佐藤優さんの『日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く 』がついに出た模様。この本当初は4月に刊行予定だったはず。先週都内に行ったさい、ジュンク堂、丸善などで見当たらず、なんでかなー?と思っていたら、刊行が遅れていたようだ。6/1刊行だって。
さて、『米英東亜侵略史』は昭和17年(1/23)に第一書房なるところから1円20銭で刊行された。この本は、大川がラジオにて、開戦直後の昭和16年12月14日から25日までの計12日間、米英東亜侵略史について語ったものを文字化したもの。真珠湾やマレー沖のプリンスオブウエールズ撃沈の成果の中、そしてシンガポール陥落の前という状況。
『米英東亜侵略史』は前編と後半に別れ、前編では米国東亜侵略史、後編では英国東亜侵略史、それぞれ6日分の講話が文字化されている。
目次では;
米国東亜侵略史
第一日
第ニ日
第三日
第四日
第五日
第六日
とある。内容は、ペリー来航(第一日)から、東亜新秩序を目的とする日本の軍事行動を米国は侵略視する故日米両国の衝突は遂に避けられない(第六日)、まで歴史を追ったつくり。
内容のノート;
第一日
ペリー来航。面白いのは大川はペリー(本書ではペルリ)やワシントンを賞賛し、現在(日米開戦時)の米国がもし黄金と物質を尊ぶ国に堕落していなかったら日米戦争はなかったという。つまり米国はワシントンの建国の精神から堕落した、といっている。
第ニ日
19世紀の米国の拡張主義への非難。特にフィリピン領有。アジア太平洋への進出への非難。
ターニングポイントとしての日清戦争。清国敗北故、列強がシナに群がった。(これは日本がパンドラの箱を開けて、アジアに列強を結果的に引き込んだといえる;いか@)
第三日
日露戦争と満州問題。日本が20万人の義性でロシアを追い払ったのに、ハリマンが満鉄買収を提案してきたことへの非難。アメリカの門戸開放提唱をもって、シナ・満州への経済進出の野望について。
第四日
日本の満州独占に門戸開放を唱える米国は横車と非難。第一次世界大戦で中立といいながら最後は参戦した米国は戦争の趨勢を見極めた上での漁夫の利と避難。そして、カリフォルニアでの日系移民排斥問題。
第五日
米国の海軍戦略について。ローズベルトは、マハンの『歴史における海上権の影響』をもとに大海軍増強を行い、一方、パナマ運河を開通させ米国の大西洋、太平洋の海軍支配をもって世界を制覇しようとした。日本はこの脅威に対処するため艦船建造競争を余儀なくされた。しかし、ワシントン会議で政治的に敗北し、米国は日本掣肘に成功した。さらに、これに飽き足らない米国はロンドン会議で日本は自国海軍劣勢化した。
第六日
ロンドン会議後事情は一変した。政府が米英に気兼ねしている一方、国民は日本国家の根本動向を目指して闊歩し始めた。満州事変。国際環境は、列強が世界恐慌でよそに目がいかないので、満州国建国に好都合。米国スティムソンは、国連を利用して満州国を撤回させようとした。大海軍を動因して太平洋で大演習をした。対日威嚇。のち、ローズベルトはスティムソンと対日政策が同じと表明。日米通商条約破棄、対日輸出禁止、資産凍結となる。ローズベルトはマハンの『歴史における海上権の影響』理論の実行をしている。
この日米戦争を元寇になぞらえ攻めてきたのは米国、日本は立ち向かうというスタンス。
以上、『米英東亜侵略史』の前半、米国東亜侵略史のみ。
■日米衝突へのいきさつについての記述とその言い分・スタンスについての新しい発見は(下記点をのぞいて)特にないのですが、米国の「東亜侵略」の理論がマハンであると見ていることが着目すべきかな。佐藤優さんもこの辺のところ、地政学的戦略論、アプローチを書くのではないでしょうか?
●おもしろいのは、「時の政府が断じて之(柳条溝事件)を欲せざりしに拘らず、日本全国に澎湃として張りはじめた国民の燃ゆる精神が、満州事変をしてその行くべきところに行き着かしめ、・・・」と満州事変、満州国建国を政府ではなく国民の成果と認識していること。