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■ 今週知ったこと
今週末はDVD;日本心中 針生一郎・日本を丸ごと抱え込んでしまった男。 を見た。
おいらが、「針生一郎」の名前を初めてみたはずの時期は、おいらがはたちの頃である。
当時、蒙昧なおいらは、「針生一郎」の意義を知らなかったので、その名前が記憶に刻まれなかった。
「針生一郎」の名前を初めてみたのは、商品化された永井陽之助東京工業大学(元来 東京職工学校 普通にMITのように略語すればTIT !)の退官記念論集でみかけたのだ。「針生一郎」の名前は記憶に刻まれなかったが、サイパン島陥落で仙台学徒は、ちゃんと!、決起集会を行ったという史実が記憶に刻まれたのだ(おいらは米国にふくむところがある。というかそんなもってまわった言い回しをすることもなく、直截に言って、対米ルサンチマンを抱えている)。
永井陽之助とわたしは、戦争中の旧制二高文化乙類の同級生で、しかも二人だけ結核のため留年し、学徒出陣も工場動員もまぬがれた。サイパン島玉砕のとき、全 校決起集会があると聞いて、療養中のわたしが出かけると永井もきており、二人あいついで発言する破目になった。もっとも、当時永井はハウスホーファーなど の地政学に共鳴し、わたしは日本浪漫派に傾倒していたから、どちらも右翼的にしろ発言内容は対照的だった。あれから四十年余すぎて、二人の立場は大きくか け離れたともみえるが、どちらも本質は変わらず、あの夜の発言の差異を拡大してきただけかもしれない。わたし自身をふりかえると、「近代の超克」という課 題が、みはてぬ夢のように一貫しているのに気づく。 (愚記事;じゃがいも畑)
別途重複関連愚記事; 戦時中高等学校時代に永井が反米集会に参加したときの思い出。その文章が誰による、何の本に載っているものだか全然思い出せずにいた。
二人とも、欠食児童ならぬ、結核学徒であり、18歳過ぎた文系(旧制)高等学校生徒なのに、鉄砲担いで、戦争に行かなくてすんだのだ。
それにしても、サイパン島陥落に対応した全校決起集会ってすごいな。 雨宮で行われたのだろうか?
まだ東条内閣の時代。米英機撃滅!とかいう奴はいなかったんだろうな。いいなぁ、みんな、純粋まっすぐで。
そして、昭和20年8月14日には、仙台にも『日本で一番長い日』の「畑中少佐」が、しかも、飛行機でやってきて高等学校のドイツ語教師にもとに来てアジるという話もいとをかし。
さて、「針生一郎」の意義を知らなかったおいらは、中井正一や椹木野衣にはここ15年にたどりついた。いまでも悔やんでいるのは2000年に水戸美術館で行われた伝説の「日本ゼロ年」に行かなかったことである。筑波山麓にいたのに。なお、中井と椹木の世代は針生を跨ぐことはいうまでもない。
そして、中井正一や椹木野衣にたどりついたおいらは、彼らの本を読んでもよくわからない。だから、何度も読んでいる。 でも、 椹木野衣の日本=悪い場所ってものすごく直観的にわかる。『日本・現代・美術』の実証での「日本=悪い場所」という観点ではなく、■ぬっぽん(日本)列島ですっぱい(失敗)すた原発技術という意味でである。
その椹木野衣を針生一郎はDVD;日本心中 針生一郎・日本を丸ごと抱え込んでしまった男。で全面的に肯定すると宣言している。
そうなのか、ちゃんと、読んでみよう、『日本・現代・美術』 = にっぽん なかぐろ げんだい なかぐろ びじゅつ
そして、おいらが「針生一郎」の名前を初めてみたはずの時期は、おいらはこういう本を見ていた;
そこには、針生一郎が敗戦直前に傾倒していた保田與重郎や針生の同級生の永井も載っていた。
Amazonで書評をただひとり書いているのは猫猫センセ
閻魔帳より; これすなわち;団塊左翼 [くずれ] の呉智英、鮭秀実、三上治、高橋順は閻魔さま気取りなのだ!
そして、おいらが、針生一郎に少しは向き合うには、四半世紀かかったのだ。
きっかけは、針生一郎が文革期の中国に行ったことがわかって、その紀行の本を先月買ったからだ。
軍国=皇国青年であり、そして、文革にしびれる針生一郎。
「楽しそうな」その人生が気になっただけなのだ。