自由主義の原理。

だから、現在の民主党の子供手当はこの自由主義の原理に反する。それは財政難になりうる危機を避けるべきという観点ばかりではなく、民は子供くらい自分で育てられる自負心があって当然で、政府の支援を受けて子育てをするのは民への侮辱であるという観点に基づく。子育て支援って国民をバカにしていると感じる神経。政府は大きなお世話だ!、という思想。

↓参考例
13000円ばらまくよりも、月に16時間働けるようにすれば、いいのにね。
お金をもらうことよりも、稼ぐことに興味を持てばいいのにな。
私、また、変なこといってるのかなぁ。

nm_kの日記

●もっとも、この幕藩体制の「赤子養育仕法」のもう半分は堕胎の禁止。啓蒙と監視。赤子制動方という役人は妊婦の確認と出産の確認をする。堕胎の禁止といえば米国保守派の大原則(日本の"保守"派は知らない)。妊娠中絶をする産科医が銃で撃たれる事件が頻発したことは有名。でも、この中絶禁止反対派は政府が乗り出して政策として禁止・監視を行うべしという思想。政府にお願い!という考え。禁止・監視しないと国民は堕胎すると国民をバカにしているとみなさざるを得ない。なので、上記の自由主義と同じである思想とは言えない。

▼この飢饉、人口減少、農村荒廃時代の「移民政策」のネタも見つけたので、また今度。