いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

昭和の成仏のために; 桐生建物、あるいは、誤爆:ケロリン風呂桶@成仏の必要なし

2014年03月30日 18時16分18秒 | 日本事情

「昭和の成仏のために」シリーズが無沙汰であった。最後は、2013年9月4日の記事: 昭和の成仏のために; 幻の五輪、東條演説、占領、実現したオリンピック、そして、建築、だ。

今週末、桐生の街を少し歩いた。当初ただの交通機関の乗り換えだけであったはずが計画がつまずき一時間半くらい時間できた。駅周辺を散歩した。

桐生の関する予備知識全然なし。したがって、偏見(=真実)もなし。なので、「事実は真実の敵なり」ということが起こりえない。そして、見たよ、桐生の"中心街"。そして、「事実」。

昭和の墓場だった。その中で "総合ディスカウントストアドン・キホーテだけが誇らしく聳え立ち、中では昭和生まれの方々が集っていた。都内のドン・キホーテと雰囲気が違うのではないだろうか?もっともおいらはドン・キホーテに行かないので、想像です。

それで、散歩で見た昭和;


 赤松外科医院      楽町1  昭和初期    モルタル[1]

この丸窓なぞ、なんか....。 しかも非木造。そして、この建物は古そう。⇋ ⇋ ⇋ なんちって:俗流:アールデコ

 


⇋ ⇋ ⇋ なんちって:俗流:バウハウス的モダン

こういうweb siteを今見つけた;

3.桐生に残る西洋館  (上記[1]はこのweb siteの別ページからの情報)

近代日本においてある特殊理由で一時的に非常に栄えた街はその当時の先端風物を実現し、その後再生産されることなくそのまま残る典型例だと思われる。

▼ 昭和の成仏のために; 誤爆編= 勝手に殺すな!

その夜、泊まった宿の風呂には「ケロリン」風呂桶。 

あ~、これこそ、昭和の成仏されるべき遺物ではないか!それにしても昭和が終って四半世紀になるのにまだ使われているのか!?と感嘆8部。それにしても、ま新しいなぁ?と、疑問2部が湧いた。

調べた。 やはり、調べることが重要だ。

 
  Amazon ケロリン湯桶

何のことはない、今でも現役なのだ。

成仏の必要はないのだ。

ごめんよ、ケロリン。

■ 新聞をタダ見した日には;

今夜は、今朝、タダ(無料)見した日本経済新聞の張競さんの「詩文往還」について。先週(3/22)も張競さんの「詩文往還」を読んで分からない点が思いついた(愚記事:老舎は日本に何度来たのだろうか?  )。今週、今朝の張競さんの「詩文往還」を読んで分からない点が思いついた。下記点;

水上勉が泊まったホテルのウエイトレスが読書が好きで、水上勉の支那語訳も読んでいた。それを聞いた水上勉が我こそが水上勉なるぞと名乗った。でも信用してもらえなかったというエピソード。そして、上記水上勉=スイシャンメンと自己紹介という話に張競さんの「詩文往還」は発展していく。

別に事実誤認をい見つけたわけでもない。おもしろいと思ったのは、水上勉の支那語力である。

普通、われわれ名誉ある「倭人」は、なぜかしら?名前が支那文字である。

(名前は漢字だが、読み方が不可思議である。例えば、大和。それを勝手にやまと言葉でよんでいる。ちなみに、戸籍に漢字で登録した名前の発音は自由である(とおいらは認識している)。例えば「山田右」さんという戸籍名を やまだ ひだり とよんでもいいはずだ。

だって、そうでなくちゃ、大和=やまと; 千明=ちぎら、英虞=あご、など変な読み方をやめないといけない)

倭人の名前が漢字であることに戻る。日本人のほとんどが自分の漢字で構成されている名前の彼の地=支那文字の発生地=現在は中華人民共和国でどう発音されているか?知らないだろう。

一方、日本人の中でも自分の漢字で構成されている名前の支那語での音を知っている人たちがいる。なんのことはない、支那語を話す人たち~支那語を勉強した人たち~支那語をかじった人たちである。

今時の贅沢な支那語教室では華人の先生が、最初に、一人ひとり個別に、名誉ある「倭人」である自分の支那文字の「正式」な発音を教えてくれる。

ここで「今時の贅沢な支那語教室」とあえて言ったのは、「30日間 ト ン ズ ラ ー 式中国語の学習  (仮名)」などと本質的に ビ ン ボ ー く さ く、かつ効果的でない学習方法をとらない場合ということだ。 そういう、本質的に ビ ン ボ ー く さい支那語教室では、受講者が支那語を習得できなくても、講師が遁ズラするのだ。そして、ここで「今時の贅沢な支那語教室」とあえて言ったのは、中国語の講師は今の倭国にはたくさんいるからだ。贅沢というのは格安の受講料で中国が手軽に習えるということだ。

その今時の贅沢な支那語教室(別に謝礼が高いという意味ではない)では、華人先生が口の動かし方、場合によっては舌の動かし方を以て伝授して下さったホーリーネームを実際に使って、「私は~です」という支那語の極最初の練習となるからだ。

これをおいらは、支那「ホーリーネーム」の授与と読んでいる。自分の支那ホーリーネームを知っているのは、日本人で「支那語を話す人たち ~ 支那語を勉強した人たち ~ 支那語をかじった人たちである」。

という観点からみて、水上勉はこのホテルでのウエートレスに水上勉=スイシャンメンにいわれるまで、自分のホーリーネームを知らなかったのだろうか?もしそうなら、水上勉は支那語力がそもそもなかったと推定できるかもしれない。もし、そうでなく、元々自分のホーリーネームを知っていれば今更「本人はたいそう気に入っていた」という事態にはならないだろう。

よくわからない。

(さらには、

shuǐ shàng miǎn

を、きちんと水上勉がきちんと発音できていたのか? 決して、スイシャンメン、ではないのだが)

・追記; これは相互的なもので、毛沢東の和ホーリーネームはもうたうとうであり、習近平のそれはしゅうきんぺいである。

ただし、支那文字は向こう様のものだ。

・追記2; 「支那語を話す人たち ~ 支那語を勉強した人たち ~ 支那語をかじった人たち」でもなんでもない日本人@名前が支那文字の人は、今では簡単に、自分の名前の中華人民共和国でどう発音されているか?を知ることができる。自分の名前の支那文字のping yingを調べるのだ。 ⇒ サイト

 


ぶどうの木再生日記;第54週目

2014年03月29日 06時19分55秒 | 草花野菜

 

■ 今週の春

■ 今週の看猫

■ 今週の小沢一郎的ココロ


googleニュース [断崖から107m落下、グランドキャニオン公園で]

 米国アリゾナ州北部に有名なグランド・キャニオンがある。コロラド川がコロラド高原を刻んでつくった大渓谷で、深さは千二百メートルである。日本で最も高いビル、横浜のランドマークタワーは、七十階、二百九十メートルだから、その四つ分の高さに相当する。
 ある日、私は現地へ行ってみた。そして、驚いた。
 国立公園の観光地で、多くの人々が訪れるにもかかわらず、転落を防ぐ柵が見当たらないのである。しかも、大きく突き出た岩の先端には若い男女がすわり、戯れている。私はあたりを見回してみた。注意をうながす人がいないばかりか、立札すら見当たらない。日本だったら柵が施されて。「立入厳禁」などの立札があちこちに立てられるはずであり、公園の管理人がとんできて注意するだろう。

      小沢一郎、『日本改造計画』、1993年

にはじまり、日本だったらこんなことはありえない。当局が管理し、もし事故などが起きれば責任追及でマスコミが非難囂々とするだろう。この状況は事故防止の話だけではない。社会全体についていえる、日本社会を批判。日本には規制が多すぎると。政府の関与を少なくする、つまりは小さな政府を目指す、元祖ネオリベである。そして、総選挙で自民党幹事長として「体制の選択!」を大上段にふりかまえてイデオロギー戦を「社民勢力」にしかけた。

その元祖ネオリベの小沢一郎さんがなぜ今生活の党なのか、よくわからない。

日本社会はその後バブル崩壊を経て、小泉改革の時代へ。そのとき登場したのがホリエモン。 彼の会社の旧名は、On the edge = 転落を防ぐ柵が見当たらないのである。しかも、大きく突き出た岩の先端には若い男女がすわり、戯れている。! 規制緩和の社会状況下で挑戦、戯れていた。

日本の規制当局は「事故防止」につとめたのでない。「管理人が来て注意」したのではない。口さがないネット童がいうことにゃ、「On the edgeで戯れるホリエモンを崖下にけり落としたのだ」。

ホリエモンが逮捕された時(ライブドア事件)、小沢一郎さんはこれを小泉路線のアダ花と揶揄した。「刑務所の中の人」と推定無罪の原理を無視して批判した。そして、今度は小沢一郎自身が「当局」から崖下にけり落とされた

■ 今週の私的参拝、あるいは、誰も見て確認していないもの

 

宮廷革命;

 
朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。

終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依ってばかりじゃだめだ。物証だ!

 でも、その物証は「fabrication」ではないのですか?

 -三種の神器とかSTAP細胞とか-

google [三種の神器 関わる全ての人が「本物はある」という以上、「ある」と言えると思います。]


仲間は減っても、関わる全ての人が「本物はある」という以上、「ある」と言えると思います。

     
  終始相互ノ信頼ト敬愛         私物 (私的旅行で持ち帰ったのだから私物なんだろう)

たとえば、ある人は、他の人々が彼に対し臣民たる態度をとるゆえにのみ王である。ところが彼らは、彼が王があるがゆえに自分たちは臣民であると信ずる。 (『資本論』、第一章 商品)

たとえば、ある器は、皇帝がその物に対し皇位の記しであるという態度をといるゆえにのみ神器である。ところが神器は、彼が皇帝でありそれを有するゆえに神器であると信じられている。 (いか@サマ)

・それにしても、あきひとさんは「私的」に、例えば、反原発集会に参加とかできるのか?できないのか?

■ 

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老舎は日本に何度来たのだろうか?

2014年03月26日 19時35分10秒 | 中国出張/遊興/中国事情

 (後記: 老舎は日本に何度来たのだろうか?の「正解」は別途こちらに記述)


(詩文往還 作家と中国 張競)水上勉の街歩き(3) 苦難の人生慰めた厚い人情 [有料版へのリンク]

日本経済新聞を見た。日曜日に連載されている張競さんの「詩文往還」をみた。

少しびっくりした。なぜなら1963年に老舎が日本に来たと書いてあるからだ。老舎を昨年10月に知ったおいらは、老舎が1965年に日本に来たことは知っていた。文化大革命の勃発で自殺に追い込まれる前の年だ。その1965年とは別に来日していたのか!?。知らなかった。

3/23の張競さんの「詩文往還」にはこうかいてあった;

水上勉と)巴金との付き合いは63年にさかのぼる。その年の5月、巴金や老舎らが東京・豊島区高松町にある水上勉邸を訪れた。

とある。1965年とは別に老舎は東京にきていたのだ。半年前に老舎を知らなかったおいらは(愚記事:蒙童、老舎老師を知る)、当然巴金も知らなかった。老舎のことを調べていると当然、巴金は出てくる。そもそも、読めなかった、巴金。巴金=ばきん。その後愚記事にも出てくるようになった。例えば;

とりわけ老舎、巴金、趙樹里、田漢、曹禺らがどうしているのか、生死さえわかっていない。(愚記事:呉智英さんへの恩返し

ところで、1963年に老舎は何の目的で来日したのか?ネットで調べた。

11月 中国作家代表団(巴金団長、謝冰心、厳文井、馬烽、許覚民らの諸氏)来日。 引用元(日中文化交流協会のあゆみ 1963年

とある。11月だ。上記、「巴金との付き合いは63年にさかのぼる。その年の5月、巴金や老舎らが東京・豊島区高松町にある水上勉邸を訪れた」とは時期が合わない。さらに、11月の中国作家代表団の作家たちの名前の中に老舎の名がない。ということは、張競さんが言及している5月のことはこの11月の来日とは別のことなのだろうか?"日中文化交流協会のあゆみ"には、

 日本中国文化交流協会編集部の情報(引用元)では、「自宅で巴金(左から2人目)、厳文井(右から3人目)、馬烽(右から2人目)の諸氏を歓迎する水上勉氏(左から3人目)と叡子夫人(左端)。(1963年11月22日、東京」)とある。

整合性があるように考えると、巴金は1963年に2度来日した。5月と11月。5月は老舎と一緒だった。

でも、この時代、中国人が、有名作家といえども2度も来日できるのだろうか?

■ 一方、1961年。 巴金は1961年にも来日している。

アジア・アフリカ(A・A)作家会
    議東京大会参加中国代表団(巴金団長、劉白羽副団長、楊朔、林林、沙汀、謝冰心、李季、葉君健、韓北屏、李芒、
   呉学文、劉徳有、李の諸氏)来日。

東京で開催されたアジア・アフリカ作家会議に出席のためだ(引用元:日中文化交流協会のあゆみ 1961年)。

▼ 1961年、老舎来日?

この1961年の中国作家団の来日について、老舎も来たとのネット情報がある;

 1961年 昭和36年: アジア・アフリカ作家会議に中国の巴金、老舎が来日。 (引用元: 芹沢氏の生涯を簡単に年代順で追っています。

確かに、東京で開催されたアジア・アフリカ作家会議に巴金は出席したらしい。ただし、老舎出席はこのネット情報以外見当たらない。

■ 半年前に老舎を知らず当然巴金も知らなかったおいらは、巴金を読み始めた。巴金は、老舎と違って、文化大革命の10年を生き延びたのだ。老舎のように自殺した方がよかったかもしれないと傍には感じさせる苛酷な文革時代の越冬生活の回顧録だ。

おいらが内心感じていたこと。文革終了時の中国人の気分は、敗戦直後の日本人の気分に似ていると。去年、ある中国人と、日本語で、話をした。かれは、日本で学位を取って、日本で働いている。おそらく、30代後半。その彼が自ら言っていた。「文革後の改革開放は、敗戦後の日本の高度経済成長のようだ」と。

そして、巴金の文革受難録。興味深いことばかりなのである。特に文革への恨み節は出てくる。そして、その恨み節は、林彪、「四人組」、極左分子の空論と表現されるものに向けられている。

おいらが、今のところ読む限り、まだ文革の責任者としての毛沢東の名は出てこない。

これまた、昭和20年・1945年この列島において、厄災の責任は軍国主義者にあると恨み節もいうも、天皇の名を口にしない「普通」の敗戦直後の日本人と同じではないか!

::直視されない皇帝さまたち= 赫奕たる太陽;

  


 

↓ おもいがけない=心の準備ができていない、 here comes the Sun

▼ 関連愚記事:

天皇は突然、戦争中シンガポール国民の味わった苦難に対して遺憾の意を述べたのであった。私は黙って頷いた。心の準備ができていなかったのだ。沈黙を保つのが一番いいと思った。

小柄でほっそりとして猫背の体。 


three paintings inside ... with an invoice

2014年03月23日 17時56分40秒 | その他


     -2か月くらい前の渋谷駅-

アンディ・ウォーホル展が開催されているらしい;
森美術館10周年記念展 アンディ・ウォーホル展:永遠の15分

twitter: [アンディ・ウォーホル展]

少し前の渋谷駅にてアンディ・ウォーホル展の広告をみた。アンディ・ウォーホルとみると、おいらは、invoice = 請求書を連想する。

理由はこうである;

長谷川智恵子さんという人がいる。画商である。日動画廊 [wiki]。茨城県笠間に美術館ももっている。笠間日動美術館 [wiki]。その長谷川智恵子さんは少なからずの有名画家に肖像が描かれている。その長谷川智恵子さんの肖像画を集めた画集も出版されている;



Amazon; C夫人肖像画―世界の巨匠29人に愛された女性

その中でアンディ・ウォーホル [wiki]が描いた長谷川智恵子さん像もある。上の絵である。その絵についての思い出が半年あまり前のインタビューに出ていた。

Outbound Japan―Chieko Hasegawa
A Life in Art
Interview & Photographs by Tony McNicol  [出典は下記リンク]

インタビューで答えた内容はこうだ。アンディ・ウォーホルが日本に来た。1974年だ。アンディ・ウォーホルの作品を扱う画商が、長谷川智恵子さんに打診してきた。アンディ・ウォーホルのモデルにならないか?、と。そして会った。アンディ・ウォーホルはたくさんのポラロイド写真を撮ったという。数か月後、(年があけたらしい)大きな筒が彼女のポストに届いた。作品だ。これまで、長谷川智恵子さんは多くのアーティストのモデルとなり、その絵をもらっていた。贈り物 [gift] だ。ところが、アンディ・ウォーホルからの包みには、3枚の絵...と請求書が入っていた [three paintings inside ... with an invoice]。売り物だ。1975年、円は安く、長谷川智恵子さんは若かった。彼女は、3つを買おうとはしなかった。ひとつだけ買ったそうだ。これを現在のインタビューでは;

It was stupid.  I should have bought all three!

と述懐している。

( この文章いいですね。英語教育の典型的例文となる。 It was stupid.  I should have bought all three! = なんておバカだったんでしょう。 私は3つすべてを買うべきでした (実際は買わなかった)。 )

その送られてきた作品のひとつが、上記の絵なのであろう。ということは、あと2つどこかにあるのだろうか?

このインタビューは、ANA(全日本空輸)の「翼の王国・WINGSPAN 国際線版 2013年10月号」 [リンク]に載っている。リンク先のページでサンプルというところから入って、ページをめくっていくと、そのインタビュー記事をみることができる。

酔狂な方はどうぞ。

▼まとめ

              
A life in art @ 画商            営業熱心 @artist

 


ぶどうの木再生日記;第53週目

2014年03月22日 08時50分25秒 | 草花野菜

■ 今週の看猫

■ 今週の春

■ 今週の収穫

● 今週の一字違い

   
    -JR高田馬場駅にて-                           -古い写真-

昔は、塾や予備校の講師は学生運動崩れがやっていたものだ。

■ 今週の「江戸城」


 JR東京駅より望む

●今週の拉致家族① モンゴルで孫、曾孫に面会

1977年11月、当時13歳だった横田めぐみさんは、北朝鮮工作員により新潟市で下校途中拉致された。拉致された後、北朝鮮で結婚、出産。その娘と横田めぐみさんの両親がモンゴルで面会した。その面会には、横田めぐみさんの娘の子供も出席したとされる。つまり、拉致3世代目ということになる。

四世同堂も夢じゃない?

●今週の「拉致」家族② 軟禁先の一部を一般開放

 

1869年、当時17歳だったむつひとさんは、薩長クーデター勢力により京都御所から「拉致」され江戸城に軟禁される。以後、4代にわたり「拉致」家族は江戸城で軟禁生活を送っている。

4代目の天皇皇后両陛下(あきひとさん、みちこさん)は、この武蔵野台地の東端の自然を愛し、かつ一般人への公開にも熱心。

このたびはは、おそらく武蔵野台地の自然の趣とはちがう、人口木立の乾通り桜並木の公開を実施。この乾通り桜並木は昭和天皇(ひろひとさん)が崩御の前の最後の季節に花見をした桜並木とされている。

▼今週の気づき;

「拉致」家族4代目の衣装は、おとこは毛唐服、おんなは江戸武家服である。

孝明天皇”皇后両陛下”とは、とても違う、衣装である。

「拉致」”被害者”であることを端的に表明しているのであろうか?

様々なる 意匠 衣装!、そして、野蛮な情熱の果てに!(敗北の朝廷!)

すごいな、くんだいぬっぽん(近代日本)!

そして、ぬっぽん文学批評、バンザイ!

くむたつ(君たち)の、批評眼の系譜だけが愚劣なこの列島の希望だ!

●今週の再確認

はい、確かに。 世界は驚きましたょ。 大胆不敵な稀代のペテン師の所業に。

▼今週の根本的勘違い


もし小保方晴子さんから、「私これからどうすればいいの?」と人生相談されたら、どう答えるか。

全然、勘違い。

「高いレベルの専門知識や実験技能を持っている」気配はない。

この事件はかの人が犯罪的なペテン師であるということだ。おそらく若い時に身に付いた性格に違いない。普通の社会人はもう誰も相手にしないだろう。

山崎元さんは事件が全くわかっていないのではないか?

今回の事件は、日本の科学会にとって、ノーベル賞5人分くらいの栄誉では補えないくらいの、損失を与えているのだ。世界における表に出ない評判において。だってそうだろう。韓国で黄教授の捏造事件があったとき、あなたは何となく韓国の科学というのは全体的にうさんくさいという印象をもたなかっただろうか?それと同じで、今世界中の科学技術研究者は日本の科学技術研究は全体的にうさんくさいのではないか?と疑念をもっているに違い。ただ、それを口にだせないのだ。なぜなら、研究者はデータと論理に基づいて結論をいうことが性(サガ)なので、心中の印象は出せない。だからこそ、表立って否定できないので、「日本の科学技術研究は全体的にうさんくさい」というステレオタイプは消しがたい。

端的に日本からの論文はまずは眉に唾をつけて見られるのは避けがたい。

これまで、欧米の研究者たちの内少なからずは陰の席で中国の研究結果の質を疑念視してきた。実際そういう場面においらも出くわした。今度は北東アジアの科学技術研究は全体的にうさんくさいのではないか?と疑念が広まっているに違いない。

もっとも、かの人は「変な能力」はものすごいので、事実やデータに基づかなくてOKで人を騙す商売が向いている。 政治家とか...。


私はこうやって11回ペテンに成功した;
  ただ惜しむらくは、12回目をしてしまったことだ...

関連愚記事; ところで、上記山崎元さんって、経済はネオリベばりばり、お金を拝して何が悪い!って信条らしいんだけれども、軍事・外交は"社民"なんだよね。

■ 今週の第二第三

第二 第三の小保方さんを!と安倍首相が言ったとか、言わなかったとか...

ぞろぞろでてきたよ、第二 第三の小保方さん。

  コピペで博士号取得者;


Google [早稲田大学理工 常田研 博士論文 コピペ]

■ 今朝の富士山

今日3/22午前、つくばから国道6号線に乗って、牛久沼方面に向かう途中、富士山がきれいにみえた。この画像はへたくそ。本当はもっときれいに見えた。びっくりした。つくばに来て16年、この地から富士山を見たのは初めて。ちなみに、筑波山頂から富士山は見えるはずだが、悪天候でみれなかった(愚記事; 男体山と女体山の両方に行った)。

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3/15の愚記事の忘れもの; 今週の「束ね」

2014年03月19日 18時24分59秒 | その他

国民総動員で、心を一つに !

つまりは、心を一つに 束ねよう!と言っているのだ。

ファシズムの語源はイタリア語の「束」を意味するラテン語の名詞ファスキス (fascis) にある。

wikipedia: 古代ローマで高位公職者の周囲に付き従ったリクトルが捧げ持った権威の標章として使用され、20世紀にファシズムの語源ともなった。日本語では儀鉞(ぎえつ)や権標、木の棒を束ねていることから束桿(そっかん)などと訳される。

    
     3本で        1億本で


源流 ?; 
ムッソリーニはプラトンの著作に大きな影響を受けた

コピペルなぁ~!


やっぱり、プラトニズム系 = 事実は真実の敵である = 影絵は イデアの 敵である;

 
愚記事; 事実は真実の敵なり


真実と事実の間には、深くて、暗い川がある;

ぬっぽん科学村の首領=ドン・キホーテが頼るものは筋違い;

 理化学研究所の野依良治理事長は18日、自民党の科学技術・イノベーション戦略調査会に出席し、「STAP(スタップ)細胞」の再現実験について「3か月かかる」との見通しを語った。

公的資金を90%以上を自らの財源とする組織の理事長が、私党の会議に参加している。

 予 算 乞 食は つ ら い のだ。 なぜなら、予 算 乞 食であるばかりか、予 算 詐 取 者 との疑いがかけられているからだ。 

 [註]:おいらは、愚民党がファシスト政党だとは、全然、思わない。

LDP=放埓・衆愚党に他ならない。

もっと、しっかりしたファシスト政党があればいいのになぁ~と夢想してみた。

もちろん、真正ファシスト政権には、日本国家を毀損する捏造研究者を、ばしばし、しばいて欲しい。


① 栄養士の砂糖さん; ② 東浩紀さんの情弱性について;

2014年03月16日 19時26分16秒 | その他

今日の驚き; えげれすずん(英国人)Satowさんばかりではなく、ぬっぽんずん(日本人)砂糖さんも実在した!

病院に行った。眼科だ。眼鏡を作り直すための処方箋をもらうためだ。待合室で、宅配食事の広告冊子を見た。

その会社の栄養士さんの紹介が顔写真入りで載っていた。

栄養士の砂糖さんという方がいた。

あ~、派手にやっちまっているなぁ~、佐藤→砂糖の誤植だろうと思った。

栄養⇒砂糖、塩、胡椒的連想に基づく、誤変換と思った。

ネットで調べた;

http://www.fundely.co.jp/people/nutritionists

本人個別アップ; http://www.fundely.co.jp/images/fundely_nutritionist_card_5.jpg

栄養士の砂糖さん、は本当にいたのだ。「幼いころ、2年間エジプトに住んでいました」

教訓; きちんと、調べることが重要だ!

                        
Sir Ernest Mason Sugar Sir Ernest Mason Satow [wiki]

■ 東浩紀さんの情弱性について;

↓ 今(本日3/16午後)ごろで、この程度の認識です。


https://twitter.com/hazuma/status/445107241654304768

こんなんで、「科学と社会のコミュニケーションを考える――STAP細胞をめぐって」について語るそうです。

「だんだん」って...、 とっくに数週間前から出ています。黒幕は彼だ!と....。

参考愚記事; 【狂人日記】 指彬罵晴、あるいは、野依・「真実」原理主義者の跳突;理研の紅衛兵をみた

林彪―康生 [wiki]ラインを夢想の肴に...


ぶどうの木再生日記;第52週目

2014年03月15日 06時48分24秒 | 草花野菜


    - 越冬したぶどうの木の葉っぱ -

■ 今週の春

■ 今週の看猫

■ 今週の「生まれて初めての首垂」  google ニュース 


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謝るなんて死ぬまで無縁かと思っていたに違いない

■ 今週の「三流私大

 
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DNA画像の切り張りについて、小保方さんは「やってはいけないという認識がなかった」と話したといい、調査委の石井俊輔委員長は「抵抗がなかったのか倫理観を学ぶ機会がなかったのか。コメントするのは適切ではない」と語った。[google]

駄目だと学ぶ機会がなかったのではないか

 ネットで人気記事: 早稲田大学の理工系におけるコピペ文化について

 
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~集まり、散じて、人は変われど~、~仰ぐは同じき~、詐取の精神


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 ~ 楽 の独立 ~


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  ~古今東西の~ペテンの潮~ひとつに渦巻く~

と、早稲田に行けなかったおいらがひがみ根性を動機にdisってみた。

▼今週読んだ 「 下 書 き

愚記事;資本主義の会社に勤めている人。何の恥ずかしいことがあろうか。がっちり儲けて、そして読書をしてほしい

■ 今週の日本大好き


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  ↓ 関連愚記事;


やはり、日本大好き!は、サヨに学べ!


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  ヒノマルは酒乱の最後の逃げ場

支那は国際主義(炎上してるけど);


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世界の人民大団結、バンザイ!

■ 今週安倍ちゃん@ 「 う そ 」 に取り囲まれる


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   goole ニュース 安倍首相 小保方さん 賞賛


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     googleニュース 安倍首相、河野談話「見直さない」

上手な う そ も;

    
折れた煙草の  あいまいな    コピペで
 吸い殻で      証言で

▼今週の食税


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理研って、教育機関なのか!?

口さがないネット童は、「院生時代の2008年には学振研究員DC1(書類申請と面接で選考)になり、以降3年間に渡り 『月20万円の奨励金+年150万円の科研費』受領」と言っている。さんざん、税金かけて「教育」されているのではないか?

要はペテン師だったんだろう。 未熟、という問題ではなくて。 「未熟」と言い逃れをして。「徹底的に教育し直す」って、また、税金使うのかよ!?

「徹底的に教育し直す」って理研から出せないのは、鉄砲玉(愚記事; アホな大衆を、キャラ立ちした、「おねえちゃん」で、味方につけろ!)の面倒は見る、ということだ。 律儀だな、理研。

と、食税研究者に成れなかったおいら(しかも、学振は一度も通らなかった)が、ひがみ根性を動機にdisってみた。

▼今週のtypos; Nature誌、「単純ミス」で真実を言い当てる;

 
Acid-bath stem-cell study under investigation

1行めの右から3つめの単語のスペルをみよ!

【いか@ 筑波山麓 『看猫録』】のアクセス・ランキング

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なつかしい本の話、村上春樹、『風の歌を聴け』

2014年03月12日 20時30分25秒 | 

 実際この社会では、あらゆる行為がいつの間にか現実感を奪われてしまう。学生の暴力行為が、「革命ごっこ」としか見えないのは、かならずしもテレビのせいだけではない。彼らの反体制運動が、一九六七年秋以来過激化してとどまるところを知らないのは、彼らのあの手に届かぬものに対する欲求があり、なにかを経験したいという渇望が熾烈だからであろう。(中略) 間もなく沖縄・反安保闘争の挫折を主題にした小説が数限りなく書かれるであろう。そしてそれは、いわゆる「経験」が経験の影にすぎなかったという残酷な認識に到達したものでないかぎり、すべて私小説の実質感と抑制を失った”私小説の影”のようなものになり、しかも決して私小説の限界を超えることがあるまいと思われる。  江藤淳、 『「ごっこ」の世界が終ったとき』、初出、『諸君!』 1970年1月号

今日は都内に外勤だった。常磐線で、村上春樹、『風の歌を聴け』を読んだ。

(あわせて、呉智英、『読書家の新技術』、1982年刊行、も読んだ。その本で呉智英さんは「資本主義の会社に勤めている人。何の恥ずかしいことがあろうか。がっちり儲けて、そして読書をしてほしい」、と書いてあった。「ありがとう、呉智英さん」とサラリーマンのおいらはつぶやいた; 愚記事:1980年台前半、おいらが中二病に罹患し、こじらせていた頃、おいらは、背広着て、仕事に行く「サラリーマン」というものだけにはなりたくないと念じていた。

先日来の、"おいらが耽読した呉智英さんの本は、『封建主義、その情熱と論理』、『インテリ大戦争』、『大衆食堂の人々』の"初期三部作"(と勝手においらがよんでいる)3冊"と同時期に読んでいた本だ。

これらの本はおいらが、はたちくらいの時に読んだ本だ。村上春樹、『風の歌を聴け』は1979年の作品である。1986年に文庫本化された(と今からみればわかる)。おいらは28年前、村上春樹の『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』を読んで、びっくりした。こういう小説があるなんて。1986年だ。つまりは、初版よりかなり時間がたっていたのだ。この後、『ノルウエイの森』が出版される。バブル絶頂期。もし、おいらが最初に『ノルウエイの森』を読んだら、村上春樹を嫌いになったに違いない。だって、気持ち悪い。村上春樹を気持ち悪いと非難するひとが少なくない。理解できる。

村上春樹の初期3部作(とおいらが勝手に名付けている)、『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』は、その気持ち悪るさとやや距離をおいていると思う。どういう点かというと、最近おいらが知った言葉でいうとこの3部作、特に『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール』は「傷痕文学」なのだ。

傷痕文学とは文革で受難した者たちの回顧文学である。

つまりは、1960年末期の叛乱の時代とされる時期に大学で、どういう形であれ、紛争に巻き込まれ、場合によっては革命を夢想し、そして、挫折した男の話なのだ。村上春樹、『風の歌を聴け』には書いてある;

 十代の頃だろうか、僕はその事実に気がついて一週間ばかり口もきけないほど驚いたことがある。少し気を利かしさえすれば世界は僕の意のままになり、あらゆる価値は転換し、時は流れを変える・・・ そんな気がした。

(違うページからの引用)

そして僕は機動隊員に叩き折られた前歯の跡を見せた。

なので、村上春樹のこれらの作品は、上記江藤が指摘する 「間もなく沖縄・反安保闘争の挫折を主題にした小説が数限りなく書かれるであろう。そしてそれは、いわゆる「経験」が経験の影にすぎなかったという残酷な認識に到達したものでないかぎり、すべて私小説の実質感と抑制を失った”私小説の影”のようなものになり、しかも決して私小説の限界を超えることがあるまいと思われる」 というのではなく、ちゃんと、いわゆる「経験」が経験の影にすぎなかったという残酷な認識を示しているのではないかと思う。

それにしても、『風の歌を聴け』は結局のところよくわからない。何かとても思わせぶりなところがあり、それを知的に探りあてることが求められているのか?実は、本当に経験の影なのか?のちに、また結婚詐欺の小説か!という突っ込みを出来させることになる村上文学。その嚆矢となる事例が『風の歌を聴け』には、早々と、きちんと書かれている (!!!!!!???????);

「ねえ、私を愛してる?」

「もちろん。」

「結婚したい?」

「今、すぐに?」

「いつか・・・・・もっと先によ。」

「もちろん結婚したい」

「でも私が訊ねるまでそんなこと一言だって言わなかったわ。」

「言い忘れてたんだ。」

(中略)

「嘘つき!」

と彼女は言った。

●村上春樹が早大時代に何をしていたのか知らない。呉智英さんはがんばっていたらしい。それが宮崎学の『突破者』という本に書いてあるとwikipediaで知った。今度、見てみよう。

  

鼠が大学を去ったのには幾つかの理由があった。その幾つかの理由が複雑に絡み合ったままある温度に達した時、音をたててヒューズが飛んだ。そしてあるものは残り、あるものははじき飛ばされ、あるものは死んだ。    村上春樹、『1973年のピンボール』

とまれ、1980年代初頭は、1960年末期の叛乱の時代とされる時期に大学で、どういう形であれ、紛争に巻き込まれ、場合によっては革命を夢想し、そして、挫折した男で、その後、会社など組織に入らないで30歳を超えた作家・物書きが世に出始めた時期らしい。 おいらは、それらにぶつかったのだ。

*村上春樹の作品における海ゆかば、山ゆかば; よく出る日本兵の屍

村上春樹の作品は、当時としては浮世離れした「洒落た」バーや当時一部の趣味のいい人たちしか聞かなかったであろう(?)音楽やそれに似合う登場人物などがでてくる。そういう点で人気が出たとされる。でも、今日気づいた点。『風の歌を聴け』でも『羊をめぐる冒険』でも日本兵の屍が出てくる;

 25年前、ニューギニアのっジャングルには虫除け軟膏を塗りたくった日本兵の死体が山をなし、今ではどの家庭の便所にもそれと同じマークのついたトイレ用パイプ磨きが転がっている。  『風の歌を聴け』

日露戦争が始まると村からは五人の青年が徴兵され、中国大陸の前線に送られた。彼らは五人とも同じ部隊に入れられたが、小さな丘の争奪戦の際に敵の榴弾が部隊の右側面で破裂し、二人が死に、一人が左腕を失った。戦闘は三日後に終リ、残りの二人がばらばらになった同郷の戦死者の骨を拾い集めた。彼らはみな第一期と第二期の入植者たちの息子だった。戦死者の一人は羊飼いとなったアイヌ青年の長男だった。彼らは羊毛の軍用外套を着て死んでいた。  『羊をめぐる冒険』

▼ なお、wikipedia の呉智英の情報で、「(呉智英さんが)影響をうけたもの 西部邁など」、とある。変だと思う。西部邁の『大衆への反逆』は1983年刊行である。一方、呉智英の『封建主義 その論理と情熱』は1981年の出版である。西部の「大衆批判」、民主制への疑問よりよっぽど先である。この『封建主義 その論理と情熱』は公然と民主制を批判した書としては戦後出版史で他に先例を見つけるのが難しい書ではないだろうか? ただし、おそらく、当時は ネタ だろうと思われたに違いない。

もっとも、西部邁の『大衆への反逆』は「大衆批判」とは言え、実際は知識人=専門人批判であり、普通の庶民を攻撃するものではない。したがって、その点大衆食堂を経営する夫婦の下種な欲望を目ざとく指摘する呉の『大衆食堂の人々』は、実は、かなり過激である。 タブー=普通の庶民を攻撃するな!を侵犯する恐れがあるからである。


呉智英さん について[その2]; 新崎君はかの国を「中国」(or 中華国)と呼ぶべきではないか?

2014年03月09日 18時04分22秒 | その他

呉智英さん についてのネタ。前回は、愚記事: 呉智英さんへの恩返し。それに続くので今回の題は呉智英さん について[その2]とした。

おいらは呉智英さんを、ご ち え い さんとよんでいる。そもそも本名が何であるかなぞ、特に考えたこともなかった。うっすら、本名が呉=くれ さんなんだろうと無意識に思っていた。それを音読みさせているのだろうと。しばしば呉智英さんの本には、わざわざ、呉智英をご ち え いと呼んでも可!とうたっている。いわれなくても、ご ち え い と呼称していたよ。

で、呉智英さんの本名、俗名?、倭名?は新崎さんと知った。新崎智 [wikipedia]。なんだ、漢字1文字の支那・朝鮮風の名字じゃなかったのか!

ということは、呉智英さんは、本当は新崎さんというのであって、本名は典型的日本名である。支那文字が2文字で構成される。支那の姓には認められない。例外として思い浮かぶのは、オーヤンフィーフィーの欧陽ぐらいじゃないか。誰も新崎さんを支那人とは思わないだろう。

新崎さんじゃ~、論語の先生や「封建主義者」の名前として正当性や説得力が認められない。だから、呉という漢字1文字の支那・朝鮮風の名字を自分の意志で名前として選びとったのだ。例えば、ワン(王)さんの太極拳教室と、須藤さんの太極拳教室、どっちに行きたい? チン(陳)さんの上海ガニレストランと、吉田さんの上海ガニレストラン、どっちに客が集まる?

何もおいらは、親から受け継ぐはずの姓を「敢えて毀傷するは不孝のはじめなり」といやみをいいたいわけでもなく、ただただ言いたいことは、新崎智さんは漢字1文字の支那・朝鮮風の、すなわち、中華文明風の名前を 詐称 自称したかったことを指摘したいのだ。すなわち、呉さんは自分のキャラ立ちのために 詐称 自称したかったことを。

でも、おいらは、その心意気や、大好きである。なぜなら、sino-philia の気持ちが隠し切れないことが、わかるからだ。 

    * キャラ立ちぬ

                     
呉のもんいうたら、...              呉のもんのくせに、かばちたれ@ホントは愛知(philosophy !)出身でも、魂は愛支(sino-philia )。

■ そして、支那。

1980年代初め、支那という言葉は、巷では、ほぼ廃語になりかけていた。

その「支那」廃名に対し、メディアの世界=公知の世界で、マイナーながらも、自覚的に確信的に抵抗していたのが、呉智英さんだ。

『封建主義、その情熱と論理』にある。

でも、おかしいと、おいらは、30年経って、ふと気づいた。 

次のようなことだ;

日本人で「支那」という言葉を使う人は、おいらも含めて、いる。こういう理由だ。英語のChinaのように欧米語では秦から由来したChinaが使われる。だから日本も英語のChinaに相当する「支那」を使って何が悪い!

その中のある割合の人々は、中華人民共和国=中国という国号を使いたくないのだ。なぜなら、「支那」が中華なら、すなわちこの世の真ん中に咲く美しい花であるならば、その「周辺」のおいらたちは華の周りの草なのか! 

おいらどもは、若芽薔薇の華のように美しい陰唇の周りに、ボーボー生えた陰毛なのか! つまり、おいらどもは、中心に鎮座まします若芽薔薇のような小陰唇さまである「中国=中華人民共和国」に対して、論理的必然的においらどもは周りにボーボー生えた陰毛なのか! という怒りがこみ上げるからである。 陰毛崛起!

普通の日本人は、毎日、中国と呼称することで支那人の自国中心主義的自意識を保持・維持することに奉仕する必要はない。

こういう理由や怒りは当然であり、なにも一般の日本人がかの国を、価値観がたっぷり含まれた国号である中国(中華の国)という言葉で、呼ぶ必要はない。

ただし、新崎智さんは違う。なぜなら、新崎智さんは呉智英と 詐 称し、支那人ぶっているからだ。 支那人ぶることは勝手である。 (毛唐さんぶって生きながらえている「ひと」だっているのだから。支那人ぶるか?毛唐ぶるか?、それが問題だ!。) ただし、支那人ぶるということは支那の栄光に浴したいということに違いない。孔子様だって、支那人だ。そういう支那の栄光に浴したい人は、すべからく支那を尊重しすべし。なぜなら、自らが文明から遠い周辺であるから、中心(この場合は=支那)を尊重するのである。自前で間に合うなら、神道でもなんでも身近なものでやりくりすればいい。

支那を中心に置き、尊重しないで、論語なぞを商売道具にしてはいけないのである。

だから、新崎智さんはよろしく「中国」とかの国を呼称すべし。 理屈を言って、中国・四国の中国と混同するから嫌だ!というのだろう。じゃあ、中華国でどうだ。ドンピシャじゃないか。孔子さまは中華の思想家。

孔子さまの国が世界の中央であり、華である。そして、新崎智さんは周辺にあり=教えを乞い、そして、『論語』を拝借して、生きるよすべにしているのだから。その結果、支那は中国となる、彼にとって。

それにしても、呉さんは支共に「魂を売れば」孔子学院の院長になれたのにね。

もちろん、誇り高い、一生フリーランスで完走しそうな、 革命家崩れ  元全共闘闘士に、そういうことを言ってはいけないのだ。

■ 支共

呉智英さんの話から、最近の巷での言葉遣いへ話を変える。

先日の 愚記事: 呉智英さんへの恩返しで、呉智英さんは支共ということばを使っている。

支共=支那共産党。日共=日本共産党、なので、支那という言葉にひっかかりがない人には何ら問題はない。おいらも問題はない。事実おいらは、愚記事で「おいらの支那共産党、略して「支共」に対する認識は、さんざん言ってきたので、いまさら言わない」と使っている。

再確認すると、支共=支那共産党である。いうまでもなく、中共=中国共産党、である。そして、一般日本人にとって、支那という言葉は事実上「中国人民共和国」に等しい。 そういう言葉遣いの定義を踏まえて下記画像を見てみよう;


 ― ネット上で拾った「排外主義者」のデモらしい [出所不明] ―

「支那中共」、というのは変。 もし、いうなら、支共。

なぜ、「支那中共」というへんちくりんな言葉づかいが出現したか?を邪推するには、

彼ら=「排外主義者」は、"支那"という言葉も"中共"という言葉も侮蔑語として使っているつもりなのだ。

そして、その認識は間違っている。

でも、その間違いの原因は忖度できる。日ごろ、テレビで"支那"や"中共"という言葉を目や耳にしない。一方、そういう言葉はある。そういうことで彼らは"支那"や"中共"という言葉は使うことがタブーであると陰に陽に感じているのだ。そして、それらの言葉を敢えて使うことが挑発になると信じているのだ。

つまり、世間を挑発し、自分たちの過激さをアピールするために、わざとタブーの言葉を使ってみた。でも、その意味を本質的に理解していないので、「支那中共」というへんちくりんな言葉づかいとなったのだ。


関係ないけど、忘備; 本日3/9の午前11時頃、つけたラジオ:TBSラジオ 安住紳一郎 日曜なんとかのニュースコーナーで、理研の小保方さんの研究は「基本的アイデアの部分は問題ない」の趣旨を報道していた。

この報道の全部を残念なことに聞けなかったが、安住紳一郎さんは「研究の基本は問題ない」との印象を視聴者に与えたと、おいらは確信している。

後日放送倫理委員会でしっかりけじめをつけてほしい。