いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

研究大学改革、もうすぐ30年; STAP細胞はペテンだが、バルク金属はある...でも、役立たず

2014年07月30日 19時55分00秒 | その他

 

世のみんながいうように、ないものを科学的証明することは、きわめて困難である。

 

だから、 科学的に証明はできない。

 

そもそも、偏見で「この世」を見ているおいらは、「この世」のことを科学的に証明する責務はないものとして、生きている。

 

それでいうと、STAP細胞はペテンである。

 

そして、組織的ペテンである。

 

その動機は、食税研究者の「遊ぶ金欲しさ」である。

 

再生医療! 難病患者救済!、なんて、ただのexcuseに違いない。

 

遊ぶ金を欲しいのは素粒子物理学者ばかりではなく、生物学者も欲しいのだ。

 

(ここで注意してほしいのは、「おまいはそのうち死ぬ!そのうち死ぬのにそれでいいのか!と訴える「哲学者、倫理学者」は少ない(ペテン師くらいである)。「おまいはそのうち死ぬ!」といって、これは人類で最重要の課題であるから、研究費が必要であると言って、予算を要求する「哲学者、倫理学者」が少ないことは、ぬっぽんの「哲学者、倫理学者」はいい人たちではないのか!?)

 

ところで、STAP細胞はペテンだが、バルク金属ガラスはある

 

さらには、高純度鉄もある。

 

でも、何の経済的価値を生んでいない。

(かの金研はKS鉄鋼を開発し、世界最強の磁石鋼として国際的に注目され、ジーメンス、GEなどがあいついて特許使用権を購入した。大正ぬっぽんは外国から富を得た=頭脳で経済的価値を生んでいた。)

 

別においらは、食税研究者さまたちが経済的価値を生んでいないことを非難したいわけではない。

 

ただ、食税研究者さまたち自身が、経済的価値を生むことに非常に貢献すると宣伝、喧伝して、国税の予算獲得に勤しんでいることに照らしてみれば、

 

それら、宣伝、喧伝がすべて事実と異なる(= 庶民はそれを嘘という)という事実を指摘したいだけである。

 

別に庶民は食税研究者さまたちに経済的価値を生むことを期待しているばかりでもない。

 

例えば、津波に吞まれて死んでいくにしても、なぜ津波と地震が発生したのか?という機構を知りたいだけだ。

 

あるいは、iPS細胞の活性化の4遺伝子がどのような作用をするのか知りたいだけだ。

 

科学が快楽主義=経済的価値を生むこと、長生きすること(再生医療!)のためにあると思うのは、大衆の典型的所業である。

 

名誉ある庶民は、そんなこと(快楽主義=経済的価値を生むこと、長生きすること(再生医療!))ではない、自分たちが幸福になるとか不幸になるとかを超えた真実を知りたいのだ。


自ら負けてよかったと言うような戦争をしたのだ; 陸軍幼年学校編

2014年07月27日 19時06分34秒 | その他

 先週「日本は戦争に負けてよかったのだ」と海軍兵学校出身者が言っていることを書いた(愚記事:吉目木晴彦、『ルイジアナ杭打ち』について知ったいくばくかの公知情報 )。その愚記事でいいたかったことは、戦後は世間でなんとなく「戦争に負けて軍国主義がなくなり、平和で民主的ないい世の中になった」という雰囲気があったが、それを明確に文章にしたもの、しかも軍人志願者による発言を文章としたのは珍しいのではないかと指摘したかったのだ。

違った。別途、見つけた。そもそもそんなに本を読まないおいらが、「こういう文章は珍しい」とか言うことが間違っていたのだ。

 陸軍幼年学校に進むほどの軍国少年だった私は、それをたいへん不幸だと思いました。国民の大多数も、戦争が終わったことに安堵はしたものの、敗戦自体は不幸だと感じていた。しかし、今振り返ると、あの巨大な不幸が私たちに幸福をもたらしたことがわかります。もし、戦争に勝っていたら、日本人は国の武力を誇り、傲慢で嫌な国になっていたでしょう。敗戦という苦しみと屈辱を受けたために戦争の愚かさに気づき、平和を重んじる国になれたのです。戦争放棄を定めた憲法九条は、不幸のどん底に突き落とされた国民の願いの結晶でした。新憲法をつくるにあたりアメリカ側の働きかけがあったとはいえ、後世に残る名文で書いたのは日本人です。基本的人権や婦人参政権なども、日本が勝ち続けていたら実現が遅れていたでしょう。
加賀乙彦、  『不幸な国の降伏論』   『不幸な国の幸福論』


ぶどうの木再生日記;第71週目

2014年07月26日 10時58分24秒 | 草花野菜

■今週の看猫

■ 今週の麦畑

「雑草」ぼうぼう

■今週の英語

こういうこと↓を線路にするのを禁止しているように感じる。

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越冬できなかったであろう猫について; or I miss the エリザベス猫 that could not survive this winter

2014年07月23日 21時22分26秒 | ねこ


 -去年は毎朝ここで ぐ だ っ と していたのに、今年はいないエリザベス猫について-

去年は梅雨時から夏にかけて、毎朝、仕事に行く途中、ここで、エリザベス猫を見たものだ。

路上に ぐ だ っ と していた。 涼を求めていたのだ。

最初に見たのも、初夏だ。 2年前: 奉祝!エリザベス猫; 森本敏 - 江藤淳 子弟 

↓ ありし日のエリザベス猫 (2013年6月

今年、一度も見ない。

恐らく、御隠れになったのであろう。


 - ま ぁ ~ だ だ よ -

 


吉目木晴彦、『ルイジアナ杭打ち』について知ったいくばくかの公知情報

2014年07月20日 20時07分23秒 | 

吉目木晴彦さんという作家がいる。作品は多くないが、発表作がのきなみ重要な賞を取っている。

『寂寥郊野』で第109回の芥川賞 (吉目木晴彦:wikipedia

『ルイジアナ杭打ち』(1988年出版)という作品はおいらにとって印象深かった。1997年に読んだ。

吉目木晴彦さんの自伝的小説だ。自伝といっても子供の頃だ。

親の生物学者に連れられ1960年代の米国、しかもまだ人種差別の雰囲気が残る南部での思い出である。

ルイジアナ、バトンルージュ。

『ルイジアナ杭打ち』は、戦後まだ20年での、「敗戦国」から来た日本人のアメリカでの生活の一端を描いている。

出てくる日本人男は学者であり、出てくる日本人女たちは「戦争花嫁」だ。ただし、日本人学者の妻を除いて。

『ルイジアナ杭打ち』はいろんな視点から読める。

そのひとつが、戦勝国軍人の敗戦国民への視線だ。

この『ルイジアナ杭打ち』でかなり目立つ登場人物である元戦車隊長のジェンキンスさんが逮捕され、連行されるとき、主人公(私=ヨシメキ、現地での通称ハリー = 事実上、 吉目木晴彦さん )に叫ぶ;

「ハリー[1]はいいヤツだよ。でもこれだけは忘れてないで欲しいな。ワシらは昔あんたらの国と戦争をして勝ったんだ」 
『ルイジアナ杭打ち』

[1] ハリー: 吉目木晴彦さんの米国での通名= ハリーさんの御尊顔はこちら→google画像[吉目木晴彦]、 ジミーさんはこちら→google画像

これとは別にもうひと場面ある;

 一九六六年のことだった。
 ある日、大学構内で起きた出来事、ごく些細な出来事に過ぎなかったし、それで誰かがあからさまに傷つけられたというわけでもないので、今では両親もそんなことがあったのをすっかり忘れてしまっているのだが、私は覚えている。あれは初夏の夕暮れでまだ表の明るい自分に、学生ユニオンの裏側にある庭を父と母と一緒に歩いていた時だった。昼間降った雨のせいで、鏡の塔のように夕陽を乱反射する大きな菩提樹の木の陰から、白い制服を着た学生がふたり、肩を揃えて歩いてくるのが見えた。
「士官学校の生徒だよ。見てごらん・・・・こっちの方へ曲がってくるから」
 ルイジアナにいる間、私の両親はよく第二次世界大戦の話をした。(中略) 
 父(略)は海軍兵学校で第二次世界大戦の終わりを迎えた。
 (中略)
 あの日、父は私に士官学校の生徒の足許をよく見ろと言った。径に沿って曲がる時にもふたりの足並が乱れないのを見せようとした。
 「訓練でああなるんだ。自然に足並が揃う。私もやったんだぞ」
 父は私と並んで実演してみせた。そうじゃない、膝を曲げないんだ。
 士官学校の生徒達は私達に気づいた。私は彼らの様子をじっと観察していた。やがてふたりとすれ違った。その時、ほんの一瞬、彼らの咎めるような不快そうな視線で父を見やった。
 どうしてだか今でもハッキリ覚えている。
 日本は戦争に負けてよかったのだというのが私の両親の一致した意見だった。勝っていたら軍部が威張ってどうしようもなかっただろう。
 かつて毎夕 ルイジアナ州立大学の構内を散歩していた頃の私は、自分の父祖達が以前自ら負けてよかったと言うような戦争をしたのだと聞かされたものだった。
『ルイジアナ杭打ち』

■ 戦勝国軍人の敗戦国民への視線の話から、離れて、上記引用の中の;

日本は戦争に負けてよかったのだというのが私の両親の一致した意見だった。勝っていたら軍部が威張ってどおうしようもなかっただろう。
 かつて毎夕 ルイジアナ州立大学の構内を散歩していた頃の私は、自分の父祖達が以前自ら負けてよかったと言うような戦争をしたのだと聞かされたものだった。

このくだりはよい。 戦後日本というのはこういう気分が支配的であったのだ。負けた結果の戦後はいい世の中だ、という気分が支配的だったのだ。

 「自分の父祖達が以前 自ら負けてよかったと言うような戦争をしたのだ と聞かされたものだった」

別においらはこの海軍兵学校出の元ぬっぽんB & B = bed & brackfast =Best and Brightestの売国的言動、あるいは、敗北主義的言動を責めているわけではない。

おいらだって、そうだ;  ありがとう、アメリカ。自由です。快適です。いつもおばかなことを書いても、おまわりさんに捕まりません。

これが、戦後だ。 

でも、海軍兵学校出身者がこれだけ言明した文章をおいらは見たことがなかった。

蛇足ながら、この時(1945年、昭和20年)のぬっぽんの B & B  は、 海軍兵学校生徒であったと歴史は伝えている。

 日本が戦争に負けてよかったのだと言ったとされるのはフィクションかもしれない。でも、この主人公の父親、すなわち海軍兵学校75期生の吉目木さんは人物を特定することができる。ネットの公知情報によってである。

 海軍兵学校出身者は名簿が公開されている。勝手に公開されているといってもいいのだろう。しかも、ネット上にでもだ。

『ルイジアナ杭打ち』には主人公の家の名字がヨシメキと書かれている。

⇒ 海軍兵学校75期生の名簿の吉目木さん 

どうやら、この「日本が戦争に負けてよかったのだ」と発言したと"作り話"=小説に描かれている海軍兵学校出身者は吉目木三男さんらしい。

そして、さらには仙台の出なのだ。知らなかった。吉目木というのは仙台伊達家家臣のひとつの名字[1]なのだ。

[1] 仙台藩一門 涌谷要害伊達(亘理)氏の家臣に吉目木の名が見える。

竹雀1級の試験対策には、姉歯ばかりでなく、吉目木も注意苗字だったのだ。

なお、1966年に東北大学から学位を受けている。『ルイジアナ杭打ち』は1966年、1967年の頃の出来事だ。


ソース

すなわち、昭和20年10月付で卒業した海軍兵学校75期吉目木三男さんは、ゾル転して、故郷の東北大学で生物学を学んだのだ。おそらく、1966年(昭和41年)6月に学位を取ったので、アメリカの大学に研究員として雇われる資格ができたのであろう。そして、渡米。

小説『ルイジアナ杭打ち』では1966年春には吉目木三男さんは既にルイジアナ州立大学に出仕。辻褄をあわせるのなら、吉目木三男さんは既にルイジアナ州立大学に出仕中に一時帰国して、「論博」審査を受けて、学位取得、ということか。

つまりは、敗戦時は海軍兵学校で海軍将校になることに頓挫した吉目木三男さんはゾル転して、生物学者として学位を取って、旧敵国に出稼ぎに行って、士官学校生徒を見つけ、つい自分についての追憶に耽ってしまった結果、不快そうな視線を射られたのだ。

と、ブログでもtwitterでもほとんど言及されることのない『ルイジアナ杭打ち』について書いてみた。

蛇足ながら、海軍兵学校未卒→転々→東北大学で哲学の徒、についてはかつて言及した。→日帝海軍最年少の復員兵、あるいは日帝廃棄物; 木田元さん私の履歴書


ぶどうの木再生日記;第70週目

2014年07月19日 11時56分11秒 | 草花野菜

■ 今週の飛行機雲


  - 日本列島九州島 福岡県にて -

■ 今週の小便小僧

▼ 今週の キティーちゃんが、好きでありますか? 

 スッチー @昭和のオヤジの死語 ⇒ 日の丸・やまとなでしこ・JAL・客室乗務員 的 キティー ちゃん;

▲今週の 言葉の問題; kitty と pussy の間には、深くて渡れぬ 差異 がある。

英語をあまりよく知らないおいらが今週気づいたこと;

たとえば、この下画像の意味は、kitty と pussyのどちらでもよいのだろう。

そして、われらが、ぬっぽんの サンリオ社の Hello! Kitty、はまだよかったのだと確認した。

もし、 Hello! Pussy だったら、世界が驚愕したであろう。

いや、やはり、ウタマロのクニの正嫡だったのかと、一部、好事家からは褒められたかもしれないが...

ご承知の通り、pussyの第二の意味は、pussy [google画像のこの言葉をリンクしたが、あまりに露骨なのでやめた] である。

一方、kittyの第二の意味は、【トランプ】 勝負事の賭け金の総額、とのこと。

子猫(pussy kitty)は、のむ、うつ、かうの、 うつ、かうに通じているのだ!

■ 今週の カ マ ト ト

とうの昔に「あの日」から...

 


パパたちよ! 靖国に帰れ! と「あの日」から眉爺は訴えていたのだょ

今更、 カ マ ト ト ぶるなよ!

そして、ママだって帰らないかもしれません。

(ベタ書きすると、毎年、自衛官は(訓練で)殉職する。村山内閣の時だって、そうだ。その内子持ち女性自衛官もいたかもしれない)

だから、「あの日から、パパは帰ってこなかった」っていうのは、社民党の欺瞞の上に、女性差別でもある。

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キティちゃんが、好きでありますか?

2014年07月16日 19時19分15秒 | その他


   - 都内葛飾区立石付近 -

■ 「サンリオショップ」の思い出

おいらが小学生の頃、 「サンリオショップ」に行ったことがある。1970年代後半だ。もっとも、「サンリオショップ」なんて言葉があったかは不明。おそらくないだろう。

ただその店についての情報を今ググると、当時の思い出を語る人々はみな「サンリオショップ」と呼称している。恐らく、サンリオグッズを売っている→サンリオショップということなのだろう。

何より、おいらも、この記憶(小学生のおいらが「サンリオショップ」に行ったことがある)をネット情報で精査するまで、あの店は「サンリオショップ」と記憶していたのである。

画像でググった;「サンリオショップ

・(現在収集できる情報で精査することなく、つまりは内省するとない)記憶に基づき、小学生のおいらが「サンリオショップ」に行ったこと。

1970年代後半、隣街、正確にいうと、隣の町の隣の町に、文房具店があった。おいらは、隣の町の隣の町 (御徒町[仮名]) の隣の町に習い事で通っていた。バスでだ。でも、御徒町[仮名]の事情は少しは知っていたので、御徒町[仮名]にその文房具店があることは知っていた。

1970年代後半のある日、3歳下の妹が、キティちゃん!キティちゃん!と騒ぎだした。御徒町[仮名] のその文房具店にはキティちゃんグッズがると彼女は知った。おそらく、ガッコで得た情報だろう。

それで、3歳下の妹はひとりではA町のその文房具店には行けないので、 御徒町[仮名]のその文房具店へ徒歩で行って帰ることができるおいらが同伴したのであった。

どんなキティちゃんグッズが並べて売ってあったのか?、何を買ったのか全く覚えていない。


今日もつくばで; 何年かぶりで西武筑波店に行った

2014年07月13日 18時51分48秒 | 筑波山麓

 何年かぶりで西武筑波店に行った。最後に行ったのは何時であったか正確には思い出せない。2009年には行ったはずだ。そして、震災(2011年)後は行ってないと思う。今週末行った理由は明確。あるお菓子を買いにいった。西武筑波店に売っていると情報を得たからだ。今思えば、そのお菓子の本店が並木(つくば市の街の名前)なので、そちらでもよかった。駐車場の面倒を考えると、そちらの方がよかった。

西武筑波店の駐車場の各スペースに動物の名前がついていた。階数の数字とA、Bだけでは、自分の車を停めたスペースを忘れ、自分の車を探してうろうろする人のためだろう。 おいらは、うさぎに停めた。 つまりは、そんなに上の行かなくとも駐車スペースが空いていたのだ。この時点で少し、気づいた。

 

人が少ない。週末の夕方なのに、人が少ない。10年前の西武筑波店の平日の午前中のような感じ(記憶)である。

ララガーデン、イーアス、イオンなど郊外型=野外駐車場付きのショッピングモールに負けて、人が少なくなったと推定している。

JR土浦駅前の斜陽化は、TXつくば駅前でも起こっているのだろうか?

西武は、今はつぶれたダイエーと共に、国策=皇策で、つくばに出店。 その運命は????

国策って大げさかと思われるが、おいらが、アラサーで、成田空港経由で、筑波山麓にたどりついた直後の早春、筑波西武店には「筑波大学」の表示をつけた貸切バスに乗せられた新入生が「買い出し」に来ていた風景を目撃。 あ~、筑波!と感慨に耽った記憶がある。ただし、15年以上昔のことである。

■ 福来氷

買いに行った菓子は、つくば産の御菓子(御菓子処 いとう [google])、福来氷。

フクレみかん([1]とreferences therein)を使った、ゼリーを基調とした砂糖菓子。

表面に砂糖の「薄氷」を張っている。(なお、フクレミカンの産地は凍らないので、ミカンがなるのですが...)

少し苦味に通じる独得のフクレみかんの香りがする。

 


ぶどうの木再生日記;第69週目

2014年07月12日 12時23分24秒 | 草花野菜

■ 今週の草木


地味に出演している蝶々@喪服系もよろしく。

■今週の皇居


 普請中

■今週の看猫


 ぐ  っ  た  り  

■ 今週の 後 衛 の 位 置 から

後衛の位置で愚痴っているおいらの発見; 彼女 (現役最年長! 世界的前衛美術家) は美人さんだったのか; 百歳でも隠し切れない面影

おいらは篠田桃紅さんを「知って」はいた。理由は、

 まず彼女の作品を見て、好みだとわかった。それでその作家さんが篠田桃紅さんであると積極的に調べてわかった。

数年前のある日、後衛の位置で愚痴っているおいらは、びっくりする作品を見た。ネット上でだ。おいらの好みを超える作品であった。つまり、「おまえは自分の好みを知っているつもりかもしれないが、この作品を見て、自分の好みを決めているのか!?」という天の声だった。 そのびっくりした作品の作家さんを調べたら、篠田桃紅さんであるとわかった。

ただ、それ以降、彼女の履歴、あるいは、そもそも、彼女が存命なのか?など特に意識していなかった。彼女の作品を野暮な言葉で説明すれば、日本画の技法を基礎手法としたモダン抽象画である。猪熊弦一郎さんの画風などが好みのおいらは、篠田桃紅さんのモダン抽象画にしびれ、さらには、どこかしら和風であることに興味をもった。その時は彼女が日本画のバックグラウンドを持っていることをしらなかった。

日本の然るべきところには彼女の作品展が常設されていると知ってもいたので、そのうち、あるいは、老後にでも見物に行こうかな、くらいに考えていた。


篠田桃紅さんの作品群 [google画像]

一方、おいらは、彼女の紅系作品も好きだ;

  

 今週、本屋でみた。篠田桃紅さん。美人さんなんだ(google 画像)。

なお、その本屋の平積みにおいて、篠田桃紅さん@美人の本の横には、ペテン師の本が、必要もないのに、顔写真入りで並べられていた。

恐るべし、玉石混合ぬっぽん女子!

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