いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

ふらっしゅ・ばっく; いか@ :インドで働いたこと(7/4-19)。

2005年06月29日 06時13分26秒 | インド


この画像、もし手前のオートリキシャ、緑と黄色のオート三輪、が写っていなければ、北米あたりのインド人コミュニティーの学校帰りの子供にも見える。後ろには高級乗用車が写ってるし。

これは、デリー、それもオールドデリーの市街地での写真。

インドにも、みぎわさんとまるちゃん、がいるんだなとおもいますた。

実際、彼らはインドでは稀種で、インドの現実は、ずーずーしいおいらでも、カメラを向けるのがはばかれることの連続でした。むしろ、このブログにある「こじき」の写真はとりやすかったといえます。

去年の明日始まった「いか@ :インドで働いたこと(7/4-19)。」も今日でおすまい。

来週から、おいらは薩摩出張だす。


奴隷の分際

2005年06月25日 10時02分14秒 | 日本事情
愚民党の大臣もおばかなら、政務官もおばかである。

森岡政務官; 東京「裁判」に 疑問!

東京「裁判」なんてものは裁判でもなんでもなく、 リンチ殺人 にほかならない。

戦勝国が敗残国の指導者に リンチ を加えたのである。 しかし、この真っ当な言い分が白昼堂々とは通らないのが戦後日本。

なぜなら、東京「裁判」を  リンチ殺人 と言わず、あまつさえ容認してきたのは、

 愚民党・政府

である。いま史料はリンクできないが、おいらががきんちょのころ、中曽根内閣で、安倍外務大臣は政府の公式見解として、「A級戦犯は平和を乱したものども」と表明した。当然、サンフランシスコ条約に基づき、「東京裁判なんてのは リンチ殺人 である」とは日本政府は言っていない。

小泉首相も ドレイの立場 に御執心である。

さて、森岡なんとかのばかさ加減は、そういう愚民党でありながら、入信し出世してきたことである。これではまるで、奴隷党に入ったのに首輪をつけられるのが嫌だとだだをこねるようなものである。 東京裁判を事実上主宰したのはアメリカなんだから、アメリカと交渉して東京裁判を破棄するようになんとかするのがあんたの務めだろう。もし、あなたが東京裁判が不当だという信念をもつなら。

森岡ちゃんよ、あんたの、そしてわれわれの、「立場」はこれなんだよ!



こういうことはみんな愚民党政府がサンフランシスコ体制をどうにかしようと努力してこなかったツケだよ。あんたのせいだよ。 つまり、森岡のばかさ加減は自分達の怠慢をたなにあげて、たんに愚痴ってるだけなことだよ。

ドレイでも命あってのものだね。 臣茂。

と、グチッてるおいら。馬鹿バンザイ!




埋葬禁止 愚民党大臣 島村宜伸

2005年06月22日 06時54分33秒 | 日本事情
死者に対する認識の違い

死者に対する認識に違い 靖国問題で島村農相

 島村宜伸農相は21日の閣議後の記者会見で、靖国神社にA級戦犯が合祀されていることに関連して「A級戦犯の人は死をもって償いをした。日本ではどんなに罪があったと仮に認められた人でも、亡くなった人に石を投げる考えはない」と述べ、中国とは死者に対する考え方に大きな違いがあるという認識を示した。

 死者に対する考え方の違いについて農相は「中国は墓を倒してでもそこへ石を投げるという考え方があるそうだが、その辺はお互いの精神文化の違いでしょう」と説明した。

 さらに農相は「戦後60年たっており、当時私たちは子供で、そういう(戦時)行為に行きすぎがあったことを認めない(わけ)ではないが、それらについてどういうふうに責任を取ってくれるのだと言われても、戸惑うしかない」とも発言した。(共同)


そうかな?

戊辰戦争で会津敗残のあと、薩長占領軍(官軍=皇軍=天皇の軍隊)は戦死した会津兵は犯罪者なので、埋葬を禁止。

あちこちに放置された死体は野犬など獣に食い荒らされ、さらに腐乱し会津城下は死臭ただよう地獄だったんだって。
会津落城』 星亮一 中公新書より.

さらには、あわれに思いこっそり埋葬したことが発覚し、その人は処罰、さらに死体が掘り起こされ再び放置された。

 知らぬが華 or 薩長軍は支那軍?




加藤紘一 神の国by薩長 鱸成信 伴兼之

2005年06月21日 07時17分13秒 | 日本事情
ネットでたまたま、下記のような加藤紘一の発言をひろった;

自民党の加藤紘一氏は22日に行われた化学関係学協会連合協議会主催の「科学技術立国日本」という講演で森首相の「神の国」発言にふれ、「薩長が江戸幕府と対決するために、神として天皇陛下を利用し、1945年まで異常な時代をつくってきたと思う」と述べた。日本人にとって神は「土着の山岳信仰みたいなもの」、「天皇家はその自然と人間との間を結ぶ、神主さんの頭領であって、日本社会の中で権威として存在してきた」と述べた。

ここで見つけました。

発言内容から見て、小泉内閣の前の森内閣の頃、かつあの「加藤の乱」の前だろう。

 ちなみに、加藤は庄内は鶴岡の代議士。酒井・庄内藩は幕末、鳥羽伏見の戦いの直前に江戸の「薩摩藩邸焼き討ち」を行った。この報せが大坂に届き、幕府主戦派をぶちぎれさせ、京都進軍となった。この一連の事件は、今となっては、西郷隆盛の描いたシナリオだとわかってきている。つまり、京都で慶喜・幕府軍と膠着状態となった討幕派が、ちゃんと戦争になるように幕府を挑発したのである。その挑発とは西郷が浪士やごろつきを江戸の薩摩藩邸に集め、彼らを江戸市中に出撃させ放火・強盗をさせて江戸を撹乱した。テロ行為ですよ。テロ行為。

 そんなテロ行為を取り締まるのは当然であり、譜代大名の酒井が治安維持のため薩摩藩邸を改め、その結果戦闘となったのが、現在「薩摩藩邸焼き討ち」と呼ばれる事件である。この呼称もひどいな。これはまるで、オウム真理教の上九一色村の宗教テロ施設の強制捜査を、「サティアン焼き討ち」とオウムがいうようなもんだ。そんなわけで酒井・庄内は薩摩の怨嗟の的となり戊辰戦争では薩摩と闘うこととなる。

 テロリストの親玉、西郷南洲隆盛は著作などないのであるが、西郷南洲の言動は今では『南洲翁遺訓』としてわれわれは読むことができる。これは、元庄内藩士の伴兼之らが西郷の言を書き取ったものである。なぜ伴ら庄内藩士が西郷の言に触れたかというと、戊辰戦争で庄内が薩摩に降伏したとき薩摩・西郷が「寛大」な処分をしてそれに庄内藩士たちが心服した。その中で2人の若者が薩摩の西郷のもとに弟子入りした。そんないきさつで西郷の言が庄内藩士に書き残された。ちなみに、その伴兼之らは西南戦争に薩摩軍に参加、死ぬ。戊辰戦争で「賊軍」として死に損なった庄内藩士がりっぱな賊軍として薩摩で死んだのである。この西南戦争に、伴兼之の兄鱸成信は政府軍として出兵、同じく薩摩で死んだ。


テロ成功!       テロ失敗。

 

中国 土蜘蛛 むきだしの暴力

2005年06月18日 22時04分11秒 | その他
■週末はレンタルでやくざ映画を2つ。ひとつは最近のもの;『実録・大阪やくざ戦争 報復』、もうひとつは「古典」飯干晃一原作の『やくざ戦争 日本の首領』。教養の香り芳しいことかぎりない。

     
トリビア:『日本の首領』には鶴田浩二が出演していて、『大阪やくざ戦争』には娘の鶴田さやかが出てる。ちなみに鶴田真由は鶴田浩二と関係ない。さやかとは多少美人系統はにているが。





『やくざ戦争 日本の首領』は1960年代から1970年代にかけての政財界とやくざの構造的関係の劇化。時代は高度成長期。企業の発展には工場建設などが不可欠。その地上げ、地元住民対策などを組織的に暴力を用いてやくざが遂行。そのよごれ仕事なしでは日本の政財界はなり行かなかった、というテーマ。

土蜘蛛:朝廷から見た蔑称。朝廷に屈服しなかったひとびと。どうやら彼らは地面に穴を掘って生活していたようで、そこから土蜘蛛と蔑称されることとなったのだろう。地面に穴を掘ってくらすということは家屋を建てる技術がない、非文明であることの象徴なのだ。そんな土蜘蛛たちも朝廷の差し向けた軍勢に滅ぼされる。あわれなことかぎりない。

■そんな今日。テレビニュースで衝撃的な映像を見た。土地収用に反対して、地面に穴を掘って抵抗していた農民が手に鎌をもった暴力団に爆薬攻撃もあわせて、襲撃されているのである。ニュース解説によると、発電所建設のため土地収用が必要で農民をどかすため手をやいた。そこで、中国共産党はテロ集団に抗議農民を襲撃させた、とのこと。なんてこった。最悪である。日本の高度成長期にも成田空港問題に象徴される国家・資本の暴走と土民の抵抗が多々あった。上記映画にもあるように暴力団も暗躍したのだろう。しかしながら、こんな死者をだす剥き出しの暴力は日本ではそうはなかった。これは、いんちきでも、いちおう民主国家で法治国家であったからであろう。それに対し、中国では国家の支配者・共産党が公然とテロをやっているのである。

中国共産党が国家権力を使って白昼地上げをしていることは上海では公然であり、その恩恵にあずかる日本資本、及び日本ブルマスはなんにも批判してこなかった。あげくがこれである。これである、というのは今回の報道はアメリカの「ブルマス」の成果だ。日本のマスゴミは、戦前と同じくあいかわらず大本営発表の垂れ流し、中国共産党と支那商売会社の宣伝媒体である。