上の絵;1619年の「サン・ファン・バウティスタ号」[1]。北米のバージニア植民地にアフリカ(アンゴラ)からアフリカ人を北米に運んだとされる。
[1] 伊達政宗が徳川家康の了解を取り仙台伊達家の領地の牡鹿郡月浦でスペインの技術で1613年に建造され、支倉使節団を乗せ太平洋を渡った。(関連愚記事:大泉光一、『伊達政宗の密使』、あるいは、王と坊主の同床異夢の野望の果てに)
【アメリア「建国」神話、メイフラワー号】
アメリカの「建国」[2] は1620年にメイフラワー号に乗ってやってきたピルグリムーファーザーズとする歴史が通説である。高校生向けの歴史参考書にも載っている(上画像)。
16世紀、イングランド女王エリザベス1世がイングランド国教会を確立したが、17世紀にかけて、教会の改革を主張する清教徒が勢力を持つようになり、特に国教会からの分離を求めるグループは分離派と呼ばれ、弾圧を受けていた。
この為、信仰の自由を求めた清教徒を含む102人がメイフラワー号に乗ってアメリカに渡った。メイフラワー号船上での「メイフラワー誓約」は社会契約説に基づくものとして知られる。1620年11月に北アメリカ大陸に到着したピルグリム・ファーザーズは、キリスト教徒にとって理想的な社会を建設することをめざした。 (wikipedia)
[2] アメリカ建国は1776年のアメリカ独立と認識されているが、その「建国」を行ったキリスト教(カトリックではプロテスタント、もっと云ってピューリタン)白人がアメリカに来たアメリカ創設の起源をここでは「建国」といっている。
【1619プロジェクト】
一方、去年から新しい歴史が提案されている。すなわち、「奴隷制の結果と黒人アメリカ人の貢献を[米国の]全国的な物語の中心に置くことによって、国の歴史を再構成することを目的とする」ものだ。色は、wikipediaの "1619Project" の機械翻訳。従来の通説の白人キリスト教徒中心史観とは真逆の史観だ。アフリカ人(オランダ人に連れてこられた)がアメリカに来たのが1619年。ピルグリムーファーザーズより1年早いこととなる。
「1619プロジェクト」の歴史観の"斬新さ"は、1776年のアメリカ革命、あるいは、独立革命を植民地人が奴隷制を維持するために行ったことであるという歴史認識である。
確かに、アメリカ独立/「建国」の父、ジョージ・ワシントンは奴隷主であった。さらには、インディアン撲滅にも促進していたとのこと(wiki)。
https://twitter.com/timand2037/status/1279912127252140032
当然、保守派からは反論が生じ、歴史認識論争となっている。2020年の大統領選挙もあり、一種の文化戦争となっている。このあたりの事情は、ネット上で、会田 弘継 の「あのニューヨーク・タイムズが突き進む歴史歪曲、記事改竄、批判封殺」という記事に書いてある。
【いきなり、サン・ファン・バウティスタ号】
その米国で論議を呼んでいるが、日本にはおよそ関係がないと思われる1619プロジェクトにいきなり、サン・ファン・バウティスタ号が出てくる。
サン・ファン・バウティスタ号の復元船(愚記事より)。 宮城県石巻市 サン・ファン館(web site)
1619年にアフリカからヴァージニア植民地(現、アメリカ合衆国ヴァージニア州)にアフリカ人を運んだのが、サン・ファン・バウティスタ号だというのだ。その根拠として、wikipediaに下記ある;
一行は1618年8月10日(元和4年6月20日)にルソンのマニラに到着したが、そこでサン・ファン・バウティスタ号はオランダへの防衛を固めていたスペインに半ば強制的に買収された。
その後
サン・ファン・バウティスタ号のその後は不明であり、スペイン戦艦としてミンダナオ島方面へ向かったなど複数の説がある。2018年にはアメリカの奴隷史研究を行う『Project 1619』に参加している歴史家の調査により、奴隷貿易に関わっていたという説が提唱された[出典1]。
上記の「『Project 1619』に参加している歴史家の調査により、奴隷貿易に関わっていたという説が提唱された」の出典1は、河北新報の新聞記事であるが、現在リンク切れであり、詳細はわからない。一方、ググってみると、あるweb siteにDonna M. Owensという人が書いた"It Has Been 400 Years Since The Beginning Of American Slavery "という文章があり、冒頭に;
“The captives had to march hundreds of miles to the coast to Luanda,” Summers adds, referring to the major slave-trade port. Then, about 350 Africans were put on board the "San Juan Bautista," a Spanish slave ship built by the Japanese and originally used for diplomatic missions.
とある(強調おいら)。この記事では、 Robert Trent Vinson, Ph.D., a professor of History and Africana Studies at William & Maryにインタビューして、1619年にヴァージニアにアフリカ人を連れてきた船が「サン・ファン・バウティスタ」とのコメントを得ている(上の文章)。しかし、どのように1619年にヴァージニアにアフリカ人を連れてきた船が「サン・ファン・バウティスタ」であると同定したの詳細はない。
つまりは、新提案の説に従えば、アメリカ人のご先祖様正嫡を乗せてきた船はメイフラワー号(通説)ではなく、サン・ファン・バウティスタ号ということになる。
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Many Rivers to Cross: The First Africans in Virginia